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桜ノ奇  作者: 五十鈴 りく


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〈二十七〉二人で

 朝になり、横になったままでいると畳からカタカタと地揺れが伝わる。

 琴平はハッとして目覚めたが、まだ空は白み始めたばかりというところだ。

 人が立てる物音はしない。まだ誰も起きていないのだろうか。


 目を擦りながら裏手の井戸へ向かおうとすると、丁度木戸を抜けていく背中が見えた。あの着物は采璃だ。

 琴平は驚いてとっさに采璃を追った。


「采璃!」


 あと少しで追いつくと言うところで呼びかけた。

 そうしたら、小走りで急いでいた采璃はとっさに足を止めて振り向く。


「ごめん、起こしたのね」


 謝るけれど、詫びているというよりは決まりが悪そうに見えた。悪戯を咎められた子供のようだ。

 皆が寝ている隙に抜け出そうとしていたのだから、疚しさはあるのだろう。


「一人で危ないだろ」


 琴平がそれを言うと、采璃は再び背を向けた。琴平の目は見なかった。


「〈千里屋〉に行くのか?」


 采璃が今、最も気がかりなのは思川太夫のことだ。皆で安全なところへ向かったとしても、思川太夫があの部屋から出てきてくれないのであれば采璃の気は休まらないままだ。

 それはわかっているけれど――いや、わかっていなかったのかもしれない。


「あたしは大丈夫だから、華汰をお願い」

「何が大丈夫なんだよ?」


 大丈夫なわけではなく、暗についてくるなと言っている。虎之助と同じだ。

 思川太夫が〈千里屋〉と共にあるというのなら、采璃もつき合う覚悟を決めたのか。昨日は華汰がいたから、華汰を巻き込みたくなくて一度引いたに過ぎない。


「采璃、戻ろう。華汰が心配するから」


 それを言ったら、采璃はうつむいたままかぶりを振った。


「……あたし、姐さんがいてくれなかったら、ずっと昔に死んでたと思う」

「えっ?」

「だって、いいことなんてひとつも見つからなかった。小さい子供が、全部取り上げられてここへ来たのよ? 生きていたいなんてちっとも思わなかった。そんなあたしの気持ちを一番よくわかってくれて、励ましてくれたのが姐さんだもの。姐さんがいなかったら生きられなかった……っ」


 守ってくれた親を失い、苦しい思いをして生きてきた。

 琴平にもその気持ちが痛いほどよくわかった。それを歯がゆい気持ちで受け止める。


「じゃあ、俺も行く」

「駄目!」

「もう決めた。行くよ」


 今の采璃をとても一人にはできない。したくない。

 この気持ちはどこから来るものなのか、今は突き詰めて考えるゆとりはないけれど。




 琴平は采璃の手を、振り払われないように強く引いて歩いた。采璃は何も言わない。

 里は昨日よりもなお、桜に覆われていて樹林のようになっている。これがたった一本の木だとは到底思えない。

 ただ、遠くに人の姿が見えた。女だ。


 地味な縞の着物に能面のような顔立ちの女――。

 楼主の花崎と共に行方知れずになっていた花車だ。


 琴平は、あっ、と声を上げた。采璃はまだ花車に気づいておらず、琴平の声に驚いている。


「な、何?」

「今、向こうに花車がいた」

「えっ?」

「無事だったんだ。もしかすると、花崎さんも無事なのかも」


 花崎の無事を采璃は心から喜んでいいのかわからないふうだった。楼主である花崎が生きているのなら、この里はまだ遊廓として機能しており、采璃は花崎の所有物であるのだから。


 しかし、琴平が改めて花車のいた方を見遣ると、そこには誰もいなかった。駆け去ったにしても速すぎる。影も形もない。本当に忽然と消えたとしか思えなかった。


 そういえば、花車には松枝のことを訊ねたいと思っていたのも思い出した。

 花車がそこにいたと思ったのは、琴平の錯覚だったのだろうか。もうどこにもいない。


「いない……?」


 琴平は独り言つ。采璃こそ狐につままれたような気分だっただろう。


「見間違いかもね。こんな時だもの」

「う、うん」


 琴平が采璃につき添うのは、采璃の覚悟につき合うためではない。むしろ逆で、思川太夫が部屋から出てきてくれるように引っ張り出すためだ。まだ諦めるには早いと思いたかった。


 思川太夫の心を斟酌しない、ひどく身勝手な行いだとしても、思川太夫が生きていてくれないと采璃が悲しむ。それが嫌だから、琴平はどちらか一方の心を選ぶのだ。


 けれど、采璃こそここを離れても生きていくのが難しい。家族のもとへ帰れるのかどうかもわからない。

 もし行く当てがないのなら、琴平が一緒にいればいいのだろうか。二人でいれば、一人よりはましかもしれないから。


 それなら、琴平も死ねない。

 今になってやっと、吉次が言った言葉の意味がわかった気がした。


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