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越後の虎  作者: 立道智之
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急転直下

関東の諸将も北条氏康と武田信玄の関係が微妙になりつつあるのを掴んでいたようで、この年の11月、唐沢山城の佐野昌綱が再度北条側に一旦離反するが再度直ぐに輝虎陣営に戻るなど混乱の動きが出始めていた。

小田氏治も佐竹についたり氏康についたりと忙しい動きを見せていた。


一方信玄の長男、義信が自害し、今川義元から送られていた妻子が駿河に送り返されたとの知らせは小田原の氏康にも直ぐに届けられていた。今まで大人しくしていた武田軍の中でもついに動きが見られるようになり、小田原城でも信玄から氏康の息子、氏政に嫁いで来た黄梅院の処遇についての話し合いがもたれ、甲相駿三国同盟は最終局面を迎えていた。

また、信玄と尾張の織田信長の関係も既に信玄の四男で後継者と噂される勝頼の元に信長の姪の遠山婦人が嫁いでいたが、長男(後の信勝)を生んだ時に難産で病死してしまい、替わりの信長の長男、奇妙丸(後の信忠)に信玄の娘で六女の松姫を嫁がせる話し合いが急遽もたれて、それが余計に氏康や今川氏真の不興を買っていた。


そのような武田、北条、今川の緊張に輝虎はようやく一息入れられると安堵していたが、氏康、信玄の争いの先行きや、関東の状況が読めない上、実は蔵田五郎左衛門ら越後商人から都との往路の安全と、自分達越後商人の裏には輝虎が付いていることを暗示するため、小うるさい越後の西側の隣国で、信玄の手先の越中の椎名氏や越前、加賀の一向宗を牽制することにしたのである。輝虎からしても兵力の回復も不十分な現状、一旦関東への出兵は止めて国力を回復させ、氏康、信玄の消耗を待つのも遅くはないと判断したのである。

輝虎は久々に越中に兵を送り、北陸方面の信玄の影響力を排除し、春日山城の西側を憂い無くすることにしたのである。


永禄11年(1568年)3月、輝虎は信玄を後ろ盾とする越中の椎名康胤を攻めるため、富山城に向けて軍を進めた。

輝虎自身は氏康への手助けの気持ちなどさらさら無かったが、信玄に対する相容れない感情と言う面では氏康とは共感出来る物もあったが、今までの氏康との争いを考えると越後衆には口外はし難い話ではあった。

それでも信玄のじわじわ来る雰囲気よりも氏康のやり方のほうが輝虎には幾分理解し易い面はあり、輝虎も今後の件に関しては、心の中でどうするかは密かに考えを始めていたのである。

しかし、それを読んだように越中戦線は今まで何度も撃破している康胤相手の楽な戦のはずであったが、今回は恐らく信玄の仲介で動いたのであろう一向衆までもが康胤側に付いたため、予想外の大軍相手の思わぬ苦戦を輝虎は強いられたのである。


「全く・・信玄の奴・・」

輝虎は最近控え気味であったが酒を馬の上で少し口に含みながら不満げであった。

馬の上は見晴らしも良いが風通し良い。春先とは言え、まだ三月の越後や越中の日本海側の風は輝虎愛用の純白の越後上布で出来た御高祖頭巾だけでは防寒が難しいので酒で冷たい体を少し温めるのである。

輝虎が使用した馬上杯は金色の中塗りに蒼い輝きを放つ洒落た中国製の高級品で今でも米

沢の上杉神社の稽照殿でその淡い輝きを見ることが出来る。

「よりによって一向宗まで動かすとは・・」

輝虎は憮然と言った。

「信玄の正室の三条夫人の弟は誰かな・・」

中条藤資が老練な言い回しをした。

「・・そうであった・・」

輝虎は黙ってしまった。

一向宗の総本山、顕如の実の姉は信玄の正室、三条夫人である。

一向衆は信玄と組んでいると言っても他言ではなかった。

「朝倉と組んで一向宗を挟みましょうか・・」

本庄実乃が聞いてきた。

朝倉家も加賀の一向宗に悩まされ続け、他方日本海貿易の都側の荷揚げ港のとして越

後とは父為景の代から親しい家柄であった。

「しかし・・義景殿はあまり冴えん人なんじゃろう・・」

藤資がまた遠慮なく言ってきた。

直江景綱が思わず口に指を当て、それ以上は言わないようにとの仕草をした。

朝倉家の武勇は朝倉宗澄の代にさかのぼり、宗澄は30万と言う恐ろしい大軍で押し寄せ

てきた一向宗をたった一万の軍勢で打ち破り、朝倉氏の黄金時代を築いた人物である。

それに比べると義景は少し凡庸で、足利義輝の跡を継いだ義昭も最近は織田信長を頼りにし

ているという噂が都の越後屋敷の神余景綱からも報告が上がってきていた。

「まぁ・・越前も今は畿内のごたごたで大変だろうから・・あまり当てにはしないで一向宗

や越中くらいワシらで何とかしようでないか・・」

直江景綱が話しを終わらせようと言った。

「それにしても仏の世界も大変じゃ・・一向宗に真言宗に分かれて、おろおろ・・」

色部勝長が少しおどけて言った。

「関東の諸大名と同じか・・佐野昌綱殿の青い顔を思い出してもうたわ・・」

斉藤朝信も苦笑いしていた。

輝虎も苦笑いしながらも複雑な気持ちで話を聞いていた。

輝虎は真言宗の信者ではあったが(毘沙門天ももちろん信奉していたが)実は春日山城近く

の浄興寺は親鸞聖人が開いた寺で、元来は信州の川中島にあったのだが、川中島の戦いで焼

失後、輝虎の誘いで越後に移転してきたのである。親鸞聖人は浄土真宗、一向宗の開祖であ

る。

越中では一向宗と戦い、他方、越後では彼らを保護したのである。

もちろん、寺社勢力も戦国の世で生き残るための術でもあったが。


輝虎は毘沙門天を信奉していたが宗派としては真言宗である。これは実の母親の虎御前が

真言宗を熱心に信仰していたからである。

ふと輝虎は母のことを思い出した。

「・・母上の病状も心配だな・・」

輝虎はつぶやくように言った。

虎御前は年明けから体調が芳しくなく、床に伏せがちであった。

「・・新兵衛も・・元気になってくれると助かるな・・」

金津新兵衛も既に70近い老人になりで最近は衰えがめっきり目立つようになり、戦場に赴

くことは少なくなり、春日山城での留守が多くなっていた。


「春日山に帰ったら越中での勝利祝いの傍ら今度新兵衛に元気の秘訣でも教えてやろうか

のう!」

藤資が80近い老人とは思えぬ元気のよさで大声を上げた。

「ほどほどにせいよ・・ええ年なんじゃから おぬしだって・・まったく・・」

勝長が少し呆れ気味に言うと一同笑いが起きた。

「ところで・・」

輝虎が話を遮る様にぼそりと言った。

「本庄繁長や長尾藤景たちが今回参戦遅れているが、厳しい戦いになりそうなので早めに援

軍を出すよう催促を頼む・・」

「了解!すぐに来させますわ!」

藤資が年甲斐も無く元気に胸板を叩いて輝虎に返答した。


越中に入った越後軍であったが一向宗の予想通りの大軍の前に行く手を阻まれたが越後軍

もそれに応じるように慎重に動いていた。

繁長や藤景らが到着してから万全の体制を整えて攻撃するためである。

「それにして・・遅いな・・」

陣中で輝虎は少ししびれを切らしていた。

「まぁ・・揚北から越中までは結構な距離がありますからな・・」

本庄実乃が物静かに言った。

「そうであったな・・うん・・」

輝虎もうなずいた。

その時であった。

「遅れているのは遠いからだけではないですぞ!御免!」

中条藤資が陣中の外から大声で突然割り込んでくると息子の景資と共に入ってきた。

二人とも珍しく緊張した面持ちであった。

景資が

「阿虎様に是非これを!」

一枚の手紙を差し出したのである。

「・・?」

輝虎は手紙を受け取ると不思議そうな顔で目を通した。

輝虎は手紙を読んでいる内に顔がだんだん蒼冷めていった。

座っていたが腰が抜けそうになっていた。

蒼冷めたまま手紙を他の者に廻した。

他の者も手紙を読むとみるみる皆、顔が強ばっていったのである。


「これは一大事・・!すぐに全軍を春日山城に撤退させますぞ!」

直江景綱が越後軍を春日山城に撤退させることを輝虎の返答を待たずに決定した。

「・・全く・・調子に乗りおって若造が・・!」

藤資も年甲斐も無く鼻息を荒げていた。

輝虎は蒼冷めたままであった。

「この手紙を受け取って行動を起こす者が他にいるかもしれません!すぐに家

臣団を集めて御確認を!」

本庄実乃も手早く動いた。

「あまり露骨に動くなよ!椎名や一向衆に感づかれて撤退時の後ろを突かれたくないから

な!」

柿崎景家が猛将らしく言った。


手紙の内容は本庄繁長からで輝虎に反旗を翻し信玄と組もうと言った内容であった。


輝虎はあまりの衝撃で他の者たちの慌てたやり取りを聞いていたのか定かではなかった。

しかし

「繁長め・・」

輝虎は目に少し涙を溜めながら言った。

「信用していたのに・・よりによって信玄なんかの馬鹿げた誘いに乗ってしまうなんて・・」

輝虎は悔しそうな面構えで言った。

「私を馬鹿にして・・思い知らせてやる・・!」

輝虎は普段は物静かだが一度火が入ると妙な怖さがあった。

今回も久々にその怒りが爆発したのである。


越後軍の動きは早かった。

越後軍はその日のうちに康胤や一向宗に気付かれないように密かに春日山城に撤退してい

った。

輝虎は撤退の途中の馬の上でもずーっと酒を飲んでいた。

この怒りの感情の吐き出し口を酒に向けたのである。


春日山城に到着する寸前、輝虎のもとにその行き場の無い感情に追い討ちをかけるような衝

撃で嫌な報告がもたらされた。

越中に向かう準備のために春日山城にいた長尾藤景が密かに春日山城を抜け出そうとした

ため城内で守備兵と乱闘になりそのまま討たれてしまったという。

藤景がなぜ抜け出そうとしたのかは、はっきりしなかったが居城の高城城(下田城)に無断

で戻ろうとしたため、城の守備兵が繁長に内通したと判断し、追いかけたところ斬り合いに

なり、そのまま討たれてしまったとの報告がもたらされたのである。


輝虎は藤景が討たれたとの報告をを聞くと怒りを通り越し、衝撃でがっくりと肩を落とした。

今までと違い、うって変わって落ち込んだ表情に代わった。

藤景は繁長同様、関東戦線や川中島で活躍し、輝虎が信用していた男であった。

また同じ長尾一族でもあった。

その藤景までもが自分に反旗を翻したことに衝撃を受け、深く落ち込み、また彼を討ってし

まったこと、同族討ちを自分が行ってしまったことに対し、そのように仕向けた信玄に対す

る深い嫌悪感とそれに乗せられてしまった自分にも未熟さを覚えたのであった。

輝虎を更に苦悩させたのは輝虎が、繁長や藤景たちに持っていた微妙な感情に対する彼らの

予期せぬ返答なども輝虎を苦しめたのである。


一旦春日山城に撤退した輝虎であったが、まずは再度越後国内の引き締めから入った。

その後の調査でも越後国内で本庄繁長に同調したのは藤景だけだったようで他の揚北衆は結局誰も繁長の誘いに乗らなかった。

これは繁長にとっては大誤算であった。

ただ、越後の隣国の出羽国の大宝寺義増が繁長に付いたので、出羽から信玄からの援護が入る可能性があり謀反の長期化は充分に予想された。

そこでまず、輝虎は栃尾城の本庄実乃や栖吉城の上杉景信の部隊で反抗の狼煙をあげた長尾藤景の残党を鎮圧し、藤景の高城城(下田城)を棄却した。

藤景の遺族達は輝虎の意向で討たれることは無かったが、城を追われ、近くの奥深い山郷に逃れていった。

残った繁長であったが繁長は輝虎だけでなく、他の越後衆も認める猛将である。真正面からぶつかるのは難しいことは輝虎や越後衆自身が一番わかっていた。そのため繁長に対しては慎重な作戦を取ることにしたのである。


まず輝虎は出羽国の大道寺に兵を送りこれをすぐに降伏させ、繁長への補給を絶ち孤立させた。

繁長も信玄へ兵を動かすように盛んに催促をかけていたが、信玄の本来の目標は既に駿河にあり、厩橋城からの援軍も結局繁長に送られることは無く、補給物資が細々と送られただけであった。


繁長もこの頃にはようやく自分が迂闊にも信玄の口車に乗ってしまったことを今更ながら後悔していたがもはや、自分が言い出しの手前引くには引けない状況にもなりつつあった。


輝虎もようやく繁長に対する反撃体制を整えつつあったが永禄11年(1568年)5月、母親の虎御前が死去したため思わず動けなくなったのである。

更には繁長にとってはようやくであったが信玄が輝虎が母親の葬儀で動けない隙を縫って7月には川中島最北端の越後側の城、飯山城に信玄が突然軍を送り込んできたが、越後軍の飯山城の守備隊の善戦で甲斐軍を追い払うことに成功したが形を変えながらも信玄と輝虎の争いはまだ続いていたのである。 


飯山城から甲斐軍を追い払ったことによりようやく繁長打倒の兵を繁長の本拠地の村上城に進軍させたが予想通り輝虎側の軍勢は戦上手の繁長軍相手に苦戦を強いられる展開になったのである。

繁長軍は夜襲や少数の兵による奇襲攻撃を輝虎側にかけ、輝虎側を翻弄したのである。

それでも兵力に勝る輝虎がなんとか優勢を保ち、秋口にはようやく繁長の居城の村上城を包囲するところまで追い込んだのである。


村上城の包囲まで持ち込んだ輝虎陣営であったが油断はできなかった。兵力が劣る繁長側と言え、激しい抵抗が予想され、無理をすれば味方の犠牲も馬鹿にならなかった。輝虎は持久戦覚悟でじっくり構えることにしたのである。


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