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065 それってお姫様と騎士みたいッス

 ――コツン、コツン


 ダーニャから溢れ出るもやが、いくつもの小玉を生み出していく。


 海の話、買い物の話、一緒に本を読んだ話。

 サンドが口にした記憶だという話はどれ一つとして思い出せない。

 本当にそんなことがあったのか。サンドの作り話ではないのか。そんな風にさえ思う。


 (でも、なんだかこれ以上は駄目な気がするッス……。取り返しのつかない何かが失われている気が……)


「そろそろ最後かしら。これでお嬢ちゃんからあの当主ちゃんの記憶が全部消えてしまうわね。うふふふ、お嬢ちゃんの大切なもの、私が全部奪っちゃうわよ」


 ダーニャはなぜキッテの事を考えているのかもよく分からなくなっていた。

 友達として過ごした時の記憶を失ってしまい、もはや故郷で昔に出会った程度の人だという認識になっていたからだ。


 古い古い思い出の人。

 もうキッテの事で思い出せることはほとんどない。残っているのは出会った時の思い出だけ。これを失ったら、キッテは全部消えてしまう。


 その思い出はすでに朧気で、どんなものだったのかは思い出せない。

 だけど何やら心の奥底でそれを失ってはいけないのだと、魂が、叫ぶ!


 (そうッス! これだけは、これだけは忘れちゃいけないッス!)


 すーーーーーーーーーーーっ!

 口から漏れ出す記憶のもやを思いっきり吸い込んで、吸い込んで、吸い込み切って、そして完全にごっくんして飲み込んだ。


「無駄なあがきはやめなさい。ほら、吐き出せ」


 無理やりにダーニャの口を開いたものの、吸い込んだ白いもやは出てこない。


 ――ボゴッ


「うえっ!」


 サンドの拳が身動き取れないダーニャの腹を殴った。


「吐きなさい、吐き出しなさい!」


 無防備な腹に何も拳を叩き込んで吐き出させようとするが、ダーニャは一向に吐き出す気配がない。


「はぁ、はぁ、はぁ……。まあいいわ。これだけあれば十分よ」


 疲れてきたので腹を殴る手を止め、床に落ちた小玉を拾い、天井の光に透けさせる。


「ほら、きらめいてるわ。なんて綺麗なの。これが全てお嬢ちゃんの大切な記憶。あはっ、あははははっ!」


 幼馴染として沢山の思い出があった。出会ってからこれまでのいっぱいの思い出。それらは全て美しく、悲しい出来事もあったけど、それですらキラキラとした思い出だ。

 でもそれらは全て奪われてしまった。ただ一つの記憶を除いて。


 『ねえ、どうして泣いてるの?』

 『トビーが死んじゃったんッス。一人になっちゃったんッス』

 『寂しいよね……。それじゃあ私がずっと一緒にいてあげるよ』

 『ずっと?』

 『そうだよ、ずっと』

 『それってお姫様と騎士みたいッス』

 『うん。私、錬金術師になるから騎士にはなれないけど、ずっと一緒にいようね』


 沢山の思い出が積み重なったことで(うず)もれてしまっていた記憶。

 全てが失われたことによって、はっきりと思い出すことができる。


 (騎士はあたしの事だったんッスよ。だからキッテはお姫様なんッス)


 それから家業を手伝うようになって、大きくなって、騎士という職業に就くことが難しいことだって分かって……。


 (だけど、心の中ではずっとキッテの騎士だったつもりッス)


  欠けた記憶。始まりと今しか思い出せない。


「記憶の玉、なんて綺麗なのかしら。足りない。まだ足りない。この玉は完ぺきじゃないわ。やっぱり最後の記憶も欲しい、欲しいのよ!」


 クルリと振り向いたサンドはもはや正気とは思えない目をしている。


「ほら、吐きなさい。最後の記憶を吐き出しなさい! 私が奪うの。お嬢ちゃんの記憶を奪うの、全部よ、全部! あはははははっ!」


 再び腹への攻撃が行われる。


「わたす、わけ、ないっす……」


 (この記憶はあたしの宝ッス。キッテを守る騎士としての砦ッス)


 こみあげてくるものを無理やりに飲み込む。それが記憶のもやなのか、違うものなのかはわからない。だが、出してからでは遅いのだ。


 (あたしは騎士、耐えるッス。たとえこいつを倒せなかったとしても……あたしが耐えれば耐えただけキッテに危険が及ぶのは遅くなるッス。耐えるッス。キッテのために耐え続けるッス! それがキッテの騎士になるって決めたあたしの意地ッス!)


 腹には次々と拳が繰り出されて、その痛みに意識を失いそうになるダーニャ。

 それでも必死に意識をつなぎとめて、キッテのもとにサンドを向かわせないようにと耐え続ける。


「あはっ、あははははっ! 吐け、さあはけっ! ああーっはっはっは!」


 もはや先ほどのように途中で止める気は全くないようだ。人のものを奪う快感に心を食われている。


 (耐えろダーニャ。騎士だったらこれくらい普通に耐えれるはずッス。耐えて、耐えて、耐えて、騎士に、本当の騎士になるんッスよ!)


 【騎士とは他人のために自分を犠牲にできる人間の事。騎士にもいろいろありますが、私はそうだと思います】


 (いよいよ幻聴が聞こえてきたッス。キッテ……。大好きだったッスよ)


 【その想い、終わらせてはいけません。少しだけ手を貸してあげましょう。聖騎士の資格のあるあなたへ】


 (せい……きし……)


「可愛い顔に似合わず強情ね! この一発で吐き出しなさいっ!」


 渾身の力をこめた拳がダーニャの腹へとめり込む。


「は、れ?」


 殴ったはずのサンドが、ととと、と二三歩後ろにあとずさると、口から内容物を吐き出した。


「うごえっ、な、なんで、私のおなかに痛みが……」


 確かに目の前の女を殴ったはずだった。

 拘束された無抵抗な獲物。そんな女が反撃を行えるはずもない。

 なのに今、痛みは腹にある。燃えるような痛みが腹の奥にある。


「このっ、何をしたっ! 痛っ!」


 理解しがたい現象の答えを求めてダーニャにつかみかかろうとしたサンドだったが、ダーニャに到達する前に、見えない何かに体を打ち付けた感じがあった。


「なんだ? 壁?」


 恐る恐る、手でその存在を確かめてみる。

 やはり透明で固い何かに阻まれていて、これ以上ダーニャに近づくことができない。


「あれ、あれっ?」


 とんっと、体が後ずさる。

 壁に押された気がしたのだ。


「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」


 気のせいではなかった。

 だんだんと後ろに押し出されているのだ。


 一歩二歩、三歩、四歩。前に進むどころか抗えない圧によって下がらざるを得ない状態。


 【もう聞こえていないと思いますが、これは覇光を(グラン・)放つ神人威光の(ヴァルキヌス・)極大盾(アヴァロニア)。すごい聖騎士だけが使えるすごい技です。あなたの力ですよ。あなたの想いが呼び起こした奇跡。そして奇跡が姫を守るのです】


 ――ドンッ


 サンドの背中が棺の壁に当たった。


「ま、まって、待って、ちょっと待ちなさい! わ、分かった、分かったから、お嬢ちゃんの記憶は返すから」


 広がり続ける見えない壁。 覇光を(グラン・)放つ神人威光の(ヴァルキヌス・)極大盾(アヴァロニア)は棺全体に広がって、さらに外へと拡大しようとしている。


 つまりそれは中心にいるダーニャ以外を押しつぶすのと同義となる。


「ひぃぃ、やめて、やめて、ぐぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


 そこで悲鳴は途絶えた。

 圧迫に耐えられず気を失ったのだ。


 すると見えない壁は消え去り、間を置かず、どさりと二つの音がした。

 ダーニャとサンド。対峙していた二人が床に倒れ込んだ音。


 どちらも気を失っていて……しばらくの静寂が棺を包んだのだった。


 【頑張りましたね。えらいえらい。姫を守る時はまた呼んでくださいね】 

お読みいただきありがとうございました。

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