『努力しろ!やれば出来る!!』 そんなわけないだろ、無茶ぶりすんな!! ~努力に関して言いたいことを、真面目にエッセイ書きました!~
トラウマ解消エッセイです。よろしくお願いいたします。
私は努力という言葉がキライだ~!!
やれば出来るとか、頑張り次第とか!!!そんな事は、偉い人が我々を洗脳するために言ってる綺麗ごとだ!!!!
と常々考えております。
しかし、これを公言するとなぜか周囲から総ツッコミを受けます。
「「お前が言うな!!!」」
すみません。何故か私は、傍からみると努力家に見えるみたいです。
例
国家資格を複数所有。
女性比率0.2%のエンジニア職。
40歳から英会話を始めて数年でネイティブと会話可能に。
毎日1時間以上自主勉強。
etc。
ただ、これって努力ではなくラッキーだっただけの気がします。
という訳で、努力について考えてみました。
まずは、私が努力という言葉がキライな理由を述べます。
『頑張っても出来ない事が沢山あるから~!!』
情けない理由で申し訳ないです……
例えば私は人の顔を覚えられません。私はバンドグループのB’zやポルノグラフィティの曲が大好きです。CDも集めましたし、10年以上聴いています。しかし、いまだにギターとボーカルの方の区別が出来ません……
同じく大好きな宇多田ヒカル氏も、道ですれ違っても気が付かない自信があります。
また、文章を読むのは得意ですが書き取りが非常に苦手です。漢字が思い出せませんし、字も汚いです。
四則演算も苦手ですし、日付も道順も覚えられません。他にも色々あります。40歳過ぎてから判明しましたが、生まれつきの特性だそうです。
生まれつき才能がないので、どんなに頑張っても人並みに出来るわけがありません。しかし、小学生の頃の自分にはそんな事はわかりませんでした。
幸い?な事に私は言語の理解力だけは平均以上でした。そのため大人たちが言う次の言葉を信じてしまいました。
「みんなと同じように出来ないのは努力が足りないからだ。頑張れば出来る!」
信じた私はうっかり頑張っちゃいました。
漢字ドリルは一字一句国語辞典を引きました。計算問題は計算した後に計算器で検算。間違えてた時はもう一度挑戦。
宿題を終わらせるだけで、毎日何時間もかかりました。
幸いなことに両親は学校の成績が悪い事を咎めたりせず、頑張ってる事だけを褒めてくれました。そして学校の勉強なんか真面目にしなくていいよとそそのかしてくれました。
両親の言ってくれることは本当にありがたかったんですが、それでも頑張っちゃいました。そのうちに頑張っていると平均並みに出来る事が少しずつ増えてきました。
小学生のころ次のような算数の問題は苦手でした。
5.325+13.2576=
しかし、以下のような文章問題は時間をかければ出来るようになっていきました。
『家からサツキの小学校までは2000mです。登校班が先に学校に向かって行ってしまいました。5分してからサツキが家を出ました。登校班は分速80mでゆっくり歩いています。サツキは分速120mで少し早歩きをしています。サツキは登校班に何分で追いつくでしょうか?』
今まで数字の羅列でしか無かった問題に固有名が使われイメージしやすくなりました。
また、問題に添えられることが増えたグラフや図形も理解を助けてくれました。
算数が全く出来なかった小学生は、数学がちょっと得意な中学生になりました。
少しでも平均に追いつけるようになった劣等生は、それにしがみつきます。宿題以外にも自主的に問題集を開くようになりました。
他の教科も同様です。漢字が出来なくてクラス最下位だった国語は、文章読解で乗り切れるようになりました。
単語を丸暗記する必要があった社会や理科も、歴史や地理もしくは物理や化学になれば、今まで体系的に得た知識でカバーできるようになります。
社会人になってからは、資格試験などのために毎日1時間以上自主的に学んでいると言うと結構驚かれます。
しかし私にとってそれは、平均に追いつくために身に着けた、小学生のころからの習慣でしかありません。
私はとても呑み込みが悪い人間です。仕事でも勉強でも趣味でも最初は平均よりかなり下です。
他の人は自分には才能が無いと諦めてしまうかもしれません。
ただ私は劣等生であることには慣れっこです。そのため興味を持ったスキルを身に着けるために、工夫したり情報を集めたりするのが全く苦にならない性格になりました。
そして失敗を糧とし再び挑戦するのが何より楽しいドМ体質に変貌を遂げたのです。
『だったらやっぱり人生は努力次第なんじゃないの?』
と仰る方もいるかもしれません。
いや、ちょっと待ってください。私の場合は本当に運が良かったレアケースです。
例えば私は衆人の前で失敗して恥をかくのを全く恐れません。この性格は男性社会のエンジニア職や英会話の習得に大変役立ちました。
しかしこれは学校という公共の場で数十人の前で出来損ないと非難される。にもかかわらず両親や親戚など近しい身内が全く自分を咎めず、学校を憤って慰めてくれた。
そんな特殊な経験を何度も繰り返した経緯があるからです。
普通の人生を歩んできた人が、必要だからと急に価値観を変えろと言っても難しいと思います。
また、私は生まれつきトライ&エラーに向いている体質です。
実は私は必要な睡眠時間が平均より短いショートスリーパーです。4~5時間も眠れば日々の睡眠時間は十分です。
※主治医診断済み。
そして他のエッセイでも書きましたが、アルコール等を受け付けない体質でもあります。
普通の人がリラックスや疲労回復に必要な時間を、存分に再挑戦の準備に当てることが出来るのです。
イソップ童話のうさぎとかめに例えれば、昼寝が必要ない亀タイプです。
歩みは遅くとも着実にゴールに向かって歩き続けます。
私は普通の人と同じ事が出来ないというハンデがあります。しかし、その代わりに恵まれた環境や素質がありました。
同じようにしろと言うのは暴論です。
「だったら幸せな人生を歩むためにはどうすればよいの?」
と問われるかもしれません。
私は自分を知ることだと思います。例えばスキルアップに関する私の取り扱い説明書は下記になります。
・要領が悪く、進歩は遅い。
・言語の理解力はあるので、テキストで独学可能。
・承認欲求が高いので、他の人が褒めてくれたり喜んでもらえるとモチベが上がる。
・失敗は気にしないが、他人からの酷評や厳しい評価に落ち込みやすい。
・いったん始めると、他人が呆れるくらい練習しだす。
・etc
以上から私が習い事をするとしたら、スクールではなく独学で、成果を披露する機会を積極的に設ける。講師に習うとすると、相手は優しく褒め上手な先生。
これさえ守れば効率的に上達します。
他にも取り扱い説明書に、こんな内容はどうでしょう?
『モチベーションアップのためにご褒美を用意。友達と一緒なら頑張れる。家族に見張って貰いサボったらペナルティ。練習にゲーム性を取り入れ楽しむ。大会に参加し、賞を取るのを目標にする。ライバルを作る。Etc』
もちろん、習い事だけでなく仕事や人間関係にも説明書は作れます。
まずは、自分だけの取り扱い説明書を書いてみませんか?
そして最後に言わせてください。
「頑張れ、努力しろ!やれば出来る!!」
これを言う人からは距離をとった方がいいです。だって人はみんな違いますから。どんなに頑張ったって、他人になれるわけないんですから。どこにいたって何をしてたって自分は自分ですから。
努力だけで大谷翔平選手やイチローやアインシュタインやピカソになれるわけないですよね。いたいけな子ども達に、嘘を教えるのはやめて欲しいです(´;ω;`)ウゥゥ
皆さんの考えもぜひお聞かせください。