084 正しい歴史
「誰っ!?」
キッテも辺りを見回すが、俺の眼前にもそれらしい人物はいない。
となると、今見えてない場所!
キッテの問いかけに応えるかのように、ソレは崖下から現れた。
人間の女、にも見える。服を着たその女性の肌は白く、令嬢によく見られる外に出ないから日に焼けないタイプの肌の色。
だが、明らかに人間とは異なる四肢は、長く伸びた触手となってうごめいており、俺とテレッサ大百科をを捕らえているのだ。
「誰なの! ぐえちゃんと大百科を返して!」
「キャンキャンうるさい小娘が。あんたをここに呼び込むのには苦労したよ。ぶら下げたニンジンに釣られないのにはイライラしたさ。うまそうな餌を何度も何度も用意したっていうのにねぇ」
腕から枝分かれした触手が、彼女が着ているワンピースの裾の中から何かが書かれた紙らしきものを取り出す。
それが何なのかを確認する前に、触手がその紙をくしゃくしゃに丸めて、キッテに向かって放り投げた。
「これは、チラシ? もしかして、家にチラシとか入れてあの手この手で出かけさせようとしていたのって、全部あなたの仕業だったの? やるならもうちょっとうまくやりなよ。あんな胡散臭い詐欺チラシに引っかかるわけないじゃない!」
そういえば、たまにチラシが入っていたな。全然キッテのニーズに合ってなくて即ゴミ箱行きになっていたチラシ。
「言ってくれるじゃぁないか。だけど最終的にはお前はここまで来た。これから起こる楽しい楽しい祭典の内容も知らずになぁ!」
女の顔が狂気に歪む。整った顔立ちであるが故に、背筋にゾクリと悪寒が走る。
「おっと、動くなよキーティアナ。動くと両方ともねじりつぶしてしまうぞ?」
こっそりとマジカルバッグに手を伸ばしていたのを気づかれてしまったキッテは苦々しい表情を浮かべている。
「ククク、その顔、もっと見せろ。その顔が私の心を僅かばかりは癒してくれる」
「あなたは誰なの? 何が目的なの?」
「本当に私の事が分からないのかい? カイゼル様をあんな目に合わせておいてっ!!」
ぐうっ! 拘束がきつくなった!
思わず声を上げてしまったけど、急になんなんだ! 今のが逆鱗に触れたのかっ?
さっきまで冗談交じりで話していたじゃないか。冷静なように見えて冷静じゃないってことか?
割れる直前まで空気を入れられた風船みたいな状態ってことか!
くそっ、脱出しようにも体ががんじがらめにされていて、大風の腕輪も使えない!
せっかくこういう時のためにキッテが作ってくれたってのに!
「ぐえちゃんっ! あなた、カイゼルの仲間? 復讐しに来たっていうの?」
「そうさ。私はカイゼル様と結婚するはずだったのに……。二人で幸せな生活をする予定だったのに! おまえがっ、お前がカイゼル様をっ!」
「ぐえええええっ!」
ぐあああああっ!
体がっ、ねじり切られるっ!
「やめなさい!」
「どうだ、悔しいか、みじめか? お前の大切なものは私の手の中だ。お前は見てるだけだ。助けることも、動くことも出来ない。こんな風にもてあそばれたとしてもなぁ」
俺を拘束している触手とは別の触手がテレッサ大百科に延びると――
――ビリッ
ページを一枚破り取って捨ててしまった。
「やめて」
ひらひらと舞って崖下へと消え去っていったページ。それを見つめながらキッテは静かに言った。
「ほう……。どうやらそれほど大切では無いようだな。だったら私には必要ないものだ」
それだけ言うと、キッテに見せつけるかのように、びり、びり、びりと、一枚ずつページを破り捨て始めた。
「やめてっ! 返してっ!」
大声。
「なんだ、やはり大切なんじゃないか。危うくこの後の余興が興ざめになるかと思ったわよ」
「余興とか興ざめとかどうでもいいから、返して! ぐえちゃんと大百科を返してっ!」
「良い顔になってきたな。いいぞ。ゾクゾクする。もっとだ。ほら、今度はどうだ?」
俺を拘束している触手とは別の触手が伸びてきて、俺の顔に触れたかと思うと――
「ぐえっ」
僅かながらの痛みが俺を襲った。
俺の顔の鱗を数枚剥いで、そいつをキッテの方に投げつけやがった。
「もうやめて! ぐえちゃんに酷いことしないで!」
「もっと悔しがれ、悲しめ! お前のその顔こそが甘い蜜なのさ!」
情けない。本当に、情けないっ!
キッテを助けるべき相棒の俺がキッテの足を引っ張っているのだ。
この女の言う通りの状況。思うがままの状況になってしまっている。
俺とそしてテレッサ大百科を人質に取られて、キッテは何もできず、ただつらい思いをするばかり。
何とかしろ、俺! キッテにばかりつらい思いをさせていいのか?
そう奮起したにも関わらず、体は締め付けられたままで拘束から抜け出る事はできない。
できた事と言えばただ女を睨みつける事だけだった。
「まだだ。まだ足りない。まだまだ、お前の惨めな姿を見足りない。もっと、もっと、もっとよ!
カイゼル様がおまえにやられてしまった後、カイゼル様の思い出を求めて彼の書庫をあさったわ。そこには彼の友人が書いた書物があった。それは私に力を与えてくれるものだったわ。こんな風に人間をやめることでねえっ!」
こ、こいつ、狂っているぞ。愛に狂って、身も心も堕ちてしまっている。
カッと目を見開いたかと思えば、白い肌の奥からいくつもの緑色の触手が生え出したのだ。
背中から腕から腹から、そして顔から。もはや人であった原型はとどめていない。ありとあらゆる場所から生えた触手がウネウネと蠢き、新たな獲物を狙っているかのように。
「分からない。分からないよ! 人間を止めてまで、どうしてカイゼルの事を!」
「気安く彼の名前を呼ぶんじゃないよ、小娘がっ! 私の気持ちが分からない? そもそもお前なんかに私の気持ちが分かるはずがないのさ。この胸を締め付けるような引き裂くような、それでいてどす黒く渦巻き溢れ出すこの感覚はねぇ!」
そこまで口にして、彼女はニヤリと口角を上げた。
「だけどねぇ、頭の悪い小娘にそれを思い知らせてやろうと思ったのさ。だから私がここにいて、お前がそこにいる。
いいかい? 全部私の計画通りなのさ。私の復讐のね」
復讐。
これまでの言動からキッテを倒すのが目的じゃないことには気づいていた。だとしたら……。
「何も考えていない頭がパッパラパーの小娘。いつもいつも幸せそうな憎たらしい顔をしたお気楽そうな子供。そんなガキが、見えていない、想像すらできていない未来を突き付けられたときにどんな顔をするのか。幾夜も幾夜も想像して興奮したさ。興奮してハイになって絶頂もしたさ。だけど所詮それは妄想なのさ」
「何が……言いたいの……?」
「すぐに分かるさ。脳みそすっからかんのお前でも、その現実に直面したらな。
想像できるか? できないだろ。どうだほら、お前の大切なものだ。こいつらがどうなるか、考えられるか? 想像しろ、考えろ、頭を回せ。
どうだ? 見えたか? その未来が。大切なものを失った未来が! 私がカイゼル様を失った時と同じようにね!」
キッテから大切なものを奪うってことか! だからキッテ本人ではなく俺とテレッサ大百科を拘束しているのか!
「返してっ!」
「ああ、返してやるとも。ただし!」
ぐうっ! 体がっ!
触手に強く圧迫された俺の体は、まったく力が入らなくなった。
痛みに身もだえる間もなく、俺の体が重力を感じた。
触手にグイっと引っ張られたと思ったら、崖の下へと放り投げられたのだ。
「片方だけだ! さあ、ペットと本と、どっちを選ぶ?」
俺と同じように大百科も投げ捨てられている。しかも俺とは逆方向側に!
気持ち悪い落下感が襲ってくる。
触手から解放されたとはいえ、飛ぼうにも力が入らず翼も動かない。さっき体を圧迫されたのはこのためか。俺から抵抗する力、飛ぶ力を奪ったのだ。
眼下には大きな口を開けた食虫植物のような巨大な生き物が二体。
鋭い歯についた唾液が太陽の光を反射して光っている。あの歯に食いちぎられたら俺も大百科もひとたまりもない。ふた噛みもせずにボロボロになるだろう。
俺たちはその口の中に放り込まれるように投げ捨てられた。
それぞれが別々の食虫植物の口へ。
到達までに数秒もないだろう。両方を救うことはできない。あの女の言う通り、片方を救うか、それとも両方失うかだ。
片方を救う?
どちらも大切なものなんだぞ?
それを本人に選ばせる?
どちらかを自分で選ばせて、心に傷を植え付けようってのか!
大切な片方を自ら見捨てたという痛みを刻みつけようだなんて、なんて卑劣なやつなんだ!
「ぐえちゃんっ!」
崖上からキッテが飛び込んでくる姿が見えた。
「アハハハハ、ペットを選ぶのかい? 先祖代々守りついできた大事な書物よりもねぇ。アハハハハ!」
キッテは一切の躊躇なく飛び込んできた。
何が起こったのか。どうしたらいいのか。どちらを取るべきなのか。
少なくともこれらの判断が必要なはずなのに、躊躇なく。
奈落へ落ち行く俺の目に映るキッテのその目。
戸惑いも、ためらいも、後悔も何も映しておらず、ただ俺の事を見ていた。
ばかやろう……。そうじゃないだろ……。お前はシャルルベルン家の当主だぞ。ご先祖様の本を守る責任があるんだぞ。
だけど、そんな気はしてた。
キッテはそんな事お構いなしに、迷わず俺を助けに来るって……。そんな気はしてたんだ。
俺だってさ、心の奥底では大百科よりも俺を選んで欲しいって、少しばかりは思ってた。
このまま抱きしめられてさ、お前の胸のあたたかさを感じてさ、ただいまって言えたらいいなって、ほんの少しは思ってた。
「ぐえちゃん! 絶対に助けるから! さあ! 手を伸ばして!」
落下してくるキッテが俺に向かって腕を伸ばす。
駄目なんだキッテ。俺の手は動かない。
それに仮に手を取れたとしても、このままいけば二人とも食虫植物の牙にやられてしまう。
背中はもう大きな口のすぐそば。
ゾクリとする感覚がすぐ後ろにあるんだ。
迷わず来てくれてありがとう。本当に嬉しいよ。
駄目だぞって叱りたい気持ちもあったけど、でも、この気持ちの前にはそんなことは些細なことだ。
ありがとう。
お前の手を取って、そう伝えたい。
だけどそれはできない。そうした後の結果は見えている。
そうだ。
駄目なんだ。
俺のために、キッテまで死んでしまうなんて……そんなことは駄目だ!
「ぐえぇぇぇぇっ!」
俺は力を込める。何にかと言うと、力の入らない右腕に。つまりそれは大風の腕輪にだ。
大風の腕輪よ! 風を起こせ! 爆発的な風を!
そしてその風で、キッテを吹き飛ばせっ!!
瞬間、俺の右腕から竜巻のように渦巻く風が放たれる。
だけど放たれる暴風は指向性が無くただ荒れ狂うのみ。このままじゃあ俺の体を飲み込んでそれで終わるだけだ。
ぐぬぬぬぬぬっ! 右腕よ、動け! 動け、動けっ!
うおぉぉぉぉぉぉっ!
俺の願いに体が応えてくれた。
わずかだが俺の望んだ方向に右腕が動いたのだ。
「そんなっ! あああああっ!」
指向性を得た風が、食虫植物の口の中に到達しようとしていたキッテの体を押し戻して、そして狙いどおりに大百科のほうへと吹き飛ばした。
これで何とかなる……
今のキッテの驚いた顔……あんな顔を見たのは久しぶりだったな……
でも……
これから見られないのは……
残念だ……。
そしてそこで俺の視界は黒く塗りつぶされた。
◆◆◆
――マグナ・ヴィンエッタ 中央の棺
「テレッサ! あなた、体が透けてるわよ!?」
「これは因果の歪み。私はじきにこの世から消滅します」
「まさか!」
「ええ。私の遠い祖先であるキーティアナ様、そしてその夫であるグエード様。お二人が子をなさなければ私の存在はありません。今、グエード様がこの世からお去りになられました。リビルジェン・メタルジアを生み出して人間となる前に」
「テレッサ……」
「250年前、この世界の崩壊の危機を防ぐため私はキーティアナ様の残した叡智の一つ、時間逆行機で未来からやってきました。そしてマグナ・ヴィンエッタを作り出し、この世界を崩壊から救いました。ですが私が消えることでそれは無かったことになります。正しい歴史に……暴力と血と鉄、混沌が支配する世界に戻ってしまいます。……そんな暗黒の歴史の中だとしても……願わくば……キーティアナ様がグエード様をお見つけになり、子を……」
「テレッサ!!」
青白く光る体は次第に薄くなりもはや輪郭を留めていない。テレッサの口が開くも声は届かず……そして、元々そこには何もなかったかのように、完全に消えてしまった。
「テレッサ……。私こそありがとう……だわ……」
消えゆくテレッサの声は聞こえなかったが口元の動きは見ることはできた。
最後の彼女の言葉を聴いたデルハイケは、自らの思いを乗せて小さく呟いたのだった。
じきにこの世界は本当の姿に戻る。
250年続いた仮初の平和。その守護者が消えたことによって因果律は正しく再生される。
時を遡った250年前。そこからずっと続く血と暴力の蔓延る混沌の世界に。
お読みいただきありがとうございます。
これにて第7話が終わりとなります。
暗黒の歴史とは。キッテは、ぐえちゃんはどうなったのか。続きをお待ちいただければと思います。
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