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越後の虎  作者: 立道智之
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疑心

政虎は近衛前嗣に古河城を任せた後、越後に戻って行った。

北条氏康は前嗣のおかげで動けずだんまりを決め込み関東は静かな夏を迎えていた。

政虎もたまった仕事の片付けに大忙しである。


しかし信玄の動きは家臣団はやはり不安であった。

兵を集めているとの情報が入ってきたからである。

政虎は信玄からの手紙もあり信用しようとしていたが家臣団は信玄を信用していなかった。

家臣団が信玄を信用しないのは3度目の川中島で今川義元の和睦仲介や将軍足利義輝の和睦の御内書を破ってまでも川中島に侵入してきた経緯があるからである。

また局地的な小戦ではあったがこの年の春に越後と信濃の国境にある割ヶ嶽城が武田軍の原虎胤に襲われるという事件が起きていた。信玄の意図があったのかどうかは解らなかったが城は武田軍に破却されたものの越後軍の猛抵抗にあい原虎胤本人も重症を負ったという。

政虎は信玄から和睦の手紙を受け取った前後であり和睦を優先させたかったのもあり、この件は見て見ぬ振りをしていた。しかし越後衆の信玄に対する不信は逆に増幅していた。


信玄は政虎と違い自国の繁栄と領民の幸せの為に終生領土拡張の戦いを続けたがそれは謀略との戦いでもあった。信玄の欠点はこの謀略にこだわり約束を反故にすることをためらわなかったので周辺国にあまり信用されず後を継いだ勝頼が苦労することになる。


信玄も関東に留まると思った政虎が越後に戻ったことには正直驚いていた。越後にはしばらく戻らないと思いそのためにわざわざ厩橋城に手紙を送ったのにである。

割ヶ嶽城の件が影響しているのかと信玄も心配したが表向きはそれが原因ではなく長期の留守の後始末で帰ったと伝えられ信玄も一安心であった。

割ヶ嶽城の攻撃は信玄の氏康に対する態度の表しとして行った作戦であった。政虎のいない守りの弱そうな信濃周辺の局地的な城をわざと狙って行った作戦であったが越後軍の思わぬ猛抵抗にあい原虎胤本人が重症を負いこの後の川中島戦に出れなくなり甲斐衆にも戦死者を出すなど信玄にとってもうまみの無い作戦であった。


また関白の近衛前嗣が春日山から関東に下向したことにも信玄は驚いたが同時に半分呆れてもいた。

政虎の権威を盾に氏康に対抗しようとする姿勢に感心しまた逆に権威にこだわる姿勢に呆れたのである。


ただ前嗣の関東下向で氏康が動けない今は信玄にとても絶好の交渉の機会でもあった。

政虎が春日山に戻っていることも好都合であった。割ヶ嶽城の騒ぎの件の侘びも兼ねて信玄は自ら密かに政虎と直接会ってまでも話を進めようとしていたが加藤段蔵や忍の透破から北条の風魔がどうやら甲斐まで来て信玄に対する不信からか情報収集をしていると報告が入り、替わりに急遽山本勘助を前回政虎に会った時と同じように甲斐の御用商人の三河道安になりすましてもらい春日山に向かい政虎と交渉するよう命じたのである。

氏康が自分に対して疑心を抱いておりもし自分が越後と交渉しているとばれたら自分の表向きは美濃、密かな目標の駿河行きの雲行きが怪しくなる。ことは秘密裏に慎重にかつ迅速に行われることが要求されたのである。


政虎の元に甲斐の御用商人三河道安が塩の買い付けに府内の町を訪れており、是非政虎と面会したいとの申し付けがあったのは政虎が春日山城に帰城してすぐであった。

政虎は重臣を集めすぐに三河道安と面会することにした。


道安、山本勘助は相変わらずであった。

醜い古傷だらけの外見に不敵な態度とそこから染み出す彼の長年の経験が物言わずとも物を言っていた。


「関東管領様、誠に麗しゅうご様子で・・」

道安はこの前と同じ口調で挨拶をした。

政虎もにこりと笑って返した。

「信玄様からのほんのお気持ちで・・」

道安から信玄からの手土産と言う絵巻物やらが渡された。

「片手で手土産・・片手で軍を集めているそうではないか・・」

宇佐美定満が厳しい口調で切り込んだ。

「・・とんでもございませぬ・・西へ・・美濃向かう為の軍でございます・・」

道安は率直に答えた。

「それで我々と手を結びたいと言うのだな・・」

直江景綱が言った。

道安は大きく黙ってうなずいた。

「しかし美濃の斉藤義龍は手強いだろう・・あの織田信長殿も苦戦しているようだが・・」

政虎が静かに言った。

「・・政虎様に比べればこの上なく楽な相手でございます・・」

道安は真顔で答えた。

「・・相変わらず人を惑わすのがうまいな・・」

政虎は笑いながら答えたが

「本気で言っております、道安としてではなく・・」

勘助は本気で言っていた。

勘助は政虎の戦上手は充分に評価していた。

「・・ありがとう・・」

政虎は礼を言っておいた。

勘助、道安も頭を深々と下げた。


「しかし・・どうやって信じろと言うのかな?」

宇佐美定満が老練な聞き方をした。

道安からの答えは意外であった。

「こちらから人質を送ります・・そちらからはいりません・・どうでしょう?」

道安は顔色を変えずに言った。

「随分条件が良いな・・」

本庄実乃が思わず言った。

「人質は誰かな?それにもよるぞ・・」

宇佐美は相変わらずだった。


道安は意外な人物を出した。

「・・高坂弾正昌信を出そうと思うが・・」

政虎は思わず咳き込みそうになった。初めての信玄との戦いでひと悶着あったあの男である。


しかしすぐに反応が出た。

「武田の一族ではないではないか・・」

直江景綱が不満そうに言った。

「・・弾正昌信は信玄公の寵臣中の寵臣ですぞ・・それに・・政虎様も・・」

道安もおそらくわざとであろうがそれ以上は言わなかった。

政虎は気恥ずかしさかから思わず下を向いてしまった。


しかし意外な一言が入ったのである。

「気に入らんな・・」

金津新兵衛であった、

「気に入らないとは・・?」

道安も驚きの混じった声で言った。

「こっちはこっちで動いている・・貴殿も関白様が関東にわざわざ下向していること知らんわけではあるまいに・・」

新兵衛は厳しい口調で言った。

「関白様は無理としても・・関白様推薦の方であれば関東管領である政虎様と共に関東を治めるのは相応しい事であろう・・甲斐と和睦を結ぶのであればそれ相応しい 武田の一族であるのが相応では無いかな・・」

道安だけでなく政虎や他の越後衆も思わず黙ってしまった。

政虎は普段は無口な新兵衛の横槍と言う正直思わぬ展開で黙ってしまった。道安も然りである。

「・・おっしゃること何より・・。しかしこの先行き読めぬ乱世の世、先を見越して手駒は多い方が何よりでありましょう・・決して悪い話でないと思いますが・・」

道安は落ち着いて返した。

「信玄様ではありませんが・・政虎様から言えば正室 側室 と言って良いのかわかりませんが・・多いに越したことございませぬ・・」

道安は続けた。

「そういう意味で言ったのでは無い・・」

新兵衛は厳しい口調で言った。

「人の心に入り込み惑わすようなやり方が気に入らんと言っているまでだ・・弾正昌信は阿虎様が声を掛けた男であろう・・繰り返しになるが本気で和睦を結ぶのなら武田の一族を送るかそれが無理ならそれ以上の立場か待遇が本筋であろう・・」

今度は道安が黙ってしまった。

しばらくして

「気を悪くなされないでくだされ・・信玄様からのご好意のつもりだったのだが・・」

道安も言葉を選びながら慎重に言った。

「新兵衛・・この件はこの場で決めるつもりはない・・落ち着いて・・勘助・・失礼、道安殿も」

逆に政虎が思わず止めに入ってしまった。

しかし今度は政虎が少し新兵衛に睨まれたような気がして今度は言うのをやめた。

道安も気配を感じ政虎に配慮してそれ以上言うのをやめた。


「他には?」

長尾政景が話を切り替えるように無感情に聞いた。

「犀川以北善光寺周辺の越後への譲渡も認めましょう・・」

道安は言った。

政虎は思わぬ好条件に思わずふむふむとうなずいた。

越後の家臣団も思わぬ好条件に顔を見合わせた。

「海津城とか言ったか?あの城はどうなる?」

宇佐美が聞いてきた。

道安 勘助が昨年作った城で川中島の犀川以南に鎮座し越後の脅威になっていたが

「海津城は野沢方面の北信濃の拠点に必要・・譲れませぬな・・」

道安は答えた。

和睦が成立すれば無意味な城である。政虎はそう思い黙って聞いていた。


「その代わり・・」

道安は続けた。

「秋に同盟者からの頼みの関係で川中島に兵を出すがお互い睨み合うだけ終わらせましょう・・」

道安は静かに言った。

「割ヶ嶽城の件はその絡みもあり、ご理解頂けます様・・」

道安は深々と頭を下げた。

「氏康殿か・・」

政虎も独り言のように言った。


「人質や善光寺の件は秋以降か?」

直江が道安に確認するように聞いた。道安はうなずいた。

一通り話が終わった後

「本日の話は有意義であった・・信玄殿にも宜しく言ってくれ・・返事は追ってすぐに出す・・」

政虎は答えた。

もっか問題は人質の件だけである。自分で家臣団を説得するしかない。


道安は両家のために良い返事を期待していると言って帰って行った。

ただ道安 勘助は人質の件で少し揉めたことを少し気にしながらも新兵衛が気に入らなかった理由が解らなくもなかったのも事実であった。

が 武田一族からの人質要求には正直驚かされていた。しかしすぐにそれが本気ではなく人質以上の質を要求しているのかとも考えた。それであれば対応は容易であると楽観した。


道安 勘助が帰った後春日山城では評定がすぐに行われた。

政虎は薄々感じてはいたが新兵衛に人質としてなぜ弾正昌信では気に入らなかったのか一応聞いてみた。

しかし予想通りの返答で政虎が今度は窮してしまった。

弾正昌信が来るのは構わないが単なる人質としてではなく婿としてよこすように要求したかったのであった。武田一族では無いが信玄からの正式な婿入れであれば和睦の効力は固い。単なる人質では意味が無いといったのである。

直江や宇佐美 本庄実乃まで同じ意見であった。

彼らは信玄とはここで終わりにして関東に集中すべきと言いたかったのである。


政虎は本音では弾正昌信の件は歓迎であったが関白近衛前嗣との話もあったので単なる人質の方が都合が良かったのも本音ではあった。

しかし前にも言ったが越後の老重臣たちは氏康との戦いが長く険しい物になることを覚悟していたのでる。

そのために甲斐への憂いを完全に無くすため弾正昌信がただの人質ではなくそれ以上の物になるよう求めたのである。

 

川中島に秋に信玄が出兵する件も不安材料であった。

蔵田五郎左衛門からは昨年からの長期の出兵で今年は財政的にかなり厳しいとの指摘がなされていた。

蔵田五郎左衛門は元々青苧を扱う越後の御用商人であったが財務を担当していた大熊朝秀が越後を出て行った後は政虎の信任を得て、商人をやりながらも彼が越後の財政をも管理するようになっていた。政虎も長期の関東出兵で財政面以上に昨年より働き尽くしの諸将や兵士からの不満も予想されたため本音では兵士を動かしたくなかったが信玄からの和睦の条件である以上仕方がなかった。

氏康に対する信玄の姿勢もあり、また信玄の気持ちの見極めもあるので出兵するしかなかったのである。


最も今回の提案にも懸案はあった。犀川以北の善光寺周辺のみが越後領で野沢は対象に入っておらずここの縁引きが曖昧で将来の禍根になる可能性と野沢方面から関東北部、及び西上野方面に抜けられる可能性の不安もあったのである。


政虎はなるべく信玄を信用しようとしたが信玄が本当にどこまで約束を守るかは正直不安があった。しかし結局はすべて了承して受け入れることにしたのである。

信玄へ了承の返信を送ると後は段取り通り動くだけである。

こうして各自の様々な疑心を抱きながら忙しい1561年 永禄4年の夏は足早に駆け抜けようとしていた。






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