098 キッテとぐえちゃんの記憶
――バシャン、バッシャーン
湖から水しぶきが上がる音。
そんな音が収まったかと思うと、ザバッという音がした。音の主が顔を出したのだろう。
「かみさまー! そんなところに座ってないで一緒に泳ごうよ!」
大人キッテの声だ。子供キッテだった時と比べてハスキーボイスになっている。子供キッテの高めの声も好きだったが、この声もまんざらではない。
声や音の話だけしているのには理由がある。
大人キッテは水浴びが好きなようで頻繁に泳ぎにいくのだ。
清潔にするのが好きなためという理由ではなく、本人曰く、水のキラキラ感触が好きで、それに包まれているような感覚が好きなんだとさ。
まあ別にそれはいいのだが――
「キッテは何も着てないだろ……」
「いつものことだよ。気にしない気にしない」
そう。すっぱだかで湖を人魚のように泳ぎ回っているのだ。
子供キッテのときは小さなころから一緒だったので、服を着ていない状態があっても普通だったが今は違う。
大人キッテはその名の通り18歳の大人。子供キッテと違って成長した体つきをした女性だ。
さすがに人間の記憶のある今、健康的な褐色の肌をじろじろと見るわけにもいかないので反対側を向いているというのが音描写しかしていない理由だ。
それと――
『索敵に引っかかりました。ティンクルライトを射出します』
俺の背から放たれた一筋の光が軌跡を刻む。
輝く光は一直線に森の中へと突っ込んで行き――
「ぐわっ!」
キッテには聞こえないほど遠くの声を俺の耳が拾う。
『ターゲット沈黙。作戦終了です』
森の中に潜んでいたのは敵、ではない。
キッテがカリノスと呼んでいた子供だ。
知将だという彼は覗きの常習犯。なので俺は今日も巨体で壁を作って邪な視線からキッテを守っていたのだが、今日は策を弄して遠くから望遠鏡を使おうとしていたので、警告の意味でターゲットを排除したというわけだ。
見たけりゃ見ればいいとおもうよ? 泳ぐのの邪魔をするなら吹っ飛んでいってもらうけど。などとキッテは言っていて、これまでも覗かれていたことを知っているようだ。
おおらかというか奔放というか……。
でも俺が来たからにはそうはいかない。キッテを守るのは俺の役目だからな。
そんなキッテだが、俺と違って今の大人キッテには元々の子供キッテの記憶が無い。
今までの相棒としての記憶、積み上げてきた思い出。それらを全部忘れてしまっているのは悲しくて、つらい。
だからどうにか俺の事を思い出して欲しくて必死にこれまでの思い出を語ったのだが……残念ながら効果はまったく無かった。
そんな時――
『記憶の秘宝を使うといいですよ』
などとAIさんが言ってきたのだ。
記憶の秘宝とは、前にマグナ・ヴィンエッタで襲ってきたレグニアの一人のサンドという痴女が使った、記憶を取り出して玉にする魔法道具のさらにすごい版で、それを使うと記憶を転写できる優れもの。
記憶を思い出させるアイテムではなくて記憶を脳内に見せる形のアイテムである記憶の秘宝は、高濃度の情報媒体であり、経口投与にて体内に取り込むことにより効果を発揮するのだ。
なので、俺の記憶を一から百まで全部秘宝に詰め込んでキッテに見てもらえば、思い出すのと同様の効果が期待できる、というわけだな。
だから俺はあの時、それを実行した……。
――――――
――――
――
「キッテ、俺の事を思い出して欲しい」
そう言って、俺は口から小さな光る玉をぷっと吹き出した。
これは俺の体液から作り出した記憶の秘宝。この小さな玉に俺がキッテと出会ってからの記憶が詰め込まれている。
この玉は、およそ10年の記憶が詰め込まれた超高濃度情報媒体であり、接種すれば今のキッテ……ヘレンの記憶と自我は消えてしまうだろうとAIさんは言っていた。
記憶の秘宝を使う事が正解なのかどうなのかは判断が付かない。ともすれば悪いことだとも思う。
だからそれをきちんと説明した。
今のキッテがこれを拒むというのなら、仕方がないことだ。
「今ようやくわかった……。ずっと感じていた何か。何かがぽっかりと抜け落ちていて、何かが欠けていて心が満たされない感じ。その理由が……」
「キッテ……」
「かみさまがそれを望むのなら、あたしはそれを受け入れる。かみさまがいなければあの時終っていた命だし」
キッテが小さな玉を受け取る。
そして、口を開いて、その玉を飲み込もうとする。
その瞬間――
「ヘレン、やめろ!」
腕を引っ張られたキッテは玉を落としてしまう。
その声の主は彼女の仲間であるカリノス。
俺とキッテとのやり取りを近くで見ていた彼が、そうはさせまいと飛び込んできて阻止したのだ。
「おい、お前! ヘレンを連れ去りに来たのか! 神様だか何だか知らないが、ヘレンは仲間だ! お前には渡さない!」
「そうだそうだ!」
「ヘレンちゃんはこれからもずっと一緒にいるのよ」
「助けてもらっておいてなんだが、こればかりは譲れないな」
俺とキッテの間に次々と割って入ってくる人たち。
カリノスだけではない。リヴニスの翼の仲間たちがキッテを守るように動いたのだ。
「みんな……」
キッテが目を見開いている。
この展開は予想外だったのだろう。
「命を救ってくれてありがとうかみさま。あたし、かみさまに感謝してる。かみさまと一緒にいたいし、かみさまがかみさまの世界に帰るっていうなら一緒に行きたい。
でも、あたし、まだやることがあった。仲間たちとやることが!
だから……その後でもいい?」
「すまん。キッテの気持ちを考えてなかった」
「んーん。やることが終わったら、あたしが必要じゃなくなったら、そのときはあたしは消えてもいい。かみさまの生贄になるのも大丈夫」
「そんなことしないよ。俺はキッテに幸せになってほしいだけだ。ただ、俺の事を忘れたままっていうのはちょっと悲しいかな」
その時、AIさんがエラーを吐いていた。
俺には認知できなかった、小さな小さなエラー。
(意識の奥底との乖離があります。あなたは衛藤鷹取の記憶とぐえちゃんの記憶が混じりあってしまいました。家族や相棒と言う感情だけではなく、人として男性としての感情を持ってしまっている。今はまだ気づいていないでしょうが、そのことはやがてあなたにその想いを強く思い起こさせるでしょう……)
お読みいただきありがとうございます。
子供キッテ時代は15歳から大人扱いでしたが、今のぐえちゃんは日本の記憶を持つので15歳を子供、18歳を大人認定しているわけであります。という補足。




