088 リヴニスの翼
「急に飛び出したと思ったら、どこに行ってたんだ。必死に探したんだぞ。あれほど一人で行動するなって言ってただろ」
「年下の癖にうるさいなぁ。あんたはあたしの親か」
「ハイハイ。口うるさい年下ですいませんね」
「分かってるならいいんだよ、カリノス君」
「反省をしろ反省を。ほら、ヘレンのクルムだ」
「あっ、探してくれたんだ? ありがと」
「君を探すついでにな。強い衝撃が加わって壊れてたから直しておいたぞ」
「さすがはカリノス。稀代のクルム技術者だねぇ」
「それは間違いないな」
彼の名前はカリノス・ビエンゾーン。
18歳のヘレンよりも3歳ほど若く、幼さを残した顔立ちで、短く整えたくせ毛のある黒茶の髪の男の子。ヘレンが身を寄せている集団、リヴニスの翼に所属する軍師的な役割の男子だ。
クルムの修理、改良に秀でており、彼が今またがっている馬型のクルムは自身のオリジナル。自動的に歩行する機構を有するため、手で押したりする必要が無い代物だ。
馬型クルムの後ろからはロープが伸びており、それはヘレンの赤色のクルムに繋がっている。
それはこのリヴニスの地ではよく見られる光景で、速度の必要ない日常移動の際は、綱を付けたクルムを引く人の姿を見ることができる。クルムが浮くことで地面との摩擦係数が0になっているから、押すのもOK引くのもOKと言うわけだ。
◆◆◆
ヘレンは浮いて引っ張られている自分のクルムの上に腰かけて座り、後方の景色をぼーっと眺めている。
そんな様子をじーっとカリノスは見つめていた。
馬型クルムにまたがっているためカリノスの視点は高い。そして普段は背が高くて見上げなければならないヘレンも今は座っているので、カリノスからは見下ろす形になっている。
そのカリノスの視線は、ヘレンが着たガウンの隙間から見える男の子ならだれでも気になる胸元に注がれているが、後ろを見ているヘレンはそれに気づいてはいない。
「うーーーーん」
前触れもなく腕を空へ伸ばして、ヘレンが大きな伸びをした。
その瞬間、反射的にカリノスは視線を前に戻す。
「暇だからさ、シカ、さばいていい? ん? カリノス、どうした?」
大きく伸びをしすぎの後ろへ反り返るような体勢を取り続けるヘレン。
視点が上下逆さまになった状態で見たカリノスの様子が、なにやらおかしかったのに気が付いたが――
「べ、別にどうもしてないぞ。さばいてもいいけど、食べるのは戻った後だぞ」
「おっけー」
シカの前には些細なことで、すぐに消えてしまった。
シカは別のクルムに乗せられて同じようにロープで引っ張られているので、手元まで持ってこようとヘレンはロープを手繰り寄せ始める。
「汚れるからガウンは脱いでおきな。ほら、持っといてやるよ」
「あぁ、ありがと」
ガウンを脱いだヘレンはレオタード一丁の姿となる。
そしてガウンを受け取ったカリノスは、シカの解体に情熱を向けるヘレンを見つめ続けるのであった。
◆◆◆
「おっ、カリノスだ。みんな、カリノスとヘレンが戻ってきたぞ!」
「リック、ほらお土産」
「おっ、シカじゃないか。相変わらずヘレンはいい腕してるな。さっそく皆にも伝えるぜ」
ここはリヴニスの地の解放を目指す集団、リヴニスの翼の集合地。彼ら彼女らも他の人たちと同様に定住はしていないため、場所を転々としながら活動を行っている。
「よう、カリノス。無事に戻って何よりだ」
「ダールか。これくらい朝飯前だ」
「心配してやったのに可愛げのない奴。それよりもおまえ、二人きりだからってヘレンにエッチなことしてないだろうな」
「するかよ! 俺の好みは知的で華憐で俺よりも背が低い子だ」
「ははは、そうだったな」
軽く流される。本人談である彼の好みはともかく、カリノスがヘレンにお熱なのは誰もが知っていることだ。
「まあしばらく休め。そのあと飯にしようぜ」
「ああ」
仲間をあしらったつもりのカリノスは話題に上がったヘレンの方を見る。
「ニーヤ、シカ焼いてくれ」
「あらぁ、さすがはヘレンちゃんね。わかったわ、力一杯焼いちゃう」
と、調理に一日の長がある女性メンバーのニーヤに、逆さ吊りにしたシカの調理を促しているところだった。
「いつもみたいに水浴びに行ってくる?」
「ああ。ちょうどいい時間になったら帰ってくるよ。珍しい種も見つけたしな」
ヘレンは結構な頻度で水浴びに行っている。
戦いの後に体が汚れたから、という体を清潔に保つためというわけではなく、水のキラキラや感触が好きで、それに包まれているような感覚を好んでいるのだ。
「ふう」
カリノスは一呼吸する。
いつまでもヘレンを見ているわけにもいかない。休むことも自分の仕事だと言い聞かせて、心を落ち着けるため自分のクルムの手入れを始める。
クルムは生活の基盤。物の輸送・敵からの逃避など、この地で生きていくには不可欠なものである。大きさの違いはあれ一般的にはただの板状のものだ。それをカリノスは改造して動物型にしたのである。それは頭脳派であり運動よりも頭を回すのが得意なカリノスにとって、自分の欠点を補うための策でもある。
そんな矢先の事。
「み、みんなー、大変だ! 大変だー!」
遠方から大声を上げて慌てた様子でメンバーの一人が戻ってくる。
耳に入ってくる声に、カリノスは苦々しい表情を浮かべる。
リヴニスの地で生きていくには静かで静謐に。音を立てることは敵に見つかるリスクを増やすので避けるべき行動だからだ。
「た、大変なんだ! あ、カリノス、帰ってたのか、聞いてくれ!」
「どうしたグモン、何があった? 簡潔に静かに教えろ」
「ムスコー氏族がシーヴルの奴らに襲われてみんな連れて行かれちまったんだ!」
「ムスコーが!? 本当かグモン!」
「ああラベ。この目で見てきたから間違いない」
「おまえ、それで逃げて帰ってきたっていうのか!?」
目を見開いて怒りをにじませたラベがグモンに掴みかかる。
ひげ面であることが拍車をかけて圧を出している。
「い、痛いよラベ、俺一人じゃ何もできないよ。俺の任務は偵察なんだぞ? いくらラベの氏族だからって、一人で戦ったら犬死だ」
「ラベ、手を離してやりな。ここでグモンに当たってもなにもなりやしない」
「ぐっ……、そうだ。すまないヘレン」
「気持ちは分かる。でもまだみんな死んだわけじゃない」
「そうだぜラベ。シーヴルの奴らは人を殺さない」
「だけどよ! それは生贄に使うからだろ! あいつらに捕まって海に運ばれていって帰ってきたやつはいないんだ」
「ラベ。だからそうなる前に取り返すんだ。そうだろ、カリノス」
「ああ。もちろんだ。俺たちリヴニスの翼はそのためにある。これ以上、奴らの好き勝手にさせないためにな!」
「頼む、カリノス、ヘレン! ムスコーのみんなを、俺の親父や妹を助けてくれっ……」
お読みいただきありがとうございます!
基本的に今のリヴニスの地では家の名前を表す家名は残ってはいません。トルナ氏族のヘレン、ムスコー氏族のラベ、みたいな感じで名乗ります。なので、カリノス君は普通ではないのです。
次回もお楽しみに!




