087 クルムを探すヘレン
リヴニスの地、森の中。
ガサゴソ、ガサゴソと何かを探している女性が一人。
「あたしのクルムやーい。出ておいでよー。そろそろ帰るよー」
茶色のガウンを羽織った銀髪褐色の女性。
しゃがんで膝を着いて地面をガサゴソと探し物をしているものだから、突き出した尻が丸見えになっている。
そんな姿を誰にも見られていないことが幸いだろう。
本人は気づいていないが、肉付きのいい太ももの色と身に着けているレオタードの色は絶妙にマッチしていて、健康的な美しさが感じられる。
かれこれずっと探し物をし続けて疲れたのか、うーーん、と腕を空に伸ばして大きく伸びをする女性。
「いったいどこに行ったんだか……。危ないところだったとは言え、蹴り飛ばすんじゃなかったかな」
彼女、ヘレンの持っていたクルムは先ほどの夫婦が襲われた際にひと蹴りして、アースザインの兵士と共に遠くに飛んで行った。
今はそれを探しているというわけだ。
「アースザインの奴らみたいに馬がいれば便利なんだけど、馬を養うほどの食べ物もないからなぁ。その点、クルムは僅かな魔力だけで浮いてくれるからいいよね」
250年の間、この地、リヴニスに住まう民は外敵から隠れるように移動しながら遊牧民のような生活を送ってきた。
遊牧民と言えばヤギや羊などの家畜を飼うイメージが強いが、リヴニスの民は遊牧と言うより逃亡生活に近く、自分たちの身を守るので精一杯なため家畜の放牧には向いていない。
馬はどうかと言えば、リヴニスの民は自分たちが食べるのにも困っている有様であり、馬のようにエネルギーのある食料を必要とする家畜を飼うことはできない。
家畜がいなければ移動(逃亡)も人力かと言うと、普通なら大変な一族そろっての大移動を可能にしていたのがクルムなのだ。
クルムとは、遥か昔、リヴニスにまだ国があったころ生み出された魔法道具。様々な大きさ、形状をしているが共通するのはリヴニスの民の魔力に反応して浮遊すること。
この魔法道具が無ければとうの昔にリヴニスの民はこの地から消え去っていたであろう。
そんな大切なクルムを蹴っ飛ばしたヘレン。反省はしているが後悔はしていない。
何が一番大切なのか。ガサリガサリと白い手袋で茂みを踏破している彼女はそれを分かっている。
草をかき分けて進んでいたヘレンだったが、唐突に開けた場所に出た。
「これは……」
ヘレンが見つけたのは魔物の死骸。小さな鬼のような姿をしたゴブリンに、顔が犬に似ているコボルト、クマのような大きさの豚の魔物であるオーク。それらが何十体も息絶えていたのだ。
ヘレンの目に入ってきたのはそれだけではない。
人間の死体。黒い鎧を付けた人間の死体もまた多数が打ち捨てられていたのだ。
「アースザインの奴らと魔物どもが戦ったのか……」
リヴニスの民にとって魔物はアースザインと同じく敵であり、命を脅かすものであるが、アースザイン帝国にとっても魔物は敵。つまり魔物は人類の敵であるのだが、敵であるのはなにも人類だけではない。
西の山脈の奥地からやってくる魔物たちは人類だけでなく、例えば野生のシカやウサギなど魔物以外のすべての生物を見かけると襲いかかるのである。
そして殺した屍だけではなく、持ち物や住処・家屋を含めた痕跡までも消し去ろうとする習性がある。
「見たことのない魔物がいるな……」
蛇のような下半身を持った腕が4本ある魔物の死骸。奇妙ではあるが、たった一体だけであれば突然変異でも言い訳が立っただろう。だが、その死骸は複数体存在していたのだ。
(あたしが見たこと無いだけならいいんだけど……。早いとこカリノスたちと合流しないとな)
実は彼女、道に迷っているのだ。
先ほどの親子が襲われている気配を感じて一人で仲間たちの元から飛び出したものの、なくなったクルムを探しまわっている間に自分がどこにいるのか分からなくなったのだ。
(いっそのこと狼煙でも上げるか……。そんなことしたらまたカリノスに怒られるな……)
――ぐぅぅぅ
腹の虫が鳴った。
「はぁ。おなか減った。朝から何も食べてないからなぁ。ちょっと狩りして小腹を満たしてからあいつらを探すとするかな」
やがて、ここに横たわる多くの死体の匂いを嗅ぎつけて狼がやってくるだろう。だけど狼は獲物としては今一つだ。やっぱり狙うなら鹿かイノシシか牛だろう。そうと決まれば戦場跡とはおさらばだ。
そう考えたヘレンは、再びガサゴソと草をかき分けて進み始めた。
◆◆◆
見つかれば食われるから動物たちも必死だ。
おかげでヘレンはあれから何の動物も見つけられずにいた。
「珍しい種は見つけたんだけどなぁ……」
獲物を探す途中に見たことのない植物の種を見つけていた。
物に対する執着があまりないヘレンだが、種は好きで、見つけては採取していろんなところに植えているのだ。
だけど今は種よりも獲物だ。
偶然遭遇するのを待っていてもらちが明かない。ヘレンは一際高く聳え立っている木の上に登ると、眼下を見渡す。
「いたいた!」
遠くの平地に何匹かのシカの群れを見つけた。
木から飛び降りるとヘレンは群れの方へと駆け出す。走りながら途中、手ごろな石をパッと手でつかんでおく。
これだけ大きな音を立てて近づいているのだ、相手にも気づかれるのは当然のこと。鹿も逃走体勢に入り、駆けだしてしまう。
その中で皆よりいテンポ遅れた個体がいた。傷を負っているか年寄かどちらか。若いメスを狩ると繁殖に影響が出るから、あえてヘレンはその個体を狙う。
わざわざ音を立てて獲物に近づいたのはその判別のため。
「いっけぇぇぇぇぇ!」
手に持った石を上に放り投げて、重力に引かれて落下してきたところをひと蹴り。
巨大な棍棒や大男を遥か彼方まで蹴り飛ばすほどの脚力が生み出す石の砲弾。
それが見事獲物に命中した。
「命の恵みに感謝します」
倒れた鹿の前で手を合わせて大自然に感謝する。
さて、とうとう解体して調理だ、と言うところで――
「何をしているんだい、ヘレン」
「あ……」
突如現れた少年に対し、どう言い訳をしようか頭を回すため、間の抜けた表情を浮かべるヘレンだった。
お読みいただきありがとうございます。
突如現れた少年、きっと彼がカリノスだ!




