019 お詫びのマフィン
揚げパン落下事件が起こったあの後、結局別々に準備を終えて再びグラウンドに戻っている。
「それでは試験開始です! 依頼人の依頼を完遂してこのグラウンドに戻ってきてください! 制限時間は日没まで。れでぃーーーーごぉぉぉぉっ!」
俺とキッテとクララセント嬢の前にいるのは俺達への依頼人ダダーラさん。頭にターバンを巻いた中年のおじさんだ。
「お二人ともよろしくお願いいたします」
ニンマリとした笑顔を向けてくるダダーラさん。
キッテは、よろしくね! といつも通り眩しい笑顔を向けていたが、その隣のクララセント嬢はそうではない。無表情で一言よろしくと言っただけだった。
この試験には依頼人が同行することになっている。依頼が完遂出来たかどうか、完遂できずともどこまで出来たのかを判断するためだ。つまり依頼人は試験監督であるともいえる。
「ぐえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
これは俺の悲鳴。
何が起こっているのかというとだな。
スドゥーム山は王都から馬車で2時間程度の場所にある。のんびりとした馬車旅もいいものだが、試験には制限時間がある。日没までということなので、乗合馬車で往復しているだけで試験が終わってしまう。
そこで馬に乗って行こうとなったのだが、キッテは馬に乗った事なんか無かった。
提案者のクララセント嬢は上流階級のたしなみで乗馬はお手の物。依頼人のダダーラさんも乗れないことはないとのことだったので問題なかったのだが、残念ながらキッテは乗れないのだ。
そして話し合いの結果、今俺が悲鳴を上げている状態がある。
キッテが馬に乗れないのなら二人乗りするしかない。ただし普通の馬なら二人乗りで長距離を駆けるのは無理があるので、代役として馬より一回り大きくて足も6本あるスレイプニルに乗っている。
そんなごつい馬を操作するのは、スレイプニルも難なく乗りこなせるクララセント嬢。そしてキッテは彼女の後ろに座り、彼女の腰に手を回して抱き着いている状態。
俺はというと、紐を巻き付けられてキッテに括り付けられている。
つまり引っ張られる風船状態。高速で移動するものに無理やり引っ張られているのだ。悲鳴も上げようというもの。
ビュウビュウという風と空気の音に混じって「クラちゃんって温かいね」というキッテの声と「黙ってなさい。舌を噛むわよ」というクララセント嬢のお叱りの声が聞こえてきた。
いったいどれくらい引っ張られていたのだろうか。
なんとか五体満足のままスドゥーム山にたどり着いた。
結構集中力を必要とするものだと思うが、さすがは上流階級クララセント嬢。何事もなかったかのようにスレイプニルを木の幹につないでいた。
あれだけ激しく揺れていたにも関わらずキッテもケロッとしていた。ダメージがあるのは俺だけのようだ。ダダーラさんも問題ないようだし。
そうして山登りが始まる。
完全な岩山とは違っていくらか植生がある山だ。豊かとはいえない草木の中に多くの生き物たちが住んでいるともいえる。
僅かな緑を求めて過酷な生存競争が行われている場所である。小型だけど鋭い牙を持ち、群れで行動する牙山猫、それらを捕食する上位者、レッドパンサー。危険な猛獣たちの頂点に立つのがゴルンバスというわけだ。
俺達が目指すのは山頂。巨大鳥は山頂に巣をつくるのだ。
スドゥーム山にしか生息していないとはいえ、ゴルンバスは渡り鳥。この時期はヒナもかえってより餌のある西方へ飛び立っているはずだ。
なので、巣さえ見つければそこには輝卵殻が残っているはずなのだ。その巣を見つけるのが大変なのだけどな。
凶暴な獣たちが住む山道を俺達は慎重に進む。
途中で猛獣に襲われるの事は想定済みだったのだが、ダダーラさんが逃走用の煙玉を風上に投げてしまい、煙が全てこっちにきて酷い目にあった。
他にも休憩中、何を思ったのか火を焚いて煙を起こしてしまい、それを見つけた猛獣たちが襲ってきて逃げる羽目になった。
「勝手なことはしないでくださいませ!」
怒られたそばから、ダダーラさんは「おっ、あれはタムイの木じゃありませんか、実を採って行きましょう」とか言い出して、止める間もなく一人突っ込んでいったら、タムイの実が目当ての猛獣たちが周りにいて、襲われて逃げかえってきて、全員で走って逃げる始末になった。
「すまなかったな嬢ちゃんたち。お詫びといっちゃなんだが、こいつを食いねえ」
そう言って出してきたのはカップケーキのマフィンだった。
「わーい! ダダーラさんありがとう!」
「わたくしはいりませんわ」
マフィンを受け取ったキッテはノータイムで口の中へ放り込んで、「甘くておいしー!」とご満悦だった。
お読みいただきありがとうございます。
マフィンのある世界線。
そして時事ネタ(ちょっと旬を過ぎたか)であるマフィンが出てきたということは、この後どうなるのか?




