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桜ノ奇  作者: 五十鈴 りく


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〈十八〉滅びへ

「虎之助様、ここに食事を置いておきます。どうかお召し上がりください」


 膳の上に竹皮に包んだ握り飯と茶を載せ、障子戸の前に置く。声をかけたけれど、返答はなかった。気配はあるので、そこに虎之助がいることは間違いない。

 琴平はそれ以上しつこく言わずに下がった。


 采璃が作ってくれたという握り飯は、梅干しを入れただけの簡単なもので、大きさも形も不揃いだ。食べてみると、塩辛いところと味のないところがあったりもしたけれど、拙いながらに一生懸命作ってくれたのだと思ったら有難かった。


 握り飯を食みながらも、ふと琴平は気持ちが塞いだ。松枝にこんな結末しか許されていなかったのならば、もっと虎之助と二人でいられる時間を増やしてあげればよかった。

 吉次に言われたように、邪魔にならないように琴平が家を空けていれば松枝はもっと幸せを強く感じていられただろうか。


 庭で素振りを繰り返し、沈みがちな気分を拭き消そうとしたけれど、そう容易いことではなかった。

 夜になって蒲団に入っても、とても眠れたものではない。


 結局眠れず、夜半になって寝床を抜けた。夜風に当たっていると、庭先からでも桜の花が見えた。それは白く光り輝き、清らかなようにも妖しげなようにも感じられる。


 琴平は一度歯を食いしばり、部屋に戻って刀を差すと木戸を抜けて桜の木を目指した。




 さすがにこんなにも夜更けに凶事のあった桜に近づく者もいなかった。

 松枝ならば幽霊でも怖くない。むしろ会えるのならば何があったのかを聞きたいくらいだ。


 琴平は桜に近づくと、木を見上げた。ここへ来るたび、桜が大きくなっていると錯覚してしまうけれど、それが錯覚ではないとこの時に改めて思った。この木はもう、人が運んで植えつけられる大きさではない。

 そして、ものの数日でここまで大きくなった木が、ただの木であるはずもなかった。


「カセイ! 出てこい、カセイっ!」


 琴平は木に向けて叫んだ。声に乗せたのはやり場のない怒りだった。

 しばらく静かなもので、カセイなどという存在は琴平が勝手に作り出した幻なのかと戸惑った。けれど、とても渋々といった具合で桜の木の高みから少年の細い声が降った。


「だから忠告したのだ。この里から出ていけと」


 枝に腰かけながら、ほんのりと光るカセイは琴平を見下ろしている。重みがかかっていないのか、枝はしならなかった。


「お前の仕業なのかっ? 松枝様を返せ!」


 声の限り叫んでも、カセイは冷めた目をしているばかりだった。


「お前たちはこんなところへ来るべきではなかった。しかし、もう遅い」

「えっ?」

「お前たちもすでにこの里から出ることはできぬ」


 カセイがそれを言った時、紙垂を揺らしてぶら下がっていた注連縄がぶつりと切れた。土の上に垂れた注連縄はただの塵だった。

 そして、今、この注連縄が切れたのはどんな力によるところなのだろう。間違っても風や人の手が千切ったのではない。


 琴平は刀の柄を握り締めたまま、立ち尽くすしかなかった。そんな中、枝の上で立ち上がったカセイの声が静かに告げる。


「橋が落ちる」

「は、橋?」


 この時、琴平の立っていた足元が揺れた。驚いてその場に膝を突くと、地面がどくどくと脈打っているようなおかしな感覚がして、あまりの気味悪さに飛びずさった。

 それでも、地面の下を何かが這っている。


 カセイが言った通り、橋が架かっている大門の方角で轟音がした。

 注連縄が切れたのと同じように、この里へ架かる橋が落ちたというのか。大八車で桜を運び込んだ、あれほどの重みに耐えられる丈夫な橋が。


 これで本当にこの里からは出られなくなった。

 琴平も虎之助も、松枝のように桜の餌食になるのだろうか。この里にいる者は一人残らず――。


「さ、桜が怨みを晴らすために人を襲うのか?」


 琴平がそれを言うと、カセイは透き通るような美しさで微笑んだ。


「お前たちは余所者だ。極力襲われぬように逸らしてやりたいが、まあ必ずと約束はできぬ。あまり出歩かぬよう、家の中で震えておれ」


 せっかくの忠告を聞き入れなかった琴平が悪いとばかりに言い放つ。

 なるべく仮家の方を桜が襲わぬようにしてくれると言うが、その場合、里の人々を見捨てろと言っているようにも思われた。


「里は滅ぼす。おぬしたちは運が良ければ生き残れることもあるだろう」

「そんな……」


 琴平たちは遅かれ早かれ松枝の後を追うようになっているらしい。

 それを受け入れるか否か、そんなことは当人にさえも選べぬこと。

 カセイは、闇の中へと消えていった。




 舞い散る桜の花びらが光っているせいか、夜道も暗いとは思わなかった。

 あれだけの音がしたけれど、里は死んだように眠っている。誰もが恐ろしくて家から出られないのだとすると意外でもない。


 カセイの言葉通りなら、橋が落ちたのだ。あの橋をすぐに架け直すのは無理だろう。

 とにかく、虎之助に知らせて今後のことを相談しなくてはならない。琴平は緊張で硬くなった体に鞭打って急いだ。


 すると、あの音のせいか、仮家の玄関先に虎之助が立っていた。


「虎之助様!」


 琴平は呼びかけた後、ぞっと身震いした。

 虎之助の面持ちが、琴平の知るそれとはまるで違ったからだ。何かに憑りつかれたような人斬りの目にすら見えた。目の前にあるものを映すのではなく、虚ろにどこか遠くを見据えている。

 戸惑いつつも琴平は虎之助に告げた。


「この里と外とを繋ぐ橋が落ちてしまったらしくて、ここから出られなくなりました……」


 それでも、虎之助は驚かなかった。この世で最悪の出来事はすでに起こり、もう何事にも動じないのかもしれない。


「私はここから出るつもりなどない」

「えっ?」

「松枝の体を探してやらねば。弔いもせずにここを出るわけには行かない」

「で、でも……」


 松枝の体は花びらになって散ったように見えた。亡骸など探せないのではないだろうか。けれど、今の虎之助にはとてもそんなことを言えない。いや、百も承知で虎之助はあえて言っただけかもしれない。

 それほどまでに松枝を想っているのか。


 そこで虎之助は、琴平が知るこれまでの虎之助の顔を垣間見せた。


「おぬしは好きにするがいい。もう十分だ。これ以上私につき合わずともよい」


 言葉は突き放すようでいて、それでも奥底には労りがある。琴平が供を願い出たのは自分の勝手であり、巻き込まれたのではないのに。


「いえ、俺は虎之助様とご一緒致します」


 カセイには仮家にいればまだ安全だと言われたけれど、信じていいのかは迷うところだ。それならば、虎之助が望むままにすればいいと思った。


 共に在るという琴平の決断を喜んでほしかったわけではないが、虎之助は無言でかぶりを振った。放っておいてくれという意味だったとしても、最後までそばに置いてほしいと願ってしまう。


 琴平の人生には母か虎之助彼のどちらかがいて、二人がいない状況になって自分がどうするのかなど考えたこともなかった。

 けれど、虎之助はそんな琴平にしてしまったことを今になって悔いているように見えた。


「とにかく、今日はもう休め」

「……はい」


 明日になればこの里は混乱の渦と化すことくらい、琴平にも容易く想像できた。明日に備えるしかないが、どう考えてもすべてが丸く収まることなどないだろう。


 琴平は蒲団に戻って、無理やり目を瞑った。

 気は昂っていたが、疲れていた。琴平はこんな時だというのにしっかり眠っていた。


 そして、朝になって目覚めた時、この家に人の気配はなかった。


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