090 ムスコー氏族を救え! VS海洋宗教国家シーヴル(後編)
「まさか! 船はまだ来ないはずなのに!」
「やべえぞ、あそこからわんさかとシーヴルの奴らが湧いてきたら逃げ切れねえ!」
生贄を本国まで運ぶ輸送船。川底の深いこの川を上ってくることは知っていた。
だが、得ていた情報によるとそれは数日後のはずだった。
あの中には船の規模に見合った100人ほどのシーヴルの僧兵が乗り込んでいることも知っている。
今の戦いで疲れ切ったリヴニスの翼では相手にもならない。捕まったムスコー氏族の人たちを連れて逃げるならなおさらだ。
「……ぐ、ぐははは。お、お前らもここまでだ……。我らが海洋宗教国家シーヴルが誇る軍海船には俺のような末端ではない本国の精鋭、司海教様が乗っている。お前らなど一人残らず生贄に捧げていただけるだろう。ぐふっ……」
通常のサイズに戻った司祭シャラダーリンが最後の力を振り絞って伝えた悪報。
「司海教……」
兵力差だけでなく能力差も出る。これ以上はこの場にとどまることはできない。とはいえ、助けに来たムスコー氏族を見捨てることなどできない。
今、すべての僧兵を倒し終え、金属の檻にかかる錠を開けたところだ。
「急げっ、走れるものは森の中へ! 老人、子供はクルムに乗せて運べっ!」
捕まっていた人たちは女子供老人を合わせて40名近い。約半数は大人で健常者。残り半数をリヴニスの翼メンバーそれぞれのクルムに乗せ終えたものから出発していく。
だけどもそれでは間に合わない。
異常を察知したのか、加速した軍海船は滑るかのようにスピーディーに川を遡ってくる。
「ヘレン、このままじゃまずい!」
偵察兵で目のいいグモンが叫ぶ。
とはいえ、ヘレンに採れる方法も多くは無い。力任せに全員を森の中に投げ込んでしまうかとも思ったが、良い考えが浮かぶ間もなく船が大きくなっていく。
「グモン、皆を頼んだよ!」
「分かった。ヘレンは?」
「あたしは、トンガリ? 最後までここに残ってあいつらを止める」
つまりは殿をするようだ。
「死ぬなよ! またお前の捕まえたシカが食べたいからな。よかったら毎日作ってくれ!」
「お断りだっ! 生きて帰ったらそれこそヘレンお疲れ様会が毎日開かれるべきだと思わないか? そうだ、そうしよう。クマも捕っといてくれよなっ!」
ヘレンが川下へと駆け出す。
むざむざ死にに行くつもりはないが、必死に石にかじりついてまで生きていたいのかと言うとどうなのかは分からない。
時々、ほんの変哲のない時に、ふと思う。自分には何か足りていないものがあるのではないか。そこに当たり前のようにあったものを失っているのではないか、と。
その思いはトルナ氏族が滅んでから一層強く思うようになったものであり、一人になった事によってそう感じているのではないかと思っていた。
それから仲間ができて、一人でいることはなくなった。
それでもふとしたときに思うのだ。言葉では説明できない何かが、心に隙間があるんじゃないかって。
みんなと一緒にリヴニスの地を何とかしたいと思う。だけど、その奥底にはやはり何か欠けたものがある。
熱い自分とふわふわした自分とが同居していて、明確な目的もなく生きている。それは死んでいるのと同じ。
とはいえ、生きていると腹が減る。腹が減った後に食べる肉はとてもおいしい。その「肉を食べる」という理由だけでも、まだ生きていたいという動機にはなった。
敵船との相対距離がみるみる減っていく。
先ほどの巨人司祭ほどの高さはないが、横が大きい分圧倒的な圧を感じる。
ここから多くの手練れがやってくる。自分は強いほうだとは思っている。だけど自分より強いものがいないとも思ってはいない。こんな自分程度でさえそれなりの強さなのだ。もっと専門的に、もっと本格的に強さを追求した輩がいるとしたら、そしてその輩がこの船に乗っているとしたら――
「司海教……」
先ほど聞いた単語を復唱する。
悪い予想が当たっているのであれば自分は勝てない。そしてそれは仲間のみんなが生贄となって死に向かうのと同義。
そんなことをさせるわけにはいかない。
それはクマ肉なんかよりも、もっともっと、大切な事。
「やるだけ、やってやる!」
覚悟を決めた。この船に乗っている僧兵すべてをここから先には進ませない。手足がもげようとも、口が残っていれば相手を噛みちぎり、頭が残っていれば頭突きで粉砕してやる。
――ドォォォォォォォン
川上の方で鼓膜が破れんばかりの破裂音が聞こえた。
敵を目の前にしながら反射的に背後を振り返ってしまったヘレン。
「あ、あれは!」
川上から濁った茶色の濁流が押し寄せてくる。
それは一瞬の事。まるで津波のような力の奔流が、倒れたシーヴルの僧兵ごとムスコー氏族が捕らわれていた空の檻を飲み込む。
「ちょ、ちょ、ちょっと!」
勢いは収まらず、ヘレンすらも飲み込もうと迫ってくる。
「クルムっ!」
とっさに真上に放り投げたクルムにしがみつくと、瞬く間にその足元を轟轟と流れる濁流が通り過ぎていき、今まさに川を上ってきた輸送船にぶち当たる。
「ふーっ、危なかった。これカリノスの仕業だな? あとで文句言ってやる。ついでにクマも要求してやるんだから!」
クルムの上で胡坐をかいて下流の様子を見守るヘレン。
魔術的な何かで水の抵抗を減らしていた軍船もさすがに土砂や大木、岩石を内包した濁流には勝てず、そのまま一緒に下流へと押し流されていったのだった。
◆◆◆
大勝利の祝勝パーティーのこと。
「おい、カリノス、お前またヘレンにフラれたんだってな」
「馬鹿を言うな、フラれてなどいない。まだその時ではないだけだ」
「いい加減あきらめろよ。まったく脈なしだって」
「いくらヘレンとて人間だ。この知将カリノスにかかればわけない」
「めげないねぇ。さすがは抜け駆けまでした知将様だ」
「そうそう。男衆での不文律だったってのによ。あの時の知将様の抜け駆けには俺たちもおそれいったぜ」
「本当だぜ。ヘレン、俺はお前の事が好きなんだーって、なんのひねりもない直球だったな」
「まったくだぜ。ヘレンの答えも、よくわからないから断る。ってバッサリだったしな」
「まあそれでへこたれないのが知将様だ。「頼む、そこを何とか!」の言葉と共にくりだしたドゥゲザーは最高だったよ」
「あれ以来、俺たちの中では新しい不文律となったからな。ヘレンとカリノスの漫才を見届けるという」
「ああ。今日も楽しませてもらったぜ。もう10回にもなるか? お前がこっぴどく振られた回数」
「違う、6回だ。7回目には成功する確信がある」
「おうおう、強気だねえ。確か前々回だったか? リヴニスの地を取り戻した時にもう一回考えてくれ! という名台詞を残したのは」
「違う、すごい手柄を立てたときだ。あの後に言い直しただろ。この知将カリノスに不可能は無い。無論このリヴニスの地を取り返すのなど造作もない事だが、時間はかかる。俺もヘレンもそんなには待てない」
「そもそもヘレンは待ってないからな」
「そうだそうだ、がっついてるのはお前だけだぜ」
「フン、ならお前ら今日からヘレンの事をやましい目で見るなよ?」
「むくれるなよ。今日の手柄はそれに値すると思うぜ? まあ、ヘレンはそもそもそんな約束はOKしてなかったけどな」
「そうそう。あれはカリノスが一方的に押し付けただけだったからな」
「何度も言えばそれが本当の事になる。これはビエンゾーン家に伝わる秘伝だ」
「確かに。ヘレンもそんな約束した気もしないこともない? 見たいな感じだったからな。もしかして知将様にも逆転があるかもな」
「ぎゃっはっは。ないない。そもそも男として見られてねえじゃねえかよ」
「それは確かにだ。まあ、俺たちだって同じ感じだけどな」
「ちょい前か、俺たちが知恵をひねってヘレンに男を意識させるために卑猥な話に持って行ったのによぉ、ニーヤのやつがまるで保護者のようにヘレンを連れていっちまったからなぁ」
「あの後、ニーヤにこっぴどく怒られたんだったかな」
「ああそうだ。俺なんか数日は飯に焦げた草だけ出されたぜ? まだ生の草の方がましだっつうの」
「ほんとうだ! しかしな、あのヘレンが男を好きになる時がくるのかねぇ」
「そうだなぁ。今のところ想像できないな」
「何を言う。俺には想像できている。あぁ、カリノス、素敵、結婚して、と言う未来が」
「くかか、それ、ヘレン棒読みじゃないか?」
「違う! 顔を赤らめて言うのだ! あのヘレンがそうなるのがいいのだ!」
「ひゅう。誰もカリノスの性癖なんて聞いてないぜ!」
「ちっ、お前ら酔ってるのか? 水と草餅だけでそこまで盛り上がれるなんて、うらやましいかぎりだ」
「それだけ今日はめでてえってこった!」
「ふん。まあいい。明日に差し支えんようにしろよ。俺はもう寝る」
「おうよ。お疲れ、カリノス」
そうして宴の夜は更けていった。
お読みいただきありがとうございます。
ヘレンちゃん大活躍の巻でした。
本作主人公のぐえちゃんですが、まったくの出番なし。いったいいつになったら再登場するのか!
お伝えし忘れましたが、本作「キッテのアトリエとご先祖様の不思議な本 ~小さな竜に転生したので病弱な少女が立派な錬金術師になるのを見守ります~」が、第12回ネット小説大賞の一次選考を通過しました。
ひとえに読者様の応援のおかげだと思っています。
これからもお楽しみいただけるように頑張って執筆いたします!




