都の人々
体調を崩したせいもあってしばらく景虎は都で休養した。
関東管領や裏書御免の御内書は幕府内の手続きなどで6月頃までかかるという。
越後国内が心配であったが信濃も関東も今回は大人なしくしいてくれたのが幸いであった。
足利将軍家の実力は既になかったが権威はまだまだ健在であった。
もっとも武田晴信や北条氏康から見れば若造・景虎の幕府や朝廷への交渉への腕前を拝見しているというのもあったであろうが。
景虎は今回も堺の蔵田五臓左衛門の越後屋敷に遊覧にでも行こうかと思っていたが体調が優れないのと今回は特に案件がなかったので家臣団のみに行ってもらった。
彼らの親睦や気分転換も兼ねてである。前回同様千坂景親が影武者で景虎役である。
宇佐美定満や直江景綱はせっかく堺に行くのであれば鉄砲の調達を提案してきたので許可を出した。
景虎は実は鉄砲の有効性を認めており義輝から「鉄放薬之方調合次第」という巻物を今回の上洛時に下げ渡されている。これは元々豊後(大分)の大友義鎮から義輝に進上されたものである。
こうして景虎役の影武者千坂を筆頭に宇佐美 直江親子 中条藤資 柿崎景家夫婦 斉藤朝信夫婦 北条高広 色部勝長 本庄繁長、さらには女中のお春と花たちも堺に嬉しそうに出かけていった。
留守は景虎と本庄実乃 金津新兵衛 京都留守役の神余と親衛隊のみと越後屋敷は一気に静かになってしまった。
景虎は静かに休んでいると何か庭先が騒がしい。
何事であろうかと思っていた矢先突然弥太郎が困った顔をしてやって来た。
景虎に来客が来ているという。
尾張の織田信長の使いの者と言っているが妙な格好をしており嘘くさいので追い出そうとしたが親書を手渡ししたいと頑として引かないとのことであった。新兵衛と実乃が景虎本人は堺に出かけていて不在であると対応にあたっているがどうしても景虎本人が帰ってくるまで帰らないと座り込んでいるという。
弥太郎は力づくでその妙な来客者を追い出しても良いかと景虎に相談に来たのであった。
(妙な格好・・どこかで会ったような・・??)
景虎も以前会ったような気がしたが思い出せなかった。
ただ信長が敵を油断させ欺くために妙な格好をしている件はすぐに思い出した。
わざとやっているのであるので弥太郎や親衛隊、新兵衛と実乃にはこの妙な使者を丁重に扱うように伝えた。
ちなみに桶狭間の合戦以前の尾張の信長はそれほど有名ではなかったのである。
景虎は信長には会ったことはなかったが自分と同じく義輝に上洛して謁見している忠義者と認めていたので信長が自分宛に親書を送ってくれたことは嬉しかったが自分が出て受け取るのには躊躇した。
家臣団の心配もあり、あまり自分が女であるとの事実が広まるのは嫌だったのである。
「弱ったな・・信長殿の親書は受け取りたいから追い返すわけには行かないし・・」
影武者の千坂がいないときとは時期が悪かった。
「千坂を呼び戻しますか?それから出直してもらいますか?」
堺からであれば1日で帰って来れる。
「・・うん・・」
そうしてもらおうかと考えたが出直しを要求するなど無礼に思われるのもいやであった。
景虎は少し考えた。
「・・そうだ!」
景虎は妙案を思いついた。
自分が出て対応することにした。
「・・いいんですかい?」
弥太郎がけげんそうな顔をした。
「あの技があるので大丈夫・・」
と悪戯っぽく言った。
「あの技・・??」
弥太郎は不思議そうな顔をしていた。
使者は早速広間に通された。
新兵衛や実乃は景虎から信長のやり方の相手を油断、欺くためにわざと妙な格好をさせている件を知らされて一応納得はしたが事前に日程調整もせずにいきなり押しかけてくるやり方に不満気だった。
景虎もそれもおそらく信長の自分を試しているのか尾張の小さな礼儀知らずな田舎大名と思って気にしないことにした。
新兵衛や実乃、弥太郎、秋山源蔵、戸倉与八郎たちが不満気な顔をしている中、信長からの使者は堂々としていた。
景虎は普段着のまま広間に入ってきた。
信長のからの使者は驚きもせず深々と景虎に礼をした。
景虎は今日は景虎本人が不在なので景虎公の姫君の伊勢姫が代わりに信長公からの親書を受け取るとのことでそれで収めようと思ったのであった。
自分は景虎公の姫君の伊勢姫と名乗った。
信長の使者は突然の訪問に侘びを入れたあと
「景虎様宛の信長様からの親書を持ってきました前田慶次と申します」
と名乗った。
「麗しく武勇に優れた伊勢姫様にお通しして頂きまして誠に光栄であります」
と言った。
景虎も
(伊勢姫の武勇?・・堺の件を知っているか・・)
察しがついた。
景虎はお茶を飲みながら思い出そうとしていた・・この男見たことあると・・
慶次は続けた。
「それにしても越後屋で私が声をかけた売り子の可愛い娘が景虎様の姫君とはまこと驚きであります・・」
慶次が不思議そうな顔で言った。
景虎は思わず咳き込んでしまいあやうく茶を噴き出しそうになった。
景虎が堺の越後屋で店先に立っていたことなど夢にも思っていない新兵衛や実乃、弥太郎、秋山源蔵、戸倉与八郎たちは
(何をこやつ言ってるんだ・・?)
と不思議そうな顔をしていたが。
景虎は思い出した。前田慶次は景虎が越後屋で売り子に変装していた時に対応した男であった。
(しまった・・裏目に出た・・)
と思ったが景虎はしらを切ることにした。
動揺していたが落ち着いた振りをして
「慶次殿・・景虎殿は堺に出かけており今日は不在だ・・信長様からの親書は私が代わりにありがたく頂戴したい、景虎公も喜ばれるであろう・・信長様へは今後もよろしくお願いしたいとお伝え願いたい・・」
慶次は
「わかりました・・こちらこそ両家の友好のため宜しくお願いいたします」
と嬉しそうに言った。
「越後屋の件は人違いであろう・・」
景虎は落ち着き払って言った。
慶次は失礼いたしましたと侘びを入れた。
内心はそんなはずはないのだが・・と思っていたのだが。
景虎は後日こちらからも御礼の親書を送る旨を伝えた。
慶次も安心したのか帰って行った。
「それにしてあの男 越後屋の売り子と姫とを間違えるなんて相当眼が悪いな・・」
弥太郎が呆れていた。
「今流行の眼鏡とかいうやつを買った方が絶対良いな あやつ」
源蔵も笑っていた。
「あのままじゃ間違って味方を討ちかねないな・・」
与八郎も笑っていた。
景虎は黙っていたが・・
一方慶次は旅篭への帰りの道中に伊勢姫はなんで越後屋の売り場にいたのかいろいろ考えていた。
堺で一緒だった連れの者に景虎殿が堺に外出中で会えずにあの伊勢姫、越後屋の売り場の娘に代わりに会ったと伝えると
「ただの物好きなおてんば姫なんじゃないですか?馬上で具足を着て長槍を振り回すのがお好きなようですし・・」
と気にも留めていなかった。
むしろ両家の友好が深まった、信長様も喜ばれるであろうと素直に喜んでいた。
不思議そうな顔をしている慶次に
「むしろあの時本当にお茶屋に連れて行っていたら外交問題になっていましたぞ」
と笑いながらあまり冗談にならないことを言っていた。
「確かに・・」
慶次もあの時の事を思い出して思わず苦笑いしてしまった。
慶次も忙しい。
とにかく両家の友好という大任を無事果たした以上、来週義輝にせっかく呼んでもらった歌会に尾張の顔として参加するために素晴らしい歌を詠みたいと思いどんな歌を詠もうか・・と頭を切り替えた。
一週間後 堺からようやく千坂たちが帰って来た。
夜酒宴を開いて報告を聞くことにした。
堺は大都会であったとみな感心しきりであった。
直江娘や斉藤妻、柿崎妻らは南蛮船 南蛮人 キリシタン宣教師を見ただの大いに盛り上がっており良い気分転換にもなったようであった。
宇佐美や直江からの報告によると堺は表向きは落ち着いており、以前堺の商人と散々もめた青苧の件も戦の噂の件ですっかり忘れ去られていると言っていた。
なんでも義輝の誘いにのって摂津守護の畠山氏が長慶と仲違いして戦の準備をしていると持ちきりでそのためか鉄砲が入手難になっており思ったよりも少数しか購入できなかったとも言った。
もっとも景虎が伊勢姫の格好で堺で暴れたので越後国の評判が良くなくそれも鉄砲の入手難に環をかけているとも渋い顔で言っていたが。
景虎もその件はやりすぎたと反省していたが覆水盆に返らずである。
「堺では越後の伊勢姫は年甲斐もなくおてんばだと評判ですぞ」
と繁長が遠慮なく言うとさすがに景虎も膨れてしまったが。
年甲斐も無くは余計なお世話であろうと・・
千坂の影武者演技も板についてきたようで
「千坂の奴わしらに命令しおるんじゃ・・酒は控えめにしろって」
中条が千坂をからかった。笑いが起きた。
「阿虎様に言ってみろって」
色部が言った。
「・・最近は姫も酒を控えてられるようなので・・今日はよろしいでしょう・・」
千坂もうまく返した。笑いが起きた。
「あの町娘の名前を聞いて来いと命令されたときは参りましたが・・」
繁長が遠慮なく続ける。
「おぬし・・ばらすなよ・・」
千坂が少し顔を赤らめていた。
大笑いが起きた。
「阿虎様なら自分から遠慮なく声をかけるって!阿虎様の影武者の修行まだまだ足りんぞ!」
北条が続けた。大笑いがまた起きた。
景虎はまた膨れてしまったが・・
普段は遠慮しているつもりだって・・遠慮しないのは酒を飲んでいるときだけだと・・
なにはともあれ堺の方も越後商人の環境に異変が無いのは何よりであった。
ただ義輝の工作が功を奏しているのは喜べなかったが。
都の留守での報告は信長の使者が親書を持って来たと伝えたが誰も反応しなかった。
桶狭間合戦前の信長はまだまだ無名であった。
その後朝廷の挨拶にも向かった。正親町天皇や公家集への挨拶である。
越後の名前、力を世に示すためでもある。
土産も今回は多めに積んでいった。実はこれには裏があって蔵田五郎左衛門から朝廷や公家衆に人気がある商品は畿内では人気が出るとの事で越後の各種物産の紹介を兼ねていたのである。
景虎お気に入りの純白の越後白布、信濃川の鮭や日本海の海産物、うるし、ロウ、砂金はもちろんだが一番大事なのは越後の主力産物 青苧の紹介だった。越後産の青苧を使った織物の売込みである。
景虎自ら越後産の青苧を原料とした小直衣を着て、その他色々商品説明しその効果があってか越後の青苧を原料とした織物の最高級品は越後産に限ると宮廷でも話題になった。
風通しが良く汗がべたつかないとの理由で評判が良く貴族の礼服は越後産の青苧から造られた物に限ると評判になった。おかげで堺でも越後産の青苧は高級品の代名詞として取引されるようになった。
堺では「越後」だけで高級品の代名詞として通じたという。
今回もご婦人方との交流も怠らなかった。
個人的な息抜き楽しみ意外にも上記の越後名品の紹介の続きでもある。
しかし一番の狙いは都の公家集のご婦人は噂好きであった。
日記にいろいろ書かれるのを防ぐため、自分の正体を書かれないように接近したのである。
事実いろいろご婦人の日記には書かれていて格好は良いが食べ方が下品など書かれた者もいるしあの織田信長も格好は良いが田舎臭いと書かれているとのことである。
景虎はこの交流が項を奏したのかご婦人方の日記には
越後から長尾景虎が来た
としか書かれていないという。
しかしよほどおしゃべり好きだったのか義輝や天皇本人たちよりも長く時間をとっていたと記録されているのは以前述べた通りである。
最後に景虎は義輝に呼ばれていた公家衆との歌会に呼ばれた。
今回の上洛で締めを飾り景虎が最も楽しみにしていた行事でもある。
あの義輝以外にも前嗣や彼らと親交が深い都の公家、さらには都の文化人たちがいろいろ呼ばれているので桃色や紅色の小直衣を重ね着して烏帽子の中に髪を束ねて男装の麗人として出かけた。
義輝 前嗣に挨拶すると彼らが親しくしている都の公家衆や茶人、文化人、僧侶に景虎を紹介してくれた。
しかしここで思わぬ者と遭遇してしまった。尾張の前田慶次も来ていたのであった。
慶次は景虎が今回来ていると聞きつけ挨拶に来たのである。
景虎は慶次を見て固まってしまった。慶次も景虎を見て口には出さなかったが驚いていた。
景虎は困った顔をしてしまった。言い訳が出来ないからである。
慶次も同様である。伊勢姫そっくりの女性だと思うが・・男装しておりが景虎と名乗っている。どういうことかと。
「どうなされた・・?お知り合いかな?」
義輝が景虎と慶次の思わぬ反応に声をかけた。
「い・・いや・・別に・・よ よろしくお願いします・・慶次殿」
景虎が慶次に挨拶した。
「こちらこそ・・よろしくお願いします・・景虎様」
慶次も挨拶をした。
なんか気まずい空気が流れていた。
義輝も何かを察したのか二人を離して移動しようとしたが
「ちょ・・ちょっとお待ちくだされ・・」
慶次が声をかけてきた。
景虎は騒ぎになるのは嫌であった。
景虎は慶次にそっと近づくと外から見えないように袖の中から慶次の手をぎゅっと握った。
慶次は驚いた。か細い女の手であると。
景虎はじっと困った顔のまま それ以上は何も言わないで欲しいと・・言わんばかりに慶次の手を握りしめたまま見つめた。
そして静かに言った。
「・・慶次殿 後で少しお時間頂ければと・・」
不覚にもじっと見つめられて少し慶次は恥ずかしくなってしまった。
「・・了解しました・・」
二人は一旦その場を去った。
歌会が始まるまでにまだ時間があったので約束通り景虎は慶次は二人だけで会うことにした。急遽茶室一室を手配した。景虎は茶を用意して慶次を待った。
「失礼します・・」
しばらくして慶次がやって来た。
景虎の前に座ると礼をした。景虎も礼をした。景虎は慶次に茶を差し出した。
茶を差し出すと
「騙すつもりはなかったが・・不愉快な思いをさせてすまなかった」
と景虎は慶次に詫びると烏帽子を脱いで中に束ねていた黒髪をはらりとほどいた。
慶次は黙っていた。
以前会った伊勢姫が目の前にいた。
「女だてらに守護をやる 国を束ねる 軍を率いるのは大変だからな・・」
景虎は言った。
「家臣のみなも心配している・・猛者揃いの他国衆に侮られてはならぬと・・それに必死に答えているだけだ・・」
景虎は無表情に言った。
「伊勢姫は私 景虎で 景虎は私 伊勢姫だ・・」
慶次は黙ったままであった。
「女子の細腕で国を治めること心労察し余ります・・」
慶次は言った。
「公家のご婦人方からは信長殿は評判が良いので私の心情も察してくれるであろう」
景虎は言った。
慶次は黙ったままであった。
「信長公は妹想いな素敵な優しい方と聞いているが・・」
景虎が公家衆のご婦人方から聞いた噂であった。
慶次は少しなんと答えるか迷った。
信長は普段は若干手荒いが部下には優しい。信長の実の妹 お市の方への信長の可愛がりようは尾張でも有名でおかげで彼女の嫁入りは当時としては遅い20歳を過ぎてからであった。
しかし信長は怒ると誰にも止められない。
慶次は信行の事を思い出した。信長の弟である。
信長に反逆し信長の怒りを買い殺された。
信長は身内であれ逆らうものには容赦しない。
(この事を話すかどうか・・)
景虎を脅すつもりはなく真相を話そうと思ったままである。
少し迷ったが遠まわしに言うことにした。
「信長様は部下思いで妹様に優しい方ですが・・怒ると怖いほど容赦しませぬ・・身内であろうと・・」
景虎は少し意味がわからなかったが好意的に受け取ることにした。
「妹想いか・・りっぱだな・・」
慶次は少し後悔した。誤った解釈を送ってしまったかと・・しかし忘れることにした。
信長も武田晴信同様に自分に慕ってくる人間には優しかったが逆らう者には熾烈その者であった。
晴信の比ではなかった。
景虎はこの時はまだ知らなかったが信長はこの後歴史に残る様々な事件を起こしている。
「しかし・・」
慶次は続けた。
「私は信長様に仕える者・・真実は報告しないといけませぬ・・」
「そうであろうな・・」
景虎もうなずいた。
「しかし尾張では信長公とそなただけの秘密にしておいて欲しいな・・」
景虎の女らしい頼まれ方に少し躊躇したが慶次は答えた。
「景虎様のご要望にはお答えしかねますな・・」
景虎は女性ならではの悲しそうな顔で慶次を見つめた。
慶次は少し動揺し考えていたがなんとか返した。
「・・しかし 伊勢姫様のご要望であれば・・お受けいたしましょう・・」
慶次はにこりと少し笑いながら言った。
「・・なら 伊勢姫の願いとのことでよろしく頼む・・」
景虎も少しにこりと笑いながら返した。
「・・そろそろ時間だ・・行きましょうか・・」
いつの間にか時間がだいぶん押したようで慶次が景虎に言った。
景虎は髪を束ねると烏帽子かぶって慶次と会場に向かった。
歌会は豪華に行われた。
以前都を訪れた時も義輝と景虎は歌を詠みその腕前はお手の物だがそのときの歌は
義輝 「 天地もただ一かたにおさまれる 君がためしや千代の初雪 」
(初雪が降って白一色のよい景色になったが、これはあなたが世の中を平和にしてくれるというしるしであろう)
いう歌に対して
景虎も「 昔よりさだめし四方に立ち帰り おさめさかふる千代の初雪 」
(初雪がすべてをおおって白一色にしたのは、昔から定まっている通りに、足利将軍の世に戻って、世の中が平和に治まり栄える証拠です)
風流の中に将軍を敬い、世の中の秩序を正そうとする景虎の少々古い心情が読んで取れる。
今回の上京時に読んだ歌であるが「祈恋」と言い
「つらかりし 人こそあらめ 祈るとて 神にもつくす わかこゝろかな 」
(つらいと感じた人は祈りの際も恋する人を思うのと同じように神につくす、それこそが私のこころのありどころなのです)
と非常に風情のある雅歌(恋歌)を詠んで参加者を驚かせたと言われている。
景虎は義輝から欲しい和歌の書物があったら前嗣に頼んでも良いといわれた件は素直に甘えて前嗣の父の近衛稙家から詠歌大概(藤原定家著 鎌倉時代の歌人)の写しを頂戴し、前嗣には和歌懐紙と三智抄という和歌集をお願いした。
前嗣も実は三智抄の事を知らなかったので余計に驚いたと言う。
結局三智抄は見つからなかったが、和歌懐紙はすぐに景虎に届けられたという。
一方前田慶次も文化人として名を馳せ 後年になるが諸般あって尾張を出奔して自由人になったときの歌、亀岡文殊堂詠んだと言われる5首の和歌を残している。
このようにいろいろあったが都での生活はあっという間に過ぎ、6月頃、義輝からようやく関東管領 裏書御免 信濃の件の御内書が届き、こうして都での生活に終止符を打つときが来て越後に帰ることになった。
そんな時あの前嗣自ら越後屋敷を突然訪れて来た。
景虎は突然の貴賓の来客に驚いたが丁寧に対応した。
前嗣は関白であり朝廷の実質的な最高権威者である。
突然自分を越後に連れて行ってくれと言い出したのであった。
これにはさすがの景虎も驚きと同時に難儀した。
来年に控えている正親町天皇の即位式で朝廷の最高権威者の関白が不在だと即位式の格好がつかないからである。当然朝廷も幕府も反対であろうと。
下手をしたら関東管領の件も台無しになりかねない。
今回の正親町天皇の即位式は実は非常に訳ありで前の天皇の後奈良天皇は既に3年前の弘治3年(1557年)に亡くなっていたのだが朝廷があまりの財政難で即位式を挙げられなかったのであった。そのため今回は待ちに待った即位式であり朝廷にとっては重要な行事であったのである。景虎ももちろん土産などを持ち込んでいたがこの即位式で莫大な献上金を出したのは西の王者、毛利元就と本願寺であった。両者はこの後戦国の雄として当然名を馳せることになる。
景虎も朝廷や幕府の権威回復のため前嗣が自分の関東管領の件でいろいろ動いてくれたのは認めていたがまさか彼自ら関東に下りたいとは正直予想外であった。
彼の秩序の回復を願う気持ちは痛いほど理解できたが彼は関白である。
結局来年の正親町天皇の即位式が無事終了してからで丁重にお願いした。
朝廷や幕府の反発を景虎が恐れたのである。
前嗣は景虎より6つ下の若い公家であるが公家らしくなく足腰も軽くまた血を少しでも見ると卒倒するといわれる公家衆においても血書を自ら提出して景虎を驚かせた。
彼の決意はそれほど強かったのである。
血書には与力同然の覚悟やら景虎一筋に頼みたいなどと書かれていたという。
景虎も関白と一緒に関東平定の期待に答え、再度都に上洛し、将軍家の権威を回復したいと当時は真剣に考えていたのである。
都を出発する直前 さらにもう一人別の若者が突然景虎を訪ねて来た。
義輝の使いの者であると言ったが景虎は失礼ながら記憶になかったが・・
会ってみると見覚えがある顔であるが・・はてと。
ようやく思い出した。義輝や前嗣との宴会の時彼らが用意した色小姓の一人で、景虎が結構お気に入りだった若者であった。
仕官したいので越後に連れてってくれと言って聞かない。
景虎はちらりと家臣団を見回してみた。みなやはり冷たい視線であった。
「・・どこかの間者(忍び)の可能性もあるのにそのような軽い気持ちで夜宴で会った小姓をつれて帰るなど・・」
と直江や宇佐美も渋い顔であったが彼の信用できそうな態度、爽やかな容姿や切れ者な雰囲気に負けて結局連れて行くことにした。
どうしてこう情緒的なんであろう・・と家臣団は呆れ果てていたが・・
この若者は近江の国出身で河田長親と名乗り後に彼は越中 能登の戦で大活躍をして景勝時代も重臣として活躍するのである。




