老兵
徹底抗戦が決まり栃尾城の本格的な防御工事が総動員で早急に行われた。
伊勢三郎へは降伏するように見せかけて城の工事の時間を稼ぐことにした。
兵糧は収穫の刈り取り後だったので問題はなかった。
槍や刀の使い方など住民への簡単な訓練も行われた。
あの弥太郎老人は一切訓練には参加しなかったが、逆になぜか時々自分勝手に城内の恰幅の良い若者を捕まえては個別に槍の指導などをしていたが、他の住人は
「あの爺さんは昔から変わり者だったからな・・」
と誰も気にも留めていなかった。
弥太郎老人はなぜか虎千代にも付きっきりであった。微妙な間を取って虎千代の傍にいた。
虎千代は城の防御工事の指揮を取り、あちらこちらで工事の指示を飛ばすため城内を走り回っていた。
「(林泉寺の天室光育)和尚がこんなこと教えていたとは思えないが・・」
金津新兵衛は虎千代が城の防衛工事をてきぱきと指示しているのを遠巻きに不思議と思い様子を見ていたがその謎はすぐに解けた。
例の弥太郎老人が虎千代に入れ知恵していたのである。
弥太郎老人は若い頃は足軽をやっていたとの噂は新兵衛も聞いていたが、斜に構え、ちょっと人を小馬鹿にするようなところから栃尾の住民からは相手にされておらず、彼のあまり詳しいことはそれ以上は分からなかった。
虎千代が弥太郎の指図を素直に受け入れていたのは虎千代のお人好しな性格からであろうと新兵衛も最初は思っていたが、弥太郎の指図は素人離れしていた。武具の選択や防御用の仕掛けの配置は新兵衛から見ても的確で、実戦に即した篭城に関する術であったからである。
弥太郎は虎千代に密かに丁寧に教え込み、お人好しで、昔、足軽をやっていたと言う弥太郎の言葉を信じた虎千代はそれを全て吸収しているようであった。
虎千代は元来頭が切れ、自分が興味がある物はすぐに紙が水を吸い取るように覚えた。今回も色々と学んでいるようで、よって新兵衛も弥太郎老人の件でとやかく虎千代に言うのはやめたのである。むしろ新兵衛も何気に弥太郎の事を住人たちとは違う視線で気になっていた。
栃尾城は防衛の為、城の畳や雨戸の板、外板床板などが弓矢の防御板として次々に引き剥がされた。城壁や屋根瓦も投石用に破壊された。またその他の仕掛けが数多く用意された。
これもあの弥太郎老人の入れ知恵であった。
防御のため栃尾城の設備がほぼ破壊され、虎千代は実乃にその旨は謝ったが逆に実乃はそのような心構えはうれしく大事にと逆に虎千代を褒めてくれた。
実乃にとっては勝てば安い投資であった。実乃にも根拠はあまりなかったが虎千代のおかげで勝てそうな気がしていたのである。
やがて部隊の配置も完了した。
篭城は天守ではなく千人溜りという場所が選ばれた。住民を収容出来る充分な広さと井戸があり水の確保が可能なためであった。広い場所に篭ることによって侵入してくる敵を分散させる狙いもあった。また先ほどの防衛工事の際に建物を殆ど壊してしまい天守に残る価値がないのも理由であった。
東門、東側一帯が三郎軍の陣地に最短で土地が少し開けているため、ここが激戦の可能性が高く集中的に強化された。北側の城壁も山肌沿いで攻めてには険しい地形であったが梯子や弓手や投石などの搦め手の部隊の侵入や牽制のため弓手中心に配備、三郎軍の陣地と反対の尾根伝いの西門と空堀がある南側の城壁は物理的に部隊の侵入が難しいので賭けではあったが割り切って少数配備にとどめた。
防衛準備がほぼ整ったところで実乃から酒が振るわれた。
士気の向上のためだが別れの挨拶の意味も暗に込められていた。
虎千代は準備で動き回り疲れていたせいもあったが浮かない顔で枡一杯に汲んでもらい 顔色変えずに飲み干した。
(なんで自分がこんな目に逢うのか・・)
と思っていたので酒の味なんか虎千代の意識にはなかった。
「姫様・・・」
実乃がゆっくりと少し驚いた顔で近づいてきた。
「お酒の強さは父上譲りですかな・・」
「・・え!」
虎千代は周りを見渡すとみんな驚いた表情でこっちを見ていた。
虎千代は顔を赤らめた。
初めての酒だったがもちろんいい酒であろうがあっさりと飲めた。
しかし確かににこの酒の強さは父譲りであろう。
例の弥太郎老人も
「いい酒だな・・ 別れ酒には最高だな・・」
ひとり上機嫌だった。
準備は全て整い後は三郎軍の襲撃を待ちかまえるばかりとなった。
城内は緊張に包まれていた。一人落ち着いていたのは弥太郎だけだった。
「今日は来ないな・・明日の明け方から早朝が一番危ないな・・」
弥太郎は独り言のように言った。
老人の言う通りその日は何事もなく終わった。しかしその日の早朝も何も起きなかった。
村民たちは老人の意見など聞くに値せぬと冷淡だったが新兵衛や実乃たちも少し妙な感じを持ち合わせていた。
「妙だな・・」
実乃が思わずつぶやいた。
「戦力差が大きいので東門の真正面突破で堂々と来るのでは?」
秋山源蔵が答えた。
「・・かもな・・」
実乃は黙ってうなずいた。
しばらくたってからである、
「敵が来た!」
物見の大声が響いた。
「!!」
予想外に日が昇ってからの来襲になったが理由など考えている暇はなかった。
全員すぐに迎撃体制に入った。
全員緊張が極限に達しようとしていた。
虎千代は武者震いではなく本当に怖さで体の震えが止まらなくなっていた。
「ったく・・しっかりせんかい、おぬし大将だろう・・」
弥太郎が呆れ顔で声をかけてきた。 そしていつの間にか持ってきてくれた升いっぱいの酒を虎千代に渡して、飲んで落ち着くように言った。
虎千代はぐいっと何も考えず目をつぶって一気に飲み干した。
予想通り北側と東門に三郎軍の足軽が押し寄せてきた。
北側は梯子での強行突入組のようで数は少なく栃尾側の戦力分散を狙った囮のようだった。
東門を破壊し侵入しようとする東側の部隊を主に追い払う作戦に栃尾城内の守備隊は出た。
まずは以前の仕返しばかりと栃尾軍が先攻した。
第一弾は東門外に繋いでいた牛20頭の角に火が点いた松明をつけて、東門目指し栃尾山の尾根道伝いに向かってくる三郎軍真正面に突っ込ませた。東門へ向かう尾根道は細い。牛が突然突っ込んできたので三郎軍は混乱し牛に押しだされて山裾を転げ落ちる者が続出した。
源平合戦の倶利伽羅峠の戦いの真似で虎千代の提案だった。
これをなんとか退け再度突進してきた部隊には第二段として東門の前に大きな落とし穴を作っておいた。三郎軍は落とし穴が邪魔でなかなか東門前に進めず、東門前であたふたしているうちに栃尾軍の城壁上の弓手の攻撃をまともに受け苦戦していた。
城の防衛は一見うまく言っているようだった、しかし
「妙だな・・遅いな」
実乃が三郎軍の動きを怪訝そうな目で見ていた。
「手の内を見ようとしているのか・・俺たちが疲れるのを待ってるのか・・」
源蔵も警戒していた。
栃尾軍はよく守っていたが敵の押しがゆるいような気がしたのである。
三郎軍の本隊はなぜかまだ栃尾城の山腹で待機しているように遅々としており、本気で攻めに動いている気配がなかった。
「やはり変だ・・何かあるな・・」
弥太郎もいぶかっていた。
栃尾側がいぶかっている時、突然北側の山肌から大量の矢の打ち込みが始まった。栃尾城の外板や仕切り戸で作った防御板のおかげで、城内の東門の城壁の弓手隊や門の守備隊、城内の部隊も防御板の内側に隠れれば良かったので問題なかったが、矢の雨がやむまでみんな動けず、持ち場を離れられなくなった。
その時だった。突然西門が何かに叩かれているすごい音がしてきたのである。馬のいななぎも聞こえてきた。
「・・何・・!」
実乃が予想外と言わんばかりの驚きにも似た声をあげた。
「しまった・・!」
新兵衛もうなり声を上げた。
栃尾城側の守備隊は東門と北側の部隊に備え、南側や西側の守りを薄くしていた。
南側は地形の形状で三郎軍陣地から移動するのは難しく、西側も三郎軍本陣とは逆の尾根伝いで徒歩では時間がかかり補給や退路の関係から通常の城攻めでは考えにくかったので、割り切って少数配備にしたのであった。しかし三郎軍は西側の尾根伝いを少数の騎馬隊を使って遊撃を仕掛けてきたのである。
そこを思わず突かれたのである。
栃尾城側の守備部隊は戦に不慣れもあって、東門や北側からの襲撃で浮き足立ち、三郎軍の来襲に慌てて東門の援護に移動してしまい、西側の西門や南側は栃尾城側から言わせれば偶然、三郎軍にしては狙い通り無人状態になっていた。
攻撃時間が遅くなったのも西門経由の部隊の侵攻に合わせて遅らせたのである。
ドカンドカンと西門を叩く音が10秒近く続いた。
「弓手!誰か早く!西門の外の連中を討ち取れ!」
源蔵が大声を出したが迎撃の弓手が北からの矢の雨のために思うように移動ができない。
そのとき、突然矢の雨がやみ、ようやく動けるようになった。
虎千代も急いで西門の押さえに走り出したが大鎧が重くてよたよたと力ない走りであった。
しかしであった。
矢が止むと同時に西門を叩く音にまぎれて、門の木材が割れる大きな音がして西門の破れた穴から大きな木槌が城内に転がり込んでくると同時に西門は完全に蹴り破られ、三郎軍の別働隊と思われる騎馬隊が栃尾城内に乱入してきたのである。
数は30騎程度だが騎馬隊の破壊力、雰囲気は恐ろしく、相当の熟練精鋭の槍の使い手でなければ騎馬を防ぐのは難しかった。
「・・・やられた!」
実乃は固まった、 しかし
「・・姫!逃げて!」
新兵衛の絶叫で実乃は我に帰った。
侵入してきた騎馬武者2騎が虎千代を素早く見つけると猛然と突進してきたのだ。
西門に向かっていた虎千代は恐怖でその場に座り込んでしまい動けないようだった。
騎馬が猛然と突進してくる様子は戦場に慣れている兵士でも恐怖だった。
今まで突進してくる騎馬を見たことがない虎千代にとってはなおさらであった。
虎千代は呆然として声も出なければ動けないようであった。
騎馬武者たちはあっという間に虎千代の目の前までものすごい勢いで駆けつけると右の騎馬武者が大太刀をぎらりと光らせて
「大将討ち取ったり!」
と叫びながら虎千代の首めがけて大太刀を振り落とした。
「姫様!」
「きゃあ!」」
周りにいた住民や兵士の悲鳴と叫び声が一瞬こだました。
新兵衛までも思わず目をそらしてしまった。
次の瞬間金属が激しくぶつかる音がこだました。
同時に左の騎馬武者が叫び声を上げながら地面に叩き落ち、無人の馬が虎千代の左横を駆け抜けていった。
みな一瞬何が起こったのか分からなかった。
だが次の瞬間みな目を疑った。
あの弥太郎老人の槍が間一髪で大太刀を防ぎ、そのまま振り返り様、左の騎馬武者を討ち取ったのである。
しかしさっきの討ち損した右の騎馬武者は
「生意気!」
と怒号すると再度騎馬をすぐに反転させ虎千代と弥太郎に猛然と突っ込んできた。
反対側からも別の騎馬武者が
「挟み込めぇ!」
と再度突撃をかけてきた。
「危ない!」
「逃げろ!」
周りの叫びを無視するかのように弥太郎は一人落ち着き払って構えていた。
虎千代は相変わらず座り込んだままであったが。
弥太郎の動きは老人とは思えない身のこなしであった。
すばやく振り返ると弥太郎は槍を渾身の勢いで最初に切りかかってきた騎馬武者に投げつけた。
弥太郎に投げつけられた槍を腹に突き立てられた騎馬武者は叫び声を上げて馬上でのけぞりかえり、腹に槍を突き立てのけぞりかえったまま、黙って二人の横を駆け抜けて行った。
「丸腰だろうが!」
挟み撃とうと向かってきた騎馬武者は弥太郎が槍を投げつけたため丸腰と思い真正面から槍で弥太郎を一突きにしようとした。 しかし弥太郎は虎千代の薙刀を取り上げるとどっしり待ち構えて、騎馬武者の槍を一瞬の差で避け交わしたかと思うとこの騎馬武者も弥太郎の薙刀の餌食となり、叫びながら馬からもんどりと落ちてきた。馬は無人のまま二人の側を駆け抜けていった。
一瞬で一人の老人の手によって3騎の騎馬武者が討ち取られたのである。
そして弥太郎は静かに、しかしはっきりとした声で言った。
「足軽槍隊長、小島弥太郎、鬼小島只今参上・・!」
三郎軍の騎馬隊は動揺していた。
「鬼小島だって・・?」
「あ、あんなの伝説じゃ・・!」
実乃、新兵衛、源蔵、与八郎たちも驚きを隠せなかった。
鬼小島の噂話は越後の人間であれば、みんな聞いたことはあったが単なる作り話に過ぎないと思っていたからである。
しかし本物が目の前にいるのである。しかもあのお世辞にも強そうには見えない弥太郎老人が鬼小島弥太郎本人だという。
戦場が一瞬止まったようであった。
しかし次の叫び声でみなふと現実に引き戻された。
「弓手! 討て!敵の足は止まってる!早く! 」
虎千代の高い声だった。
三郎軍の騎馬隊はふと我に帰った。
驚きで完全に足が止まってしまっていた。
騎馬隊長らしい男が叫んだ。
「い、いかん! 馬を動かせ !手の空いているものは東門の押さえの連中を斬り捨て・・ぐぁ!」
栃尾軍の城兵の弓手の方が一瞬早かった。
壁上から至近距離で弓を次々と打ち込まれ、あっという間に5騎程の騎馬武者が落馬していった。
「東門の守備隊は防御板の内側からから反撃を!」
虎千代の声が引き続き響き渡った。
東門の裏には門を押さえるための部隊がいた。南や北からの弓の雨を防ぐため分厚い防御の板の壁で彼らは守られていた。東門が外から破られた場合は城内側に移動して2列目の防御板、防護壁も兼ねて頑丈に作った物である。三郎軍の騎馬隊は東門の後ろで門を押さえるこの部隊を殲滅すべく侵入したのに、思わず存在した防御板が邪魔で彼らを排除するどころか防御板の内側から反撃され、突破、移動すらままならず、また城壁からの矢の雨も容赦なく襲い掛かり、三郎軍の騎馬武者は次々と討たれて落馬していった。乗り手を失い無人になった馬だけ城内をさまよっていた。
「馬を奪い取れ!新兵衛!源蔵!」
虎千代は高い声で続けさまどんどん指示を飛ばす。
新兵衛と源蔵たち栃尾軍側は三郎軍側だった無人の馬にまたがると防御板の前で右往左往する三郎軍の残った騎馬武者を次々と挟み撃ちにしていった。
「くそ・・!生意気な小娘が・・!」
混乱の中、一騎で抜け出してた三郎軍の騎馬が座り込んだままの虎千代に突撃をしかけようとしたがほどなく虎千代の側で待ち構えていた弥太郎の薙刀の餌食となった。
「て、撤退しろ!」
生き残った数騎の騎馬が侵入してきた西門に向かって逃げだした。
逃げる途中も次々と槍や弓手の餌食となっていった。
逃げ出したのはわずかに3騎ほどだけであった。
「西門封鎖しろ!」
彼らが出て行くのを確認すると実乃の命令で大八車や板、兵糧や瓦礫等の資材で西門は再度固く封鎖された。
まずは栃尾城側は最初の危機を脱することに成功したのである。
弥太郎が座り込んだままの虎千代の元に寄ってきた。
「・・ありがとう・・」
虎千代は呆然としながら言った。
「なかなかいい指図じゃな・・さすが為景殿の秘蔵っ子じゃな・・」
弥太郎が虎千代を褒めた。
あの斜に構えた弥太郎老人ではなく、足軽隊長の弥太郎の顔であった。
虎千代はまだ顔がこわばっていたままだったが、にこりと笑って返した。
弥太郎もにこりと笑いながら
「まったく・・ 大将じゃろう。しっかりせんかい。いつまで座ってるんじゃ・・」
「・・腰が抜けた・・」
虎千代は正直に言うと弥太郎は苦笑いしながら片手で虎千代を引っ張り起こした。
「まだ戦は終わっておらんぞ しつかりせい!」
「・・ウン」
虎千代は立ち上がるのがやっとだった。
ポンと弥太郎は虎千代のお尻を叩いた。
虎千代は我に帰った。
「な・・!どこ触ってる・・!」
「まだまだじゃのう・・ガハハ」
二人は戦いが続く東門に急いで向かったのである。
東門には三郎軍の部隊がなだれをうって押し寄せてきた。彼らも今度は栃尾城の守備隊の矢を防ぐ防御用の板や畳などを持ってきていた。落とし穴を埋めるための資材も持ってきていた。
遅々としていた本隊が城内の混乱の隙を見て押しかけてきたのである。
「火矢を!」
虎千代が命令した。
壁の上の栃尾軍の火矢が三郎軍に放たれた。
東門に侵入しようと押しかけてくる三郎軍の防御板や防御用の畳に火矢が次々と打ち込まれる。
「菜種油でも蒔いてやれ!」
弥太郎が命令を下した。
菜種油が掛かると火の勢いは増した。
「アチチ・・!」
三郎軍の足軽は熱さにたまらず火のついた防御板や畳を放り出すと無防備になり栃尾軍の弓手の放つ弓矢の餌食になっていった。
しかし三郎軍も今回は引かなかった。西門では一杯食わされたが
「こちらも火矢を放て!」
北側から城内に火矢が打ち込まれた。
「消火しろ!」
新兵衛も負けじと命令を続ける。
女子供が井戸の水を次々と汲み水を桶に満たしてそれを防御板を背負いながら動きまわる消化班に回す。消化班は着地した火矢に桶の水をかけて手際よく順番に消化していった。
もっとも栃尾城内の建物は防御工事用に大半が破壊され逆に火矢を討っても燃えるものがろくに残ってもいなかったが。
「石を!」
虎千代が命令した。
「こんにゃろ!」
「どっか行け!」
北側の三郎軍の部隊に城内の女、子供、老人が石や屋根瓦を次々と投げつけた。
「あたた・・引け!引け!」
石の直撃を受けてはたまらないと三郎軍の北側の部隊は順次後退を始めた。
伊勢三郎は本陣内で不機嫌な表情を隠さずにはいられなかった。
西門への遊撃騎馬隊が反撃を受け壊滅したのと、虎千代の本性の件、味方の苦戦の知らせに本陣で歯軋りを立てていた。
「おのれ・・!小娘相手に・・」
三郎の不機嫌はもはや爆発寸前だった。
春日山城に比べると貧弱な田舎山城であるにもかかわらず大苦戦であった。
おまけに為景の末子の件は噂では聞いていたが、その真相を確認させられ
「小娘に負けたなど噂が立てばワシの今までが・・」
三郎は歯軋りを立てていた。
状況は良くなかったがもはや引くに引けなかった。
三郎は遂に決断した。
「総攻撃!突破しろ!全軍向かえ!ワシも越後を継ぐ権利はあるんじゃ・・!」
三郎は腹をくくると総攻撃命令を下したのである。
城の見張りからふもとの三郎軍の本陣の守備隊もまでも大挙してこちらに向かっているという情報が入った。
本陣を殆ど空にしてまで全戦力こちらに向かっているとのことであった。
「太刀打ち用意!」
実乃が叫んだ。
「予備の防御板を!」
新兵衛も叫んだ。
予備の防御板を柵の様に展開し城内でもさらにもう一枚壁を創る戦術だった。
住民など戦闘に不慣れなものをここから槍で反撃させ、虎千代たちを最後まで守るためでもある。
「来たぞ!」
見張りが叫んだ!
三郎の残存している本隊が我先にと押しかけてきた。
東門だけではなく東側の壁全体に兵が群がるように三郎軍が張り付き梯子を次々とかけていく。何人かが城内に侵入を開始し、城内は混戦修羅場になっていた。そろそろ落城の時期を考え脱出の頃の見計らいも考える段階にもなっていた。
三郎軍と戦った実績を作って緊急時には西側の門の外に密かに隠し、潜ませていた馬で栖吉へ脱出する案がひそかに実乃、新兵衛らで練られていた。戦わず逃げるのと戦って逃げるのとでは越後国内での今後に大きな違いが出るからである。栃尾城に残される者は代々栃尾の英雄として祭ると言うことだった。
「姫・・ 奥に来てください・・」
新兵衛が虎千代に声をかけた。そして脱出用の馬のことを密かに話した。
しかし意外な答えが返ってきたのである。
「・・みんなが必死に戦っているではないか・・いやだ・・ここに残る・・ 」
虎千代は普段と同じ表情で答えた。
新兵衛は心底驚いた。
虎千代は女子であったが彼女の表目に出ない武士の子の魂の一面に感心しきりではあったが虎千代を守るのも彼の責務であった。
「・・大将のあなたがやられたらすべて終わりなんですよ・・」
と言おうとしたとき 様子を見ていた弥太郎がすかさず口を挟んだ。
「さすが大将!覚悟が違うな!」
「皆の者!姫がここで奮戦されている!恐れるな!」
続けて源蔵が大声を上げた。
「おお!」
栃尾軍が沸きかえった。
新兵衛や実乃の予定とは全く違った展開になってしまっていたが栃尾側の士気は高まり三郎側の圧迫が緩んだようだった。
しかし栃尾城の守り手も必死に防戦していたが多勢に無勢で数ヶ所から始まった侵入で城内でも至る所で太刀打ちが始まっていた。
栃尾軍兵は侵入してきた三郎軍と直接太刀打ちに入り兵士住民問わず男手はすべて不慣れ
にも関わらず必死で戦っていた。東門を押さえる防御板の奥は実は女子供、老人が主であっ
たがみんな必死に城門を押さえていた。流れ矢を受けている者もいたが誰も退かなかった。
脱出が不可能になったためみんな死に物狂いになっていたのである。
栃尾軍側の足軽や住民兵の抵抗は激烈だった。
戦闘中であったが三郎軍の中からも驚きの声が漏れていた。
虎千代は正直、このような混乱の最中であったが新兵衛が意外と槍の名人であることを初めて知った。新兵衛には失礼だが年甲斐もなく槍を振り回し大暴れしていたのは以外であった。
もちろん新兵衛は虎千代を守るという責務で奮戦しているのであるったが虎千代も勇気付けられ薙刀を必死で分けもなく振り回していた。
しかしやはり一番目立ったのは弥太郎老人であった。鬼神そのものだった。
三郎軍は苦労して城内に侵入しても彼の前に立ちはだかった瞬間次々になぎ倒され動揺しているのが傍目でもわかった。
状況は栃尾側が次第に持ち直してきていた。
「何をやっておる・・」
三郎は一向に攻め落とせない状況に本陣内で歯軋りを立てていた。
少数の兵のしかも初陣の15歳の姫大将が立て篭もる城を落とせなかったなど噂がたったら笑いもので、ここまで苦労してのし上がって来たのがすべて水の泡であった。
そのとき遠方で騎馬隊と思われる砂煙があがりこちらに向かってくるのが見えた。
三郎は喜んだ。
「黒田殿か!増援だ!今度こそ落としてくれる!」
栃尾城の外でもこの情報がすぐに伝わった!
「援軍だ!一気にこじ開けろ!」
三郎軍が勢いづいた。
「援軍だと・・?」
「まだ来るのか!?」
栃尾城内に動揺が広まった。
栃尾城の守備隊はよく戦っていた。
しかし既にみな疲労が限界に来ていた。
絶望にも近い空気が漂い栃尾側の力が抜けて行くのがわかった。
(これまでか・・)
新兵衛は思った。密かに虎千代に近づこうとしたどこに行ったのか見当たらない。
虎千代に近づこうとしたのは敵の無名の兵の手にかけられるより自分の手で・・と言う
最後の奉公の気持ちからであった。
逆に東門を押す三郎軍の圧力は急に増し東門は不気味なきしみ音を発し始めた。
城壁にへばりつき進入してくる三郎軍の勢いが明らかに増し始めた。
戦の流れが変わろうとしていた。
そのときであった。
城内のどこかでどよめきと同時に
「ひるむな!」
大きな高い声が突如割って入ってきた。
みんな振り返った。
虎千代本人だった。
いつの間にか馬にまたがり太刀を振り上げていた。
虎千代は馬に乗り慣れていないせいもあって馬が暴れ気味だったがそのおかげで周りには三郎側の足軽が誰も近づいてこなかった。
普段の女々しい虎千代と違い落ち着き払いまるで別人だった。
はっきり言って美しいというか神々しい雰囲気さえ放っていた。
「我は毘沙門天の化身!勝利は我らにあり!恐れるな!」
虎千代が大声で叫んだ。
振り上げた太刀がぎらりと陽光を浴びて光った。
新兵衛、実乃は正直に驚きを隠せなかった。
(この娘は実はとんでもない器に・・)
二人は顔を見合わせた。
弥太郎だけは全てをお見通しのように、にやりと笑った。そして
「・・・そうじゃあ・・!」
老人とは思えない雄叫びをあげた。
「まだまだじゃぁ・・!」
源蔵、与八郎も声を張り上げた。
栃尾軍の戦意は一気に立ち直った。
再度栃尾城内の戦力は野残った力で猛反撃を開始した。
しかし、しばらくして城の外でもなぜか戦闘が始まったのである。
「・・・なんだ? 仲間割れか?」
与八郎が驚いた。
「・・いや!・・・味方だ!」
源蔵が声を上げた。
三郎が味方と思っていた部隊は実は黒田軍ではなく栃尾側の栖吉長尾の軍勢だった。
「遅ればせながらじじいが助太刀に参ったぞ!」
虎千代の祖父の長尾房景の部隊が老体に鞭打ち、騎馬で背後から攻撃を仕掛けていたのである。
「どけどけ!」
勇猛と噂の息子の景信の部隊も突撃してきた。
三郎軍は逆に挟まれてしまい混乱に陥っていた。
城内に侵入した部隊も本体に合流すべく慌てて城外に逃げ出した。
勝負はあったのである。
栃尾城内の兵士は沸きたった。
突然 弥太郎が虎千代に近づいてきた。
「虎千代 ワシの言うとおりにしてみろ・・」
「え・・・?」
「初めて戦う相手には相手が怖いと植え付けると次の戦が楽になるからな・・
ワシの言うとおり号令をかけろ・・」
虎千代はうなずいた。
虎千代は相手にも聞こえる大声で号令をかけた。
「足軽隊!東門前に集合!槍を持って!」
栃尾城兵は突然の号令に一瞬あっけにとられたが
「はっ!」
弥太郎がすばやく返答し、槍を持って東門前に移動すると弥太郎に習い他の者も慌てて槍を持って東門前に移動した。
なぜか実乃、新兵衛、源蔵、与八郎までもが入っていた。
源蔵が悪戯っぽく弥太郎に尋ねた。
「鬼小島隊長殿! 何をされるのか?」
「見てのお楽しみじゃ・・!」
弥太郎も悪戯っぽく答えた。
「東門守備隊は後方退去!東門開放用意!防壁板撤去!」
栃尾軍の兵士は何がなんだか分からなかったが、虎千代の命令には従っていた。
しかし外の三郎軍は違っていた。彼らは恐怖におののいていた。
「・・反撃に・・出て来るのか?」
三郎軍はざわめきだしていた。東門を押す勢いは完全に無くなっていた。
虎千代の声は壁越しに三郎軍にも響き渡っていた。
「槍を構え!」
弥太郎が小さな声で周囲に指示を出した。
「ワシのマネをすればよいさ・・あまり深追いするなよ・・自分たちで掘った落とし穴に入りたくないだろうに・・」
弥太郎は悪戯っ子のように言った。
周りは皆笑いながらうなずいた。
「城門! 開け!」
虎千代は太刀を上に振り上げた。
今まで散々三郎軍が開けるのに苦労をしていた東門が静かに開いた。
三郎軍の兵士は凍った。
開いた城門の向こうで無数の槍がこちらを鋭く睨んでいたからである。
しかも隊長は噂の鬼小島である。
虎千代が太刀を振り下ろすと同時に命令を発した。
「鬼小島隊!突撃せよ!」
弥太郎が叫んだ。
「鬼小島隊!突貫せよ!」
「うおお!」
雄叫びと同時に栃尾城内から槍隊が三郎軍に突進してきた。
三郎軍はあっという間に前線を放棄した。大慌てでみな逃げるように退散を始めた。
栃尾軍の勝利が確定した。
城内いたるところ勝利の歓喜の声が上がりお互いみんな抱き合って喜んでいた。
弓手は栖吉軍の援護のため弓を打ち続けていた。
虎千代は馬を降りると壁上に登り弓手の側に寄って様子を見た。三郎軍は総崩れだった。
栖吉軍にも追い散らかされているようだった。
「味方に当てるな!」
虎千代が笑いながら普段の口調で弓手に言った。
「わかってますよ!」
弓手も笑いながら返した。
いつの間にか弥太郎もすぐ側に来ていた。
弥太郎は静かに話し出した。
「勝てる軍の秘訣を最後に教えてやろう・・ まず主君は兵士に安心できる報酬を払い充分な装備を与え戦に専念できる環境を作り戦術を練る・・ 兵士はそれに答えるべく良く鍛錬し主君の指示に迅速に従い全力をつくす・・それだけじゃ・・兵士の数なんて次の問題なんじゃ・・簡単じゃろう・・? 」
虎千代は笑いながらうなずいた。
弥太郎もそれを見て笑顔で返した。
弥太郎の心からの笑顔を始めて虎千代は見た気がした。
「ほれ・・栖吉の連中も雄叫びを上げてるぞ・・」
三郎軍の姿はもうなかった。栖吉軍に虎千代は手を振って答えた。
弥太郎の方を見るとさっきの笑顔のままだった。
「・・弥太郎・・?」
虎千代は声をかけたが2度と返事は返ってこなかった。
背中には矢が2本刺さったままだった。
戦の終わった城内では片付けが開始された。
両軍の兵士の遺体が集められ埋葬の準備が始まっていた。三郎軍の打撃は相当なものであったが栃尾軍も被害が大きかった。虎千代はいつも懐にしまっている毘沙門天を取り出し亡き兵士たちに念仏を唱えた。
虎千代は最後に弥太郎老人の遺体の側に膝まずいた。
新兵衛、実乃、源蔵、与八郎、栃尾の住民らが既に周りに集まっていた。
虎千代は涙が止まらなかった。
住人たちも
「じい様・・あんたを見直したよ・・」
「見ろよ いい笑顔だ・・こんな笑顔見たことなかったよ・・」
みな涙を流していた。
源蔵も
「小島殿・・もっと早くあなたと知り合えていれば・・」
と 悔し涙を流していた。
虎千代は言った。
「この人がいなければ私はとっくに死んでいた・・この人とはこの前に会ったばかりなのになんで見ず知らずの私にこんなに尽くしてくれたんだろう・・」
実乃が答えた。
「真の侍は自分の主君には全力全霊をかけて尽くします・・弥太郎殿は虎千代様にその資格があると思われたのしょう・・」
「・・私が・・?」
実乃、新兵衛はうなずいた。二人は本気であった。二人は虎千代の力を確信していた。
でも虎千代は何も言えなかった。なぜなら虎千代は自分をただの小娘だと思っていたからである。
虎千代は弥太郎老人が自分の隊の隊長として先陣を切って行進している姿を思い浮かべていた。しかしその叶わぬ姿に余計に涙が止まらなかった。