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越後の虎  作者: 立道智之
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日和見衆

北条氏康の元には武蔵松山城の上田朝定からの文章による報告書が届けられていた。

氏康は朝定が武蔵松山城を守り抜いた事に安堵し穏やかな表情であった。

しかし朝定の報告書に一緒に添えられていた輝虎からの手紙を見ると再度顔色が曇り始めた。

氏康は報告書と手紙を北条氏政達に手渡すと軽く溜息をつくとゆっくり目を閉じて茶を飲み始めた。

氏政や松田憲秀は一通り目を通すと彼らも松山城が持ち堪えたことに安堵した。

そして報告書を皆に廻した。


「決戦状を送り付けて来るとは勇ましい姫様ですな・・」

北条幻庵が報告書を見ながら老人らしい穏やかな口調で言った。

「我々に松山城を取られたこと、余程腹が立ったんでしょうな・・」

氏政も嬉しそうに言った。

「しかしおかげで騎西城は地獄になったそうで・・」

氏康の三男の北条氏照が苦々しい顔で言った。

「成田一族も輝虎側に下ったそうです・・」

清水康英も厳しい顔で答えた。

「・・うむ・・」

氏康も普段の厳しい顔に戻った。

「朝定には松山城下を良く治めるように伝えよ・・騎西城から落ち延びてきた者も丁重に扱うようにな・・」

氏康の目線は政治家らしく次を見据えていたのである。

「それにしても騎西城を血祭りに上げるとは関東管領のやることではないな・・誰が関東管領・・いや関東の覇者に相応しいかは今回の件ではっきりしたでしょう・・父上・・」

氏政が嬉しそうに言った。

氏康も一瞬頬が緩んだが

「・・いやいや・・氏政・・油断は禁物だ・・お前ら兄弟力を合わせて偉大な祖父様、早雲様以来の栄光のこの地を守るように・・」

氏康がたしなめるように息子達、氏政、氏照、氏邦に言った。

「・・ところで・・小次郎殿・・このような恐ろしい関東管領殿が姫大将との事ですが・・見間違いではございませんでしょうな・・?」

四男の氏邦が冗談交じりで忍びの当主の風魔小太郎に聞いてきた。

軽い笑いが周囲に漏れた。

「いやいや・・小太郎のこの目に間違いはございませぬ・・」

小太郎もわざと目をかっと見開いておどけて見せた。

一同大笑いである。

氏康も思わず笑ってしまった。

「・・まぁ・・松山城を取り返せて一安心じゃな・・あとは姫様がどう動くかだが・・様子見じゃな・・楽しみじゃな・・」

氏康は次の行動に関しては何も言わなかったが既に頭の中では次の一手をあれこれ画策していたのである。


一方輝虎は騎西城を落とし、成田氏泰、小田家時兄弟らを屈服させた後、関東の拠点の厩橋城に戻ることにした。

しかし輝虎の表情は冴えなかった。

「元気がありませんな・・」

本庄繁長が遠慮なく聞いてきた。

「いや・・別に・・」

輝虎も無感情に答えた。

「松山城はまたの機会にとっておきましょう・・」

輝虎の心中を察したのか本庄実乃が助け船を出したが

「・・いや・・その件ではない・・」

輝虎の答えは意外であった。

「・・騎西城では・・やりすぎたかなと思って・・」

松山城の腹いせに攻撃をかけた騎西城であったが輝虎の予想に反して兵士がほとんどおらず、立て篭っていた住民の方に多大な犠牲を強いてしまったからである。

「しかし兵士は喜んでますぞ・・」

長尾藤景が冷静に言った。

「・・・」

輝虎は黙ってしまった。輝虎は自分が関東管領軍の建前、表向きは狼狽を認めていなかった。

しかし川中島で武田軍との戦闘で多くの古参の越後出身の兵士を失い、現在越後軍を支えているのは上野国や関東で金で集めた兵士達、いや、ごろつきであった。

訓練や統率、輝虎の考え方などは浸透しておらず、勝てば好き放題にやっていた。

好き放題やるために必死で戦っている空気さえあった。

今回の騎西城でも彼らは略奪、強姦、殺人など好き放題にやっていた。

そのため古参の越後兵の戸倉与八郎や秋山源蔵は彼らを毛嫌いし、弥太郎にいたっては珍しく輝虎に彼らの横暴について直接抗議に来たほどであった。

輝虎もそんな彼らが正直苦手で罪悪感も感じていたが関東管領の為と思い見て見ぬ振りをしてきたのである。

しかし、そのような荒くれ者の集団であったが今の輝虎には必須の人間達でもあった。

「兵士のために戦うのも大将の責務です・・」

本庄実乃も諭すように言った。

輝虎も信玄の一言を思い出した。

兵士を喜ばすために戦う・・捕らえた相手を奴隷市場に高額で流そうと自軍の兵士が喜べばそれで良いのである。輝虎は嫌悪感を覚えたが現実の状況は全てであった。

「わかった・・」

渋々であったがそう答えるしかなかった。


厩橋城に戻った輝虎であったが宇佐美定満から面会の時間が欲しいとの申し付けがあった。

宇佐美はもう御年75の老人であったが体に鞭打ってまだ奉公していた。

しかしそんな彼にも個人的な事件があったのである。

宇佐美は以前より輝虎の軍師的な立場にいたが川中島の戦いでは不慮の衝突ではあったが多大な損害を出し、彼も密かに気に留めていた。更には昨年実は長男の定勝を病気で失くしておりひどく落ち込んでいた。

特に定勝は宇佐美晩年の子であったのでその落ち込みぶりは噂になっていた。

宇佐美からは隠居の願いが出されたのでる。

輝虎は一通り話を聞いた後。

「あいわかった・・定勝の件で大変とは思うが・・」

宇佐美は黙ったままであった。

「最後にお願いしたいことがある・・越後国内で兵士を育成し越後軍を再建したいのだが・・最後の奉公と思って請けて頂けないだろうか・・」

宇佐美はしばらく黙っていたが

「わかりました・・では最後の奉公をさせて頂きましょう・・」

静かに了承した。

「うむ、宜しく頼む・・直江景綱もつける・・」

輝虎はにこりと笑うと宇佐美もにこりと笑って返した。

しかしやはり顔には長年の疲れが見えたように輝虎も感じた。

宇佐美は越後国内に戻って行った。


この年、永禄6年(1563年)輝虎にとっても残念な出来事が起こった。

輝虎の師匠でもある林泉寺の天室光育が93歳で大往生したのである。

輝虎もこの時は一時的に春日山城に戻り葬儀に参加した。

輝虎も春日山城での休憩や兵士の育成をしたかったが関東の状況からそれは難しかった。

そこで戦力に不足が出る可能性もあったが猛将柿崎景家を越後に残すことにしたのである。柿崎を選んだ理由は実は柿崎も天室光育と非常に親しい関係で彼の領土内には柿崎が天室光育に頼んで建立した楞厳寺と言う寺まであった。

そのため柿崎も今回葬儀に参加するため関東から輝虎と一緒に戻っていた。

柿崎を選んだ理由はもう一つあった。

先ほどの宇佐美の件と絡むが越後軍再建の為に猛将と名高い彼と宇佐美、直江の3人を中心にして手早く再建しようとしたのである。

信濃川中島からの信玄の脅威もまだ消えた訳ではなくその守備と言う重要任務もあった。

なお、天室光育だが楞厳寺に彼は埋葬され実は柿崎も後にこの寺に埋葬され今もこの二人の墓は楞厳寺内で静かに仲良く並んでいる。 


一方輝虎は休む間もなく関東に戻り次の作戦準備に追われていた。

永禄6年(1563年)秋には反旗を翻した唐沢山城の佐野昌綱、更には下野国の小山秀綱、秀綱の弟の結城晴朝を屈服させるべく厩橋城を出発した。


「昌綱ですが・・屈服させたらどうします?」

千坂が珍しく尋ねてきた。

北条氏政に攻め込まれたとき千坂が影武者で対応した件である。

「その件だが・・千坂がまた私を演じてくれないか?」

輝虎は正直に言った。

輝虎は前回昌綱に会った時、彼から出た輝虎演じた伊勢姫の側室へ、もしくは客将へ要求の件など、彼の押しの強さを思い出していた。

「もう茶番は無理だろうな・・忍城の成田氏泰からすべて聞いているだろうな・・それで今回奴も気が変わったんだろうよ・・」

本庄繁長が言った。

「成田の狸親父め・・あやつ、やはり鎌倉で成敗しておくべきだったわ・・」

千坂が冗談とも本音とのわからない返しをした。

「ま・・北条側にも風魔がいますので・・姫様のことは連中もそろそろ気づく頃でしょうな・・」

本庄実乃も言った。

「屈服させたら一度会って本当の事を言った方が良いだろう・・」

長尾藤景も言った。

輝虎も少し黙ってしまった。

「今度は婿入りさせてくれって言うかもよ!唐沢山城も手に入って阿虎様も相手が見つかって一石二鳥だな!」

突然弥太郎が入ってきた。

輝虎は思わず少しむっとして口を尖らせてしまった。

「・・弥太郎・・言い過ぎじゃ・・」

すかさず金津新兵衛が横槍を入れた。

「でへへ・・冗談冗談・・スンマセン・・」

弥太郎もちょっと言い過ぎたとおどけていた。

「じゃあ・・唐沢山城では役者なワシがやらせてもらうかのう!」

千坂が調子良く言った。

「おぬし・・阿虎様役実は気に入っているだろう・・」

斉藤朝信が呆れ気味に言った。

空気を読んでか読まずにか千坂は首を勢い良く縦に振って上機嫌であった。

「しかし 何時までもこのままで済むとは思えないがな・・」

繁長が諭すように言った。

しかし輝虎は正直に答えた。

「そうだが・・私・・昌綱みたいなのは苦手だ・・」

輝虎のあまりの率直な答えに輝虎以外一同大笑いでみなそれ以上この話をするのはやめた。

輝虎はそんな面白い話をしたつもりはなかったので予想外の反応にまた一人膨れ面であったが・・


越後軍は唐沢山城まで押し寄せると降伏勧告を出した。

昌綱は唐沢山城まで越後軍が接近するのを確認するとあっさり降伏し影武者の景親が昌綱から派遣されて来た使者に対応した。

使者は山上道牛であった。

山上は輝虎が春日山で関東管領に就任した時、昌綱の使者として春日山城に挨拶に来ており輝虎の本性の件は知っていた。

山上は今回も不思議そうな顔をしていたがこれに輝虎たちも気がつき、結局色々考えた末に山上には本当のことを今回初めて話し、今後の忠節も引き続きお願いしたのであったがこの後、佐野昌綱との関係は予期せぬ展開になっていくのである。


輝虎たち越後軍は更に関東を東に下野国まで進み、小山城の小山秀綱を降伏させ、弟の結城晴朝の篭る結城城も降伏させた。小山秀綱、結城晴朝も関東北部の小大名で輝虎が来るとろくに抵抗せずあっさりと降伏したのである。

輝虎は内心彼らを不甲斐無いとも思っていたが上杉、北条と言う大勢力に挟まれた小領主の生き残る術に過ぎず、秀綱、晴朝兄弟はこの後も北条が来れば北条側、上杉が来れば上杉側と猫の目のようにころころと味方になったり敵になったりを繰り返すのである。

 

輝虎は友好関係にある常陸の佐竹義昭との国境近くまで来たので佐竹に北条対策の話と挨拶にでも行こうかとあれこれ考え留まっていた時、今度は厩橋城から思わぬ救援依頼が来たのである。厩橋城で留守を守っていた長野賢忠から西上野から侵入してきた武田軍と南から武田軍の援護に来た北条軍に攻め込まれ厩橋城を放棄して倉賀野城に後退したと言う。更に和田城(高崎城)の和田業繁も武田方に下ったと言う報告だった。

「長野殿は(箕輪城の長野)業正殿の一族か!本当にだらしない!」

ここでまた輝虎は癇癪を起こしてしまった。

輝虎も以前から癇癪持ちの気配があったがこの頃はなんか 年甲斐も無く余計に悪化しているような気が自分でもしていた。自分の癇癪持ちの性格は嫌だったがこれは相変わらず治ることはなかった。

輝虎は大慌てで上野国まで後退すると厩橋城攻撃準備に入ったが信玄もさる者で輝虎が厩橋城に到着する前にさっさと厩橋城を引き払い甲斐に帰って行ってしまった。

輝虎は信玄の行動に拍子抜けしながらも癇癪も収まり、関東の重要拠点の厩橋城を取り返した事に安堵していたが信玄に意図的に振り回されていることには辟易していた。兵士達も短期間で東へ西へと振り回されみなへとへとであった。


厩橋城内に戻った越後軍一行は早くも次の出陣に備えて準備に追われていた。

そんな中、この日は本庄繁長と長尾藤景ら若手同士が厩橋城の奥で珍しく不満げに酒を飲み交わしていた。

「全く・・何を考えているのやら・・」

藤景は遠慮なく言った。

「厩橋城を放り出して逃げ出した長野賢忠を追放するのは当然だが奴の一族は一切お咎め無しだとよ・・」

藤景はお猪口を握り締めるとぐいと酒を流し込んだ。

この時代は連座で一族連帯が常であるが輝虎は違った。本人は罰することはあっても厳罰はせずに一族連座も滅多に行わなかった。

繁長は空になった藤景のお猪口に酒を注ぎ足すと黙って聞いていた。

「更には信玄に付いた和田業繁も嫁さんが長野業正の娘さんで箕輪城を守る兄の長野業盛を助けるため渋々武田方に付いたと侘びを入れてきたからこっちも表向きはお咎め無しだとよ・・」

藤景は更にぐいともう一杯飲み干した。

繁長は相変わらず黙ったまま酒を藤景のお猪口に注ぎ足した。

「極めつけは厩橋城の城代に北条高広殿をつけるときたもんだ・・」

藤景は酔いと呆れ顔が混じった顔で言った。

「・・うむ・・」

繁長も目を閉じうなずいた。

北条高広は以前輝虎に反旗を翻したことがある。武勇に優れた猛将との評が高かったがそのような経歴から越後国内でも今回の厩橋城の城代の人選には懸念の声が漏れていた。

「阿虎様は何を考えているか俺にはさっぱり解らんわ・・」

藤景は酔いがかなり廻っているようであった。

「同じ長尾のおぬしが忠告してみたらどうだ・・」

繁長が藤景に提案して見た。

藤景は苦笑いしながら首を横に振った。そして逆に

「同族の俺が上杉を名乗れないのは栃尾の爺さんがうるさいからな・・同姓のおぬしこそ 栃尾の爺様に阿虎様にあまり吹き込むなと言ってくれんか?」

藤景も冗談で返してきた。

繁長も思わず苦笑いしてしまった。

「栃尾の本庄実乃と俺は名前は同じだが無関係だ・・ でも確かに老中達にはしっかりしてほしいな・・」

繁長も不満を飲み込むようにぐいと飲み干した。

「・・佐野の噂・・聞いたか?」

藤景が繁長に聞いてきた。

繁長も不満そうな顔でうなずいた。

なんと佐野昌綱が再度北条側に下ってしまったのである。

昌綱が下るのを見てか常陸の小田氏治も歩調を合わせるかのように反旗を翻したと言う。

下野国の小山秀綱と結城晴朝も再度不穏な動きを見せていた。

「年明け早々また兵を出せってよ・・」

藤景は不満そうであった。

「越後に久しく帰っていないのにな・・」

繁長も懐かしそうに言った。

「子供が心配だな・・子供達の将来が・・特におぬしは子沢山だからな・・」

藤景が冷やかすように言った。

「軍資金は出してくれるようだが・・子供達の将来はそれとは別だからな・・」

繁長は一瞬子供を思い出したのか笑顔を見せたが直ぐ元の険しい顔に戻ってしまった。

「関東も結構だが・・越後も問題山積みだな!土地が欲しいもんだな!」

藤景は不満を飲み込みようにぐいと酒をまた飲み干した。

「・・うむ・・」

繁長も険しい表情のまま飲み干した。



輝虎はこの年も厩橋城で年を明かしていた。越後に戻らなかったのは次の作戦準備を早急に行うためである。

実は永禄7年(1564年)正月早々であったが下総国の国府台で輝虎の同盟者である安房の里見義堯、義弘親子が北条氏康と戦っていた。里見親子が勝てばその勢いで再度北条攻撃を予定していたが、里見親子は氏康に大敗北を喫し、上総国が北条の手に落ちる事態になっていたのである。世に言う第2次国府台合戦である。

輝虎は急遽後方からの北条牽制と里見親子の支援、またこれに驚き再度反旗を翻した唐沢山城の佐野昌綱、常陸の小田氏治を屈服させ、更には下野国の小山秀綱、秀綱の弟の結城晴朝を恫喝すべく厩橋城を急いで出発したのである。


越後軍は常陸の小田氏治の小田城まで攻め込みこれをあっさりと落とし2月には再度反旗を翻した佐野昌綱の唐沢山城に向かった。 

行軍の最中

「阿虎様が以前危険を承知で助けてやったのに恩知らずな男だよな。昌綱殿はよ。ちぇっ」

弥太郎が吐き捨てるように言った。

「それにしても・・やはり関白様は偉大だな・・関白様がいなくなったらみな豹変だ・・」

輝虎も軽く溜息をつきながらしみじみと言った。

本庄繁長や長尾藤景は政虎の相変わらずの権威信奉に少し呆れていたが

「違うんじゃないですか・・単に氏康が怖いんでしょう・・」

斉藤朝信が珍しく横槍を入れた。

「そんなに怖いのか・・特に見た目か?」

実は輝虎は氏康を見たことがなく今更ながら風貌を含めてどのような男か想像したこともなかった。関東の諸将がころころ立場を変えるのを見ると余程見た目が恐ろしい男かと勝手に想像してしまったのである。

太田資正が笑いながら言った。 

「いや、意外と色白で細身な老人です。戦上手ではありますがどちらかと言えば政治家ですな・・」

「子沢山で子供達を養子にいろんな所に嫁がせて勢力を広めるのを術としていますな・・戦わずに勢力を広めるのが好きなようです」

簗田晴助も続いた。

「ふうん・・」

輝虎も少し感心してしまった。

「息子の氏政殿が正式な後継者ですが他の弟たちもなかなか豪傑が多いとの事です」

本庄実乃が言った。

「しかし・・そんなに兄弟が多いと・・喧嘩が絶えないような気もするが・・」

輝虎は亡き兄の晴景や姉の仙桃院の事を思い出していた。

兄や姉は本質的には嫌いではないが兄と姉とは後継者争いのときにひと悶着あったのでそれを思い出したのである。

「それをうまく押さえ込んでいるのが氏康殿ですな・・氏政殿も武勇は優れないと評判ですが統治は父親譲りで評判が良いそうです・・氏政殿の不足は武勇に優れた弟達が補っているのでしょうな・・」

金津新兵衛が言った。

「なるほど・・厄介な相手だな・・」

輝虎は思わず本音が出てしまった。


「ところでもうすぐ唐沢山城ですが・・」

千坂景親が声をかけてきた。

「使者を出して降伏勧告を・・」

越後軍から使者が馬に飛び乗って唐沢山城に向かって行った。

しかしこの時は誰も予想外の展開になるとは夢にも思わなかったのである。


しばらくして 唐沢山城から使者が伝令文を持って戻ってきた。

輝虎はその内容を読んで思わず仰天してしまった。

他の関東諸将のように自分が来ればあっさりと降伏するかと思ったのだが伝令文には唐沢山城を手に入れたければ人質として伊勢姫を差し出すようにと書かれていたのである。

輝虎は唖然としていたが他の者の反応は違った。

「いい度胸じゃないか!気に入ったぜ!佐野の殿様よ!」

北条高広が太い腕をまくった。

「一泡吹かせてやるかのう!」

老人の中条藤資も息巻いていた。

「気持ちは分かるが固い城だぞ・・易々とは落ちんぞ・・」

長尾藤景が咎めるように言ったが。

「おぬしら好きなんじゃろ?手強い相手が?え?」

中条が遠慮なく言った。

「どうします?」

本庄実乃が輝虎に聞いてきた。

唐沢山城は堅牢な城である。しかしここは北関東の交通の要衝でそのまま放っておくわけにも行かなかった。

輝虎も渋々であったが攻略の命令を出した。


越後軍は唐沢山城の大手門まで近づくと唐沢山城の地形を利用して夜影に乗じて山の林の中から侵入し背後から大手門を襲いまず入り口を確保した。そのまま一気に押し入ろうとしたがやはり前回の北条戦同様、本丸で激しい抵抗に遭ったため本丸傍の避来石山と鏡石周辺を占領しそこから火矢や鉄砲、投石などでじわじわと本丸に攻撃をかけることにしたのである。蔵屋敷を押さえることによって兵糧も奪い越後兵の土産を持たせ、彼らを奮い立たせることにも成功した。

北城も本庄繁長、長尾藤景の部隊が攻略に成功するとこちらからも投石や火矢を浴びせて後は固い本丸をじわじわと時間をかけて攻め落とすのみである。

「それにしても・・」

火矢や石が次々と打ち込まれる唐沢山城を見ながら輝虎はつぶやいた。

「以前一緒に戦った相手を攻めるのはあまり良い気分ではないな・・」

昌綱は腹立たしい個人的には苦手な相手ではあるが特にそれ以上の感情は持っていなかった。

むしろ一緒に戦った昌綱の正室や側室、従者、子供達や兵士が自分が攻めているとはいえ気の毒に思えたのである。

唐沢山城は火矢や石が次々と打ち込まれ消火作業で追われ必死に防戦していたが落城は時間の問題だった。

「降伏勧告の必要はなさそうだな・・」

北条高広が嬉しそうに言った。

「あ~あ また騎西城の地獄図の再現か~ 俺は参加遠慮願いますぜ!」

弥太郎がぶっきらぼうに言った。

「兵士の鬱憤晴らしの良い鴨じゃな・・可哀想じゃが」

中条も冷徹に言った。

「明後日くらいには城も火に覆われて連中も城外に出てくるでしょう・・そのときは総攻撃許可を・・昌綱の処遇は功として成り行き任せで宜しくて?」

長尾政景も冷徹だった。

「う・・うん・・」

輝虎は断りたかったが越後兵の現状を思い出し断れずに歯切れの悪い返事をした。


その日の夜、輝虎は唐沢山城の避来石山の越後軍本陣から下山する準備をしていた。

唐沢山城の落城が近くなり略奪、手柄取りの地獄図を見たくなかったので先に下山して厩橋城に戻ることにしたのである。

攻撃指令官に長尾政景を任命して城の後任は色部勝長か中条藤資を予定していた。

その時輝虎の元に早馬がやってきた。

常陸の佐竹義昭や下野の宇都宮広綱からの手紙で昌綱に対する助命懇願書であった。

輝虎は直ぐに攻撃を停止させ昌綱に佐竹と宇都宮からの手紙の内容を伝える使者を送った。

昌綱もここに来てようやく降伏したのである。


翌日、輝虎の陣地に昌綱が家臣を連れて侘びにやって来た。

朝方まで本丸の消化作業に追われていたようで、みなすすで顔は真っ黒で石が当たったのか血の滲んだ布だらけの者もいた。

今回、輝虎は前回と違い伊勢姫ではなく、本物の輝虎本人として振舞うことにした。

しかし昌綱の一言にまた輝虎は一杯食わされることになるのである。

昌綱は輝虎の前までやってくると深々と頭を下げた後こう言ったのである。

「伊勢姫様に一度ならずとも二度も助けて頂き昌綱感謝感激の極みでございます・・」

輝虎は思わず肩の力ががくっと抜けそうになったが

「たわけたことを・・佐竹殿や宇都宮殿からの願いで助けてやっただけじゃ・・次はないぞ・・」

影武者輝虎役が得意な千坂が直ぐに返しを出した。

ただ影武者輝虎として言っているのか千坂として言っているのかは輝虎も良く解らなかったが威厳は充分であった。

「伊勢姫様と輝虎様にはこの昌綱、一生忠節を誓いまする・・」

昌綱は地べたに頭をくっつけたまま言った。

輝虎は黙ったままこっくりとうなずいた。

「ところで・・昌綱殿よ・・」

千坂が再度声をかけた。

「おぬしもワシらの本当のこと知っておるだろうに・・いつまでも茶番で通す気じゃ?」

千坂は輝虎の影武者の件を知っているだろうと言ったのである。

しかし昌綱の返事は意外であった。

「昌綱にとって伊勢姫様も輝虎様も同じ雲の上の人でございます・・」

昌綱の思わぬうまい返答に輝虎と千坂は思わずお互い顔を見合わせた。

そしてそれ以上言うのをやめた。

「わかった・・もう良い・・下がれ・・」

影武者輝虎の千坂は昌綱を下げさせた。


昌綱が去った後

「とんだ食わせ者じゃな・・」

色部勝長が苦笑いしていた。

「油断ならんな まったく・・」

中条も警戒していた。

「また裏切るぞ あやつ・・」

北条が露骨に言った。

「おぬしが言うと実感湧くなぁ・・」

斉藤朝信の迷返答に一同大笑いで一人北条だけ口を尖らせていたがこの北条の懸念は後に現実になるのである。


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