029 善の惚れ薬VS悪の惚れ薬
カサカサカサと洞窟へ近づく。途中でベヒーモスに見つかって鳴き声を上げられそうになったけど、「しーっ!」とキッテが、大人しくするように言い聞かせた。
洞窟の入口はわりかし広く、人が何人か並んで入れるくらいはある。さすがにベヒーモスは通ることが出来ないけどな。
中は薄暗く、先の方の様子を窺い知ることは出来ないことから、それなりの奥行きがありそうだ。
「ぐえちゃん、悪の洞窟だよ。きっと悪いやつが潜伏してるんだよ」
「ぐええ」
まあ確かに、こんな山奥の洞窟に隠れ住んでいるような奴は碌な奴じゃないけど、それだけにダーニャが心配だ。
とはいえ、策も無しに突っ込むのは悪手だ。
悪党(仮)が何人規模でいるのかも分からない状態では、それは自殺行為ともいえる。
「こういう時はこれだよ! ひそひそ君14号」
キッテはカバンの中からキラキラと光る巻貝の貝殻を取り出した。
貝殻は二つ。片方が小指くらいの小ささで、もう片方は手のひらに収まるサイズ。その二つが細い紐でつながっている。
この貝殻はトレンブリングシェルという貝の貝殻で、音を拾うと振動する性質がある。
小さな方の貝殻が音を拾って振動し、つながった線を通して大きな方の貝殻に振動を伝え、大きな方が振動を増幅して音を出す仕組みだ。糸電話に近い。
この世界の子供ならだれでも一度は作って遊んだことのあるものだが、キッテが手にしているものは一味違う。
子供が作るものは紐の長さが一定の長さしかない。その理由は普通の紐では一定の長さまでしか音が伝わらないからだ。
キッテの持っているものは通常の10倍の長さを維持できるように錬金術で作られた糸を使っている。
文献からの試行錯誤の元、アラクネールという蜘蛛の糸とシャチマシャクナゲの葉の繊維を一定の割合で混合し、リンクス溶剤にアルマ合金と銀化灰を溶かした物に浸したものだ。
おっと、解説が長くなってしまったが、つまりはちっさい方の貝殻を洞窟の奥へと放り込んで、中の様子を探ろうというわけだ。
キッテがアンダースローで小さいほうの貝殻を洞窟の奥へと投げ込む。
コンコンコンと貝殻と地面が奏でる小さな音が響いたが、どうやらそれを怪しむ人は周囲にはいないようだ。
キッテは大きい方の貝殻を耳に当てる。
そこから増幅された音が聞こえてくる仕組みだ。ほどなく俺のドラゴンイヤーも洞窟内から聞こえる話し声を拾った。
「カイゼルさん、お会いできてうれしいッス。ちゃんと配達してきたッス」
「いい子だ」
「ご褒美が欲しいッス。チューして欲しいッス」
「今はまだ駄目だ。俺はまだお前の愛に応じることができる器じゃない。この仕事が終わって俺が一目置かれるようになった時、その時にお前の愛に応えよう」
「残念だけど分かったッス。早くチューできるように、すぐに仕事を終わらせてくるッス!」
「待ちな。せっかく来たんだこいつでも飲んで行くといい。俺からのささやかな気持ちだ」
「ありがとうッス、カイゼルさん」
会話が途切れ、喉に何かを流し込む音が聞こえる。
「それじゃあ行ってくるッス!」
「ああ。よろしくな」
「任せるッス!」
うおお、足音が近づいてくるぞ。キッテ、ダーニャが出てくる! 隠れるんだ!
歩いてくる音とはテンポが違う。ダーニャは走っている。おかげで焦りまくりだ。
キッテのひそひそ君14号も音を拾っていたので、急いで紐を引っ張って小型貝殻を回収する。さすがに山に貝殻が落ちているのが見つかったら怪しまれるからな。
そうして俺とキッテは ダーニャが出てくる前に物陰に身を隠し、辛くもダーニャをやり過ごす。
――ぶるるん!
ダーニャと荷物を乗せ終えた後、一鳴きして歩を進め始めるノルク。
その間に俺はまたドラゴンイヤーで洞窟の中の声を拾っていた。
「凄いですね、ぞっこんでしたぜ」
「ああ。新型惚れ薬の効果も抜群のようだな」
「兄貴、本当に手を出さないんで?」
「俺はあんな田舎の筋肉ゴリラは好みじゃねーんだ」
「じゃあ俺がもらっちまってもいいかい?」
「この仕事が終わった後にならな。それまであいつには使い道がある」
という狡い会話。
そしてキッテも――
「ねえぐえちゃん、ダーニャから惚れ薬の匂いがした」
と、悪の匂いを嗅ぎ取っていた。
◆◆◆
洞窟近くにいる事で悪党たちに鉢合わせするとまずいので、速やかにその場を去った俺達。
安全な街道に戻ってきたとたん、キッテの怒りは爆発した。
「ねえぐえちゃん、私許せないよ! 惚れ薬はね、勇気の出ない子たちの背中をちょっと押してくれるおまじないなの! 恋の不安に潰されちゃいそうな女の子たちの心をあったかくするためのお守りなの! それをだよ! 恋心を利用して言うことを聞かせるために無理やり飲ませて、ダーニャの恋心を捻じ曲げてしまうなんて……踏みにじるなんて許せない! 錬金術師として、女の子として、友達として許せないよっ!!」
噴火した火山が爆発してマグマが吹き出すかのように、キッテの思いが溢れ出す。
それに呼応するかのように、カバンの中のご先祖様の本が眩い光りを放ちだし、カバンからひとりでに飛び出すと宙に浮いたままバサバサバサとページがめくられていく。
開き切ったページ。そこには新たな失われし知識が浮かび上がっていた。
「アンチポイズンフィールド発生装置? 装置が発生させる浄化エネルギーによって各種毒素を浄化する。出血毒であれば2秒、石化であれば60秒……」
なるほど。こいつでダーニャの飲んだ惚れ薬の効果を消し去ってしまえというわけだな。
「ぐええ」
キッテ、作れそうか?
――パタン
キッテがテレッサ大百科を閉じた。
「ぐえ?」
どうしたんだキッテ?
「ぐえちゃん。私、許せないよ?」
え、うん。分かってる。だからダーニャの解毒をするんだろ?
「これは錬金術師に対する挑戦なんだよ?」
ん、んん?
「ご先祖様の知識はとても凄いよ。だけど、私、今回はこれを作らないから」
えっ?
「これはキーティアナ・ヘレン・シャルルベルンに対する悪からの挑戦状なんだよ? お前の錬金力はその程度なのかっていう」
???
「私、悪の作った惚れ薬なんかに負けない! 絶対に負けないから! 私の作った正義の惚れ薬で悪の効果を打ち破ってそれを証明して見せるよ!」
な、なんだってー!?
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