表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
越後の虎  作者: 立道智之
55/77

茶番

春日山城に戻って来た輝虎であったが川中島での感傷や昔の思い出に浸る間もなく直ぐに現実に引き戻された。

関東では輝虎の留守を見計らったかのように北条氏康が積極的に動き出し、その圧力に屈した佐野昌綱がまたもや反旗を翻したのである。

春日山城にも直ぐにその報は届けられた。


「またか!」

中条藤資が呆れ気味に声をあげた。

「予想通りだろうって・・」

本庄繁長は表情変えずに言った。

「今回は捕らえたら厳罰に処しますか?」

本庄実乃が輝虎が何と答えるか判っていたが一応聞いてきた。

輝虎は実乃の予想通り首を横に振った。

「奴のことだ・・阿虎様が関東に出てきたらすぐにまた手の平を返して擦り寄って来るって!」

北条高広が侮蔑気味に声を荒げながら言った。

高広に合わせるように輝虎もうなずいた。

「・・しかし我々が関東で動けばまた信玄が信濃方面でちょっかいを出してくるんじゃないですかな?」

長尾藤景が不満気に言った。

輝虎は無言でしばらく間をおいた後またうなずいた。

「これではらちが明きませんな・・」

本庄繁長も不満そうに言った。

「佐野を攻めるのなら今回は奴を斬り捨てよう。そして越後衆の誰かに唐沢山城を直接治めさせれば関東の睨みにもなり、氏康や関東の日和見の連中も大人しくなると思うんじゃが?どうじゃ?」

高広が大声を上げてきた。

「確かに唐沢山城を押さえれば岩槻城の太田資正殿や関宿城の簗田晴助殿への援護にもなる。我々と友好的な常陸の佐竹義昭殿や安房の里見実堯殿とも連携が取り易いので氏康対策に都合が良いですな・・西上野の信玄も抑えやすくなりますな・・」

直江景綱も同意した。

「関東は広い・・上野、武蔵だけでも少し手に入れば恩の字だな・・」

藤景が独り言のように言った。

繁長や高広もうんうんと大きく首を縦に振ってうなずいていた。

暗に恩賞の土地の事を言っていたのだが輝虎は聞いてか聞かずか黙っていた。


佐野昌綱の唐沢山城は関東の中央にあり交通の要所で戦略的にも今後の戦局を左右する重要拠点であった。唐沢山城は関東の中央辺りにあり東西南北に移動がしやすく見晴らしも良い地形的にも恵まれた山城であった。

特に南関東、西上野へ移動が楽なのは氏康、信玄への大きな牽制になった。

輝虎もそれは充分に理解しているつもりであった。

「しかし 今度は春日山城の守りが薄くならないか・・」

輝虎が逆に聞いてきた。

「春日山城に連中が来たら西上野から川中島にこの大熊が押し入りましょう!」

普段は無口な柿崎景家が太い声で言った。

「唐沢山城を押さえれば厩橋城との連携で西上野を狙う信玄に対する牽制にもなるか・・」

輝虎は独り言のように言った。


輝虎は大きくうなずいた後

「唐沢山城攻略を!関東へ!」

直ぐに出陣命令を出した。

越後軍は川中島から戻ったばかりであったが直ぐに春日山城を出陣して、三国峠が雪に埋もれる前に素早く越えて、厩橋城で小休憩したあと、そのままの勢いで佐野昌綱の唐沢山城に押しかけたのである。


唐沢山城に向かう越後の諸将はみな心なしか上機嫌に見えた。

「・・オイ なんか今日はお偉いさんみんな珍しく機嫌が良いな・・」

戸倉与八郎が弥太郎に声をかけた。

関東と越後の往復に辟易の声が最近は多く聞かれ不満を露にする者も見受けられたが今日はみな本当に機嫌がよかった。

「佐野の領土をどうするかでみな心躍ってるんじゃろうよ・・」

弥太郎があくびをしながら興味なさげに答えた。

「佐野殿はどうするんじゃ・・」

与八郎は少し予想はついたが一応聞いてみた。

「南無阿弥陀仏~」

弥太郎はおどけて答えた。

「北条は動いておらんのか?」

秋山源蔵が警戒しながら言った。

「今回は動いていないらしい・・」

弥太郎は無関心に言った。

「北条が動かないとはな・・諦めたかな?」

与八郎がおどけて言った。

「まさか・・何か企んでるんだろうよ・・」

弥太郎が相変わらず興味なさそうに答えた。

「そうじゃろうか・・」

源蔵と与八郎は顔を見合わせた。

「まぁ 三国峠越えも飽きてきたから唐沢山城を拠点に関東をぼ~っと見下ろすのも悪くは無かろうよ・・俺もいい年だし・・」

弥太郎が相変わらずやる気がなさそうに肩をとんとんと叩きながら答えた。

「・・まぁ・・確かにたまには一息つきたいわな・・」

源蔵 与八郎 弥太郎は珍しく話が噛み合った。


唐沢山城に越後軍が近づくと予想通り昌綱の使者が輝虎の元にやってきた。

昌綱の重臣、山上道牛であった。

道牛は影武者の輝虎 千坂景親の前に出ると

「この度は・・ご機嫌麗しゅうようで何よりでございます・・」

形式ばった挨拶をしてきた。

そしてみなの予想通りの返答をしてきたのである。

「・・我が主君昌綱は輝虎様に忠節を誓う次第であります・・」

輝虎は黙って聞いていた。


なお以前からの昌綱対策ではあるが輝虎の影武者役だった千坂が相変わらず輝虎として対応していた。その方が威厳があり、また食わせ者の昌綱対策もあって家臣も同意していた。

もちろん千坂が輝虎の時は本物の輝虎は伊勢姫である。

もちろん真相はおそらく見破られていたがそれは承知であった。

茶番好きには茶番で合わせるのである。


「ところで・・」

輝虎役の千坂が威厳たっぷりに言った。

「・・仏の顔は何度までじゃったかな・・山上殿よ・」

千坂が聞いてきた。

道牛は影武者千坂の質問に答えられなかった。

「・・仏の顔も三度までだったように記憶しているが・・違ったか・・」

千坂が睨みを効かせながら言った。

「・・仏は慈悲深いので何度もお許し頂けるかと・・私は毎日念仏を欠かさず唱えております・・」

道牛も返してきた。

「毘沙門天はそんなに甘くはないぞ・・今回三度目の翻意は許されるものではない・・唐沢山城の城代はこちらで今後は決める・・命が惜しかったら城を退去せよ・・戦って犬死にするのであれば篭っても構わんが・・」

千坂は遠まわしにではなく率直に結論から言った。

道牛は額を地べたにこすりつけんばかりに付けると

「・・お怒りのご心情、ごもっとも・・しかし我らのような雀のような小大名が生き残るための術の末の動きなのはご理解頂きたく・・心底は輝虎様に忠節を誓っております・・」

必死にしかしおそらく本音の弁解をし

「もう一度・・もう一度だけ機会をくださいませ・・」

ひたすら必死に侘びを入れていた。

輝虎も千坂も黙って聞いていたが

「それならば・・ 昌綱殿本人に一度来てもらおうか・・」

千坂が弁解だけでも聞こうと言った。

「ありがたきお言葉!明日 殿と早速参りまする!」

山上は礼を言うと大急ぎで唐沢山城に引き上げて行った。


山上が帰って行った後、本庄繁長、長尾藤景が輝虎の元にやってきた。

「明日 奴がもし来たら・・斬りましょう・・」

輝虎は黙って聞いていたが首を縦に振れなかった。

「・・まぁ 昌綱もそこまで阿呆とは思えんがな・・」

中条藤資が二人を遮るように言った。

さすがに佐野も空気を読んで観念、どこかへ立ち去るであろうと思ったのである。


しかし翌日、予想に反して昌綱本人が輝虎の陣中に本当に愚直にやってきたのである。

しかも切腹用の白い着物までを着ていた。

「・・覚悟が出来ておるとは潔い・・」

と北条らは素直に関心していたが

「・・ちょっと待て・・あの 取り巻きはなんじゃ・・」

斉藤朝信が直ぐに昌綱一行の異変に気が付いた。

取り巻きの子供や女中もみな同じ白い着物を着ていたのである。

「また 何か企んでおるな・・」

藤資が苦い顔で言った。

「やれやれ・・また一本食わされそうじゃな・・」

色部勝長も結果を読んだように言った。


昌綱の取り巻きは妻たちやその子供たちであった。

輝虎の本陣に入った昌綱は到着次第開口一番

「関東管領様のお怒り察しまして本日一族郎党連れてお詫びに参りました・・」

情けを請うような言い草の声をあげた。

「なかなか潔いな・・しかしその格好はなんじゃ・・」

影武者千坂が厳しい口調で言った。

「はい、私共の覚悟を示したまでのこと・・城を捨てるくらいなら城と共に運命を共にいたします・・」

昌綱は悲壮感を漂わせながら言った。

伊勢姫の輝虎は黙ってしまった。

「・・で・・どうする?」

千坂は表情を変えずに続けた。

「はい、私が今から子供達と妻を順番に斬り捨てて行きます。そして最後に私を介錯して頂ければと思います。唐沢山城を去るくらいなら唐沢山城を拝みながらこの世を去った方が我が一族のためかと・・関東管領様と伊勢姫様には我ら佐野一族の侘びと最期をしかと見とどけて頂ければと・・」

千坂は表情を変えずに聞いていた。

そして

「昌綱殿の心意気・・しかと分かった・・」

と言ったあと遠慮なく続けた。

「しかし・・誰がそなたを介錯するんじゃ・・?ワシらはそこまで要求していないぞ・・そんなつもりもない・・」

千坂は殺すつもりは無いのでさっさと出て行けと言いたかったのであったが

しばらく間をおいた後

「いえ・・佐野家の命の恩人の伊勢姫様に介錯して頂ければ至極幸いです・・」

と昌綱が突然輝虎を介錯人に指名してきたのである。

伊勢姫役の輝虎は素顔でぎょっとした驚いた表情を出した後ぷぃっと他の方向を向いて昌綱に目を合わせず聞いていない振りをした。

「伊勢姫に介錯しろなど無茶を言うな・・」

千坂も少し呆れ気味に言った。

「だいたいそなた・・太刀が無いではないか・・」

中条藤資が横槍を入れた。

昌綱は今日は輝虎に会うので帯刀を許されていなかったのである。

「あ! そ・・そうですが・・」

昌綱は苦しい返事をした後

「伊勢姫様の天下に名高い名刀、姫鶴一文字をお借りできれば・・」

と何となんとなく苦し紛れに答えた。

「今日は残念ながら小豆長光だが・・」

伊勢姫は素で答えた。

「・・! あ、小豆長光でも良いです!」

昌綱も直ぐに適当につなぐように返した。

「・・断る・・」

輝虎は素で嫌そうな顔で答えた。

「だいたい私はなで斬りなど興味ないしそんな刀の使い方は間違っている・・そんな命令を出したこともない・・」

伊勢姫役の輝虎は不服そうに言った。

「あ・・!いや・・!我らの気持ちを現すために・・その・・お詫びの気持ちでございます・・!」

昌綱も少し慌てながら答えた。

「そんな気持ちなど要らない・・」

伊勢姫は率直に答えた。

「そ・・そんなことおっしゃらずに・・」

昌綱はしどろもどろになったが

「奥方やご子息を巻き込むなど感心しない・・」

輝虎は遠慮なく言った。

「そ・・そうかもしれませんが・・それが関東武士の心意気!・・で・・あります・・」

昌綱も弁解したが

「でも昌綱殿は氏康が来たら直ぐに態度が変わるではないか・・不満だ・・」

伊勢姫は容赦がなかった。真剣に厳しく昌綱を咎めていた。

「だ・・だから 我々が命をかけてお詫びに・・その・・」

昌綱は苦し紛れに続けた。


「昌綱殿・・もう良いわ・・」

輝虎役の千坂も呆れ気味に言った。

昌綱のあまりの茶番と言うか猿芝居に呆れ果てていたのである。

藤景や藤資ら越後の重臣も白けていた。

輝虎同様、千坂達も北条が来ただけで直ぐに態度を変える昌綱が本気でそのような事を行うとは思えなかったからである。

しかし小さな心配もしていた。

千坂や他の越後衆が心配していたのはこのような猿芝居に引っかかってしまう人間が一人越後側に居ることであった。

千坂は輝虎をちらりと横目で見た。

千坂の不安は的中した。輝虎は生真面目な顔で昌綱の話を聞いていたのである。

(・・参ったな・・)

千坂は思わず小声を漏らしてしまった。

そしてしばらく黙った後

「わかった・・しかし唐沢山城の城主は昨日言った通りこちらで新たに決める。そなたらをそれ以上こちらで罰するつもりはない。ただし城は出て行ってもらう。どこかに行くのか腹を切るのかは知らんが勝手にしろ・・ただし腹を切るなら陣中を汚してもらっては困る。他で勝手にやれ」

千坂が昌綱を突き放すように返したが

「お待ちください!」

一人の幼子が大声を上げた。

わらわも武士の子!ここでお城を拝みながらてるとら様の前でおなかを切らせてください!」

まだ6歳にも満たない童であった。

「関東管領様、私からもお願いします。唐沢山城のおかげでここまで生き残ってきました。ここでお別れであればお城を拝みながら関東管領様にしかと見届けていただきながら死なせてください」

昌綱の奥方までもが言ってきた。

突然場が再び騒がしくなりつつあった。

そして奥方は騒ぎの中突然 自害用の脇差を抜いたのである。

「・・これ!関東管領様の前で脇差を抜くな!」

昌綱が奥方を止めた。奥方は慌てて脇差を鞘に戻した。

「お願いします!ここで関東管領様に見届けられながら死なせてくださいませ。・・あと介錯もお願いいたしまする!」

昌綱が再度急に悲壮感の漂う声を上げた。

ある一人を除いてみんな越後衆は白け切っていた。

あまりの茶番と芝居上手にである。

「・・ここでは許さぬ・・やるなら他でやれ・・!」

千坂が断ると今度は

「関東管領様。ここに毒薬があります。これであればここを汚しません。これを飲まして頂きます。」

先ほどの昌綱の奥方が懐から何か小瓶を取り出した。

「では 私から失礼いたします。御免・・」

奥方が小瓶を開けて飲もうとしたが

「・・待て!ここでは許さぬ!」

千坂が直ぐに止めさせた。

「関東管領様!我らの最期をしかと見届けてくださいませ!」

昌綱が再度声をあげた。

「他でやれ!何度も言わすな!」

さすがの千坂も少し苛立ち始めていた。

他の越後衆も白け切っていた。


「わかった・・もうよい・・」

この騒ぎを断ち切るかのように静かな落ち着いた口調が発せられた。

みないっせいに伊勢姫に注目した。


そして

「・・佐野家の気持ち しかと解った・・」

と言うと

「・・今まで通りで良い・・」

と突然方針を輝虎は変えてしまったのである。


「なんと・・!」

今度は越後衆が驚きの声を思わず漏らしてしまった。

「まことでございますか!ありがたき幸せ!」

昌綱は逆にさっきまでの悲しげな声とはうって変わって大声を上げて素直に喜んだ。

「伊勢姫様!ありがとうございます!」

奥方たちもいっせいに喜びの声をあげた。

「うっ・・うっ・・」

さっきの童などは本意かどうかはわからなかったが嬉し泣きをしていた。


この騒動を見ていた越後衆は

「いやはや・・ よく仕込んでおるわ・・」

色部勝長などは妙な関心をしていたがその様な反応は少数派で

「三途の川も阿虎様次第かい!まいったな!」

高広も小声で怒りながら呆れ気味に吐き捨て

「下らん猿芝居にひっかかるとは・・」

藤景も呆れ果てていた。


しかし佐野一族の喜びを遮る様に

「ところで昌綱殿よ・・」

輝虎役の千坂が昌綱に声をかけた。

「次はこのような軽はずみな行為は許さんぞ・・」

厳しい口調で昌綱に言った。

「ハイ!もちろんでございます!」

昌綱は軽い口調で嬉しげに言った。

「では・・保証人を何人か連れて帰るか・・」

千坂は人質を取ると言い出したのである。

「え・・!」

昌綱も少し言葉をにごらせてしまった。

しかし

「私が輝虎様と越後に下ります。越後から佐野家と唐沢山城の関東管領様の忠節を見届けて参りまする・・これも何かのご縁!」

別の若い姫君が堂々と返したのである。

「私たちも輝虎様にお供いたします!」

彼女の女中も素早く返してきた。

伊勢姫役の輝虎は彼女たちに感心したのか思わず軽く笑顔が出てしまった。

逆に千坂や越後衆は相変わらず厳しい顔のまま様子を見ていた。

昌綱はなぜか大人しくなっていた。

しかし


「・・待て・・」

突然本庄繁長が割って入って来た。

繁長は武勇の男である。若手だが武者として威厳や迫力があった。

繁長の一言で佐野一族は急に緊張から静かになってしまった。

「男手の方が役に立つ・・さっきの童が気に入ったな・・」

とさっきの童を指名したのである。

千坂も軽くうなずいた。

伊勢姫の輝虎は少し予想外できょとんとしていた。

「小僧・・」

繁長は童に言った。

「名前は?」

「・・・エ・・えと・・」

童は辺りを一瞬見た。違う女中をちらりと見たのである。

佐野一族に明らかに緊張が走っていた。

虎房丸とらふさまるでございます!私がこの子の母です!」

童の傍の先ほどの奥方が慌てて入ってきた。

しかし子供は正直である。

童は思わず驚きの表情を出してしまっていた。

繁長の鋭い視線が奥方に刺さっていた。

うそを見破った時の目である。

奥方も必死の顔であった。

「奥方・・少しお静かにして頂きたく・・」

繁長が冷徹に言った。奥方も繁長の迫力に黙るしかなかった。

「小僧・・名前は・・?」

繁長が再度童に聞いた。

「え・・エト・・と・・とらふじまるです!」

童も必死に答えた。

しかし子供はやはり正直であった。

「・・本名を知りたいものだな・・奥方様・・とらふさ・・いや、とらふじまる様・・昌綱殿・・」

繁長が問い詰めるように言った。

「お侍様・・この子は虎房丸と申します・・虎房丸と・・」

奥方が声を振り絞るように下を向きながら言った。

「う・・うっ・・う・・」

怖くなってきたのか先ほどの童が本当に泣き始めてしまった。

昌綱の顔は明らかに青ざめていた。


「もう・・良い・・」

本物の輝虎の伊勢姫が再度挟んできた。

「・・大事な人質が本物かどうかは 調べる必要がありますな・・!」

繁長が厳しい口調で輝虎に返した。

「佐野の殿様の前で至極無礼承知で言わせてもらうが・・偽者を掴まされて心変わりされたらたまらんからな!」

北条高広も入ってきた。

しかし

「本物かどうかは構わぬ・・お家の為のその気持ち・・買おうではないか・・」

輝虎が落ち着いた口調で言った。

「・・しかし・・!」

繁長が不満を言おうとしたが

「ところで・・虎房丸・・?」

輝虎が繁長を遮るように優しげに童に声をかけた。

「越後に世話をしてくれる女中さんと一緒に帰ろうか・・?」

輝虎は言った。

童は涙を拭きながらうなずいた。

すると先ほど童が向いた方から

「・・恐れ入りますが・・私もお供をさせてください・・」

別の女中が越後行きに名乗りを上げたのである。

心なしかこの童と雰囲気が似ており童も一瞬笑顔を見せたように見えた。

童の傍の奥方も何かほっと安心したように見えた。

「・・昌綱殿・・」

輝虎は昌綱に声をかけた。

「・・この者達を昌綱殿の忠節の形見として越後に連れて帰りますが宜しいですね?」

伊勢姫役の輝虎が昌綱に聞いた。

「は・・はっ!異聞ありませぬ!」

昌綱も再度嬉しそうに了承した。


「お待ちを!」

突然長尾藤景が声をあげた。

「このような時に物言いはしたくないが、阿虎様、ご再考を!千坂殿ではないが仏の顔も三度までですぞ!」

藤景も厳しい態度で臨むように言ったのでる。

「そうですな・・確かに・・昌綱殿の茶番は何度も見たくありませんな・・」

本庄実乃も同意した。

越後諸将の間で意見の違いからくる緊張が走りつつあった。

しかし

「そうか?ワシは楽しませてもらったぞ。ならワシがここで昌綱殿の相手をしてようか?」

色部勝長が場を読んで入ってきたのである。

そして自ら唐沢山城への駐屯を申し出てきたのである。

「ありがたき幸せ!越後の猛将に居て頂けるとは!」

昌綱も直ぐに同意した。

「色部が居てくれれば心強い・・頼む・・」

輝虎もこれに同意した。

この予想外の展開にさすがの繁長、藤景、高広たちも振り上げた拳を下すしかなかったのである。


こうして昌綱は虎房丸を人質として差し出すことと色部勝長に唐沢山城に駐屯させることで今回は許されたのである。


「・・それにしても女子供の涙にひっかかるとは・・」

繁長も陣の外に出ると溜まっていた何かを吐き捨てるように言った。

「・・とにかく甘い・・甘いわ・・全く・・」

藤景も不満を露にしていた。

「茶番を見てるだけならまだしも このままじゃぁこっちが茶番を演じるかもしれんぞ・・」

高広も溜息交じりで言った。

一部の越後衆は目論見が外れて拍子抜けし同時に再度不満が鬱積されていったのである。


輝虎は唐沢山城を攻略後、一旦越後に戻っていたが初冬の11月に突然岩槻城の太田資正が春日山城まで遠路はるばるやってきたのである。


資正はひどく肩を落としていた。

居城の岩槻城がなんと北条方に奪われるという事態が起きたのである。

しかも奪ったのは意外にも資正の長男の氏資であった。

氏資はいつの間にか氏康とよしみを通じ、資正が宇都宮に所要で外出していたわずかな隙を狙って岩槻城を奪い取ったのだと言う。

氏康は難なく岩槻城を手に入れ、資正は輝虎を頼りに越後に下ってきたのである。

「息子に騙されて追い出されるとは・・情け無い・・」

資正は越後方はもちろん北条方でも名将と名高い男であったがさすがに今回は息子に裏切られ居城を奪われたことは堪えたらしくひどく落ち込んでいた。

「資正殿・・雪が溶けたら岩槻城の奪取に関東に一緒に行きましょう・・それまでは越後でゆっくりされてください・・」

輝虎は資正を慰めた。

「ありがたきお言葉・・しかし息子をこんな親不孝に育ててしまったとは我ながら情け無い・・捕らえた折には首を刎ねて輝虎様の前で親不孝者の顔を拝ませましょう・・」

資正は少しぐずりながら言った。

「お気持ちは察しますが・・親子の縁は大事に・・御冷静に・・」

輝虎がとがめた

「いや・・戦国の世の掟・・親子でも敵は敵 心を鬼にせねばならぬときもありましょう・・」

資正が自分に言い聞かせるように言った。

「しかし 武田親子の茶番をまさかワシが演じる羽目になるとは・・情け無い・・」

資正は溜息をつくと差し出された熱燗を一気に飲んで鼻をすすった。

輝虎は太田資正を見ながら信玄が若い頃実の父親を追い出し国を奪ったと言う話を思い出していた。

実の親子でもこのような関係になってしまうものだろうか色々考えてみたが実子のいない自分にはわからないような気もした。


この年も色々あったがその次の年は更なる様々な出来事が輝虎に立ち塞がるのである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ