初陣
2011/7/10 若干修正しました
栃尾城は険しい山城である。守るに適した堅い山城であったが城自体はお世辞にも綺麗でも立派な城でもなく、むしろ結構くたびれている城であった。
虎千代たちが到着すると城代の本庄実乃が丁寧に出迎えてくれた。
実乃は年齢が40前で金津新兵衛と近い年齢のようであった。温和な雰囲気の紳士で虎千代は安心した。
実乃が虎千代達を受け入れたのは今後のことを考えての決断であった。
本庄実乃は為景の代まではうまく越後の政治の中枢に関わっていたが、為景が隠居させられて晴景の代になると、為景の娘、晴景の妹を妻に持つ上田長尾が台頭し、越後の政治の中枢から遠ざかっていた。
越後国内の権力闘争にもう一度参加したい、いつかは一旗上げたいとのちょっとした下心から今回状況がよくわからなかったが真っ先に手助けに参加したのである。このような下心を隠しての、一世一代の博打的な行動であったが実乃にとって予想外だったのは脱出できたのが為景の末子の姫君だけだった点であった。
本音では実乃は少しがっかりしていたがそれを一切顔に出さず、虎千代を丁寧にもてなしたのである。
もし守護代の晴景や虎千代の兄たちが不幸にも討たれてしまえば順番だけで言えば虎千代も立派な後継者であった。うまく立ち回ればそれを手助けした実乃たちも恩恵を被ることが出来るのは間違いなかったからである。また、若い虎千代は実乃から見れば絶好の飾り雛であった。虎千代を飾雛にして自分が実権をとることも夢では無いようにその時は実乃も一瞬思ったのである。
ただ実乃は源蔵たちの報告を聞いて、下心の考えを少し改め、様子を見ることにしたのである。
実乃自身も長年の経験からか人を見る目や勘は他人より優れている自信があった。
虎千代を一目見たときから、何だか良くは分からなかったがその勘が働いたような気がしたのである。実乃が虎千代の父、為景に持っていた印象が強すぎたせいもあったかもしれなかったが虎千代は小娘ながら不思議な資質、魅力を持ち合わせているようになぜか一瞬感じたのである。
しばらくして新兵衛たちも辛くもなんとか春日山城を脱出し、栃尾城に落ち延びてきた。
虎千代にとっては何よりも一安心であった。
しかし新兵衛によると母の虎御前や天室光育和尚は無事が確認されたが虎千代の二人の兄の景康、景房は討ち死に、守護代晴景たちの様子も依然分かっていないとのことで素直に喜べる状況ではなかった。
しかも春日山城を襲った部隊が、春日山城の関係者が逃げおちたと言う栃尾城目指して進撃しているとのことであった。
春日山城を襲ったのは伊勢三郎と言う、誰も聞いたこともない土豪であったが下克上の時代では無名の者が大名を倒すなど珍しい話ではなかった。
実乃は予想以上に大事、面倒な事になったとも内心思ったが、ここまできてはもう下がれず、また自分にも、再度越後の政治に関わる絶好の好機と言い聞かせ奮い立たせ、大急ぎで城の改修工事を命じたのである。
栃尾城では大急ぎで篭城の準備が開始された。栃尾城下の住人が家財道具を抱え順次城内に入ってきた。城下の牛や馬も一緒である。虎千代は篭城戦の時は住人ごと立て篭もる事をこの時初めて知った。その理由は後で知ることになる。
虎千代も実乃の配慮で大鎧一式を借りることになった。名目だけではあるが一応今回の総大将であった。大鎧も大将にふさわしい本庄家の家宝だという。
本庄家の家宝と言う大鎧は黒と紺を基調にした重厚な物で格好は良かった。
虎千代は濃紺色の鎧直垂に着替えた後、生まれて初めて大鎧を着込んだ。ずしりとかなり重くて立っているのがやっとで、しかもこの大鎧はかなりの年代物のようでかび臭い代物で虎千代にとってはその匂いの方が気になって仕方がなかった。しかもこの大鎧も虎千代よりも大柄でぶかぶかであった。景虎は薙刀を少し習得していたので薙刀も一緒に手渡されたがこの薙刀もこの時代では見たことない大きな物であった。兜にいたっては被ると前が全然見えなかったのでかぶるのをやめて振分髪のままに烏帽子をかぶった。この癖のある大鎧は後で聞くと平安時代末期から鎌倉時代初頭の源平合戦時の生き残りの骨董品とのことであった。
今回虎千代は初めての戦、初陣でいきなり総大将になったが別に感動はなかった。
虎千代の本音からすれば戦などしたくないし勝手に大将に祭り上げられてはた迷惑というのが本音であった。
栃尾城は決して狭くはなかったが兵士や城下町の住人などで城内はかなり賑やかになった。
物見の報告から栃尾城に向かっている部隊は3000人程度でそれ程多くはなかったがそれに比べても栃尾城側の戦力は明らかに不足していた。
栃尾城直属の兵士は200名足らずで一緒に篭城して戦う城下町の住民は1000名足らず。
住民は戦闘経験もほとんど無く老若男女混合の部隊で正直それほど戦力になるようには見えなかった。栃尾城城代、本庄実乃直属の部隊は士気は高かったが、甲冑はぼろぼろでお世辞にも見た目は強そうではなかった。
不用意にも虎千代は思わず本音を漏らしてしまった。
「心細いな・・」
「心配無用!」
実乃がすぐに答えた。
「ここにいる部隊は噂の鬼小島にも勝るとも劣らぬ名士揃い。物事を外見で判断するのはよくありませんぞ!」
実乃がにこやかに力強く虎千代を励ますように言った。
虎千代も自分の失言にすぐに気づき侘びを入れた。
鬼小島とは越後に伝わる勇猛な武将の伝説である。もちろん伝説であって実在する人物かどうかは誰も知らない。このような伝説が出てきたのは越後には小島姓が多かったからとされている。
もちろん噂の鬼小島のような兵士はここにおらず誰もが分かりきった嘘であった。
しかし栃尾城の兵士や住民の不安を少しでも打ち消す必要があったので実乃はそのように言ったのである。
栃尾城に対する援軍の要請は実乃の手により各地の国人衆へ既に行われていたが結果は芳しくなかった。
守護代晴景や守護の上杉定実の実力や評判の所以もあったが、彼らの動向が分からない状態では他の国人衆が動く気配がなかった。越後国内では国人衆が互いに争っていたため様子見の者がたくさんいた。当然であるが常に有利な方に付こうとしていたためこのような現状では実乃の呼びかけに応じる者もいなかったのである。
それでも栃尾側にとっては虎千代の祖父に当たる栖吉の長尾房景、景信親子が味方につくことを宣言してくれたおかげで栃尾城の士気を吹鼓するのには成功した。
また栖吉の長尾が栃尾城側に付くため三郎の部隊は春日山城にも万が一の時の防衛部隊を残さざるをえず栃尾城攻略に回せる部隊が限られたのが不幸中の幸いであった。
しばらくして、三郎軍は栃尾城下に到着すると、布陣次第、栃尾側の予想以上に早く先手を打ってきたのである。
栃尾側の準備が整わないうちに出鼻をくじき戦意を削ぐ作戦であった。
栃尾城の城下町の家に侵入して略奪行為や田畑の刈り取りなどを派手に行い、城下町に火を点けたのである。
城下町の住民が篭城戦時は城に入るのはそのような狼狽行為から逃げるためであった。
動揺が納まらないうちに三郎軍は住民の立て篭もる栃尾城内に突然矢の一斉射撃を浴びせてきた。
不意を突かれて城内には何名かの死傷者を出した。
虎千代にとっても生きている人間が死体に変わり転がる光景は衝撃であった。
城内の混乱が収まらないうちに開城を促す矢文も打ち込まれた。
虎千代を引渡して開城すれば住民や兵士を助けるといった内容だった。
住民側が激しく動揺し、肝心な虎千代までもが降伏開城に傾き始めていた。
要は住民の安全を最優先したいとの虎千代の優しさからの意向であった。
しかし実乃と新兵衛は強硬に反対した。
特に実乃にとっては今回危険を承知で虎千代たちを受け入れた以上、安々とは譲れない部分でもあったが、実乃自身も実戦経験豊富な武将である。今回のようなどこの輩か分からない土豪相手だと最初から狼藉が目的で約束など最初から反古にするつもりだと虎千代や住民たちを必死に説き伏せた。実乃が言うにはこのような土豪のような相手の場合、何をするか分からず、降伏開城しても戦って落城しても結局は狼藉に遭い、地獄を見ると実乃は主張したのであった。
だが虎千代や住民たちにはその意味がなかなか理解できなかったのである。
さらに実乃や新兵衛らにとって最も心配だったのは住民たちが伊勢三郎に内応して虎千代に危害を加えることであった。虎千代が倒されてしまうと戦いの意義が無くなってしまい、すべてが水の泡と化すからである。
また栃尾城を捨てて栖吉に落ち延びる方法もあったが戦わずに逃げるのと戦って逃げるのとではその後の国人衆たちとの関係に大きく影響するので虎千代たちはまずは一戦交えるしか道は残されていなかったのである。
この城内の動揺はしばらく続いたが、予想外な結末を見ることになった。
矢文の呼びかけに応じて住民30人ほどが家財道具を持って城を無断でいつの間にか抜け出したのである。
報告を受けて虎千代たちはその様子を城壁から遠巻きに見守っていた。
もちろん他の住民もしきりである。うまく脱出できれば自分たちも続こうと考えたのである。
栃尾城は山城であり下まで距離があるので下のほうの景色は見えにくい。
抜け出した住民はそのまま栃尾城のふもとまでたどり着き、最初は蟻が列を組んで歩くように整然と歩いていたが、突然列が崩れ、蜘蛛の子を散らすようにばらばらになった。
三郎軍の方から何かがばらばらと飛び出してきてそれから必死に逃れているように見えた。しかし蜘蛛の子は次々と捕らえられているようだった。
しばらくしてかすかに女性や男性かわからない悲鳴とも何とも言えぬ声がかすかに聞こえてきた。
虎千代や住民たちは思わず目をそむけた。
「耳も塞いどいたほうがいいぞ・・・」
近くにいた60手前の老人は静かに言った。
「狼藉を行う連中は最後まで徹底的にやる・・それが連中の生きるすべだからさ・・狙いは食い物とアンタら・・女子供は はべらかし 男は売って金に換えて喜んでいる連中なのさ・・」
と表情を変えずに言ったのである。
「・・・よく平気な顔してられんな・・・弥太郎さんよ・・・」
住民の一人が声を震わせながら言った。
「へん・・・オレも昔そういう連中と一緒だったからさ・・」
「・・・・」
みな悲痛な顔で沈黙した。
「姫様なんか連中大歓迎だろうな・・・ガハハハ・・・」
弥太郎老人はいやらしい目つきで虎千代を見ながら言った。
「・・この・・無礼者・・・!」
珍しく新兵衛が声を荒げた。
「・・私が大将だったらそんなことは絶対させない・・!狼藉も許さない・・!」
虎千代は弥太郎を睨み付けると無意識に声を怒りで震わせながら言った。
虎千代も何でそのようなことを言ったのか誰に向かって言っているのかは自分でも分からなかったが怒りの感情が湧き上がり自然と言葉が口から出てきたのである。
「・・・!」
老人はちらりと虎千代をみた。
一瞬老人の目つきがさっきと変わったように虎千代は感じたが、老人はすぐにまた元の人を小ばかにしたような目つきに戻っていた。
「・・ハハハ 気に入ったぜ 大将・・」
老人の気の無い笑いがなぜか虎千代の耳から離れなかった。
いやなものが皆の胸に残ったが逆にこの一件で城内の気持ちはひとつに固まったのである。
全員三郎軍に徹底抗戦することでみんなの気持ちが一つになったのである。
新兵衛や実乃は城内がまとまったことにひとまずは安堵していたが実乃はそれ以外に虎千代に対して別の見方をもしていた。
(・・この娘はもしや・・)
実乃は初めて虎千代を見た時の自分の勘が当たったような気がしたのである。