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越後の虎  作者: 立道智之
53/77

御禁制

永禄七年(1564年)7月、輝虎は久々に春日山城に戻っていた。

そんな中、輝虎の元に奉行の上野家成から妙な報告が入った。

長尾政景と宇佐美定満が政景の居城の坂戸城近くの野尻池で舟遊びをするというのである。

輝虎も内心少し驚いた。宇佐美と政景は家臣、領土、自分の件を含めて色々問題があり決して良好な仲と言える関係ではなかったからである。

上野家成が直接輝虎に報告したのも、以前上野と下平吉長との領土争いの時、話が大きくこじれて下平には上杉を出奔した大熊朝秀や政景が付き、上野には本庄実乃や宇佐美が付いて大論争をしたが、これに輝虎が愛想を尽かして家出する大騒動を起こしていたので上野自ら心配になって輝虎に報告したのであった。


ただ政景と宇佐美は最近、特に川中島以降はお互いに正面切って争うようなことはなく、二人の関係は以前ほど刺々しい物ではなく落ち着いた関係のように見えたのも事実であった。


宇佐美は輝虎の越後統一の頃から仕え、年の功らしく様々な助言を常に輝虎に与えてくれ、また政景も一時は反旗を翻したがその後は姉の夫という立場もあり、輝虎が家出をしたときの収束作業や越後軍内でも常に次位の軍役の負担を律儀にこなしてくれていた。

輝虎も二人を頼りにしていたのでそのような事実は半分忘れていたのである。


むしろ宇佐美と政景に何か会って話をする共通点があるとしたら二人とも最近長男が早世してしまったことであった。

特に宇佐美は長男の定勝が晩年の子であったため、ひどく落ち込み隠居願いを輝虎に申し出たほどであった。政景も表向きはあまり表情に出さなかったが長男の義景が病死したことについては輝虎も母虎御前から姉の仙桃院と政景夫婦がひどく落ち込んでいるとの手紙を密かにもらっていた。

輝虎も甥っ子である義景が病死したことについては気に留めていたが政景の家臣団内の微妙な立場も相まって表立って動けなかったのである。


輝虎はしばらく考えた後、上野には何も心配することはないと伝え、また二人に湖上の船上でゆっくり酒でも飲んでくつろぐようにと酒を持って行かせることにしたのである。


輝虎が今最も気になっていたのはまたもや武田信玄であった。輝虎が唐沢山城を落とすのを見計らうように再度軍を西上野から侵入させて倉賀野城や金山城を包囲しては切り上げるなど盛んに牽制行為を行っていた。また再度川中島に信玄が軍を動かそうとしているとの情報が軒猿から入っており、本音ではそれどころではなかったのである。


しかしそのまま何事もなく終わるであろうはずの単なる舟遊びが予想外の騒動を起こすのである。


翌日早々から春日山に早馬が飛んで来た。

どうも二人の乗った小船が転覆したらしいという驚くべき情報が入ってきたのである。


そしてしらばくして別の早馬が再度飛び込んできて、二人とも溺死したと言う驚くべき内容を報告してきたのであった。

春日山城内は重い雰囲気に包まれていた。

越後の重鎮二人が原因はわからないが転覆事故で急死したためである。

しかも当事者二人や乗船していた関係者が死亡したため、原因等詳細も一切不明であった。

情報は錯綜し政景の肩には傷があったとの報告までもあり輝虎は対応に苦慮していた。

春日山の城下でもこの噂で持ち切りで様々な憶測が流れ出していた。

単なる事故説や、宇佐美の独断による上田長尾への捨て身の牽制、政景の宇佐見への長年の恨みによる手討ちが相打ちになってしまった、挙句の果てには輝虎が宇佐美を使って仕組んだなど様々な噂が流れははじめていた。


春日山城内でも動揺が収まらず様々な噂が流れていたがその頃輝が最も恐れていた情報が飛び込んできた。

政景の居城の坂戸城は大騒ぎで上田衆が続々と城に集まり宇佐美の琵琶島城に攻め込まんとばかりの勢いとのことであった。また宇佐美の居城の琵琶島城も動員できるだけの兵を集め他の城に救援の依頼を出しているとのことであった。

琵琶島城からの救援要請を受けてか栃尾城の本庄実乃も兵を動かし、また栖吉の上杉景信も兵を動員しているとの情報が輝虎の元に寄せられてきたのである。揚北衆も混乱しているとの情報が入ってきていた。

輝虎の最も恐れた内乱の兆しである。しかも以前からの因縁の対決で一度火が着いたら収集が着かないのは間違いなかった。


まず輝虎は各諸将に冷静に判断するよう文章で達しを出し、個人的な軍事行動は厳しく禁ずるとの達しを出した。

しかし輝虎は越後の領主であっても越後国内の領主達の緩やかな連合体の頂点に立つに過ぎず彼らを強制的に止められるような単独の戦力を持ち合わせているわけではなかった。


特に上田長尾は若き輝虎が越後の守護になったばかりの頃から常に反輝虎の先鋒であった。しかし反輝虎の態度はその実力に裏打ちされたもので事実若き日の輝虎が越後の守護になって上田長尾を屈服させて越後を統一するのに7年の月日がかかっている。

また上田長尾の動員兵力は越後軍の主力と言っても他言ではなく越後軍の軍役の常に上位を負担していたのは上田長尾であった。


しかもその軍事的な実力以外にも輝虎の姉の夫と言う他の家臣達とは違う親族としての大きな地位を持っていた。

これが他の家臣たちの反感を買い、また政景の他の家臣たちに対する不満にもなっていた。

以前にも述べたが上田長尾が栖吉長尾と違って上杉を名乗れなかったのはそのような複雑な背景からである。

政景の実力と微妙な立場が事態を複雑にしていたのである。

輝虎が政景の長男義景が病死したときの親族らしからぬ態度も輝虎がそれを気にしていたからである。



そんな緊張状態が続く中、坂戸城を上田長尾の一部の部隊が出発し西に向かっていると言う情報が入ってきた。

同じような時期に琵琶島城からも輝虎に救援の依頼が入って来た。

輝虎や留守役でたまたま春日山城に居た直江景綱は上田長尾の部隊がまさか琵琶島城に向かっているのかと緊張したが上田長尾から連絡が入り春日山城に仙桃院と次男の喜平次が今回の件で向かっているだけで琵琶島城には向かっていないとの連絡が来た。

兵力を連れて行きているのはあくまでも護衛のためであるとのことであった。

部隊は上田長尾家老、栗林雅頼が率いていた。

春日山城に到着次第早速3人は景虎の前に通された。

夏にしては天気は曇りで涼しげな日であったが遠くで雷が時々なる不気味な天気の日であった。

輝虎は久しぶりに姉と甥っ子に会った。


喜平次は既に10歳になっていた。


「・・大きくなったね・・喜平次・・」

輝虎はにこりと笑うと優しく声をかけた。

「・・・」

しかし喜平次は以前会ったときのような無垢な笑顔は今回は全く見せず下を向いて険しい表情をしていた。

「今回の件は非常に残念です・・姉上と喜平次の・・心中察し余ります・・」

輝虎は姉たちを労った。

「お気遣いありがとうございます・・」

仙桃院達は深々とお礼をした。

輝虎はなんか姉の態度が他人事のように感じて少し怖かった。

しかし次に喜平次の放った言葉に輝虎は衝撃を覚えたのであった。

「くやしいです・・父のあだは、かならずや・・はらします!」

喜平次は10歳の子供の口調ではあったが内容は年相応とは思えない言葉で、またその態度も今まで輝虎が見たことが無い険しい雰囲気と視線で輝虎を睨みつけたていたのであった。

遠くで届く雷鳴が余計にその子供離れした雰囲気に輪をかけていた。

輝虎は自分が疑われている様な気がして思わず少し悲しい顔になってしまった。


「今回はただの事故だ・・ 喜平次・・仇討ちなど必要はない・・」

金津新兵衛が諭すように言った。


新兵衛を遮るように上田家老の栗林が冷静に威厳のある口調で言った。

「・・上田長尾は確かに以前は敵対し宇佐美殿 いや輝虎様の譜代の衆とは色々ありましたが・・今まで忠節を尽くしてきたつもりでございました・・しかしまだまだ不足で譜代の衆がそれを不満に思われているのであれば、今回の件でその忠節の穴埋めが出来るのであれば政景公は謀反人として宇佐美殿に討たれたこと喜んで受け入れるでしょう・・」


「何を言うか・・」

輝虎は栗林の思わぬ予想外の、しかし猜疑的で含みのある返答に声を詰まらせてしまった。

「越後の安定のため上田の領土は返上します・・憂いなく関東管領の夢のために集中してください・・」

仙桃院の予想外の言葉に輝虎は声を失った。

「・・そのような重大な取り決めをあせらずに決めることは無い・・上田の代々の大事な領土であろう・・」

直江が咎めるように言った。

「姉上・・お気持ちは充分察しておりますが・・どうぞ御冷静に・・」

輝虎も声をかけた。

「仙桃院様は御冷静でございます・・仙桃院様は今回の自分達の騒ぎの件で輝虎様が苦労して統一された越後がまた分裂することを心苦しく思っての決断でございます・・」

栗林が直ぐに入ってきた。

「それでも私は足りないと考えている次第・・喜平次を人質として置いていきましょう・・」

仙桃院は続けて優しいがどこと無く無感情な口調で畳み掛けてきた。

輝虎はまた返答に窮してしまった。

直江もさすがに黙り込んでしまった。

「姉上・・おやめください・・喜平次は私にとっても可愛い甥っ子ですし姉上の大事なご子息・・人質など要りませぬ・・」

輝虎も色々考えながら返したがその次に止めの一言が入ったのである。

「喜平次を・・おば上様の・・こどもにさせてください!」

喜平次が大きな子供の甲高い声で言った。

しかし10歳子供が考えて言う言葉ではなかった。

輝虎も直江も正直完全に手玉にとられてしまい返す言葉が見つからずただおろおろと戸惑うばかりであった。


今回の件は間接的に後継者の件と絡む重要な問題であったため、元来回答が難しい件ではあったが、輝虎も直江も正面切っては反対は出来なかった。

輝虎の後継者問題は以前から密かに言われていた問題であったがやはり微妙な問題で正面切って話が出来る問題ではなかったからである。


輝虎の後継者は順番で言えば次位は姉、もしくはその夫の政景であったが政景の微妙な立場から実現不能な問題であった。

しかし政景が亡き今、しかも上田長尾が形式上は領土を自主返納して断絶し、輝虎の養子縁組と言う形を取ればそれほど形式上は問題はなかった。

順番で言えば姉の子である喜平次が一番近い人間なのも事実であった。

しかし複雑な越後の内部事情由縁に家臣の了承は一旦必要と輝虎も考えていた。

そのため即答は避けたのであったが

「私からも是が非でも・・宜しくお願いいたします・・」

返答に窮する輝虎を見計らうかのように仙桃院が再度深々と頭を下げた。

「上田衆は輝虎様に政景公以上に更なる忠節に励みまする・・」

栗林も再度深々と頭を下げた。

「越後の上杉家のため、ちゅうせつをちかいます!」

喜平次も子供の甲高い声で続いた。


輝虎や直江は仙桃院達のやり方に正直皆脱帽していた。

誰が発案したのか判らなかったが正直恐ろしさも感じていた。

元来不仲でうるさい栃尾の本庄実乃や栖吉の上杉景信、宇佐美の一族が本城に張り付いて動けない間隙を付いて政治力で実力行使をかけてきたからである。


結局、この後、喜平次は輝虎は養子になることが正式に確定した。

ついては上田長尾を形式上の断絶とし上田長尾、上田衆は輝虎の直属の部隊に組み込むことで合意したのである。

ただ上田長尾は形式上は消滅したが坂戸城に喜平次、仙桃院達は基盤を残しその後も領主として喜平次が成人して春日山城に移るまで景勝の重要な基盤として残されることになる。


尚、この事件は上杉の歴史では単なる事故ということになっている。

ただ宇佐美家はこの後、跡継ぎの勝行が幼かったこともあり輝虎の元で活躍する機会はなく没落し景勝の会津、米沢転封にも従うことなく歴史から姿を消していく。

また上田長尾も政景の死によって形式上は途絶えたことになっているが、輝虎亡き後、上杉本流を後継者を巡る争いはあったが、上杉を継承したのは上田長尾の子、喜平次、後の景勝である。


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