獅子心中 後編
小田原城に戻った北条氏康は普段と変わらぬ落ち着いた素振りを見せていた。
三船山での里見義尭、義弘親子との敗北で北条側の将校は皆、意気消沈していた。
今日は今回の戦の慰労を兼ねて簡単な茶会でも開こうと氏康が提案した会であったが今回指揮を取った息子の氏政や副官の松田憲秀はかなり気落ちしているらしく、少し心の整理の時間が欲しいとの事で今回は参加して来なかった。
氏政や松田が落ち込むのには無理はなかった。
北条側3万 里見軍8千と圧倒的有利な筈であったが里見軍の素早い動きに大軍が対応できず足を絡めた攻撃で狭く足場の悪い深田に追い込まれて身動きが取れなくなり徹底的に叩かれた点である。
少数の越後、佐野昌綱連合軍に敗れた唐沢山城の戦いの再現になってしまい、氏政、憲秀の二人の落ち込みは相当なものであった。
事実、今回の里見親子との一戦の敗北が北条側に与えた影響は大きく、北条側になびく筈だった関東の諸勢力が再度どっちつかずの状態になってしまったのである。
また再度、おそらく勢力を回復させて関東に舞い戻ってくるであろう輝虎に対しての先制の軍事行動が今回の敗戦で南の里見親子から相模本国の防衛の為に取れなくなったのも痛手であった。
ただ氏康は気落ちする氏政や憲秀、将校には気にしないように労いの言葉をかけた。氏康は原因は別のところにもあるし今後の展開が大きく変わることを密かに予見していたからである。
今回の茶会には氏政の弟の氏照、氏邦、重臣の板岡部江雪斎や大道寺政繁、清水康英、北条家の重鎮で御意見番の北条幻庵らが参加していた。
冒頭
「里見を少し甘く見すぎました・・」
氏照が正直に言った。
「別働隊のワシの動きを読むとは、なかなかやるな・・」
氏康も他人行儀のように言った。
「援護の三浦水軍衆が持てば・・すぐに再度編成を整えて里見に引導を渡せたのですが・・」
伊豆の水軍をまとめる清水康英が苦々しい顔で続いた。
氏康もうなずいた。
「ワシは今回の戦いは負けたと思っていない・・3万の軍の内の一割の消耗ならまだまだ戦える。しかし兵糧や補充物資の運搬の三浦水軍を叩かれたのが痛かった・・」
氏康は今回の敗因を語り始めた。
「阿虎(輝虎)が小田原に10万の大軍で押しかけて来た時も兵糧が持たなくて撤退したようなものだ・・もし今回三浦水軍が里見水軍を押さえておれば戦況は変わったであろう・・3万の大軍は力強いが飯も良く食べるからな・・」
氏康は少し苦笑いしながら言った。
他の者もうんうんとうなずいた。
「・・決定的な負けではない・・だから気にするな・・氏政や憲秀にも伝えておいてくれ・・」
氏康は穏やかな口調で言った。
「ところで・・」
氏康は続けた。
「三浦水軍だが・・やはり少し強化する必要があると思ってな・・で 今回相談じゃが・・
里見の安房の水軍衆は手強い・・そこで紀州の安宅一族という水軍衆を雇って造船技術を学ばせて水軍を強化したいのだが・・」
氏康は里見対策は水軍が鍵になると考えたのである。
「良い考えで!」
氏照や氏邦、康英らは直ぐに反応した。他の者もうんうんとうなずいていた。
「・・意見はないか?・・では決まりだな・・」
氏康はにこりと笑うと茶をすすった。
「それにしてもはるばる紀州からとは・・」
板岡部が感心すると
「臼井城のあの何とか入道も都から来たんだ・・大したことあるまい・・」
氏照が率直に言った。
「・・信玄公は海に興味があるようで・・ならば海のある越後は信玄公に見てもらい関東にこれ以上興味を持たせないようにする手立てもありますね・・」
氏邦も続いた。
「二人が争ってくれれば我らには好都合・・関東は我らのもの・・」
大道寺が少し目の奥を光らせるように言った。
「・・うむ・・そうだな・・そうだ・・」
氏康は少し詰まりながら言った。
「阿虎様にも御関心があるんじゃろ?信玄公は?今は違うか?」
幻庵が冗談気味に言った。
一同思わず笑いが出た。
「・・ところで・・信玄公だが・・」
氏康が珍しく少し口ごもりながら言った。
何かを言いたげだったが、しかししばらく間を置いてから
「・・いや・・なんでもない・・」
氏康はそれ以上話をするのはやめたのである。
茶会の後、氏康は幻庵と話をしていた。
氏康の尊敬する祖父、北条早雲から仕え、北条氏の知恵袋のような老人である。
「それにしても里見親子には一本取られた・・」
氏康は正直に言った。
「・・奴ら臼井城の戦法を逆手に真似るとは・・里見義弘とやら侮れんのう・・」
幻庵も静かに言い
「・・佐竹や関東衆もまた日和見じゃのう・・」
と続けた。しかし
「相談とはこの件ではなく甲斐の話かと思ったんじゃが・・」
直ぐに幻庵は話を切り替えた。
「風魔小太郎から色々聞いておってのう・・」
幻庵は静かに言った。風魔小太郎は北条家の忍びの棟梁である。
氏康はうなずくと
「ならば話は早い・・信玄が駿河の件で話を持ちかけてきた・・信玄の奴、義元公の後を継いだ氏真殿では駿河は心もたないと言って来おった・・」
氏康が不愉快そうにまくし立てた。
「駿河は武田と北条で統治しないかと・・ずけずけと良く言うわ・・」
幻庵は黙って聞いていた。
氏康は一息おいた後
「我ら北条は駿河の今川氏親様(義元の父)の後ろ盾があったからこそ・・氏親様のおかげで早雲の爺様は伊豆、相模に我らの基盤を作ってくださった・・信玄は我らの同盟を単なる息子と娘による手形程度にしか考えていないようだが今川と北条は違う・・我らは義兄弟だ・・絶対に切れない関係だ・・わしはそう思っている。どうだろう?」
氏康は一気に話した。
幻庵も大きくうなずいた。
「信虎(信玄の父)の代から奴は関東にも野心を向けておった・・今は西上野で我慢しているが油断ならん・・信玄は父親を平気で追放する奴じゃ・・我らもいつ同じ目に会うか・・」
幻庵も厳しい口調で言った。
「しかし・・ 里見と佐竹、阿虎・・更には奴とも戦うことは絶対に出来ん・・四面楚歌じゃ・・」
幻庵は続けた。
「一つ・・ どこかを切り崩す必要があるな・・ 」
氏康は苦渋の顔で言った。
「・・信玄の奴・・尾張の織田信長とも好を通じているようでな・・」
氏康は苦々しい顔で言った。
「三河の松平元康にも声をかけておるそうじゃな・・三河の松平と尾張の織田は同盟を結んでおる・・」
幻庵も厳しい表情で続けた。
「我らが動かないのであれば・・三河の松平と組んでまでもと言うことだろう・・」
氏康も厳しい表情のままであった。
かって、信玄は信濃の隣国の美濃を密かに狙い信長とは決して友好的ではなかった。
甲斐は 北の輝虎、、南の今川、東の北条、西の織田と囲まれ、新たに領土を増やすには友好関係では無い北か西しか行く方向が残されていなかったのだが、北の輝虎の強さは信玄が重々承知することであり、西の信長も永禄9年(1566年)、信玄が息子の義信達の件や甲斐国内や関東でごたごたしている間に斉藤氏を追い出し、美濃を占領して、今川義元を桶狭間で討ち取った勢いそのままで更には北伊勢にも進撃し、中部で名を馳せていた。
信玄もそのため手強い相手と戦うより一番脆い相手に標的を換え、それが今川氏真であったのである。
しかし 武田、今川、北条の三国同盟、甲相駿三国同盟は今でもしっかり機能していた。
しかし北条と今川の深い関係と違って、武田と今川、北条の関係は子息子女の婚姻関係による保証が主体であった。
今川義元の娘、嶺松院が信玄の息子、義信に嫁ぎ、信玄の娘、黄梅院が氏康の息子、氏政に嫁ぎ、氏康の娘、早川殿が義元の息子の氏真に嫁ぐことにより、義元は北の信玄と東の氏康に憂い無く西の三河や尾張に注力出来、信玄は南の義元や東の氏康を気にせず、北の信濃や越後を伺うことが出来、氏康も西の信玄や義元に遠慮せず、関東を我が物に出来る、お互いに恩恵の多い同盟のはずであった。
予想外は義元が桶狭間で織田信長に討たれたのと、越後の輝虎が強敵で信玄の越後進出を諦めさせ、更には輝虎の関東乱入が氏康の関東制覇の夢を妨げた点である。
内陸国の甲斐の信玄は以前より海の出口を求めて越後を目指していたが輝虎に散々妨げられたあげく、海の出口を他に求めざるを得なくなった点であった。
義元の死は海の出口を求める信玄にとっては必須でもあった。
氏康も信玄には以前から密かに警戒はしていた。
特に信玄の長男の義信が永禄8年(1565年)に謀反の疑いで幽閉され、義信の後見人の飯富虎昌が切腹した件は氏康も問題視していた。
この時すでに義信は、今川から嫁いで来た妻子と離縁させられ別居させられていたと言う。
また、義信や飯富が信玄に対して翻意を出したのも、駿河への侵攻を考えていた信玄に義信が反発したためとの情報も氏康は密かに掴んでいた。
氏康はこの頃は輝虎と関東を巡って忙殺されていたがいずれ信玄とは相容れない関係になるのはある程度は予想できる段階まで入っていたのである。
甲相駿三国同盟は義元の死の時点で脆くなっていたが今回信玄が氏康に駿河の分割統治の話を持ちかけてきたことにより、甲相駿三国同盟は決定的な最終局面を迎えようとしていたのである。
「で・・信玄には何と返答を・・?」
幻庵は氏康に聞いた。
「・・三国共同で織田、松平を追い返そうぞ・・と言おうと思っておる・・」
氏康は言った。
「・・信玄が構わず駿河に入ったら・・?」
幻庵も少し緊張気味に再度氏康に尋ねた。
「・・氏真に援軍を送る・・信玄など恐れるに足らず・・!」
氏康は険しい口調で言った。
幻庵も大きくうなずいた。
「自分で言うのも何だが・・信玄が甲斐の虎だか龍だか何だが知らんが・・相模の獅子と言われるこのワシをなめてもらっては困るな・・」
氏康は険しい顔で言った。
「それでこそ氏康殿じゃ・・」
幻庵も大きく再度うなずいた。
「ところで・・何処を切り崩すかじゃが・・」
幻庵は話を変えるように言った。
「里見は無理だろう・・勢いに乗っている・・」
氏康は目をつむりながら言った。
「佐竹は・・?」
幻庵が聞いた。
「南常陸の小田氏治を盾代わりに引き込んでいるが・・佐竹へのくさびくらいにはなるか・・まぁ気変わりな連中であまりアテにはならんだろう・・北関東の地方の諸大名の小さい土地争いに巻き込まれるのも今は御免被りたい・・」
氏康は正直に言った。
「では・・最後に残ったのは北の阿虎様か・・」
幻庵が難しい顔で言った。
氏康も少し間をおいてからうなずいた。
「・・奴とは色々あったが・・奴は義理固いと風魔の報告も入っておる・・上野の信玄を押さえるためにも必要だろう・・奴の実力も侮れん・・」
氏康も険しい顔のまま言った。
「条件さえ合えばやむなしじゃろう・・」
幻庵も目を閉じながら言った。
氏康は大きく黙ってうなずいた。
「そうと決まれば・・後は小田原城の中を一つにまとめるだけか・・」
氏康は大きく溜息をついた。
氏康の悩みは氏政の反応だった。
特に氏政の妻の問題であった。氏政の妻は信玄の娘、黄梅院であった。
しかし氏政の生母は今川氏真の祖父で今川氏親の娘で今川氏との関係もおろそかに出来ないのは事実であった。
氏康は氏政の今回の里見氏との戦いでの敗北も大目に見ていたのは、氏政の戦での不甲斐なさは少し気になっていたが、氏政が弟たちをうまく取りまとめ、国をまとめる能力は高く評価していた。氏政は少しおっちょこちょいであるが、心優しい面があり、その優しさは甘さになって若干戦では仇になっていたが国内統治では良い方向で動いていた。そのため、信玄の娘を妻に持つ氏政本人は口にはあまり出さなかったが甲相駿三国同盟の破綻での妻との離縁には強い難色を示していたと言う。
二人は甲相駿三国同盟の政略結婚で結ばれたのだが仲睦まじい夫婦で、氏康もそれは承知しており孫達の悲しむ顔は見たくなかったがいざとなればそれは戦国武将としての決断であった。
北条氏と武田氏の関係に暗雲が垂れ込め始めている頃も、輝虎は相変わらず越後軍の再建に追われていた。里見親子が氏康を敗ってくれたおかげで北条軍の脅威は大分薄れたが信玄率いる武田軍は相変わらず脅威であった。
特に厩橋城の南に居座る西上野の倉賀野城の真田昌綱は厄介な存在であった。
また厩橋城だけではなく春日山城の近くまで川中島から密かに甲斐の騎馬武者が脅しに侵入してくる事件も頻発していた。
ただ理由は解らなかったが、そのような挑発行為を繰り返しながらも武田軍の本隊は相変わらず甲斐に張り付いたままであった。
輝虎には好都合であったが軒猿からも氏康と信玄の間で何かあったらしいとの噂もこの頃には輝虎にもたらされていた。
原因は氏康の里見氏遠征時に信玄が兵を出さなかった事とも、信玄が西上野に進出したことによる関東制覇を夢見る氏康と信玄の対立とも言われていたが輝虎側にははっきりした情報はまだもたらされていなかった。
ただ氏康と信玄が仲違いしても二人とは今後も相容れない関係には違いなかったので輝虎は構わず軍の再建に力を入れ続けたのである。輝虎の興味は越後を守り、隙あらば再度関東に進出し、関東管領の責務を果たすことであった。
そんなおり、永禄10年(1567年)10月、軒猿より輝虎の元にも思わぬ情報が届けられたのである。
10月に信玄の長男の武田義信が死去したのである。
義信は永禄8年(1565年)謀反の疑いがあるとして甲府東光寺に幽閉され、その責任を取らされて信玄の重臣の飯富虎昌が切腹していた。
義信の死因は信玄に幽閉させられたことによる自害とも伝えられた。
輝虎は報告を聞くと思わず深い溜息が出てしまった。
「・・自分の息子をそこまで平然と追い込めるのか・・」
輝虎は信玄の恐ろしさを改めて認識したと同時に再度若い頃に抱いていた信玄に対する 嫌悪感が湧き上がってきた。
信玄は更にはその義信の妻、嶺松院と娘までも彼女らの実家の駿河の今川家に送り返したと言う。
「・・息子の妻や可愛い孫まで送り返すとは・・まったく・・」
輝虎は嫌な気分で話を聞いていた。
「しかし妙ですな・・」
輝虎の感傷を破るように直江景綱が言った。
「同盟相手の今川の娘を送り返すとは・・大事な人質だろうに・・解せませんな・・」
景綱が顎鬚をさすりながら不思議そうな裏を読むように言った。
「・・武田と今川の間でも何かがあったのは間違いありませんな・・」
本庄実乃も続いた。
「話の最中恐縮ですが・・」
軒猿がかしこまった風に間に入ってきた。
「甲斐の透破、北条の風魔ら忍びの衆も盛んに動いているのですが・・連中は妙な事に我らには関心なしで・・」
輝虎は黙って聞いていた。
「北条の風魔は棟梁の小太郎から我らとは争うつもりが無いと言っており・・」
「甲斐の透破も高坂弾正昌信の配下かどうかとかの加藤段蔵とか言っていましたが・・越後には手を出すなと・・」
懐かしい名前が出てきた。
「まだ生きとったんか・・油断ならん奴じゃ・・」
景綱が渋い顔で言った。
輝虎は直江の顔を見て思わず少し笑ってしまったがすぐに元の表情に戻した。
「また我らと組もうとか言い出すんじゃないだろうな・・」
本庄実乃も怪訝そうに言った。
「今更一緒に北条を討とうだと?冗談だろ」
中条藤資が憮然と言った。
輝虎は高坂弾正の名前が出たとき少し心が惹かれるもの一瞬感じたが
「長野業盛を殺して西上野を奪って良く言う・・」
と冷静に切り返した。
「まさか北条も一緒に武田を挟もうとか思っているんじゃ・・」
色部勝長も不満そうに言ったが
「私を関東管領として認めるまでは無しだ・・北条も飲めないであろう・・」
輝虎は冷静に返した。
「ま、とりあえず信玄も氏康も厩橋城に来ないのは充分に解った・・」
輝虎は少し安堵の表情を浮かべて言った。
「信玄と氏康の間で何かあって両者が争ってくれれば好都合には違いないですな・・」
景綱は冷静に言った。
「ならばこの隙に倉賀野城を奪い返しましょう・・!」
喜平次が珍しく気色ばんだが
「もう少し待とう・・信玄と氏康が仲違いして軍を消耗してからでも遅くはない・・機会を待つのも大事だ・・」
輝虎がたしなめるように言った。
「ところで・・駿河の今川氏真殿からさっきの件にからんで甲斐への塩止めの協力依頼が来ていますが・・」
本庄実乃が言った。
「・・義元殿には川中島の件で世話になったが・・」
義元はかって第3次川中島で信玄と輝虎の停戦交渉にあたったことがある。
輝虎もどうしょうかと一瞬思ったが
「蔵田五郎左衛門ら府内の商人が塩止めに反対しているようで・・」
斉藤朝信が言った。
朝信は武人としても輝虎に信頼されていたが実は政務の方が得意で春日山城下の府内の統治は彼のお手の物である。
「越後は商人の国・・彼らには背を向けられない。が・・約束を平然と反故にする信玄に対する氏真殿の怒りも最も・・別離させられた氏真殿の妹君や姫君の気持ちも解らなくも無い・・」
輝虎が続けた。
「それに関して蔵田五郎左衛門からお話したいとのことで・・」
朝信が一言言うと
「わかった・・話を聞く・・」
五郎左衛門が輝虎の前に通されて肥えた体を丸めながら久々に輝虎の前に姿を現した。
「お久しぶりでございます・・阿虎様の越後のため商いに精を出しておりまする・・」
五郎左衛門は大分髪が白くなっていたが丸々と肥えたままで、眼鏡の奥は鋭いままであった。
「ご苦労・・いつも世話になる・・楽にどうぞ・・」
輝虎も以前のようににこりと笑って返した。
「駿河からの塩止めの依頼の件ですが・・大事な同盟をたやすく破る氏真様の信玄に対する怒り・・ごもっともでございます・・」
五郎左衛門は流麗に話し始めた。
輝虎はうなずきながら黙って聞いていた。
「・・駿河と越後・・もしかしたら相模の商人と一緒に組んで悪どい信玄に対して塩止めをすれば効果は大きいでしょう・・しかし信玄の奴・・織田と手を結ぼうとしています・・塩は結局尾張から入るでしょう・・」
「・・うん・・」
輝虎もうなずいた。
「阿虎様と友好関係にもある尾張の商人が潤うのは決して悪くはございません・・しかし・・ワシら越後の商人は阿虎様のため・・越後のために商いをすることに喜びと誇りを持っております・・関東管領の夢はまだ終わっておりません・・夢の為にも元手は大事・・今回の件・・今までのお付き合いもあり、我ら越後の商人との良き関係、良き計らいを是非ともお願いいたしまする・・」
五郎左衛門は深々と頭を下げた。
輝虎と五郎左衛門との付き合いは輝虎が越後の領主になった頃からの付き合いで長い。五郎左衛門も形の上ではただ商人であったが輝虎の御用商人として都や府内で越後国内の政務に関わり、また堺や都でも越後の商人を束ね、越後の豪商としてとして輝虎の大資金源の「青芋」や衣類、日本海開運から運ばれてくる様々な物資を扱い、威勢を奮っていた。朝廷や中央政権とも越後京都留守役の神余親綱とともに関わることも最近は多くなっており輝虎の信頼も厚かった。
彼の意向は彼のためにも越後のためにも輝虎も無視は出来なかった。
輝虎は少し黙った後
「信玄の行為は許せた物ではない・・しかし・・氏真殿の気持ちもよくわかる・・しかし信玄に不満あれば氏真殿は信玄と戦って決めるべきことである。
今回の塩止めで苦しい思いをするのは信玄でも誰でもなく甲斐の領民である・・。
よって・・塩止めなど無意味であろう・・参加するつもりはない・・今まで通り自由に商いをすれば宜しい・・」
輝虎は正直に言った。
「ありがたきお言葉・・ワシらは引き続き阿虎様・・越後のために精を出せます・・」
五郎左衛門は嬉しそうに言った。
「・・信玄と氏康が争えば必要な物資はたくさん必要・・それを我等が手配すれば武田や北条は疲弊し我等越後が潤います・・」
五郎左衛門の傍にいた若者が突然声を出した。
「これこれ・・阿虎様やご家老様の前で・・全く・・」
発言したのは五郎左衛門の息子の2代目の若者であった。
「せがれが しゃしゃり出てお恥ずかしい限り・・」
五郎左衛門が少し顔を赤らめたが
「いやいや・・親子2代でこれからも頼みます・・」
輝虎が気にしないよう言った。
「ところで都からの風邪の噂だと・・信玄の四男の勝頼殿に信長公の親族の者が嫁いでいるようで・・」
景綱が意外そうな顔で言った。
勝頼は信玄の四男である。実は輝虎や越後衆も勝頼の事はあまり良く知らなかった。
「勝頼殿は信玄が滅ぼした諏訪頼重の娘が生んだ子と聞くが・・」
本庄実乃も続いた。
「信玄らしい・・全く・・」
少し輝虎が侮蔑気味に入った。
「でも、なかなか勇猛な武将のようですぞ・・」
色部勝長が言った。
「・・それにしても武田の中でも色々あって大変じゃな・・」
中条藤資も呆れ気味に言った。
事実で、勝頼の名前には武田家当主に付く信の字は含まれていない。
勝頼の難しい立場の現れである。
「しかし・・信長公も信長公だな・・」
輝虎は少し笑いながら言った。
「自分の娘ではなく・・養女を送るとは・・」
信長と信玄の同盟など興味が無いような素振りで言った。
「信玄との関係は長続きせん・・と 読んでるんでしょうな・・信長公も」
本庄実乃も普段通り冷静に言った。
「油断ならん奴じゃな・・信長公も」
景綱も少し苦笑いしながら言った。
「まだまだ・・この先色々 ありそうだな・・」
輝虎も少し様子見と言わんばかりに笑いながら言った。
しかし輝虎も越後衆も自分達が信濃や関東、信玄や氏康に気を取られている間、中央の動きが予想以上に激しくなりつつあることは薄々感じつつあった。
しかし追い風が吹き始めているようにも若干感じていた。
このように輝虎にとって自分の状況は徐々に良い風に行っているように思われたが最後にまた輝虎にとって、また予想外の展開が起こるのである。