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越後の虎  作者: 立道智之
28/77

出奔

2012/4/3 少し修正してみました。

弘治2年(1556年)10月15日に第二次川中島の戦いでの武田晴信との和睦が成立後、越後軍は半年にも及ぶ長い川中島での武田軍との睨み合いが終わり越後に戻ってきたが、景虎だけは少し遅れて川中島より少数部隊で春日山城に戻ってきた。

ちょうど毎月10日前後に襲われる腹痛の期間と重なったため、善光寺で休んでから戻ったのである。


春日山城に到着した景虎に

「阿虎様、大丈夫ですか?」

花とお春が心配そうに声をかけてきた。

「大丈夫・・」

景虎は少し顔色が悪い感じだったがにこりと笑って答えた。

ただ

「腹痛の件が兵士の噂になったのはちょっと嫌だったけどな・・」

とふぅっと軽く溜め息をついてから言った。

「阿虎様!対策を練ってます!」

繭が澄んだ快活な声で返した。

繭は栃尾城の攻防の時、景虎の身の回りの世話や護衛としても活躍し、それ以降は遠征時の直属の世話役の女騎めきとして活躍していた。

「本庄実乃様に足軽兵には今回の件は口外しないよう徹底するようお願いしました!」

「そうか・・すまない」

景虎は繭に礼を言った。

「しかし・・これだけは逃げられないからなぁ・・」

景虎は苦笑いしながら言った。

「晴信の奴男のくせにしつこい奴です!今度こそ痛い目に合わせてやりましょう!」

繭の部下の絹も口をとんがらせて言った。

「ほんと・・参るな・・まったく」

景虎も体調が冴えない感じのちょっと弱い口調で答えた。

「武田晴信は阿虎様を気に入ってるんじゃありませんか?」

花とお春が冗談を言うと

「いやいや・・そんなことになったら今度こそ本当に寝込んでしまう・・」

と言って景虎も冗談で返した。

一同笑いが起きた。


ようやく越後に帰ってきた景虎であったがのんびりする間も無くすぐにの越後を留守にしていた間の貯まった事務処理に追われる日々を送っていた。

恩賞の処理は以前に比べれば幾分慣れてきたが恩賞だけでなく、今回はそれ以外の内政、家臣同士の領地争いの評定などもあった。

実はこれが景虎は非常に苦手であった。景虎が言うには大の男が猫の額ほどの土地で延々書状を元に言い争うのである。景虎がお姫様育ちで商業を重視していたのもあるが、この大の大男の土地争いはどうしても理解できず、また越後衆にとっても景虎が理解してくれない悩みの種でこれは景虎が若いうちは越後の領土が広がらなかったこととも大きく絡んでくる。


今回は土地に関しては特に大きな案件が出ていた。

国人衆の節黒城城主、上野家成と千手城城主、下平吉長の土地争いである。

ただこの件は単純に二人の争いではなく上野の裏には宇佐美定満、本庄実乃、下平には長尾政景、大熊朝信がついていた。

今回の件が根深かったのは上野、下平だけの争いではなく重臣の定満や定満、政景や朝秀らも巻き込んでの政治的な争いの騒動であったからである。

政景にはさらには栖吉の長尾景信との領土の境界線争いまでが出てきていた。これも裏で栖吉に定満や実乃が付いて、政景との争いに輪をかけていると噂されていた。


この件は昔から延々続く譜代の実乃、栖吉長尾と外様の上田長尾の争いで、下手をすれば国内分裂の危機をもはらんでいたので景虎も慎重にいろいろな資料で判断した。

しかしどちらにもそれなりの言い分があり、もっともらしかったのである。

最終的に姉の夫であり、越後の実力者である長尾政景への遠慮がやはり優先し、上野の方に引いてもらう形で解決をしようとした。

しかし両方ともすっきりしなかったのかその後上野、下平ら本人たちから再度審議のやり直しの依頼が届けられたのである。


二人から再度出された書状を見て景虎は再度頭を抱えていた。

上野や下平ら当事者だけでなくその後ろにいた定満、実乃と政景、朝秀からの書状も積まれて山積みになっていたのである。

さらには揚北衆同士でも中条藤資と黒川清実が土地の境界線でもめていた。こちらにいたっては景虎の和解勧告も聞かず一戦交える勢いであった。

「何て扱い難い人たちなんだろう・・」

景虎は書状の山を前に思わずため息をついた。


後日に再度行われた上野と下平の評定は前回同様であった。延々と二人は主張を続けそれに呼応するようにその後ろにいた定満、実乃と政景、朝秀も続けるのである。

景虎は双方の主張を黙って聞いていたが前回とあまり変わらなかったように感じたので

睡魔に襲われそれに必死に耐えて聞いていた。

やっと双方の主張を聞き終わった後、景虎は

「前とあまり変わらないようだったので・・前回のままで・・」

と眠そうな声で正直に返した。

「お待ちを!姫!」

上野がすぐに声をあげ

「宇佐美家や本庄家からも重要な文献が出てきましたので前回と違いその辺を重点的にお話した次第!前回とは違いまする!」

必死に食い下がってきたのである。

「そ、そうだったけ?」

景虎は再度書状に目を通したが前回のことをあまり覚えていなかったので違いはわからなかった。

「姫!こちらも大熊家から新たな文献がありました!ご認識頂けます様!」

下平も新たな証拠を持ち出してきたようだったがやはり景虎は覚えておらず前回と違いが分からなかった。

「姫!ご認識を!」

「姫!こちらの書状も!」

景虎は上野と下平双方にせっつかれていたが無関心もあってもはやその違いなど景虎にはわからず

「・・う~ん・・双方で話し合って決めてもらえないか・・猫の額ほどの土地ではないか・・定満、実乃と政景、朝秀が絡んでるなら私が判断するより絶対良いと思う・・」

正直に間接的にこれ以上関わりたくないと答えてしまったのである。

「姫!猫の額とはあんまりでございます!」

下平が血相変えて突っかかり

「姫!狭くてもわれらには大事な土地です!」

上野も必死に訴えてきた。

「猫の額は・・すまない・・言い過ぎたが・・みんなで穏便に話し合って解決してほしい・・」

景虎は少しいらいらしながら渋い顔で返した。

「我らには解決できないから姫にお願いしているのですぞ!これも領主の大事な仕事ですぞ!」

大熊朝秀も厳しい意見を浴びせてきた。

「そうかもしれないが・・こんなの守護代が決めるような話ではないと思うぞ・・みんなで話し合いでゆっくり決めればいいじゃないか・・」

景虎もいらいらを隠しながら答えた。

しかし朝秀は景虎にお構いなしで畳みかけ

「我らはこの件が解決されるまでここにずっとおります!解決するまでみんな居城には帰りませぬ!」

朝秀のひとことに景虎も思わずかっとなってしまい

「そんなんで私の手を煩わせないでよ!みんなが帰らなければご自由に!なら私が出て行きます!」

と、大声で返してしまったのである。

そしてそのまま立ち上がると怒りながら評定を放り出してどこかに行ってしまったのである。


その場の一同予想外の展開に一同唖然としていたが

「何でこんなんで怒られにゃいかんのか・・!」

朝秀は納得いかなかったようで珍しく不平をぶちまけていた。


しばらく景虎不在のまま上野、下平、定満、実乃、政景、朝秀で今回の件の話を続けていたがやはりみんな景虎が怒って出て行ってしまったことの方が気になっておりあまり話し合いに力が入らなかった。


「どうする?」

政景がいつものぶしつけな言い方で一同に聞いてきた。

「我々だけで話し合いでなんとか決めるしかあるまいのう・・よいな、上野に下平」

定満が上野と下平をたしなめるよう言った。

二人とも少ししゅんとしており、こくりとうなずいた。

「そうではない・・」

政景は厳しい声で言った。

「姫の件だ・・何て謝って評定に出てきてもらう・・」

「気が治まったら出てくるんじゃないか・・放っておけばよいだろ」

朝秀が呆れ気味に言った。

「姫がお疲れのようなんで少し我らも政務の量を増やそうか思うのだが・・妻(仙桃院、景虎の姉)からも心配の声が出ている・・」

政景が正直に言った。

「・・姫の許可を得てからな・・戻ってきてから相談だ・・」

定満が牽制するように言った。

「そのようなくだらない相談をするから姫は癇癪を起こすんだろう・・」

政景が定満を睨みつけながら言った。

「・・いくら姫の叔父とは言え思い上がりは良からずじゃ・・」

定満も返した。

「・・・!」

「フン・・」

政景と定満の空気が険しくなった。


「二人とも まぁまぁ・・」

実乃が思わず間に入った。

「上野と下平だけでなく、政景殿や宇佐爺までもが争い出したら姫の癇癪は本当に大爆発して取り返しがつかなくなりますぞ・・」

実乃のひとことで政景と定満はお互い顔を見合わせた後、少し反省した顔でさやを収めたのである。


その日の夕方にようやく上野と下平の件は落とし所を見つけて解決の目処が立った。

「やれやれ・・なんとかなりそうだ・・」

実乃がふぅっと溜め息をついた。

「姫は今日は出てこなかったから明日報告するか」

政景が肩をとんとんと叩いていると

「今日は遅くまでご苦労様です。ところで姫様どちらですか?」

花とお春が突然顔を出してきたのである。

「屋敷で休んでるんじゃないのか?」

政景が返すと花とお春も景虎が戻って来ないので捜しているという。


「どこ行ったんじゃろう」

定満も不思議そうな顔をしたが

「わからんのう・・」

と突然老人の声がすると林泉寺の天室光育までもがやって来たのである。

「軒猿のきくが阿虎様からの手紙を受け取って持ってきた・・ほれ・・」

天室光育が手紙を政景に渡した。

「きく・・?誰じゃ・・」

定満が怪訝そうな顔をすると

「姫と付き合いの長い軒猿の佐助のとこの女子おなごだろ・・」

政景が無関心に言いながら手紙を開いてそれを読んでいたが、政景の顔色がどんどん青くなっていったのが周りの者もすぐにわかった。

青い顔のまま政景は手紙を無意識に険しい顔で定満と実乃に渡した。

定満と実乃も手紙に目を通すと顔色が見る見る青くなっていった。

景虎からの手紙には

「和尚、各人に言い聞かせてください。みんなが私の言うことを聞かずに勝手に振る舞ってまとまらないのでもうこれ以上やってられません。今まで越後のためにがんばってきましたがもう諦めます。でも越後もひとつになったのでもう私がいなくても大丈夫でしょう。信濃の件ですが信濃を味方を助けることは越後を助けることになります。信濃が滅びれば越後も危ないでしょう。これにはみんな私に反対していましたがみんなでまとまって信濃を守れば越後も大丈夫でしょう。私はもう戻るつもりはありません。仏の道に入って静かに越後を見守っています」

と書かれていたのである。


「・・本当に出て行ってしもうたのか?」

定満が唖然と言うと

「門番呼べ!急げ!姫が家出した時の状況知らせろ!」

政景が青い顔で大声を出した。

「家出じゃなくて城出だろ・・まったく・・」

朝秀が呆れながら大きな溜め息をついた。


警備の門番に確認させると景虎はいきなり「さようなら」と言って諸国を巡っている今流行の出雲の巫女の格好をして愛馬の放生月毛にまたいで一人で出て行ってしまったとのことのであった。ただ、その後、軒猿が景虎の後をついて行ったのでどこか城下に遊びに行ったと思い心配していなかったと言う。


「何かあったら一大事だぞ!しかも夜になるではないか!手の空いてる奴は捜索に出ろ!姫に付き添ってる軒猿は誰だ?いったい何やってる!早く連絡させろ!」

政景は大慌てで命令を飛ばした。

城内に居た侍は大慌てで捜索に飛び出して行った。

定満、実乃、政景、朝秀らは捜索の話し合いを続け対応を練り、上野や下平は現場を仕切っていた。

ただ天室光育はこの様子を見て静かに呟いた。

「うむ・・大丈夫じゃ・・越後はまたひとつにまとまるじゃろう・・」


このように景虎は自分の件や家臣たちの件で少し気が滅入っていたおり、勝手に春日山城を出奔したのである。簡単に言えば今で言う家出である。


景虎はとことこと放生月毛を歩かせていた。

景虎も最初のうちは怒りでつんつんしていたが時間が経つとさすがに怒りが冷めて冷静になってきた。

怒りに任せて家出状を叩きつけて城を飛び出してきたが、日も暮れてきて辺りも暗くなりはじめ、方角も行く先も分からずさすがに不安が生じてきた。

「なんで私がこんな思いをすんのよ・・」

景虎は強がりながらはぁっと溜め息をついた。

「お腹も空いてきたな・・」

思わず無意識に言った後

「私・・何やってんだろ・・大人げない・・」

とすぐに現実に引き戻された。

落ち着くと反省の気持ちも少し浮かんだが今回は景虎の意地もあって城には帰りたくなかった。ただ実は道が分からず城に帰れなくなっていた。

宿の場所もわからず、どんどん辺りは暗くなり人通りもばったり途絶えていた。

(どうしよう・・まずい・・)

景虎もさすがに不安を隠せなかった。

放生月毛も不安を感じているようで時々勝手に止まって不安そうに辺りを見渡していた。

「どうどう・・大丈夫・・」

景虎は放生月毛の首筋を撫でて不安を鎮めようとしたが、その時なにか山裾の茂みに気配を感じたのである。

(野良犬か・・?いや・・まさか・・)

景虎は緊張気味に愛刀の姫鶴一文字に手を添え抜刀の準備だけしたが次の瞬間、何かがばらばらと飛び出てくると周囲を囲まれてしまった。

(しまった!こんな時に!賊か!不覚!)

景虎は予想通りのいやな展開に思わず涙面になったが

(しかし・・!)

「なめるな!無礼者!何奴!」

景虎は必死に強がり思わず声を上げ抜刀し構えたが

「姫様!落ち着いてください!」

予想外にどこかで聞いた声が返ってきたのである。

「へ?」

景虎は思わず拍子抜けしてしまった。

「軒猿の佐助でございます!無礼ながら姫様に何かあっては一大事と思いずっと後をつけておりました!ご無礼お許しを!このような時間に外を歩くのは危険です!お城に戻りましょう!」

佐助は景虎をなだめた。

景虎はほっとした。

「・・すまない・・迷惑をかけた・・」

景虎は正直に謝った。

そして

「ちょっと色々あって・・城を出てしまった・・」

うつむきながら暗い顔で本音を言った。

「今日は実は帰りたくない・・何処か宿か寺を知らないか・・」

「さようでございますか・・ふむふむ・・なら・・近くに寺がありますのでそこへ行きましょう」

佐助も景虎の気持ちを察したようで近くの寺に景虎を案内したのである。


春日山城内は夜になっても大騒ぎであった。

「まだ見つからんか!」

政景が落ち着きなく何度もはっぱをかけていた。

「参った・・」

政景は正直に言った。

「もしもの場合ですが・・」

政景の重臣で上田衆の栗林頼忠が小声で聞いてきた。

「表沙汰にできるか!越後がまた壊れる!」

政景は頼忠が言い終わる前に珍しく声を荒げた。

そして正直に

「色々と困った方ではあるが・・やはりあの方でないと越後衆はまとまらん・・わしではとても無理じゃ・・」

と正直に認めた。


家臣一同、今回の騒動に正直みんな、本音では呆れ果てていたが景虎の実力や実績は政景だけでなく他の者も正直に認めてはいた。

戦における豹変ぶりと、この独立気質の強い越後衆をなんとかまとめ上げ越後を立て直した点である。

信濃はそれが出来なくて甲斐の武田晴信に付け込まれたことはみんな重々承知していた。

領土争いの件の穏便な解決や景虎の信濃に対する方針は越後衆でも不満が多かったが、今回は景虎に任せることにしたのである。


「見つからんかったら越後も終わりと思え!探し出して何としても連れ戻せ!上田衆も呼べ!到着次第捜索に入れ!」

政景が命令を飛ばした。


翌朝になってようやく報告が入り景虎が無事で春日山城から南方に8里弱(30キロ)のすぐ近くの関山権現に居るとの情報が入ってきた。

まずは一同景虎の無事を安堵したが本人が春日山城に戻りたくないと帰るの拒否しているとのことであった。

ただ今回の景虎の家出は景虎が本気かどうかは誰も分からなかった。景虎は幼少期に林泉寺で勉学を学び、都への憧れのせいか分からなかったが、仏門に興味があったのは事実で昨年の上洛時も大徳寺の住職から宗心という法号をもらっており、自分では長尾宗心とも勝手に名乗ったりしていた。また高野山の高僧の清胤とも親しくしていたようで今回ばかりは本気かもしれないと家臣団も不安も感じ始めた。


その頃景虎に関山権現の本堂に篭っていた。

静かに念じ、心が洗われることを期待していたがたつもりだったが、嫌なことばかりが色々と思い浮かばれていた。


今回の原因になったと自分が思っていた家臣たちの自分勝手な騒動も嫌ではあったが、実は自分の身勝手さや我がままさ、国や家臣団を放ってきた無責任な自分で、さらには感情を調節できず、すぐに怒りに任せてしまう自分にもである。

もう28歳にもなっているのにいつまでも姫様気取りでそれが通用しない日がいずれくるのはわかっていたがそれがまた嫌でもあった。

大徳寺から宗心との法号までもらっておきながら、いざ剃髪となると腰が引けてしまい、出家するために春日山城を出て行くと一人で何もできないう自分も嫌であった。


篭って世俗的な雑念を払っているつもりが世俗的な自分に気がつき、嫌なことを忘れるために城を逃げ出してきたのに結局嫌なことばかり見つけて、逃れられなかったのである。

逆に後ろ髪を引かれる思いの方が強くなってしまった。


しばらくして景虎は外が騒がしいのに気がついた。

みんなが自分の居場所に気付いて自分をを引き戻しにきたのであろうことはすぐに察しがついた、。

景虎は出家が妨げられて悲しいと思うように努めたが、やはり本音では迎えが来たことが嬉しく安堵の気持ちの方が大きかった。

妙な物で自分から出奔したにも関わらずもし迎えが来なかったらどうしようかと自分から帰って城に入れなかったらどうしようなど逆なことも一晩考えていた。


頭が冷えてくると感情に任せて出てきたことを少し後悔し自分の軽はずみな行動も反省しきりであった。


しばらく様子を伺うことにし、力ずくで無理やり連れ帰されるかとも思ったがみんな辛抱強く外で待っていたのである。


景虎も昼ごろまで知らん顔をして、顔を出さずにいたがやはりみんなを放っておけず、景虎はそっと外に顔を出した。


金津新兵衛、本庄実乃、直江景綱、宇佐美定満、中条藤資、栖吉長尾景信、山吉豊守、長尾政景、千坂景親、色部勝長、斉藤朝信、北条高広、柿崎景家、上条定憲、黒川清実、山本寺定長、越後の重臣がみんな勢揃いであった。

最前線の信濃の村上義清、高梨政頼までも事態を聞きつけ駆けつけて来ていた。

越後の重臣だけでなく親衛隊の兵士の弥太郎、秋山源蔵、戸倉与八郎、さらには今回の当事者になってしまった上野家成と下平吉長も一緒に揃って来ていた。

女中のお春と花だけでなく直江景綱の娘や柿崎景家の妻も景虎を心配して来ていた。 


みんな景虎を見るとやれやれと一安心しているような表情や声を出していた。


景虎は彼らの顔を見ると本音では自分の軽さに申し訳ない気持ちとうれしくて感謝の言葉を出したい気持ちの方が上回っていたのだがまた強がりを言ってしまった。

この強がりな自分の性格も嫌であったが。


「・・何をしにきた・・」


景虎のひとことに一同緊張したおもむきで静まり返ったが、逆にみんな景虎を困った顔でじっと見つめてきた。今度は逆に景虎が少し緊張してしまった。


「何をおっしゃいます・・春日山城に戻りましょう・・」

本庄実乃が珍しく困りきったような彼らしくない口調で言った。

「出家したい・・世の中が嫌になった・・自分も嫌になった・・」

景虎は意外に正直に自分の気持ちを語れた。

家臣団も今回の騒動に心当たりがあったので特に今回の当事者たちはなおさらで

「・・そ、そのようないことをおっしゃらないでくだされ・・」

定満が弱々しく言った。

「・・ま、まことに・・す、すみません」

下平や上野らも頭を下げた。

「・・ワシらも今回は反省している・・考え直してくれ・・」

藤資も清実も正直にぶつけてきた。


逆にこのように正直に言われると景虎はひるんでしまった。

「・・出家を妨げると天罰が当たるぞ・・」

景虎は困ったふりをしながらも、迎えにきてくれたみんなに対して、うれしさと感謝、感動の方が勝っていたがそれを隠すように声を振り絞った。

「・・姫様がいなくなってから晴信が越後に攻め入って来て滅ぶことを考えれば、そのような天罰など安いものでございます・・」

直江景綱が言った。

自分の愚行で越後が滅ぶとは景虎にとって重いひとことであった。

「・・帰れる城があるときは帰るべきであります・・戦に破れ帰る城がないのは本当に惨めなものです・・帰れる城があることは幸せなことでございます・・」

村上義清が続いた。晴信に居上の葛尾城を奪われ、帰る城を失った彼の言葉には重みがあった。

「帰りましょう・・」

という声がいたるところから出だした。

元々頼まれたら断れない性格の景虎である。今回は自分の無責任さや軽さと言う負い目もあったが、こんなすぐに情に流される自分にもまた嫌気を感じた。でも国を守ることの重大さは景虎自身が一番良く分かっており、また、みんなの期待を裏切るようなことはやはり出来なかった。自分に見返りがなくても頼まれたら断れないこの性格は自分でもなぜかはわからなかった。

でも簡単に下がりたくないという自分の強気が最後の抵抗をしていた。


「今日は決断できない・・みんなも一旦帰って・・少し時間を欲しい・・」


景虎は自分の負けを認めざるをえなかった。

これだけ迷惑をかけているのにみんなの気持ちに素直に正直に答えられない自分が恥ずかしくも情けなく、泣きたかったがそれを抑えるのに必死だった。


「・・ワシはあなたを守るように為景様と契りを結んでいる・・外でお待ちしております・・」

新兵衛が静かに言った。

「私も虎御前様と綾(仙桃院)とあなたを春日山に連れ戻すよう約束している・・あなたをお連れするまで春日山城には絶対帰りませぬ・・」

政景も言った。

他の者もどっかり腰を下ろして動く気配がなかった。


「か・・勝手にするがいい・・」

景虎は声を振るわせていた。

うれし涙を見られたくなかったので慌てて本堂に入ろうとしたそのときであった。


早馬の鳴き声と同時に使者が大慌てで息を切らして境内に飛び込んできた。

「大熊朝秀が謀反!」

「え・・!」

思わぬ報告に景虎は声が出なかった。朝秀の謀反など景虎は全く予想していなかった。そういえば彼はここにはいなかった。


使者は緊張気味に続けた。

「・・軒猿から甲斐の透破が大熊領に入って来ていると報告してきています・・どうやら晴信が糸を引いているようです・・」

「・・朝秀が・・は・・晴信のやつ・・!」

景虎は怒りをあらわにするとすぐに出兵準備を命じ、大慌てでみんなと春日山城に戻っていった。

こうして結局皮肉なことに晴信のおかげで春日山城に戻ることになったのである。


北条高広に続き今度は大蔵奉行の朝秀までもが武田晴信にそそのかされて越中で謀反を起こしたのである。景虎は晴信の計略上手に声がでなかった。

とにかく慌てて春日山城に戻り今回はあの上野家成が率先して朝秀討伐に向かい鎮圧したのであった。

大熊朝秀の乱はすぐに鎮圧されたが彼は一族を連れて越後を出て行ってしまったという。

景虎にしてみれば内心衝撃であった。今回の領土の件や景虎と財政の件などを巡り確かに行き違いが多かったが、父為景の代から長尾家に仕え、自分が栃尾時代から暗に手助けしてもらっており、信頼していた古参の朝秀が自分に対して謀反を起こしたからである。


朝秀は今は甲斐の武田晴信を頼っているらしいという。

なにはともあれこうして景虎の家出は失敗し連れ戻されたのである。


なおこの出奔騒ぎの後、長尾政景が筆頭になって景虎に対し忠節を誓う誓文を再度提出した。

また人質を春日山に提出する者もいたいという。

ただ再度このような事態が起こる手間を考えて単に景虎のなだめ役と機嫌取りに景虎に年が近い妻子を春日山に駐屯させていたという表現の方が近いかもしれない。


その頃越後を脱出した大熊朝秀は甲斐の武田晴信の居城の府内の躑躅ヶ崎館に入っていた。

晴信は景虎の出奔騒動に興味津々であった。

晴信は朝秀の報告を黙って聞いていたが

「信じられんな・・守護が自分の国を放り出して出て行くなんて・・」

晴信も呆れながらも笑みを浮かべて嬉しそうに言った。

「まことの女子供ですな、全く・・」

飯富虎昌は笑うことなく呆れかえっていた。

「わざとではなかろうか・・雨降って地固まるとやらで・・・」

勘助だけ疑っていた。

高坂昌信は黙っていた。

「ますます景虎が気に入った・・」

晴信の笑顔は止まらない。


「ワシが家出したらどうする?」

晴信が思いがけずに質問した。

勘助が思わず真顔で渋い顔をした。

「殿まで何をおっしゃいますやら・・」

「父上までもが馬鹿なご冗談を・・」

義信も少し怒ったように言った。義信は晴信の長男である。

晴信が嬉しそうに声を出して笑っていた。

「どうやって収束したのでしょうか?」

義信が朝秀に聞いた。

しばらく黙った後、朝秀が声を出した。

「それが・・大男が群れを成して侘びを入れて・・戻ってもらった次第で・・」

晴信は笑い転げていた。

他の家臣は呆れかえっていた。

「にわかには信じがたいですな・・」

「越後はそれで国が成り立っているのか・・」

真剣に驚く者もいた。

晴信は笑いが止まらない。


しかし晴信は勘助の次の一言で笑うのをやめた。

「しかし・・普通でない故に・・まこと面倒な相手ですな・・そんなのが隣国にいるとは・・」

「うむ・・」

晴信も笑うのをやめ少し真剣な顔でうなずいた。

「昌信・・」

晴信はいとおしい顔で昌信に声をかけた。

「貴殿はどう思う?」

「何はともあれ・・芝居か本音かはわかりませんが・・簡単に家臣をもう一度まとめあげたのであれば・・甲斐にとっては危険な方ですな・・」

昌信の答えで一同は静まり返った。


「・・うむ・・」

晴信は少し黙って真面目な表情に戻った。


朝秀はこの後、武田家に召抱えられ、晴信に忠節を誓い仕えることになった。

朝秀大熊は次の勝頼にも忠臣として仕え、武田家滅亡の天目山の戦いの時に討ち死にしたという。


一方その後晴信は密かに勘助を呼んで話をした。

今後の越後及び景虎対策である。そしてある作戦を秘密裏に実行することにした。



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