客将
秋になり信玄との約束通り政虎率いる越後軍は川中島への出兵の準備に追われていた。
みな黙々と複雑な顔で作業をしていたが
「こんな馬鹿げた戦があるとはな・・」
本庄繁長は沈黙を破ると露骨に不満をあらわに言った。
「本気で殺し合うよりは良いだろうよ・・手前も弾むらしいぞ・・」
同じ揚北衆の色部勝長が落ち着いた風に声をかけた。
「油断はならんぞ・・信玄の奴ワシらを油断させておびき寄せて一網打尽にしようと考えているかもしれんぞ・・」
同じく揚北衆筆頭格の中条藤資が戒めた。
「ま そうなれば繁長の希望通り本気の戦いが出来るだろうがな」
長尾藤景が嫌味っぽく言った。
「随分楽しそうじゃな・・」
宇佐美定満が割って入って来た。
「川中島までまた行って信玄とにらめっこしたら本当に何事も無くまた越後に帰ってこれるんでしょうな?」
繁長は宇佐美にうがった風に聞いた。
宇佐美はこっくりとうなずいた。
「・・戦わなくても恩賞出るんでしょうな・・」
藤景も続いた。
宇佐美は引き続き黙ってうなずいた。
「・・しかし 油断はするな・・あの信玄だからな・・」
宇佐美は慎重に険しい顔で言った。
この宇佐美の一言が全てを語っていた。
政虎も春日山城の毘沙門堂に篭って祈りを捧げていた。
普段は戦勝祈願だが今回は何も起こらないことを祈った。
信玄とは既に4度目の戦いになるが今回は今までと事情が全て違った。
お膳立てのある戦いである。このような戦いは初めてであった。
もちろん政虎だけでなく越後衆も同じであるが。
政虎は信玄を信用しようとしていたがやはり何か引っかかるものを感じずにもいられなかった。
そのような心の迷いを取り除くために毘沙門堂に篭ったのである。
9月に入り予定通り春日山城を出発した越後軍一行は1万3000の大軍で川中島に向かった。
しかし実働部隊は8000程度で残りは荷駄隊で食料や酒を今回は多く持ってきていた。
今回の信玄との和睦の件は越後の将校達には伝えられていたが一般兵には伝えられなかった。
無用な混乱と士気の低下を防ぐためである。
荷駄が多いのは兵士のためであった。兵士は農民出身者が多く9月の刈り入れ時の忙しいときに徴兵されることに不満の声が上がっていた。機嫌取りのためであった。
兵士に対しても今回は色々事情が違っていた。
兵士は普段は食料や褒章の現地調達、田畑の狼狽行為は黙認されていたが今回は信玄との和睦の件があるので実質信玄の支配下に入ってしまっていた川中島で些細なことから信玄との問題が起こるのを防ぐため狼狽行為は厳しく禁じた。そのため兵士の機嫌取りのため荷駄を大量に同伴させたのである。
政虎にとっては関東遠征から始まった戦続きの中で経済的な負担が大きかった時での更なる負担で財政担当の蔵田五郎左衛門らから悲鳴が上がっていたが後々のことを考えれば安いものと考えての判断であった。
ただ今回の行軍は兵士の間でも様々な憶測を呼んでいた。
普段の越後軍にしては荷駄が異常に多く川中島での狼藉行為の厳禁が命令され、将校たちの緊張感が少ないことなどから勘の良い者は何か裏約束があるのではとひそひそと話していた。
春日山から川中島までは100キロ程度と甲斐よりも距離が近いこともあるが越後軍は甲斐軍よりも先に川中島に到着した。そして善光寺から離れた北部の西条山周辺に布陣し政虎は西条山にある若槻山城に入った。甲斐軍はゆっくり北上中で現在は上田周辺に留まっているという。
政虎が善光寺から離れた若槻山城を選んだのは無用な衝突を防ぐためであった。
甲斐軍の守備隊は昨年出来たばかりの海津城に篭っていた。海津城には城兵が少数の500しかいないのもあったが約束通り動く気配を見せず、淡々とのろしを上げ、越後軍が到着したことを甲斐方面の支城に伝令していた。
海津城は今回の交渉では越後への返却の対象外だが信玄が本陣として使用すると前以って密かに政虎には知らされていた。海津城は現在の松代城で山本勘助が設計し甲斐軍の川中島における重要な拠点にこの後なっていくことになる。
海津城は勘助の設計した城であったが城主はあの高坂弾正昌信が任されていた。
政虎は信玄のやり方に恣意的な物を感じ良い気分ではなかったが今回は和睦の件のみを最優先に考えそれ以上考えるのはやめた。
政虎は若槻山城から遠く川中島や海津城を見ていた。
信玄が本当に大人しく約束を守るかそればかりを考えていた。
そんな中、信濃国人衆が政虎の本陣に押しかけて来たのである。
越後衆の将校には信玄との和睦の件を伝えていたが信濃衆には将校を含めて今回の件は伏せられていた。
彼らの反発と離反を抑えるためである。信玄との和睦など夢にも思わぬ信濃国人衆は直ぐにでも更に南進し善光寺のすぐ傍の葛山城を拠点にそのまま兵力の少ない海津城への攻撃を主張したのであった。
政虎、越後衆、信濃衆は今までも何度も川中島で戦ってきた。特に3度目の川中島の戦いでは信玄に今川義元や将軍足利義輝からの和睦条件を反故にされてからは、政虎や越後衆は信玄への不信感を募らせていたが政虎や越後軍と甲斐軍は常に小規模な小競り合いで終始し大規模に衝突したことは無く、実は信玄には約束を守らない、何度でも来るしつこい人間以上の感情はそれほど持っていなかったのである。 しかし実は一番被害を受けていたのは信濃衆で政虎が川中島に介入するようになる以前、村上義清時代からの話ではあるが政虎と信玄の今までの3度に渡る川中島の戦い以外にも地域的な局地戦を何度も戦い、特に3度目の川中島の戦い直後、武田軍が葛山城の攻撃した時は政虎が関東方面に手一杯だったこともあり援軍を送れず信濃衆に犠牲を強い、特に信濃国人の落合一族は全滅の憂き目に合い追い詰められた婦女子が葛山城の谷に投身すると言う悲惨な事件もあり、そのため信濃衆には信玄への強い憎しみがあったのである。
政虎も彼らの心情は充分に理解できたが信玄との和睦がある以上こちらから仕掛けることは出来なかった。信濃衆には信玄が来るまで迂闊に動かないことを厳命し不満気な彼らをあれこれなだめ部隊に戻した。
そして長尾政景の部隊には信濃衆の監視を行うようにも命令した。
「まずは味方から欺かないといけないのか・・」
政虎は命令を下しながらいやな気分になった。
若槻山城に入って3日目、信玄率いる甲斐軍も川中島南方に入ったとの情報がもたらされた。甲斐軍は川中島に到着次第北国街道を北進し途中の川中島西方の茶臼山に展開していると言う。
「海津城に入らないのか?」
政虎は思わずつぶやいた。
「我々を警戒しているんでしょうな・・」
宇佐美定満は言った。
「我々を信用していないのか?」
政虎は不満気に言った。
政虎は今回信玄に配慮して善光寺から北方の若槻山城に篭っていた。
戦意が無いことを間接的に表したのである。
本気で戦うのなら善光寺のすぐ傍の葛生城か旭山城を拠点にして海津城を攻撃している。
「まぁ・・信玄が茶臼山に篭ってくれるんだったら都合は良い・・お互いの間は充分だからな・・ぶつかることもあるまい・・」
直江景綱は言った。
「それにしても・・予想外に大軍で来たな・・」
政景が冷静に言った。
信玄は実に2万と言う大軍を連れてきていた。
政虎もただのにらみ合いにしては兵力が大き過ぎるので内心不安を覚えていた。
「美濃を制圧するにはあのくらいはいるだろうよ・・」
宇佐美がみなの不安を打ち消すように言った。
「軍を動かさないように・・」
政虎は冷静に命令した。
まともにぶつかれる数ではなかった。本当に動いたら危険と思ったのである。
その後 軒猿の部隊から思わぬ情報がもたらされた。
北条の風魔が来ているようで甲斐と越後両軍の動きをしきりに探っているという。
「信玄の奴 氏康からも信用されておらんようだな・・」
直江がつぶやいた。
「まずいであろう・・北条に茶番とばれたら」
宇佐美は言った。
「信玄は特にな・・美濃どころか氏康にも目を向けねばならん・・予定が狂うであろうに・・」
直江も相槌を打った。
「・・もし 氏康と信玄が仲違いし 氏康も和睦を求めてきたらどうします?」
政景が妙なことを聞いてきた。
「それはないじゃろう・・」
政虎が答える前に宇佐美が横槍をいれた。
「・・しかし 越後には好都合かもな・・」
直江は冷静に言った。
「信玄と組んで北条を叩く手もあるかもしれん・・」
直江は言った。
「ま、今は何も考えず様子を見よう・・」
政虎が一番冷静であった。
信玄の透破も北条の風魔が動き回っているとの情報がもたらされた。
「ちっ・・氏康め・・」
信玄が珍しく不愉快そうに舌打ちをした。
「少しはらしく振舞いますか・・」
山本勘助は言った。
信玄も黙ってうなずいた。
甲斐軍が茶臼山を引き払い海津城に向かい始めたとの情報が越後側にもすぐにもたらされた。犀川の南方の道を東に川中島を横断するように海津城目指して移動しているという。
政虎は相変わらず動かず信玄の様子をじっと見ていた。
やがて海津城に信玄ら甲斐軍本隊が入り残りは海津城後方の山城、鞍骨城や尼巌城、天城山城に順次篭りだした。
ただ2万という大軍のため入りきれない部隊が海津城の周囲陣を展開していると言う。
政虎は全く軍を動かさず様子をじっと見守っていた。
「さすがに律儀だな・・」
政虎の姿勢に信玄も感心していた。
「しかしあまりに動かないのはちょっとな・・氏康に読まれるのは不愉快じゃな・・」
信玄はしばらく黙っていたが
「少数で良い・・替佐城に向かえ・・」
命令を下した。
替佐城は越後側の飯山城の目の前で信濃、川中島のはるか北端で政虎にとっては越後防衛の最終防衛線に近いところであった。飯山城と春日山城は斑尾山を越えると実は至近距離である。
「お待ちください!危険です!」
弾正昌信が反対の声をあげた。
「兄上!おやめください!政虎の気変わりを起こすかもしれませんぞ!」
繁信も反対した。
「解っておる・・しかし氏康の風魔が見ている・・何もないでは済まされぬ・・」
信玄も危険を充分に承知していたが厳しい顔で言った。
「越後軍が西条山を降りてきたり飯山城の部隊をこちらに向かわせたらすぐに海津城に戻せばよい・・戦った振り・・戦おうとした振りが大事なんじゃ・・」
信玄は続けた。
結局信玄の命令通り少数の2000程度の部隊が替佐城に向かった。
政虎の元にもこの情報がすぐに入った。
政虎も冷静な振りをしていたが内心気が気ではなかった。
しかし信濃衆の我慢が先に切れて飯山城城主の高梨政頼や村上義清が本陣に押しかけてきたのである。
高梨と義清は替佐城に軍がこもられる前に移動中にすぐに攻撃を仕掛けるように政虎に懇願した。
信濃衆は川中島で政虎と信玄が戦い始める以前より信玄と戦い続け疲弊し、葛山城の戦いや今年の越後と信濃の国境にある割ヶ嶽城が武田軍の原虎胤に襲われる事件もあり信玄への不信感は極限まで達していた。
高梨は常に信玄と最前線で老体に鞭打って戦い続けたものの相手の悪さもあって苦戦を強いられ特に1557年(弘治3年)第三次川中島合戦直後の信玄が将軍足利義輝や今川義元の和睦を破って川中島に侵入してきたときは雪のおかげで政虎の援軍を受けられなかったこともあり中野城を奪われ残された最後の飯山城で抵抗を続けていた。そのため彼の危機感は相当なものであった。義清も信玄に二度も痛い目に合わせながらも信玄の謀略にはまり、居城の葛尾城を奪われ、今は政虎を頼って今日に至っているのであった。信玄のしたたかさを充分に承知していたので政虎の今回の作戦に不安を感じ懇願に来たのであった。
ただ高梨や義清も負い目は感じていた。
政虎は今回信玄との和睦の件は信濃衆には無用な混乱を避けるため伝えていなかった。
伝えなかった理由は今回の和睦の条件に高梨の希望する中野城、義清の希望する葛尾城が入っておらずまた越後衆にも彼らのおかげで越後が信玄との無用な戦いに巻き込まれているとの声が上がっており越後衆と信濃衆の間にも微妙なずれが生じつつあったからでもある。
高梨も義清も政虎が以前より信玄との和睦の交渉に入っているとの噂は聞いていた。
本人から聞いたのではなく信濃出身の軒猿から彼ら情報が密かにもたらされていたのである。
政虎が関東に専念したいので川中島はもう終わりにしたいという政虎の情勢は高梨も義清も充分に察してはいたがそれでも信玄が素直に下がってくれるとは彼らの長い経験から考えられない、考え難かったのである。
高梨も義清も政虎からすればはるか年配の人物である。政虎は言い回しに注意しながらも落ち着き払った冷静な振りに終始し、二人を前日の信濃国人衆をなだたように接して再度陣に戻した。
ただもちろん彼らの危機感や気持ちは政虎も充分に承知はしていた。
しかし今の政虎に出来るのは信玄の動きを見守ることだけであった。
しかし政虎にも不安が無いわけでは決してなかった。
政虎は高梨には引き続き飯山城の守りを固めてもらい、歴戦の猛者の義清は若槻山城を降りて西条山のふもとの最前線の部隊の柿崎景家隊と合流してもらいしばらく待機してもらうことにしたのである。
ただ甲斐軍の北進の動きで越後兵の中でも動揺が見られ始めていた。
動揺していたのは実は信濃衆を密かに監視していた長尾政景率いる越後軍主力とも言える上田衆であった。
政景は落ち着き無表情に冷静な振りをしていたが上田衆は明らかに動揺していた。
上田衆が動揺したのは甲斐軍が飯山城そのものを無視して千曲川を北進して十日町を通り越後中郡に侵入してくることであった。自国領土奥深くに入り込まれてしまう可能性を恐れたのである。
十日町周辺は上田長尾の勢力圏で政景の居城坂戸城から山一つ隔てた町である。
上田衆だけでなく危機にさらされるかもしれない越後中郡の豪族も不安そうな顔をしていた。
政虎はそれでも今回は我慢強く動かなかった。
そのような神経質な時間が過ぎていた時であった。
あの二人が本陣に飛び込んできたのである。
本庄繁長と長尾藤景であった。
「いつまで休んでおられる!」
繁長が声を荒げた。
「今回は戦わない・・そう言ったはずだ・・」
政虎も普段と違いいつもに増して厳しい声で言った。
「甲斐猿が約束を守るとは思えませんな!」
藤景も容赦なく返した。
「挑発に乗ってはならぬ・・今回は戦わない・・さっきも言った通りだ・・!」
政虎も少し苛立ったように言った。
「信玄の色仕掛けに乗るようではな・・国を守れんな・・」
繁長の強烈な一言は政虎の感情を害するに充分であった。
普段なら思わず癇癪を起こしかねないとこであったが、しかし政虎も今回は我慢した。
黙って聞いていない振りをした。
藤景が苛立ちながらまくしたてた。
「甲斐猿に飯山城を抜けて千曲川沿いに越後本国に入られたら手の施しようがなくなりますぞ!すぐに飯山城の部隊と本隊で連中を挟撃するよう・・」
「動くな!」
藤景が言い終わらないうちに政虎が遮った。
「向こうが動いているのにこっちがだんまりでは伝わらんでしょうが!こっちも動いて意志をはっきりさせるべきでしょうが!味方が萎えるわ!」
藤景も大声で返してきた。政虎が少し押されたほどであった。
しかし政虎にも本音があった。
甲斐軍との戦力差が予想外に大きいのでぶつかるのは避けたかったのである。
「・・和睦の話は何度も説明したはずだ・・風魔が見ているので信玄も動いている振りをしているだけだ・・誘いに乗ってはならない・・」
政虎は落ち着いて藤景に答えた。
しかし藤景、繁長は今回は容赦がなかった。
「甲斐猿に好き勝手に動かれてもだんまりとはな・・今日は姫様が動けない日ではあるまい?」
繁長が遠慮なく言った。
「・・もう一度言ってみろ・・!」
政虎もさすがに我慢できずに思わず肩を震わせ厳しい顔で繁長を睨み付けた。
しかし
「・・こんな馬鹿げたことに付き合っておれぬ・・俺達は国に帰らせてもらう・・」
藤景、繁長は予想外の事を言い出したのである。軍を引き揚げると言い出したのである。
政虎は怒りと驚きの表情を抑えながら
「・・買っていたのに・・残念だよ・・」
冷静に言った。
「自惚れも程々にせい・・」
直江から藤景、繁長に厳しい声が飛んだ。
「若造どもが調子に乗りおって・・」
宇佐美も珍しく厳しい口調で入ってきた。
しかし収まらない藤景 繁長は更に予想外な一言を続けたのである
「ご老輩と姫君が何をおっしゃる・・俺達だけではないぞ・・揚北の他の若いのも俺たちと同じ意見だ・・あんたらにはついていけん・・じゃぁ遠慮無く俺らは帰らしてもらおうか・・」
「何っ・・・」
直江と宇佐美の驚きにも似た小さな声と口調が止まったのは政虎にもわかった。
政虎も予想外の展開と少し自分の顔色が青ざめていくのがわかった。
これ以上兵力が減ればいざとなったら本当に戦えなくなるからである。
「揚北の責任者は誰かわかっておるだろうな・・勝手に行動するのは許さんぞ・・」
中条資藤が口を開いた。
「俺は2番目だが・・問題あろうか・・俺が代わりに責任者になっても構わんが?」
繁長は不適に返した。
「貴様!」
中条が70近い老人と思えぬ勢いで刀の鞘に手を当てた。繁長もゆっくり手を鞘にかけようとした。
その時であった。
「やめぬか!」
誰かが大声で割って入って来た。
迫力のある威厳のある声であった。
「今はお互い陣中で争っている場合ではなかろうが!」
声の主は金津新兵衛であった。
みな一瞬思わず黙ってしまった。
宇佐美や直江も我に帰ったようであった。自分の立場をわきまえずに言った言葉にばつが悪そうな顔をしていた。
藤景も繁長も一瞬ひるんだようであった。
しばらくの沈黙の後、繁長が声を絞り出した。
「奥羽との国境に近い遠国の俺らに兵を出せと毎回気軽に命令するのがな・・領土も増えないのに・・クソ・・」
繁長の本音が思わず出た。
揚北衆でも繁長らは越後北端部で春日山城への移動も一苦労であった。
「・・揚北を筆頭に(越後)下郡(新潟県北端部)の衆はみな不満気ですぞ・」
繁長を代弁するように藤景が続けた。
「だから・・俺たち揚北衆は戦わないのであれば今回は兵を引かせてもらいたい・・」
政虎は越後の現実に引き戻されたのに気が付いた。
越後は自分が統一したように振舞っていたがそれは表向きで越後は相変わらずゆるやかな領主連合の枠組みを超えたわけでは決してなかった。政虎が関東管領にこだわったのは少しでも越後守護の権威を強固にするためにこだわったのだが実際はやはりそれ以上の支配を強めるわけではなかったのである。
政虎はあくまでも兵を出してもらうよう頼む立場なのである。
頼まなければならないのである。
政虎も藤景、繁長の実力は認めていた。
関東戦線で常に活躍し彼らも年若いので同年代の若い兵士や土豪からも人気があり将来を期待されていた。
しかし若さゆえの粗暴で気性が荒いのが彼らの長所でもあり短所でもあった。
政虎も藤景や繁長の性格は頭では充分分かっていても今日の二人との口論にも近いやり取りで少し冷静さと反発心と怒りの感情がごちゃ混ぜになっており普段の政虎であれば冷静に答えるはずであったが売り言葉に買い言葉にではないが思わず政虎も言ってしまった。
「・・そんなに帰りたければ・・帰ればよい・・」
「お お待ちくだされ・・!彼らがいなければ戦だけでなく今後の越後の国内にも重大な支障が出ますぞ!ご再考を!」
このやり取りを黙って聞いていた色部勝長が挟んできた。
勝長自身も揚北衆の一人ではあったが政虎が初陣を飾った栃尾城の攻防戦後から帰参した古参の武将であった。それ以上に彼が心を痛めていたのが実は繁長を政虎に紹介したのは彼だったからである。今回の騒動に気を揉みなんとか事態を収めたい一心で発した一言であった。政虎も色部の意図はすぐわかったが
「構わぬ・・畑が心配なのであろう・・勝手に帰れば良い・・」
政虎も色々な感情から意固地になっており言ってしまった。
本来なら二人に頭を下げてでも引き留まってもらうべきであったが自尊心がそれを許さなかった。
藤景と繁長が不満そうに政虎を一瞬睨み付けたあと陣を出て行こうとしたその時であった。
「待てぃ・・」
新兵衛が普段とは違う厳しい表情で春日槍を一本持って二人の前に立ちはだかったのである。そして険しい顔で藤景 繁長をにらみつけた。
藤景も繁長にも明らかに緊張が走っていた。
10秒程度の短い時間であったが長く感じる緊張の沈黙の時間が流れた。
彼らが思わずそっと刀の鞘に手をやろうとしたその時であった。
新兵衛は槍を横に置くと
「・・頼む・・帰らないでくれ・・今までの不届けはすべてワシにある・・
今 おぬしらがいなくなれば負けてしまう・・いや越後がまた分裂してしまう・・なんとか協力してくれ・・頼む・・」
と言うと突然土下座したのである。
一同はしばらくあっけに取られていたが
「・・客将のあなた様がそのような・・お、おやめくだされ・・」
藤景が我に返り慌てて新兵衛を立ち上げようとしたが新兵衛は亀のように動かなかった。
他の者も新兵衛の予想外の行動に動揺していた。
もちろん政虎もである。
新兵衛の越後軍内の立場は客将と言う立場であった。
実は政虎が幼少の頃の乳母は新兵衛の妻であり、新兵衛も政虎の養父ということで新兵衛の実質的な地位は家臣団でも最上位であった。また養父以上に実は家柄も清和源氏平賀氏流れを組む長尾家以上の名門で政虎も新兵衛を客将と公言していたほどであった。
新兵衛はこのような立場でありながらも普段は口数が少なく政治に口を挟むことはほとんどなくいつも政虎の後ろで黙って座っていることが多かった。
もっとも彼が政治に口を挟まなかったのは政治に興味が無いのも事実であったが。
ただ無口な普段とは裏腹に新兵衛の歴戦の武者としての独特の雰囲気が余計に彼に威厳を与え武将としても別格の存在感を醸し出しているのも事実であった。
その彼が土下座しているのであるから越後衆の驚きと動揺が収まらなかった。
しかし政虎が真っ先に声をあげた。新兵衛の土下座など見たくなかったからである。
「新兵衛・・何をやっている・・やめろ!」
しかし次の新兵衛の一言で政虎は頭を叩かれたような気がした。
新兵衛は顔を上げるときっと政虎を睨み付け
「阿虎!いい加減にしなさい!」
と叱り上げた。
「・・・・・」
政虎はめったに新兵衛に怒られた記憶はなかったがその数少ない記憶が蘇り何も言えなかった。
新兵衛は続けた。
「頼む・・力を貸してくれ・・ワシが今回の件は責任をとる・・」
「・・そのような言い草はやめてくだされ・・わかりました・・兵は引きませね・・お顔を上げなされ・・」
繁長もようやく我に返り引き下がってくれた。
政虎は新兵衛が立ち上がる前に立ち上がって誰とも目を合わせずどこと無く悔しげな複雑な表情でうつむき気味に陣外に出て行ってしまった。
新兵衛の土下座など見たくなかった以上に自分の不甲斐なさと感情をどこにぶつけたら良いのかわからなかったからである。