038 禁忌の言葉
――グオォォォォォォン
カイゼルの言葉に反応し、バルデガルキラーベアが咆える。
「ちっ、厄介そうだな。お前ら危ないから下がってな」
ディクトが剣を握りなおす。
「お、おい、ダーニャ、下がってろ」
そんなディクトの横を通り抜けてスッとダーニャが前に出る。
「ダーニャ、お前からか。これまでよく働いてくれた。その礼として一撃であの世に送ってやるよ!」
熊が両手を振り上げ、鋭い爪でダーニャを襲う。
「筋力増強基礎……」
ダーニャがぼそりと呟くと、振り下ろされる腕の死角となる熊の懐に飛び込んだ。
空を切る熊の腕。
ダーニャは樹齢何百年もある大木のように太い熊の体に抱き着くと力を入れたのだろう、バキバキという音が聞こえてきた。
――ギャガウゥゥ!
恐らく肋骨か何か、体の骨が折られたのだろう。痛みによる叫びが熊の口から洩れる。
その隙にダーニャは熊の背後に回り込むと先ほどと同様に体に腕を回し、自分の何倍もの体積がある黒い巨体を持ち上げて、エビぞりになりながら後方の地面に熊の脳天を叩きつけたのだ。
見事なバックドロップだった。
「すげえなダーニャ」「ダーニャは力持ちなんだから」という余裕の姿のうちの陣営。
対するあちら側は驚きのあまり声すら出ていない。
「次はお前達ッス」
立ち上がったダーニャはびしっとカイゼルに指をさして死刑宣告をした。
「そ、そんな馬鹿な……」
「兄貴!」
「ええい、こうなったらあれを解放するぞ!」
ダーニャの怪力に怯えた3人は、飾られていた絵画の裏にあった脱出口に次々と飛び込んで逃走してしまった。
1テンポ遅れて俺達も後を追う。
脱出口の先は普通に掘られた通路。ただの部屋から出る出口を隠していただけだった。
ディクトが感知増強スキルを使って反響する足音から逃走経路を割り出し、そして追う事僅か。
行き止まりと思われる場所でカイゼル達を見つけたのだった。
「追いついてきたか」
「もう逃げられないよ! あなたの悪事もこれまでなんだから!」
「人が生きる限り悪事は無くならない。そして俺もここで終わるつもりもない。こいつを見な」
カイゼルが一粒の種を取り出した。
「種ッスか?」
「こいつはとある魔導書に記載された古代の魔物の種。成長が早く水と太陽の光だけあれば分裂するかのように瞬く間にその数を増やす。僅かな間に大山を侵食し、そして町をも飲み込む。恐ろしいだろ」
「説明が雑過ぎて分から無いッス」
「お前のような脳筋には理解できまい。後ろのちびガキなら分かるだろう」
「私もちょっと分からないかな。あとチビじゃない。ちょっと同い年の子よりも背が低いだけだから」
「そうか。まあいい。こいつが俺の、俺達の切り札さ。
お前達でも理解できるように説明してやろう。こいつが凄い速度で増えるのは話した通りだが、その繁殖には実を使うのだ。繁殖のための栄養を凝縮した実。そいつは栄養価が高く腹持ちも良くてその上、美味ときた。こいつをうまく管理して増やし続けることで大量の実を手に入れる事が出来る。
その魔導書の書き手はこいつを使って飢えとは無関係な世界を作り出そうとしたのさ」
確かに飢える人がいた時代であればそれは有用だっただろう。でも今は平和な時代。食料生産も盛んで人々が飢える時代ではない。
こいつらが慈善事業を行うような玉ではないのは見ての通りだが、一体何をたくらんでいるっていうんだ。
「魔物を洗脳する薬。やがてそれは人にも効果を及ぼすことになるだろう。だが国民全員を洗脳しようとすると話は別だ。無駄に人口が多すぎて、とてもじゃないがそれだけの洗脳薬を用意することなんてできないし、全員に接種させるなんていうのは夢物語だ」
「それとその種とがどういう関係があるんッスか」
「せっかちな脳筋だな。話は最後まで聞けよ。親から教えられなかったのか?
まあいい。この種、グドマラガボスの繁殖力。俺達はそこに目を付けた。品種改良を施して、こいつの実に洗脳薬と同じ成分を生み出すようにするのさ。これで大量生産の問題は解決だ。だが国民全員に食わせるとなると少々手間がかかる。
最初は畑に毒でも巻いて不作に陥らせて食うものをなくしてしまおうと考えていたんだが、そんなものよりももっと良い方法を思いついたのだ。
このグドマラガボスを改良して、食材を根こそぎ食い荒らして増えるようにすればいいってな!
畑は荒らされ、海は汚れ、残った食い物はこいつの実だけ。飢えの前には誰も逆らえないっていう寸法さ」
「そんな大悪事はさせないッスよ! なんたってあんたらはもう逃げられないんッスから」
「逃げられるさ。そのための切り札だ。こいつをここで解き放つとどうなると思う? 爆発的に増えるこいつはこの洞窟を飲み込み、そして国自体を飲み込むだろう。その混乱に乗じて逃走、いや、再起を図るというわけだ。分かったか脳筋?」
ハッタリではないだろう。俺たちを前にしてこの自信。
あの種、グドマラガボスとやらはそれだけの力を持っているってことだ。だとすると問題なのは、こいつらが逃げ切るよりも復活したグドマラガボスがどれだけの被害を出すかわからないってことだ。
「その種の事が書いてあるのって、魔術師キュールが書いた紅蓮の書の98ページでしょ。爆発的に増えすぎて計画が失敗したっていうの」
そんな中、キッテが口を開いた。
「ほう。ガキのくせによく知ってるじゃないか。まあ俺はそこまでは知らんがレオニードのやつがそう言っていた。知っているのなら分かるだろ、こいつの恐ろしさが」
「うん、まあ?」
「もっと驚けよ。可愛げのないガキだ」
「だってさ、オジサンの言ってる事、うまくいかないよ? その、ここから逃げ出すって言ったこと」
「なんだと?」
「あのね、錬金術師エミンが書いたエミン日記にはその話の続きが書いてあってね。ネタバレになるから要点だけ教えるけど、ある薬品を使って増えすぎたグドマラガボスを全滅させたんだって。それもちょっとの薬品で簡単に全部枯れちゃったんだって」
「ば、ばかな」
「やってみてもいいよ。私、今その薬品持ってるから」
あのな、カイゼルさんよ。キッテのことを子供だって侮ってるみたいだけど、キッテは勉強熱心な子なんだよ。特に書物に関しては熱心なんだぜ。先人たちの知恵や経験っていうのはとても大切だからな。積み上げられてきた知識の上にこそ新しい世界が出来るんだ。
――うぉぉぉぉ、王宮騎士団、突撃ぃぃぃ!
洞窟内を反響して遠くの方で叫んでいる声が聞こえてくる。
「あ、兄貴、あの声、王宮騎士団だぜ!?」
「やっと来てくれたんだ。来る前にジョシュアさんに伝えるようにお願いしておいてよかったよ」
急いでたから言付けだけになったけど、あの騎士君、ちゃんとジョシュアに伝えてくれたんだな。
それと、さすが王宮騎士の有力者のジョシュアだ。キッテのピンチには必ず駆けつけてくれると思ってたぞ。
「ちいっ! ええい、やってやる、この種に水を――」
「隙だらけッスよ」
慌てたカイゼルに向かって突っ込んで行ったダーニャ。
種を見せびらかしていたカイゼルの腕を両手でつかむと、クルリと前後の向きを変えて腰を落とし、落とした腰をはね上げる反動に合わせて両腕を引っ張り抜くと、見事な弧を描いてカイゼルは背中から地面に叩きつけられた。
見事な一本背負いだ。
「あ、兄貴がやられた! 逃げろ!」
「逃げるって、どこへ!」
終わりだ。素人剣術のスキンヘッドともやしっ子にダーニャとディクトは超えられない。
頼みの綱の種はすでにダーニャに確保されている。
「ぐほっ……お、俺の計画が……」
肺に振動が伝わってうまく呼吸が出来ていないのか、息も絶え絶えに何かをしゃべりだす。
「壁を、越えて……他の国に……行くという……」
「ん? 何言ってるんッスか? 国は一つだけッスよ」
「ぐぎっ! ぐががががががっ!」
唐突。そう言わざるを得ない。
干物のように体を横たえてピクピクと震えていただけのカイゼルが、急に自分の首を押さえて暴れ出し、口から泡を吹き始めたのだ。
「な、なんッスか!?」
口からあふれた泡がたちまち増えて行き、まるで泡風呂に入っているかのように倒れているカイゼルの姿を飲み込んでいく。
そして、叫び声と激しい動きが無くなった時……泡の中から一匹のカエルが姿を現した。
「あ、あいつ、カエルになっちまったぞ!?」
驚くのも無理はない。俺だって驚いている。並の薬品では人間の骨格をゆがめて体積の異なるカエルなんかに変換できるわけがない。それこそ強力な条件を課した呪いでもないと。
キッテもそのことに思い当たっているはずだ。真剣な目をしてこの状況を観察している。
「これは錬金薬の効果に違いないけど……。おそらくあの言葉がトリガーで……」
「言葉?」
「んーん。私の勘違いかもしれない」
キッテは誤魔化した。
『他の国』。おそらくそれがキーワードだ。その言葉を口にしたカイゼルは何者かに口封じされた。
なぜならこの世界には国は一つしかない。それがこの世界の常識だ。
誰一人として疑わない常識。太陽が昇って朝になり、沈んで夜になる。人は生まれてそして死んでいく。それと同じ。誰もがそれを当然と思っている常識。
国というものが複数存在するという概念が無い世界。
だけどごく一部の錬金術師はそれを知っている。
この子、キーティアナ・ヘレン・シャルルベルンもその一人だ。
そしてもう一人。
このカエル騒動の犯人は恐らくレオニードという錬金術師だろう。どういう意図かは分からないが、そいつがカイゼルの口を封じた。
まあ、レオニードを捕まえればその意図も分かるだろう。
◆◆◆
「キッテ、おにぎり作ってきたッス! あーんするッス」
「ちょ、ちょっとダーニャ、近い、近いよ、それに自分で食べれるよぉ」
あの後、解毒剤を飲んでダーニャの惚れ薬効果は切れた。
解毒剤はトルナ村を出る前にキッテママがディクトに言付けていたものだ。必要になることをママはお見通しだったわけだ。
一流錬金術師のママが作ったものなので効果に疑いはない。
だけど効果が切れた後もダーニャはキッテとの距離感がやたら近いままだった。
今日は手作りのおにぎりを持ってきてくれたのだ。
そぼろとかおかかとか、いろんな具材が入っているらしい。
「おっ、うめーじゃねーか。ダーニャ、料理の才能あったんだな」
お昼時になぜかアトリエにいたディクトがおにぎりを一つひょいと掴んで口に入れた。
まあディクトの言うことも分からなくはない。ダーニャとの付き合いの長い俺でもダーニャがこんなに女子力が高いとは思っていなかった。昨日はパンを焼いて来てくれたしな。
今まで仕事が忙しくて料理をふるまう機会も無かったから気づかなかったんだろうな。
「こらディクト、勝手に食べるんじゃ無いッスよ。キッテのために用意したんッスから」
「なんだぁ、まだキッテラブラブモードが抜けてないのかよ」
「違うッスよ。キッテは大事な幼馴染で親友ッス」
「ほーう。じゃあ俺にもおにぎり作ってくれよ。俺だって大事な幼馴染で親友だろ?」
「うーん、ディクトは普通の幼馴染で普通の友達ッス!」
「ひでえ。キッテとの差がひでえ!」
「まあまあディクト。私はディクトのこと、大事な幼馴染で親友だって思ってるよ。だから私が作ってあげるよ!」
「うげっ、いらねえよ。おまえの作ったものなんて何が入ってるかわかりゃしねえ!」
「酷い! これでも過酷な冒険者職のディクトの体調をおもんばかってるだけなのに」
「そうッスよ。ディクトになんてもったいないっす。あたしに作って欲しいッス、キッテ」
「やーん、ありがとうダーニャ。じゃあとっておきのやつ作るね!」
「うへぇ、愛だねぇ。ごちそうさん、もう行くわ」
「またね、ディクト!」
「ああ」
「ほらキッテ、ディクトの事はいいッスよ。今はあたしの作ったおにぎり食べるッス」
「ちょ、ちょっとダーニャ、おにぎりをほっぺに押し付けないでよぉ」
「ご飯粒が付いた時がねらい目ッス」
「ねらい目って、なんのよぉ~」
今日もアトリエは平和だ。
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次回、第5話には皆様が知っているか知らないか、あの二人が登場予定です。
それでは引き続き、キッテのアトリエをお楽しみください!




