031 キッテの秘密兵器
さあ再出発しようとなって、それからちょっと進んだ所。
大部屋やホールのように空間が広がっていて、部屋の中からはいくつかの分かれ道が先に延びている。そんな場所にたどり着いたところだった。
薄暗い中、もやっと空間が歪んだように見えた所に、紫がかった煙のようなものが集まってきたのだ。
「ちっ、現れやがったぞ、デュークガストだ。大方その変なにおいにつられて出てきやがったに違いない」
ディクトが言っているのはぬるぬるローションの匂いのことだ。きれいに拭いたものの、ついてしまった匂いまでは取ることができなかった。若干特徴的なにおいを香水だと誤魔化すことはさすがに難しい。
「キッテ、秘密兵器とやらを頼むぞ」
「任せて!」
キッテがカバンの中から長い棒を取り出す。先端には円形の金具がついてて、金具には黒色の袋がついている。いわゆる虫取り網の、網の部分が布袋になっているやつだ。
「おいおいキッテ、そんなもんで捕まえられるわけがないだろ」
「大丈夫だよ。アストラル体に有効な退魔文字を夜なべして必死に編み込んであるんだから。ふふーん、どうだ!」
そうそう。黒布の袋ではなく、びっしりと隙間なく細かい文字で退魔文字が縫い込まれているので黒く見えているのだ。最初は一晩で終わるわけが無いと思ったけど、キッテが頑張ってやり切ったのを俺は知っている。
しゅるしゅるしゅると奇妙な音を立てて向かってくるデュークガスト。
この距離で魔法が飛んでこないことから、こっちを対抗策が無い物理主体のパーティだと認識したのだろう。その驕りが敗北を招くんだぜ!
「いっくよー!」
キッテが退魔虫取り網をバサバサ振って襲い掛かるが、自身は物理無効だと高をくくっているデュークガストはそれをかわそうともしない。
そして、バサバサと何度も往復する網の前に体を削り取られて行き、最後には全てが袋の中に入ってしまった。
「おお、やるじゃねーか!」
「どう、すごいでしょ!」
「ぐえっ、ぐえっ!」
さすが秘密兵器。何の抵抗もなく吸い込むように捕獲したな。
すごいドヤ顔を決めているキッテ。でもまあ可愛いから俺もぐえぐえ言って褒めておく。
――バチッ
「えっ?」
なんか嫌な音がしたぞ?
「ぐええ!」
キッテ、網、網!
「あわわわ!」
退魔文字の刺繍が甘く文字が汚い部分に穴が開いてしまっていて、そこからモクモクと煙が上るように抜けて行くデュークガスト。
ぶんぶんと網を振ってみるもののすでに遅く、完全に抜けだしたデュークガストは網の届かない場所でバチバチと体に電気のようなものを駆け巡らせている。どうやら怒りをあらわにしている様子だ。
「おい、まずいぞ、電撃呪文が来る! 避けろっ!」
カッと光ったかと思うと、レーザーのような稲妻が発射され、地面に焦げ目を作った。
「ひええ」
あまりの熱にキッテは目を丸くしている。
「キッテ、止まるな、的になるぞ!」
尻もちをついていたキッテだったが、サッと立ち上がって二度目の攻撃を回避する。
幸か不幸か、ふよふよ浮いているだけの俺の方には目もくれず、床を俊敏に動くディクトとキッテに向かって雷撃を撃ち込んでいるデュークガスト。
「キッテ! 他に秘密兵器はあるんだろうな!」
「う、うーん。撃退するくらいならなんとかできそうだけど」
「なら隙を見てやってくれ、捕獲はまた今度だ!」
「分かった、任せて!」
いくらでも撃ち続けられるはずがない。魔法とはいえあれだけの電撃をあの煙の体に蓄えて置けるはずはないのだ。そう思って二人も回避し続けているのだが――
「あっ!」
運悪く着地地点に小石があって、キッテがそれに足を取られてしまった。
「キッテ!」
「ぐえっ!」
ディクトと俺は自らの体を盾にしようと、雷の射線上に体を滑り込ませる。
紫の霧状ボディに何筋もの稲光が駆け巡って、雷撃が打ち出されたと思った瞬間――
ぶわっ、と青白いものがデュークガストを包み込む。
そしてパラパラと地面に砂が落ちるような音がした。
瞬きするほどの寸秒の後。青白いものが冷気であり、瞬間に凍ったデュークガストの体が細かい粒となって床に落ちたのだと理解した。
気体のデュークガストを液体を経ずに一気に個体までもっていくほどの冷気。
アストラル体とか物理体とか、そういうものを超越して凍てつかせる吐息。
吹雪のように荒々しいものではなく、優しく穏やかであって……そして死を運ぶ。
俺達はまだ無事に喜ぶことが出来ないことを察していた。
「あそこ!」
キッテが指差した先。大部屋の上方に開いた通路には、白く美しい毛をしたオオカミのような獣の姿があったのだ。
そいつは消えるようにスッと跳躍すると音もなく階下に着地し、バキリと粉々になったデュークガストを踏み抜いた。
圧倒的な威圧感に神々しささえ覚える。
「で、でかい……」
冒険者のディクトですらその圧に飲まれている。
見上げる俺達と見下ろすオオカミ。目測3mはあるだろう巨大なオオカミ。
「霊獣……クァルン……」
キッテがそう呟く。
間違いない。こいつの名前は霊獣クァルン。キッテが前に読んでいた古い文献に少しだけ書かれていたのを覚えている。高い知識を持っていて、めったなことで姿を現すことは無いと言われている。
人間よりも長い時を生きるとされていて、そのため個体数は少ない。縄張り意識が強い上に、自身が最強だと思っている節があり、クァルンにとっては世界すべてが縄張りなのだと記載されていた。
幻の獣の割に細かいことまで書かれているなと思ったものだが、圧倒的な冷気を含めて今目前でその姿を見れば、数々の記載の信ぴょう性も頷ける。
「っ! キッテ! 逃げるぞ!」
威圧されて動けなくなっていた中、いち早くそこから脱したディクトが吠える。
それによって俺もキッテも現実へと引き戻される。
ディクトが駆けだし、キッテの手を引き上げ、倒れた体勢から引き起こす。
俺もその後に続き、やってきた通路へ駈け込もうとした時――
目の前に白い靄が拭きつけられて、唯一の逃走経路はカチンコチンに固められて使い物にならなくなった。
――グルルルルルゥゥゥゥウ
俺達は背後へ振り返る。
見ただけで分かる。とてつもなく怒っている。先ほどまでの無言の押しつぶされそうな圧とは違う。目は鋭く伸び、牙を剥いて、唸っているのだ。
理由は……分からない。縄張り内で騒がしくしたからだろうか。本当にそれだけだろうか。めったに遭遇しない獣なんだろ? 理由がそんな事だけだったら、不幸にも自然災害に巻き込まれるのと同じじゃないか。
お読みいただきありがとうございます。
一難去ってまた一難。
かませ犬のデュークガスト君のあとには超強そうな本命が登場。
キッテは生き延びることができるか!




