あとがき
なお、周知の通り、今となっては謙信は史学上は男性として当然のように扱われている。
しかし、徳川家の歴史書、松平記には越後景虎虫気(婦人病)で死すと記され、虫気で死んだと記される男性は謙信以外存在しない。
また、謙信の死に際の描写を松平記にはまこと、うるわしき御様子にて、なみいる諸臣みな喜悦の眉を開けりと記され、と書かれているが男性にうるわしきという表現は不自然で、諸臣がみな喜悦の眉を開けりが何を意味しているか分からないが、死化粧を施され、それに喜悦の眉を開いたのであれば話は通じる。
今となっては謙信が男性か女性かは定かではない。しかし、謙信の数々の不思議な伝承だけでなく、米沢の上杉宝物殿の飾られている謙信の残した数々の遺品には艶やかで小柄な着物、美しい文筆で書かれた気遣いの利いた手紙が残され、何かを感じさせるには充分な物が多いのも事実である。
もちろん、今となっては確定的な証拠が出てこない限り、謙信の本当の姿は永遠に謎である。
完
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