046 灰色の正義 その2
『だったらなぜそんなに辛そうな顔をしている』
えっ!?
キリン、じゃなかった、シンディナスさん? いつの間にか翻訳魔法道具を口にくわえて操作してるぞ。
「なんだと?」
『鏡を見てみるといい』
「戯言を」
『正義正義と言うが、自らの正義を貫けてはいない証拠だ』
「獣に何が分かる」
『分かるよ。私も騎士だ。
確かに騎士とは自らを省みず弱きものを助けるものだ。だが、それだけではただの善良な兵士に過ぎない。
騎士とはそういうものではない。民を救えて、そして自分を救うことができるのが真の騎士』
「獣が、騎士を語るなっ!」
討論で激昂したダルキンが腰に下げていた剣を抜き放ち、シンディナスさんに向けて振り抜いた。
――ガッ
剣の軌跡がシンディナスさんが咥えていた翻訳魔法道具を切り裂く。
二つに分かれたそれは床に落ちると、煙を立てて、そしてボンッという音とともに爆発した。
それで止まるかと言われれば、そうではない。
まるで嵐のようにダルキンの操る鋼がシンディナスさんに襲い掛かる。
シンディナスさんも巧みな体捌きで銀色の軌跡を交わしていく。四足歩行は伊達じゃないようだ。本当に人間だったのか?
ガツガツと蹄と石床の擦れる音がするが、それは長くは続かなかった。
「もらった!」
ほんの少し、シンディナスさんの足がもつれてしまった隙を逃さなかった。
剣が長い首めがけて振り下ろされる。
「シンディナス様っ!」
――ギィンッ
金属の振動する鈍い音が響く。
「ば、ばかなっ!」
すごいものを見せてもらった。
襲い来る剣に対して、シンディナスさんは二本の前足でそれを挟み込むようにして止めたのだ。
つまりは真剣白刃取り。それを蹄でやってのけた。
そして動物パワーで剣をもぎ取って宙へと舞わせたかと思うと、その巨体から繰り出す渾身の前足ストレートをダルキンの頬にぶち込んだのだ。
「ぐほっ……」
吹っ飛んだダルキンは壁に激突し、反動で前のめりに倒れこんだ。
さすがに鎧も付けていない状態で壁にたたきつけられたのだ。しばらくは動けないほどのダメージを追っているだろう。
――モ゛ォ゛ォ゛ォ゛
シンディナスさんが咆えた。キリンの鳴き声は牛に似ている。
きっと何かを伝えたかったんだと思うが、翻訳魔法道具が壊れた今、彼が何をいいたいのかはわからない。
そんな雄たけびを受けて気を持ちなおしたのか、よろよろと立ち上がるダルキン。
まだ戦うつもりなのか、弾き飛ばされた剣を手に持つと――
「父上、申し訳ない……。あの世でお詫びします」
あいつ、死ぬ気だ!
剣を両手で逆手に持ち、自分の腹を突き刺そうとしたのだ。
だが、そんな一瞬の出来事を、シンディナスさんは阻止して見せた。
首で。
首というか頭突きだな。
再び吹っ飛んだダルキン。
「死なせてくれ! 俺が死ねば俺の代わりに遠縁の、あの商人ゆかりの子が領主になる。
そうすれば借金は帳消しにしてくれる。
だから死なせてくれ……。親殺しの俺が死ぬだけで民たちは助かるのだ!」
悔し涙か清い涙か。目から水滴を滴らせながらダルキンは訴えたのだ。
――もぉぉぉぉぉぉぉぉ
再びキリンが咆えた。重く低い、そんな声。
「シンディナス様はこうおっしゃっているのです。死んで罪が償えるなどと思うな。正当な裁きを受けて、それからやり直すのだ。生きていたら何度だってやり直せる。間違っても、そのたびに正しい方向に進めるのだから」
カーナさんが翻訳してくれた。窮地を乗り越えた愛で言葉が分かるようになったのか。
いや、そんな馬鹿な。
「だが……」
とてもいいことを言っているが、その言葉を発したのがキリンだからいまいち浸れないのか、まだ迷いを捨てきれていない様子のダルキン。
「お金なら貸してあげるわ」
「小娘が出せるような額ではない」
「ご紹介が遅れましたわね。私はサーニア家の長女、アリア・アル・サーニア」
バッと、執事に顔をむけたダルキン。
執事は、本当でございます、と頷く。
「本当か……。本当に金を……」
「ええ、でも貸すだけよ。あなたが罪を償って戻ってきてから返しなさい。
利息分は……そうね、優秀な代官を派遣してあげるわ。あなたがいないあいだこの領の運営を彼に任せてもらって、そこから利息分をもらうわね。もちろん、儲かったら元本返済にも回しておくわ。
だから安心して罪を償ってくることね」
「あ、ありがとう! ありがとう!」
つきものが落ちたような笑顔。目からは涙があふれ、流れ出す。見事な男泣き。
そんな彼の肩に、キリンが足をのせる。
絵面はひどいが、きっと男同士、心で通じ合ったのだろう。
◆◆◆
ひと騒動が終わって。
「シャルルベルン様、申し訳ありません。お姉さまの翻訳魔法道具を壊してしまいました。弁償させていただきます」
「あ、うん」
「それと、やはり魔法道具に頼らずにシンディナス様の言葉を理解していくようにします。幸い翻訳魔法道具のおかげでお声のパターンの一部は理解しましたので、きっとすべてのお言葉も愛の力で解読できるはずですから」
「あ、あははは……」
やはりダルキン氏に語ったシンディナスさんの鳴き声翻訳は、シンディナスさんではなくてカーナさんの言葉だったのか。
それにしても見事なセリフだった。何度も生まれ変わっているという話なので、見た目通りの精神年齢じゃないということを裏付けてくれたな。
それに比べて年齢相応のうちのキッテは今も上の空の返事を返している。
何かあったな、こりゃ。騒動の途中から全く口を開かなくなってたからなぁ。
この後、カーナ様とシンディナスさんはしばらくこのバクトム領に残るのだという。
メイドさんが本家であるサーニア家に連絡するために馬車で向かい、その途中で俺たちをアトリエまで送ってくれた。
こうして珍妙な来訪者による騒動は幕を下ろしたのであった。
◆◆◆
夜の事。
ベッドに入ったキッテが、横で丸くなっている俺に話しかけてきた。
「ぐえちゃん。私、よくわかんなくなったんだよね」
「ぐえ?」
なにがだ?
「あの領主の跡取りの人、悪いことをしてたのに怒れなかった。悪いことをしていたはずなのに、悪人なのに、今までみたいにうわーって怒れなかったんだ……。
守るべき人のために必死になって、どうにもならなくなって、それで悪いことをしてた。
だから何も言えなかった……」
「ぐええ……」
それであの時静かだったのか。
「悪って、悪いことってなんなの? あの人は良い人なのに悪い人でもあった……。分からないよ……」
「ぐええ、ぐええええ。ぐーえ」
そうだな。悪が黒、善が白だとしたら、混ざり合った灰色だってあるんだ。それを善というか悪というか。それは本当に難しい。でも、考えを放棄せずにどっちなのかを考えることは必要なことだ。それが大人になるっていうことだ。
「ぐえちゃんの言ってること、なんとなく分かる。それが大人なんだね。私、子供だった」
「ぐえええ」
いいんだ。それに気づいて、一つ一つ大人になっていけばいいんだ。
「うん。ありがと。ぐえちゃん」
キッテは俺の体に手を回すと、包み込むように抱きしめてきた。
ひんやりとする俺の体にキッテの熱が伝わって。
同時にキッテの暖かな心も伝わってくるようだった。
こうしてキッテは少しだけ成長した。
これからもいろいろなことを知って、そして大人になっていくだろう。
俺はそれを見守っていこうと思う。
◆◆◆
だが、進み続ける物語は、そんな時間を許してはくれないのであった。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
これで第5話は終了となります。
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第5話にはいくつか重要なことを入れましたが、基本的には外伝ポジション。じゃあ今までが本編だったのかと言われると怪しいところですが、次の第6話は本物の本編となります。
この世界の事。シャルルベルン家の事。物語の根幹となる部分について明らかになる予定です!
かなりの長文となる予定ですので、公開には時間がかかるかもしれませんが鋭意執筆中ですのでお待ちいただければと思います。
それでは引き続き、キッテのアトリエをお楽しみください!




