059 真の漢《おとこ》
「まだ睨む元気があるのかよ、生意気なババアだ。
よく見たらよお、その目、その顔……昔、俺を振ったクソ女に似てやがる! 顔だけのクソ女によ!」
振り上げた拳がキュゼートの顔を殴った。
宙を舞うキュゼート。
「あ、やっちまった」
瞬間沸騰した感情のままに殴り飛ばしてしまった。
あげく、ついつい首を拘束していた左手も離して殴ってしまったせいで、せっかく捕まえたキュゼートはその手から離れてしまったのだ。
幸か不幸か。窒息を避けられたものの、ひどいダメージを追って床へと倒れこむとキュゼートは意識を失った。
「……おまえ……今……何をした?」
低く重い声。
「はあ?」
「今……何をした……と言っている」
声の主はバルバ。
「何をだぁ? 見てわかんねえのかよ、ババアを殴ったんだよ。てめえの目は節穴か?」
「……」
「なんだぁ? やろうってのか、ふらふらと立ち上がってよぉ? そんな姿で戦えるのかよ、ギャッハッハ!」
「……」
無言のバルバ。
「ほら、どうしたかかって来いよ! ……ん?」
パーベックが首をかしげる。
ひ弱な男の肉体が、少しずつ大きくなっている気がした。目の錯覚か。
「お前はやってはいけないことをした」
目の錯覚ではなかった。
バルバの体は先ほどとは違い紛れもなく膨れ上がっている。ひ弱で一撃が入ると折れてしまいそうだったその腕は、太ももは、胸は、ムキムキの筋肉がはちきれんばかりになっていた。
その様子は奇しくもパーベックと同じだった。
巨体であるパーベック。だが今のバルバの体はそれよりもなお大きい。
そんな体がふと消えた。
――ドガッ
音がしたと思ったら、再び巨体のバルバが現れた。
「な?」
何が起こったのかパーベックは理解できていない。
間抜けな顔をしながら口と鼻から血を垂らしている。
遅れて襲ってきた痛みに自分が殴られたのだという事をようやく理解する。
「な、なんだお前! 錬金術師じゃねえのか! その体、化け物かよ!」
「化け物とは失礼な。れっきとした本物の筋肉さ。普段は押さえているのさ。ママとイチャイチャするためにね。
だがこの姿になった以上手加減はできない。むしろ手加減などしない。お前は私の愛するキュゼートの顔を殴ったのだからな!」
再び体が消える。
あの肉体でなんとも俊敏な動きをするものだ。今度はパッとパーベックの眼前に現れると、大きな肉体という格好の的に対して、打撃の嵐を仕掛ける。
一発一発が、時速200キロ、一トンの岩をも砕く、お前の悪事もここまでだ、というボクサー並みのパンチ。
「ぶぎょぎょぎょぎょ」
右に左に。左右からパンチを浴びて、もはやグロッキー状態のパーベック。
「そら、こいつはとどめだ。お前の顔などキュゼートに比べると全くの価値は無いがな!」
とどめに一発顔面を殴りつけた。
――ドオォォォン
爆音とともに棺の壁が破砕して激しく揺れる。
「ぐぼぉっ」
まるでクレーターのようになった壁の中心地で口から血を吐き出すパーベック。
「ほう。粉々になるかと思ったのに、見た目より頑丈なんだね」
「ふ、ふざけ、やがって……」
「おっと、生きているとはいえもはや瀕死だろう。無理をするもんじゃない」
「俺が、ここまでだと、思うなよ」
パーベックは懐から金属製の小箱を取り出すと、ふたを開けて中から注射器のようなものを取り出す。
「やめたまえ。薬に頼ってもいいことはない」
「薬に頼って何が悪い! 薬によって引き出される力も俺の力と同じだ!」
そう言い放つと注射器を振り上げ、自分の心臓に押し付け一気に中の液体薬を注入したのだ。
「ぐひっ、ぐひっ、ぐひひひひひ、きてる、きてるぜ、ビンビンきてるぜぇ!」
目の焦点は失われ、よだれを垂らしながら笑顔を浮かべている。
そして、これまでもムキムキだった筋肉がぼこっ、ぼこっ、といびつに膨れ上がっていく。
「ぐげっ、ぐげっ、ぐげっ。どうだぁ、これでお前なんか一ひねりだぁ」
筋肉が変形し終えた体は歪な姿をしていると言わざるを得ない。上半身だけが異様に膨れ上がっていて、下半身とのバランスが取れていない。
そんなちぐはぐな姿で歩き出すパーベック。
勢いよく走って距離を詰めたりせずに、ゆっくりとバルバのもとへと近づいていく。
そうしてお互いの攻撃が届く距離まで近づいたことで、体の大きさがなお際立つのが分かる。
バルバの体も常人とはかけ離れた筋肉ムキムキで太ももだけで丸太ほどある筋肉スペシャリストの巨体だが、変形パーベックは彼よりもまだデカイ。
「小細工は無しだぁ。必要ないからなぁ。パンチ一つでお前をひき肉にできる。覚悟はいいかぁ?」
「できるものならやってみるといい。真の漢の筋肉は魂に宿るものだ。まがい物の力で真の漢は砕けない」
身長差によってバルバはパーベックを見上げる形となるが、その眼光はいささかも曇ってはいない。
「どっちが真の筋肉なのか。すぐに答えは出る! 消し飛べ、ジジイ!」
筋肉対筋肉。拳対拳の戦いが始まる。
お互い0距離での打ち合い。すさまじい数の拳の連打。拳と拳がぶつかり合い、拳と肉体がぶつかり合う。
お互い全ての拳を叩き落すことはできておらず、いくらかづつの拳をもらい……ダメージが蓄積していく。
「ぐっ!」
一歩足が後退したのはバルバのほうだった。
パーベックの猛攻に耐えてきた正義の筋肉が悲鳴を上げ始めたのだ。
「そらそらそら! どうしたそれが真の漢の姿かよ!」
「ぬおぉぉぉぉぉ、真の漢の心は折れない! おぉぉぉぉぉぉぉ!」
魂の力で体勢を五分まで戻す。
「ジジイの癖にやるじゃねえか! だがな、俺はまだ上げるギアがある。耐えれるかな? 耐えれるかなぁ!」
言葉のとおりパーベックの拳の速度と重さが一段階増した。
対するバルバの拳はギアの上がったパーベックに弾かれる回数が増し、その分、バルバの胸に、腹に、顔にとパーベックの拳が命中していく。
「ぐうぅぅぅぅぅぅ!」
一歩、二歩、三歩。真の漢が後退していく。
「そらそらそらそら、そらそらそらそら! ぐぶっ!」
勢いよく攻勢に回っていたパーベックの拳が不意に止まる。
「ぐがっ! こ、これはっ!」
心臓を手で押さえて地面に膝をつく。
「それは副作用だと思うよ。とうとう薬の力に体が耐えられなくなったんだ。あれだけ動いたからねぇ。だから薬は良くないとあれほど言ったんだ」
「だ、だまれ! だまれだまれだまれだまれ! だまれぇぇぇぇぇ!」
痛みを押して最後の攻撃に出るパーベック。
「目先の勝利のために命を捨てるか……。愚かな」
今にも押し潰さんと向かってくるパーベックを睨みつけるバルバ。
フッと小さく息を入れると、目を大きく見開いた。
「おぉぉぉぉぉ! 断空龍衝拳改ッ!」
無数にも見えるバルバの拳がパーベックに炸裂する。
両肩、腹、そして……最後の胸に拳が触れた瞬間、パーベックの背中から衝撃波が後方へと突き抜けていった。
――ドゥッ
すべての力を失って、後ろ向きに背中から倒れたパーベック。
「げほっ! み、みごとだった。すげえんだな、真の漢の筋肉ってのは……。俺も……、そんな漢に、なりた、かった……ぐうっ!」
心臓が薬の負荷に耐えきれず、悲鳴を上げ始める。
「成れるさ。真の漢の魂さえ忘れなければ」
「ぐあぁぁぁぁ!」
断末魔の叫び。レグニアの巨漢パーベックの最後だ。
肩から、腹から、心臓から血が噴き出しており、誰が見てもそういうシーンだと思うだろう。
だが――
「どういうことだ……。どうして俺はまだ生きている」
「私の拳で悪い血を排出したのだ。しばらくは続くが、出血しすぎて死ぬことにはならない」
バルバが放った最後の拳はパーベックを倒すためのものではなく、救うための拳だったのだ。
「若い命、無駄にするなよ」
そう言うとバルバはくるりと背中を向けてその場を後にしたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
愛する人に尽くす男バルバ。漢の生き様は多くの人に知られていなくても美しいもの。
バルバファンになったという方、感想お待ちしております!




