将軍家
続いて別日程で義輝から誘いを受けていたので早速再度室町御殿に向かった。
意外なことに今日は自分しかいないので普段着で気楽にいらっしゃれとの連絡が来た。
(長慶殿が手を打ってくれたのな・・)
と思いながら室町御殿に入ると義輝が相変わらず友好的に迎えてくれた。
今日は珍しく女中が一緒に迎えてくれたと思ったら義輝の正室と母親がわざわざ景虎を出迎えてくれたのであった。逆に景虎は恐縮してしまった。
ちなみに義輝の正室は絶姫と言い近衛稙家の娘で近衛前嗣の姉にあたり、義輝の母親の慶寿院は稙家の妹である。
この二人が今日はいたので普段着である女装で来るように依頼があったのだろうと察しがついた。
実は今回義輝と長慶の訪問が逆になったのはもうひとつ理由があった。
神余親綱から義輝が結婚した件を聞き、彼の正室への越後土産を追加で渡すため本国から大急ぎで取り寄せるための時間稼ぎでもあった。
景虎はまず越後土産を渡すと早速義輝と交渉に入ることにした。
関東管領の件と信濃の件とそれに関する裏書御免、越後国人集や関東国人衆向けの塗輿御免の権利をお願いした。
義輝は諸国の大名に将軍家再興のための手助けを依頼していた。
もちろん暗に打倒長慶なので長慶はそれを不愉快に思ってはいるが。
景虎もしきり、そして武田や北条にも依頼を出していた。
「関東管領の件と信濃の件は武田と北条から反発を受けている・・」
と義輝は言った。予想通りである。
しかし実際に都まで来たのは越後だけなのは義輝も充分に認めていた。
関東管領の上杉憲政を保護しているのも景虎である。
北条は実質的に関東管領を追い出し武田はその同盟者である。
しかも武田は信濃では自分の和平勧告の御内書を無視した。
彼らは将軍家に対して従順とは言い難かった。
景虎もこの件で少し自分の対応に不満を持っていることを義輝も承知していた。
「・・そなたに任せても良いとは思うのだが・・」
義輝も困っていた。
景虎も今日この場で即答がもらえるなど考えていなかった。
おそらく長慶に相談してから決めざるをえないであろうと・・しかし既に長慶の方は手を打っておいた。今回は越後軍も連れてきている。
義輝に手荒な真似をするつもりは毛頭なかったが・・義輝が断れば朝廷に圧力をかけてでもとにかくこの件は譲りたくなかった。義輝の母方の実家の近衛家にも押しかけようとも真剣に景虎は考えていたのである。
ただすぐに結論が出るような簡単な問題ではないのも承知していたので近く回答がもらえればと再度深々とお願いした。
裏書御免も将軍や管領だけの権限で書状を包む封紙に差出人名を書かなくても良い権限である。
これも関東管領の問題と一緒の扱いであったので義輝も回答を保留して返答を待つことにした。
塗輿御免は少し意味合いが違い漆色の輿に乗る権利を得ることである。
どちらかというと越後国人衆向けに景虎が一番上であると暗に伝えるためのようなものであり視覚的なものであるが。今だに暗に景虎を同盟者程度の認識しかもっていない越後国人衆に自分は朝臣であり格が違うことを主張したかったのである。
塗輿御免は認められた。ただ景虎は関東管領の権威回復、関東の国人衆にも利用しようともちろん考えていたが。
これらの件は義輝から別日程で誘われている夜宴の時までには回答したいと義輝は言った。
景虎は再度義輝に深々と礼をした。今はひたすら辛抱強く待つのみである。
それとは別に
「・・実はちょっとお願いがあってな・・母上や妻が景虎殿との時間が欲しいと言ってきてな・・少し時間をもらえるかな?」
景虎は快諾した。母親や妻 娘を通しての懐柔は景虎の得意とするところである。
越後ですでにそれを実践済である。
義輝の妻や母親という権威者との交渉は大きな機会であった。
関東管領の件が難航した場合の近衛家に行く手間が省けるからである。
偶然ではあったが義輝正室向けの土産が思わず役に立つことになった。
さっそく義輝正室絶姫と義輝実母の慶寿院との面会が始まった。
絶姫は関白近衛稙家の娘で景虎と年が近い大人しい色白な姫君らしい姫君であった。
慶寿院は戦乱の世を生き抜いている女性らしく芯のしっかりした女性であった。
彼女も近衛家の出身で稙家の実の妹であるが失礼な言い方ではあるが公家の出身らしくなく積極的で物怖じしない感じの女性と景虎は思った。
噂では彼女の兄、稙家とともに息子の義輝を助けるために積極的に国政に参加しているとのことであった。
「このたびは遠路ご苦労様です・・」
慶寿院が景虎にねぎらいの声をかけた。
「義輝から聞いていましたが・・まさか越後の守護があなたのような麗しき姫様とは・・正直驚きました・・」
慶寿院も素直に驚きを表した。
「・・ありがたきお言葉・・頼りなき細腕ではありますが足利将軍家に忠節を誓う次第です」
景虎は深々と頭を下げた。
「義輝からの上洛要請で都まで来たのはあなたと尾張の織田だけでした・・将軍家の権威のためにこれからもよろしくお願いいたします」
「ありがたきお言葉・・」
景虎は再度深々と礼をした。
(・・あの織田信長も再度来たのか・・)
景虎は慶寿院の言葉に感謝しながらも内心信長の件は驚いた。
尾張の半分の小大名にもかかわらずなかなかの忠義者だと。
その後は5月の午後の陽気な陽だまりの中でいろいろな雑談をした。
景虎は今日も長慶の京都屋敷訪問時と同じご愛用の紅地雪持柳繍襟辻ヶ花染胴服を着ていたが慶寿院たちはこのような姫様が守護とはなかなか信じられないわと驚きながらも景虎に興味を持ってくれた。
景虎は慶寿院と絶姫と親睦を深めることによって義輝との交渉がうまく進むよう二人に本音で自分のいろいろな話をした。
自分が体の弱い兄に代わって家臣たちに後押しされて成り行きで越後守護になってしまった経緯や具足を着て馬に乗り戦場に出歩いていることを話しした。
景虎は外見は華奢なのでそのように見えなかったのか慶寿院と絶姫は再度驚いていたが。
武田軍の前に敵将の顔を見せろと勇んで飛び出した時は甲斐軍が自分を見て仰天してみな口を開けていて面白かったなどおかしく伝えた。
もっとも実はこのときは普段、戦の前に飲む怖さを紛らわすための酒の分量を間違えた上での行為で、しかもこのときは好みの敵将に声をかけるおまけまでしてしまい家臣団から大目玉を受けたこと話した。
慶寿院や絶姫も景虎の見た目に反して勇猛な面に驚かされながらも女性らしい一面の行為にも素直には笑ってくれた。
ただ女性であることは実は越後以外では隠していることは伝えておいた。あまり口外されて欲しくなかったのも事実であった。敵である武田軍の中でも自分のことはおそらく士気低下を防ぐためにかん口令がしかれていることも話した。
場合によっては男装したり親衛隊の重臣に影武者をやってもらったり伊勢姫と偽名を名乗ったりしていることも伝えた。
伊勢姫はちなみに自分の好きな伊勢物語から拝借したとも伝えた。
伊勢物語の件の続きではないが景虎がそれ以上に和歌や書物に興味があることも話しをした。
源氏物語や恋物語の書物類も好んでよく読み、また平安時代の武将の源義経公が好きで具足も彼の愛用品を真似たものを使っていると言った。
それであればと絶姫が景虎の好きな義経を歌った義経記を舞えると言うのでせっかくなのでありがたく見せてもらうことにした。音楽は取り急ぎ景虎が舞いに合わせてそれらしく琵琶を弾いた。
ちなみに景虎は琵琶が得意で愛用の琵琶は朝風と言い今でも上杉神社で大切に保管されている。
慶寿院や絶姫も景虎が普通の姫君、女性であることがわかり好感を持ってくれた。
景虎も慶寿院や絶姫が自分を普通の女性として見てくれたようで安心した。
今日の面会は都での華やかな女中の集いであった。
慶寿院は義輝が景虎に興味を持っているのを知っていたのでどのような人物であるのか興味があったが今日会ってみて以外に普通の麗しき姫君であったのは正直驚きであった。
景虎は見た目は良いので男性にはそれほど苦労するようには見えなかったので景虎がいまだに独身だったのは少し不思議であったが跡継ぎの問題で越後国が乱れることを判断しての苦渋の選択をしているであろうと理解した。
自分も息子義輝のため女だてらに政治に口を挟み、景虎も細腕で越後を治め、将軍家に忠節を誓い他国と争っていながらも、わざわざ謁見に来ている忠義者である。
そう思うと慶寿院は彼女に何か力添えをしてあげればという感覚が湧いてきたのであった。
慶寿院が何か力沿いが出来れば・・と声をかけてくれたので景虎は義輝様に関東管領の件の助力を頂ければとお願いした。
慶寿院は快く応じてくれて全力を尽くすと約束してくれた。
また慶寿院からも甥の近衛前嗣が景虎に会いたいと言っており近く紹介したいとも言ってきた。
もちろん慶寿院にも狙いがあった。
景虎の武力を背景に関東管領の力を再興し将軍家や朝廷の権威を関東で回復させその勢いを中央に反映させることである。
慶寿院は前嗣を今度義輝と予定している夜宴の時にでもお邪魔させると言った。
近衛前嗣は24歳の若者であるが既に関白で左大臣の経験もあり義輝の甥にあたり朝廷の権力者であった。また義輝の正室絶姫の実の弟である。
景虎も将軍家だけでなく朝廷の権力者との親睦も図れて一石二鳥と考えた。
話もようやく一区切り付いたころ義輝が将軍職の時のような堂々とした雰囲気ではなくこっそりと伺うようにやってきた。
「いやいや・・随分長いこと私の時よりも盛り上がっていたようでなにより・・」
全員大笑いした。
この日は景虎にとって得る物が大きい日であった。
慶寿院のような女性は景虎にとっても心の支えになった。
別れ間際にまた上洛する時は遊びに来てくだされと二人からお声を頂戴した。
景虎も約束したがこの約束はこの後起こったある事件のため果たされることはなかった。
その後越後屋敷に前嗣からの書状はすぐに来た。今度の義輝の夜宴に行くのでよろしくと。
景虎殿好みの色小姓も連れて行きますのでと。
自分好みの色小姓を連れて行きますには少し苦笑いしてしまったが。
数日後早速景虎は義輝から招待された夜宴に出掛けた。
義輝と前嗣が書状通りに景虎に気を使ってくれて本当に色小姓を連れてきてくれていたのにはうれしくも少々閉口したが・・
最も色小姓と言っても彼らだって若い少年武士の中でも優秀で美貌に優れた武人の達人で口が堅いので景虎の秘密の保持に関しては景虎はあまり気にしなかったが。
前回義輝にお願いした件であるが慶寿院たちとの話が功を奏したのか裏書御免の件は許可が出た。関東管領、信濃の件も条件付だが許可が出た。
条件とは将軍の関与を明記しない点であった。景虎の判断で・・とのことになったのである。
おそらく義輝の武田 北条への配慮であろう。
しかしそれでも景虎には充分であった。深々と頭を下げ礼を言った。都まではるばる来た甲斐があったのである。
関東管領の価値は10万の兵力に相当すると信じていた景虎は今回最も欲しかったものが手に入りご満悦であった。うれしさのあまり今晩は久々に思わず深酒をしてしまった。
ついでではないが相伴衆と言う官職も義輝から頂戴した。殿中における宴席や他家訪問の際に将軍に随従・相伴する人々に与えられ本来は管領や有力守護大名に限定されていたがこの頃になる景虎のように在京ではない大名にも与えられ役職としては希薄化して大名の格式を示すようなものに変わってはいたが。
もっとも在京時には将軍の宴会相手が多かった景虎には適職ではあったが。
ちなみにあの長慶も前年の永禄元年(1558年)に任じられているが彼は生真面目にその身分的権威をもって管領の役職を代行して幕政の実権をさらに強固なものにしようとしていた。
義輝との雑談のとき長慶の話が出てきた。長慶は義輝を不快に思っていたが義輝もやはり長慶を目の敵にしていた。
義輝の本音は長慶を亡き者にして三好家の勢力を一気に落とし自分がそれに変わりたいとのことであった。事実、実は義輝は以前何度か長慶に対して刺客を密かに送っていた。
景虎は義輝にこのようなやり方をどう思うか聞かれたとき景虎は義輝に対して返答に窮してしまった。
(あまり良い方法ではないかと・・)
と危うく本音を言いそうになった。
でも事実そんなに簡単に事が運ぶとは思えなかったのである。
例え長慶を討ったとしても長慶の息子の義興も若くて控えめな風貌に反して武勇に優れていると景虎も噂を聞いていた。長慶の右腕と言われる重臣のあの松永久秀もいる。長慶の弟たち三好義賢、十河一存、安宅冬康らも豪奢勇猛と有名であった。
ここは無礼を承知で言ってみることにした。
「確かに上様と長慶殿とはいろいろあったようですが、結局長慶殿は上様を起てておりますので私は彼は忠臣だと思いますが・・」
義輝は少し黙ってしまった。
(余計なことをまた言ってしまったか・・)
景虎は義輝の黙った顔を見て後悔した。酒を飲むと景虎も少し思慮浅くなる。
しかし義輝は意味深に言った。
「そうであったな・・景虎殿の言うことももっともだな・・」
ほっと景虎は胸をなでおろした。
「長慶とはいろいろあったが・・確かに奴は私を何度も許しているからな・・」
義輝も少し考えているようであった。
「義興殿や久秀殿と親しくされて長慶殿の力をうまく使ってみたらどうでしょうか?」
余計なことをまた言ってしまった。
ただこれは景虎の本音であった。関東管領なる以上関東に集中したい。
自分は都に興味がないので都は落ち着いていて欲しかった。
「うむ・・」
義輝は少し考えていたが意外な一言を言ってきた。
「実は義興殿とは既に親しくしているんじゃ・・今日呼べばよかったかな・・ただ呼べない理由もあってな・・」
義輝と義興が既に親しくしているのは以外だった。
そういえば義興が和歌や茶道にも優れ都の文化人の話題になっていることは景虎も聞いていた。
「久秀殿には会ったか?」
「・・はい」
思わず顔を赤らめてしまった。
義輝も察したようで大笑いを始めた。
「あの妙な書物をもらったのか・・ははは・・」
景虎は年甲斐も無く少し赤面しながらうなずいた。
しかし義輝は笑うのをやめると厳しい顔で言った。
「・・あの老人な・・腹黒い・・何を考えているかわからん・・」
意外な言葉だった。
景虎は単に久秀をいやらしい色好な老人かと思っていたのだが。
「奴は口が冗舌で見た目はさわやかで茶人気取りだが・・油断ならぬ・・」
義輝は厳しい顔で言った。
実は義輝が長慶と和睦したのは久秀が自分を都に二度と入れないように画策していると聞いたからであった。
長慶と久秀が自分の処遇の件で口論になっていると義興から聞いたからである。
二度と入れないように・・とは久秀は義輝を葬ろうとしているとのことであった。
久秀は義輝が以前長慶に何度か刺客を送りしかも反三好の態度を改めないのを口実に義輝への厳罰、報復を狙ったのであった。長慶も久秀の言い分は受け入れたもの将軍の処分、特に暗殺には反対したという。長慶は将軍殺しの汚名を着たくもなかったし別に将軍家打倒など興味がなかったからである。三好一族が繁栄していればどうでも良い問題であった。
久秀は重臣としての立場から彼の安全を口実に主張したとのことであった。
しかしそのおかげか義輝からの刺客から義興を守るとの名目で、それ以降義興の後見人、護衛に久秀が付くようになり義輝は義興に近づくことが難しくなったという。
「久秀のやつ私が義興に近づくのを防ぐために義興の後見人になったのであろう・・私が義興に刺客など送ることなどないのを知っているくせに・・」
義輝が不愉快そうに言った。
初めて聞いた話であった。
「だから私も今は考えを改めて長慶と歩調をあわせることも考えている・・義興とも親しくしたいからな・・しかし久秀は三好の重臣で三好一族内での発言力も大きい・・長慶も久秀に面と向かって反対し難い時も今後で出てくるかと思う・・」
景虎は驚きもあって黙って聞いていた。
「だから万が一に備えやはり他の大名に声をかけ続ける必要はある・・少し矛盾しているが・・そのためにそなたには今までどおり世話になりたいと考えている・・」
都の権力闘争の奥深さに驚きながらもあまり関わりたくないとも景虎は思った。
しかし同時に将軍家の現状にも同情した。義輝も自分の実力の無さは重々承知しているのでこのような方法しか無いのである。
それと同時に長慶の将軍を葬ろうとしている人間が今後出てくるであろうという話しも思い出した。
あの松永久秀がそのような器には正直見えなかった。
ただのやらしい色好な男にしか景虎は見えなかったのだが・・
暗い雰囲気を打ち払うように義輝が話を変えた。
「そう言えば彼は遅いな・・」
義輝は言った。
「・・?彼?」
しばらくして間を詠んだように若者が突如入って来た。
「いやはや 盛り上がっていますな・・遅くなりましてすみません・・」
「おお・・前嗣殿・・今ちょうど噂をしてましたぞ・・」
義輝がうれしそうに声をかけた。
「景虎殿 先日母の慶寿院から話を聞いていると思うが甥の近衛前嗣殿じゃ・・」
思い出した・・少し景虎は驚いた。
公家と聞いていたが直小衣ではなく直垂を着て武士のような雰囲気であったからである。
ただし24歳の若さで関白で元左大臣という朝廷では最高位クラスの人物であった。
景虎は深々と礼をした。
慶寿院と絶姫の件は礼を言った。
「景虎殿 おば上より話は聞いております・・お互い酒の席ですし気楽にやりましょう・・」
前嗣も義輝同様友好的であった。
「前嗣殿にも将軍家、及び朝廷の権威回復のためにいろいろ動いてもらっていてな・・今回景虎殿の関東管領の件では朝廷関係には彼にも掛け合ってもらった・・今後も色々あると思うのでみなで仲良くやりたい、いや力を借りたい。乾杯しよう」
3人は今後に期待して乾杯した。
前嗣と景虎はこの言葉通りこの後、関東方面で共に行動することになる。
ただこの時景虎は関東管領の件が解決して安堵していたあまりと酒のせいで前嗣の狙いを聞くのを忘れてしまった。
酒宴もたけなわになった頃
「景虎殿は和歌が好きと 聞いているので今度催される和歌会に招待しましょう」
前嗣は朝廷の歌会に誘ってくれた。
「あと何か欲しい歌の資料や巻物があれば前嗣殿に言っておけば手配してくれるので遠慮なく・・」
景虎も遠慮なく頂戴することにした。
ちなみ織田信長の話題も出た。信長もつい最近まで都に来ていたが偶然景虎と行き違いで帰ってしまったという。ただ彼は景虎と違い弱小大名ゆえに尾張への帰路で敵対する大名の野武士に襲われて九死に一生を得たらしく義輝も彼をそのような危険を冒してくる忠義者と褒めていた。
弱小大名だと都に来るのも命懸けなのである。
景虎は信長に改めて感心した
酒宴は夜通し続いたと言う。
ちなみにこのときの様子は前嗣の日記にも残されており義輝と景虎は色小姓と徹夜で大騒ぎしていたと書かれている。前嗣は体が持たないので二日目は遠慮したと書き記されている。
ただ景虎も体が丈夫ではなかったのでこれが原因かわからないが体調を崩して寝込んでいたとも記録されている。