第5話 ヒロインはブレイエス男爵家に引き取られる
最終話まで書き終えたことに伴い、章設定を行いました。
現行の物語を本編とし、最終話以降におまけ・後日談を付け加えていく予定です。
完結後も引き続きご愛読のほど、宜しくお願い致します。
眼鏡を作って少し経ってから、中学校で学年度末テストがあった。俺は飛び級で1年次の2学期から中学校に入学しているのだが、中学校で入学時にテストを受け、そのまま1年生に編入しても学力的に問題ないと判断されていた。
学年度末テストの当日、教室に入ると多くのクラスメイトに混じって、見慣れない男の子が座っているのが確認できた。茶色の髪に茶色の瞳を持ち、質素だが清潔感のある私服を着、少し線が細いが端正な顔立ちをしている。十分に美少年と称していい顔の造形だが、攻略対象キャラのようなイケメンオーラはあまり見られない。
きっと彼が、俺よりも5ヶ月前に飛び級で中学校に入学した、アレンという天才君なのだろう。
ちょっと話をしてみよう。そう思って彼のところに歩いて行こうとしたら、ちょうど俺のすぐ後ろからヒルデガルド先生−きょぬー眼鏡の先生が入ってきた。
「今から学年末試験を始めます。問題用紙と回答用紙を配りますので、席について待っていて下さい」
俺は席に着かざるを得なかった。残念。いずれ彼とは話す機会もあるだろう。
◇◆◇
席に着き、問題用紙と解答用紙を受け取って開始時刻を待つ間、俺は眼鏡の奥、目を閉じて精神を落ち着かせていた。
「始め」
ヒルデガルド先生が声をかけると、一斉に問題用紙を開く音が鳴った。無論、俺もそれに倣って問題用紙を開く。
試験時間は180分、その間に古典、算術、国内外の地理、歴史、礼儀作法座学の全教科を解くのだ。なお、配点はそれぞれ100点満点である。
1時間半ほど経って、俺は全答案の8割ほどを埋め終えた。定期試験では、180分丸々座っていなくても全答案を埋め終えてしまえば時間終了前に退出できる。
この調子で行けば、1時間ほど余して退出できそうだ。そう思って残った問題用紙に目をやった途端。
「先生、問題を解き終えました」
声変わりしない男の子の声が聞こえた。早っ!
「アレン君、相変わらず早いですね。では、解答用紙を置いて退出して下さい」
問題用紙から目を外し、立ち上がって教室の出入口に向かう人影に視線を送ると。
やっぱりそこにいたのは、今朝確認した端正な顔立ちを持つ男の子だった。
◇◆◇
その一週間後、中学校の講堂に学年末試験の結果が貼り出された。
首席 : アレン 500点満点、次席 : エイミー 495点、etc、etc…
なんだと!?天才君に負けたのはともかく、俺はどこで間違えたんだ!?
返されてきた解答用紙を確認して熟視すること数秒、そして俺は絶叫した。
「あほかわたしはあぁぁぁぁっ!!」
国内の、昨年度オーク肉生産量第一位なのはアルトムント『侯爵』領じゃねぇ!アルトムント『伯爵』領だ!!こともあろうにオーク肉といえばアルトムント、と木霊が返ってくるくらいのサービス問題を、つまらねぇミスで落としちまった!!
つまらねぇケアレスミスで、5点パーにしてるんじゃねぇよ!おかげで、同率首席と全教科満点を取り損ねちまった!畜生があぁぁっ!!
「エイミー、どうしたの?」
俺の絶叫を聞きつけたクラスメイトたちが声をかけてくれる。心底情けない気分になって、俺は彼ら彼女らに自分の解答用紙を見せた。
「これ、見て下さいよぉ」
クラスメイトたちは俺の解答用紙を見て、笑い出した。悪意的な笑いではない。
「あはははっ、こりゃ悔しいよなぁ」
「答えはわかってたのに、爵位の書き間違いで点を落としちゃったのね」
「エイミーも、こんな間違いをするのね」
クラスメイトから解答用紙を返してもらい、俺はもう一度情けない声を出した。
「皆さんも、こんなあほなミスをしないように気をつけて下さいね。しくしく」
ざーとらしく泣き真似をしてみせると、またクラスメイトの中から笑いが湧いた。
◇◆◇
あほなケアレスミスで学年度末テストの同率首席と全教科満点を逃すという悔しすぎる失態をやらかした数日後の夕方、家の扉をノックする音が聞こえた。
「はい、只今」
そう言って扉を開けたなり、母親は一言「あなたは…!」と言って絶句している。
尋常ならざる気配を感じ取って玄関に行った俺は、そこでその人と『初めて』出会った。その人物は、母親の名前を呼び、そして俺に視線を向けた。
「シュザンナ、長いこと会えなくて済まなかった。ああ、君がエイミーだな」
年齢の頃は40がらみ、茶色の頭髪は短く切り整えられ、精悍な風貌に頬の刀傷痕が凄みを加えている。高価なスーツに包まれた胸板はかなり分厚く、鍛え込まれていることを容易に想像させた。大柄な体躯からは、幾度も修羅場を潜り抜けてきた者の風格を感じさせるが、その目から注がれる視線は穏やかで暖かい。
彼はジークフリード・フォン・ブレイエス男爵、俺ことエイミーの父親であった。
◇◆◇
母親がブレイエス男爵に−まだ流石に父親と呼ぶことは心情的にできない−お茶を出し、男爵は礼を言ってそれに一口つけた。何やら気まずい空気が漂っている。
「シュザンナ、君を長いこと放っておいて本当に済まなかった。これまで、あれの目が厳しくて、金を渡すくらいしかできなかったんだ」
男爵のその言葉に、母親は普段からは想像もつかない暗い声を返した。
「…奥方様は、どうなさったんですか」
「三日前に、流行病でな」
そういえば、ここ最近貴族街で流行病が出たと聞いている。それで男爵の正妻は急逝し、少なくとも男爵家内では誰憚る者がいなくなった男爵が、かつて日陰の身であったエイミーとその母親を引き取りに来たのだ。
「…以前のように呼ばせて頂きます。ご主人様、虫が良すぎはしませんか?」
母親にはとても似合わない、冷たい声。男爵の逞しい体躯が、一回り萎んだように見えた。
「奥方様と上手く行っていないからといって、私に手をつけてエイミーを産ませて。無論、私にエイミーという愛娘を授けて下さり、また日々の生活に困らないようにお手当を下さることは感謝しています。ですが、奥方様が亡くなられたからといって私とエイミーを引き取りたいなどと、自分勝手すぎます!」
ついに母親の声が激した。それに対して弁明する男爵の声は、体格に比してあまりに小さく弱々しい。
「判っている。私の言い分が身勝手なことは。君が怒るのも当然だ」
そこで男爵は一息つき、そして意を決した表情で言った。
「だからこそ、君に対する償いとして君とエイミーを引き取りたい。エイミーにとっても、ブレイエス男爵家の令嬢であれば将来が大きく広がると思うのだ」
男爵がそう言ったとき、俺は思わず凄まじい勢いで顔を上げてしまった。
このままでは、俺は平民のエイミーに過ぎない。ブレイエス男爵からの援助があるから、生活に困ることはないが王立高等学園への進学は相当に困難だろう。
だが、ブレイエス男爵家の令嬢となってしまえば、それだけで大きなステータスだ。ブレイエス男爵家は当代取って2代目の新興貴族だが、それでも貴族は貴族である。平民のままでいるよりも、遥かに大きいアドバンテージだ。平民にはとても出せないような巨額の王立高等学園への入学試験検定料や入学金、また授業料だって容易く出せるだろう。
それほど、大多数の平民と貴族との貧富格差は凄まじいのだが。
そして、俺の目的−悪役令嬢アナスタシアの救済のためには、王立高等学園への進学が必須だ。傍にいなければ、救済することも叶わない。
俺はきっ、と男爵に眼鏡越しの視線を送り、「男爵様」と言葉を発した。覚悟はあったのだろうが、悲しげな視線で男爵がそれに応える。
「わたしはまだ、男爵様をお父様、と呼ぶことはできません。ですが、わたしにはどうしてもやらなくてはならないことがあるんです。そのためには、男爵様のお力が絶対に必要なんです。男爵様、わたしにお力をお貸し下さいますか?」
「も、もちろんだ。私にできることであれば、シュザンナやエイミーのために、何でもやろう」
食い気味の俺の言葉にやや気圧されたのか、男爵は少し引いている。
「ありがとうございます。わたしは、この国のために王立高等学園に入学したいのです。そのために、男爵様のお力をお貸し下さい」
その言葉に、男爵と母親の両方が驚いたような視線を向けた。
◇◆◇
「わたしもお母さんも、男爵様が毎月お金を下さるから比較的いい生活ができています。でも、世の中にはとても貧しくて、その日に食べるご飯にも事欠く人もたくさんいます。わたしは、この国に住むすべての人たちが、ちゃんと3度のご飯を食べられるようになるために、この国のために働きたいのです」
「エイミー、あなたは…」
母親が感極まったように口を両手で覆った。その両目は潤んでいる。男爵はというと、大きく目を見開いていた。
「そのために、わたしは王立高等学院に入学して勉強したいのです。男爵様、お力をお貸し下さい」
さっき俺が言ったこともまぁ本音である。歴史を紐解けば判るように、封建制度下では上位数%の王侯貴族が90%以上の資産を占有し、残りほとんどの平民たちはその日暮らしの貧しい生活を送っている。この乙女ゲーの世界も例外ではない。
この貧富格差の是正のために取れる手段は色々とあるだろう。俺が前世で住んでいた日本にしても貧富格差はあったが、それでもこの世界に比べれば遥かにマシだ。
俺は内政チートができるほど政治の知識を持ってはいないが、王立高等学園を卒業して国政の場でいささかでも前世で得てきた知識を活かせれば、それはそれで大いに結構な話ではなかろうか?
…まぁ、もう一つ本音はあるんだけどね。
「…エイミー、君は素晴らしい子だ!私は、君のその素晴らしい目的に全面的に協力しよう!…シュザンナ、ありがとう!エイミーがこれほど素晴らしい子に成長してくれたのは、偏に君の功績だ!!」
男爵は喜色満面で俺を褒め称える。母親も、嬉し涙を流しながらそれに応えた。
「いいえ、ご主人様…否、ジークフリード様、このエイミーの崇高な志は、絶対にあなたの血統によるものですわ。これほど素晴らしい子を、私に授けて下さいましたこと、感謝の言葉もございません」
「…シュザンナ…」
「…ジークフリード様…」
さっきまでの冷たく険悪な空気が嘘のように、男爵と母親は熱く甘い視線を交わし合っている。男爵は母親のことを愛してたんだろうし、母親も男爵のことを憎からず思ってたんだろうな。…まぁ、そうでなければ子供まで生そうとは思わんか。
でもね…
仲睦まじいのは大いに結構だが、娘の前でいちゃつかんとってくれ!
「とりあえず侯爵と伯爵の区別くらいは付けような」と
思った方は、応援を宜しくお願い致します。
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