越後の虎
2011/7/10 第3話「初陣」 第4話「老兵」若干修正しました
柴田勝家の居城、越前北ノ庄城に一旦集結した織田軍の大部隊は編隊を整えた後、9月になると一路北陸路を北進し七尾城救援に向かった。
織田軍の戦力は3万と上杉軍の倍以上の戦力で、武田軍を打ち破った自慢の鉄砲隊も含まれてみな意気揚々と進軍するはずであった。
しかし、いきなり総大将の柴田勝家と羽柴秀吉が戦法に関しての些細な件から口論になり、秀吉は軍を引き上げてしまったのである。
「全く・・サルめ・・調子に乗りおって・・」
勝家は憮然としていた。
「信長様に連絡して厳しく処置してもらいましょう!」
勝家の重臣の佐久間盛昌は大声でまくし立てた。
「・・まぁ・・良い・・」
勝家は言った。
「サルの部隊が居なくいてもこの鬼柴田が謙信如き打ち破ってくれるわ・・」
勝家は憮然とした表情のまま言った。
「手柄も我等の者・・」
小声で勝家のおいの柴田勝豊も言った。
「しかし・・女だからって油断するなよ・・」
勝家は慎重に率直に言った。
「・・今まで二度しか負けたことが無いらしい・・何をしてくるか解らん・・慎重に行くぞ・・」
勝家は出陣前の宴の時の信長の顔を思い出していた。
信長は表向きは上機嫌の時の信長らしく
「・・嫁に行き損ねた姫など恐れるに足らず・・鉄砲隊で粉砕してくれよう!」
とみんなを笑わせておどけてみせて
「・・いやぁ~ワシも一度謙信公を見てみたかったの~首で我慢するかの~」
とそれに対して調子に乗る秀吉を思い出していたが
「総大将は・・柴田勝家!」
と信長が自分を指名してくれた時の秀吉の予想外で珍しく不服そうな顔も思い出し、今回の秀吉との口論の前哨をも思いだしていた。
宴の後、信長が密かに自分に声をかけ
「・・勝家・・姫大将とは言え・・絶対に油断するなよ・・!」
と、信長にしては珍しく少し緊張気味の険しい表情をも思い出していた。
「どう戦う?」
佐々成政が聞いてきた。
「七尾城に入る振りをして迎撃に来る連中を長篠のように迎え撃ちたいが・・」
勝家は言ったが
「ま、一旦手前の松任城に篭って様子を見よう・・向こうが諦めて引き上げてくれれば良い・・」
北を見ながら言った。
「それが無難じゃろうな・・謙信が引き上げれば良しじゃ・・七尾城の包囲を解けば良しじゃ・・」
滝川一益も言った。彼らも謙信の恐ろしさは充分に警戒していたのである。
織田軍は加賀国に入り、手取川ようやくを渡り、松任城のすぐ傍まで来ていた。
七尾城までおよそ100kmとあと5日で到着する距離までやってきた。
「ここで休むか・・」
勝家は命令した。
大軍であるため橋の無い河川の渡るのは一苦労である。橋はあるはずであったが、おそらく謙信の手下の者に足止めのために破壊されたのであろう。
本来は松任城まで行きたかったが日も暮れてきており、渡河で兵が疲労していたので陣を張って休むことにしたのである。
「明日は松任城に入る。今晩は最期の野営だ。」
勝家は疲れきっていた足軽たちに声をかけた。
「やっと松任城か~」
足軽達は重い鉄砲の装備を降ろすと安堵して皆横になって各々休みだした。
「それにしてもさすが 七尾城・・謙信を手こずらせるとはな・・」
勝家もごろりと座床に横になり体を休めた。
その日の晩、七尾城の偵察に行った偵察部隊の兵士から予想外の連絡が来たのである。
七尾城に行った偵察兵が戻って来ていないと言う。
勝家は嫌な予感がしていた。
松任城に連絡を入れ、七尾城の情報を提供するよう要請した。
「まさか 七尾城が落城しているわけはなかろう・・」
勝家は独り言のように言った。
「なら好都合では・・?あの堅い七尾城を力づくで落としているなら謙信はかなり消耗しているのでは・・?」
佐々成政が言った。
「・・うむ・・それはそうだが・・」
勝家らしくなく歯切れが悪く言った。
その日の深夜、偵察兵が慌てて勝家の元に転がり込んできた。
勝家は報告を聞いて仰天した。
七尾城は既に落城した模様。松任城も上杉軍の手に落ちていると言う。
「松任城まで落ちた?そんな馬鹿な!」
勝家は思わず声を荒げてしまった。何が起こっているのか勝家は理解できなかった。
七尾城内では信長派の長連続、綱連親子と謙信派の遊佐続光が今後の方針を巡り激しく争い、結局は長親子の意見が通り、信長に組むことになったがこの年、七尾城では疫病が流行し、多くの城兵が病死、更に城主の春王丸まで病死してしまい、城内は厭戦気分が蔓延していた。
謙信もしきりに降伏を勧告していたが長親子は信長の援軍を期待して抵抗を続けていたが、遊佐続光が謙信の誘いに乗り、遂に城内で反乱を起して長親子を含む長一族を殺害、こうして七尾城は開城していたのである。
謙信は信玄顔負けの謀略戦を展開したのであった。
七尾城を落とした謙信はすぐに南下し、織田軍の偵察兵を討ち、情報を遮断しながら南下、織田軍が七尾城落城を知らないうちに松任城を落としたのである。
「どうします?」
佐久間盛昌が不安そうに聞いてきた。
勝家はしばらく黙っていたが
「・・ここで陣を作って迎え撃つか?」
成政が聞いてきた。
「背水の陣か・・」
勝家は腕を組みながら頭を悩ませていた。
手取川を背に排水の陣を敷き、長篠の再現である。
鉄砲隊で向かってくる上杉軍を必死に撃ちまくるのである。
その頃謙信は松任城の外にいた。
「兵は疲れているかな?」
謙信は声をかけてみた。
「七尾城では包囲している間ず~っと休んでましたからな・・大丈夫です!」
河田長親が力強く言った。
遠くで織田軍の篝火がぽつぽつと見えた。
謙信はうなずくと空を見た。
遠くで雷鳴が轟き雷光が夜雲を青白く照らし、湿度を大量に含んだ生温かい風が吹いていた。
「・・好機・・」
謙信はうなずいた。
「・・好機?・・」
景勝が思わずつぶやいた。
「すぐに出陣を!」
謙信が命令を出した・
「夜襲ですね?」
景勝の寵臣となった樋口兼続が嬉しそうに言った。
「・・ただの夜襲では無いぞ・・ふふふ」
謙信は言った。
勝家がどうするか迷っている間、遠くにあった雷鳴がいつの間にかこちらまでやってきて激しい雨と雷が落ち始めた。
「天候にも歓迎されておらんな・・」
滝川一益が冗談気に言った。
「ま・・こんだけ派手に降れば向こうも動けんだろ・・」
前田利家が空を見ながら言った。
「うむ・・そうだが・・うむ・・」
勝家はまだ悩んでいた。
しかし大粒の雨を見ながら
「・・撤退するか・・」
方針を決めたのである。
「え?今から?」
利家は驚きの声をあげた。
勝家はうなずいた。
「いやな予感がする・・」
正直に言った。
「確かに雨で鉄砲が使えん時に襲われたら終わりじゃ・・」
一益が恨めしそうに雨を見ながら言った。
しかしその時、雷や雨音に混じって何か叫び声や刀の鈍い音が聞こえてきたような気がした。
「・・まさか・・」
勝家だけでなく、そこにいた一同みな血の気が引くような気がした。
それは幻聴ではなく事実であった。
勝家の不安は的中した。
「大変です!上杉軍が!」
足軽兵が慌てて本陣に飛び込んできた。
「何!夜襲か!」
勝家は声を裏返してしまった。
いやな予感は的中したのである。
「全員起せ!隊列整え反撃せい!」
勝家が命令を飛ばすと
「鉄砲が雨で使えませぬ!」
足軽は泣き言を言った。
「鉄砲に頼るな!腰にぶら下げているのは飾りか!槍や太刀で反撃せい!」
勝家が足軽を怒鳴り飛ばした。
織田軍自慢の鉄砲隊は雨でろくに反撃ができず、また、足軽兵はまだ遥か遠方の七尾城にいると思った上杉軍の予想外の夜襲で大混乱に陥っていた。
勝家はすぐに武具を整えると自ら騎馬に飛び乗り前線に出た。
「ワシに続け!」
鬼柴田と言われる勝家だけあってすぐに自らの危険を省みず前線に飛び出し、上杉兵を一人長槍で討ち取った。しかし周囲は雨と夜半で暗くて見通しが利かず状態はさっぱり分からなかったが、勝家の本陣近くまで上杉軍が接近しているということで味方は完全に劣勢であるのは明らかであった。
「・・こっちの方が戦力は上じゃ!隊列整え!ひるむな!」
勝家自ら大声で命令した。
「勝家様を中心に隊列を整え!」
利家も雨や雷鳴に逆らうよう大声を出した。
その時であった。
「勝家様・・あれを・・」
勝家の傍にいた足軽兵の一人が真正面に立つ、不思議ないでたちの騎馬武者を指差した。
その声や指は少し震えていた。
雨が降り雷鳴が轟き雷光が闇夜を走る中、一騎の騎馬が雷光に照らし出された。
毘沙門天の旗を掲げ純白の行人包みと黒い僧装束に銀色の甲冑を着た少し小柄な武将が勝家の目の前に雷光に照らし出されていた。
顔は見えなかったが勝家もそれが誰かすぐにわかった。
「ひるむな!」
その人物は高い声を出した。
明らかに男性では無い声であった。
その人物が振り上げた大太刀が青い雷光を浴びて怪しく光っていた。
謙信が何と目の前にいたのである。
「我は毘沙門天の使い!鉄砲が使えない織田軍など恐れるに足らず!叩き潰せ!」
謙信は通る声で命令を飛ばした。
「こしゃくな・・!」
勝家は思わず歯ぎしりをたてた。しかし足軽たちの反応は違った。
「・・て 鉄砲が使えない・・!」
雨で鉄砲が使えない足軽兵は恐怖におののき我先に後退を始めたのである。
「敵前で逃げる奴がおるか・・!」
勝家は後退を始めた足軽たちを叱り飛ばしたが、士気ががた落ちで勝家も不利を悟らずには入られなかった。
「やむをえん!全軍後退!小松城に入れ!籠城戦だ!」
勝家は命令した。
「逃げろ!小松城だ!」
足軽兵は鉄砲を放り出すと我先に逃げ出した。
「敵が後退を!追撃許可を!」
謙信の元に景勝、兼続が飛んできて許可を求めた。
「川には入るな!厳命せよ!」
謙信は命令した。
「川・・?」
兼続が不思議そうな顔をした。
「川岸まで追い立てれば良い・・」
謙信は穏やかな表情で言った。
「はっ・・!」
不思議そうな顔の兼続を横目に景勝はすぐに返答した。
織田軍の足軽兵は手取川の川岸に到達すると我先に川に飛び込んで対岸のはるか先にある小松城を目指した。
しかし雨で川は増水していて濁流と化していたのである。
「・・おわぁ!溺れる・・!助けてくれ!」
川に飛び込んだ織田兵は次々と濁流に飲み込まれていった。
泳げないものはそのまま暗闇の河に次々と飲まれていったのである。
謙信が深追いを禁じたのは濁流に飲まれないためである。
戦いは夜明け前には決着が付き、夜が明けるとうっすらと太陽の光が指し、陽光に照らされた付近や手取川の中には織田兵の遺体や残した鉄砲、武具が散らばり、信長との最初の一戦は謙信の大勝利に終わった。
「・・意外と大したことなかったな・・」
謙信は言った。
「しかし・・何と早い逃げ足・・」
謙信は妙な警戒感を織田軍に感じた。
今までの敵とは違うと感じたのである。
「残存部隊は小松城に後退したようですが・・」
近づいてきた兼続が言った。
謙信はしばらく黙った後
「深追いは危険だ・・それこそ鉄砲隊の餌食になる・・撤退する」
全軍春日山城への後退を明言した。
手取川での大敗の報を聞いて安土城で信長は怒りを爆発させていた。
しかしその矛先は勝家にではなく、混乱の原因を招いた秀吉に向けられていた。
秀吉は危うく信長に成敗されそうになったほどである。
信長大敗の噂は直ぐに広まった。
謙信が大軍を率いて上洛するという噂で京都はもちきりであった。
そしてその頃信長に反旗を翻した男がいた。
あの松永久秀が反旗を翻したのである。久秀は謙信の上洛を見越して動いたのかもしれない。
しかし謙信はこの年、軍を南下させることなく、春日山城に戻ってしまったのである。
信長の危機を救ったのはあの秀吉であった。すぐに無傷の自軍を征伐軍として派遣、信長の息子、信忠と共に久秀を攻撃、久秀は孤立無援となり居城の多聞山城を包囲され名茶器、平蜘蛛に火薬を詰めて自爆して果てたと言う。
久秀は謙信が救援に来なかった事が理解できなかったのかもしれない。しかし謙信は将軍義輝を殺した久秀を義昭のためとはいえ許すつもりもなく、一緒に作戦をとるつもりも無かったのかもしれない。
久秀が信長に反旗を翻し、返り討ちにあったとの報告を謙信は表情を変えることなく聞いていた。
今までご愛読、お付き合いありがとうございました。ようやくですが次回が最終回になります。