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越後の虎  作者: 立道智之
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大騒動

一通り堺市内の見学が終わると早速本題の天王寺苧座と交渉の日程が決まった。

実は三好長慶との話でこの話題が上がらなかったので景虎は交渉に出るのはやめようかとも思ったがせっかく堺まで来ているので顔を出すことになった。


天王寺苧座と会うのに景虎は自分が堺ではまだ女と思われていなかったようなので前田慶次の織田信長の話ではないが天王寺苧座に侮られないよう千坂景親に景虎役をやってもらって自分は景虎公の姫君 伊勢物語から適当に名付けたのだが 伊勢姫と勝手に名前付けして、横で一緒に様子を見ることにした。五郎左衛門もこれには賛成してくれた。

抜け目の無い連中なので用心するにこしたことはないと。

早速天王寺苧座一団がやって来て交渉が始まった。


しかしここで驚いたのは天王寺苧座が僧侶や武士を連れてきたことであった。

景虎一行は察しがついた、天王寺苧座は長慶が乗り気でないので本願寺を引きずり込んだのであろうと。本願寺の手下が来たと。

要求は本願寺に冥加金みょうがきん、営業税を毎年払えと言い出したのである。

しかも年間千貫と信じられない額であった。ちなみに三条家にかって納めていた額は年間50貫である。飲めなければ堺で商売を認めないという。

実は五郎左衛門は堺の政治自治団体である会合衆に既に冥加金を納めていた。それ以外に本願寺にも追加で納めろという。

また日本海海運での堺商人の船の割合を固定し確実に稼げるようにとも要求してきた。

返事は次回までにほしいと。守護景虎様の良い返事を期待していると。

影武者守護の千坂や伊勢姫の景虎も黙って聞いていたが。


天王寺苧座が返ったあと彼らのあまりの無茶な要求で五郎左衛門は珍しく声を荒げていた。

正直景虎もあまりの無謀な要求に驚いていた。

実は前日堺市内を散策していたときに長慶と本願寺が摂津の支配を巡り不仲になり堺衆が本願寺に頼るようになってから長慶は堺衆と距離を置いているとの噂を聞いていた。

噂は事実のようだと景虎は思った。

ただ天王寺苧座のいずれの要求も越後側は飲めるものではなかった。

本願寺は一向宗は景虎の敵対勢力である。特に加賀や越中の一向宗には父為景の代から悩まされ続けてきた。弱みは見せられない。冥加金など払うわけにいかなかった。

日本海海運には他国の船も来ており強制など出来るものではなかった。

すべて断ることにした。

天王寺苧座が越後商人に手を出したら越後軍を動員することにした。

景虎は脅しでなく本気であった。


再度天王寺苧座との交渉の場が再度持たれた。

影武者の守護代の千坂が冷静に返答した。

要求はすべて拒否すると。

一同は妙な緊張に覆われていたが交渉が決裂した以上長居は無用と天王寺苧座は越後屋敷を立ち去ろうとした。その間際 本願寺の武者らしき男が一言不気味に言った。

「本願寺を敵に回すことの意味 教えてさしあげましょう・・失礼」

突然景虎が声を出した。

「越後守護代の景虎公は普段は物静かですが相手が武田であろうと本願寺であろうと立て付く者には容赦しませんぞ!」

天王寺苧座の商人たちはぎょっと驚いていた。でしゃばりな姫だと・・

しかし本願寺の関係者は見抜いていた。

この姫が本物でこの男が影武者であろうと。



早速事件は起こった。

堺市内の他の越後商人の店が賊に入られ放火されたのであった。堺は会合衆による自治政府である。夜間は出入り禁止で夜間市内で賊に襲われるなど通常ではありえなかった。

越後に対する恣意的な物を感じた。

しかしこのようなときの景虎は遠慮がなかった。

緊張を解くために軽く一杯飲むと堺の自治政府に早速抗議に行った。

今回は越後守護景虎公の姫君の伊勢姫という形で弥太郎 秋山源蔵 戸倉与八郎ら親衛隊に具足に春日槍を持たすという実戦さながらの重武装をさせ自らも具足を着込み騎馬で自治政府に乗りつけた。

堺の市民も堺の自治政府も仰天であった。

ここは三好一族の領土でもあるし本願寺の息がかかっている場所でもある。

そんな中を武装した騎馬で練り歩くなどまともではないと。

しかも守護代の姫君が具足をつけてやけに長い春日槍を振るって乗り込んできたと・・

いくら長慶から勝手にやれと許可ももらっているとは言えそこまでするとは思わなかったのである。

会合衆の集まる自治政府に着くなり本願寺の僧侶や武士の並ぶ前で遠慮なく言い放った。

「罪人に厳正な処罰がなければこちらから成敗しますぞ!」と。

今回の件は自然失火であろうと賊が燃やしたとの証拠がないと会合衆はのらりくらりとかわしたがこの伊勢姫はなかなか治まらない。

「5000の越後兵を堺に連れてきますぞ!」

と今度は真顔で言ってきたのでさすがに自治政府も少し怖気づき 再調査を約束してなんとか景虎一行を返したがそのあと堺の自治政府に信じ難い情報が飛び込んできた。


あの伊勢姫が越後屋敷への帰りの道中で無礼があったという理由で堺市内の天王寺苧座の商人の屋敷を焼き討ちしたという。


この騒ぎで堺の町は大騒ぎになった。越後守護のところの伊勢姫とやらが天王寺苧座の商人の屋敷を真昼間に無礼を口実に焼き討ちしたと。

慶次も偶然この騒ぎを目撃しており唖然としていた。越後屋で対応してもらった売り子の小娘がなぜか伊勢姫と名乗り、赤い単衣の上に越後軍用の黒い具足を着込み鉢巻を巻いて毘沙門天の旗を立てて長い槍を振り回し騎馬隊を率いて騒いでいるのを。


この天王寺苧座の商人の屋敷焼き討ちの件であるがさすがに会合衆の怒りを買い、会合衆に頼まれた本願寺の兵が早速動いて越後屋敷に向かったが、運良く摂津守護の長慶の耳にもこの騒ぎの情報が入り長慶の取り計らいでようやく両者引き下がったのであった。


一方慶次は尾張に帰国後今回の騒動の件を信長に報告した。

天下人である三好長慶のお膝元で本願寺と堺の会合衆相手に大騒動を巻き起こしたと。

越後衆はどうかしていると。

信長は愉快そうに笑いながら聞いていたとのことである。

ちなみに信長や慶次が景虎の正体を知るのはもう少し後である。もちろん慶次があの時の小娘、伊勢姫が景虎と知ったのもその頃である。

ちなみ前田慶次とは5年後の再上洛時にも景虎は再会することになる。


景虎は焼き討ち事件の件もありそのまま堺を離れた。

騒ぎを聞きつけわざわざ摂津に飛んで帰ってきた三好長慶の摂津の芥川城を訪れ今回の件は謝罪した。

景虎も今回は少しやりすぎたと反省していた。

表向きは今回の越後商人と会合衆との騒ぎの件は長慶が取り繕いでくれたおかげで越後側が被害者に弁済することで堺での今後の自由な活動も約束してくれた。なにはともあれ一安心であった。

長慶も景虎との今後の付き合いに期待していたのもあって、この騒ぎの件に関しては若さ故の行動と今回は大目に見てくれたが本願寺とは今後気をつけるようにと再度助言をもらった。

もっともこのとき長慶自ら天王寺苧座が本願寺に近づくようになってから長慶も彼らとは一線を置いていることは景虎に告げておいた。これも長慶の本願寺対策の一環で景虎もそれに巻き込むための長慶のしたたかさである。

しかし実は長慶の父親の元長も管領の細川晴元の命令(長慶の叔父の三好政長の謀略)で一向宗に殺されたと後からどことなく聞いた。

本願寺の問題は予想以上に畿内でも大きな問題になっていることを景虎は知った。

長慶も景虎もそして信長も本願寺にはこの後散々苦労させられることになる。


一方堺での大騒動の件は越後本国にも届いていた。神余が本国に支援を要請したのであった。

本軍が動かせないので留守役の重臣 直江 宇佐美 政景 中条らが相談のうえ 越中、加賀方面に軍を配備し一向宗の領土である加賀に圧力をかけ、また軒猿や奥羽の山伏の部隊に応援を頼み急遽近畿に陸路密かに派遣させた。


景虎一行は危機に見舞われていた。気の収まらない堺や本願寺の追っ手が景虎一行を追っていたのである。

そうとは知らず景虎はのん気なものであった。

高野山 奈良 都と巡って越後に戻ることを考えていた。

景虎は特に高野山に行きたかった。しかし女人禁制である。そのためわざわざ白拍子の装束に着替えて何食わぬ顔で入山したのである。白拍子は入山可能と聞いていたからである。

本願寺の追っ手も景虎にあと一歩まで迫っていたが高野山に入られたうえに忍者狩を得意とする悪名高い越後の軒猿の部隊が向かっているという情報が入ったので深追いを諦め堺に引き上げていった。

越後の軒猿一行が景虎一行にようやく追いつき高野山に入ったときには景虎は今様を白拍子の衣装でゆうゆうと舞、高野山の僧侶を呆れさせていたが・・


高野山から奈良の東大寺 興福寺 唐招提寺を巡り

再度都に入り大徳寺で宗心の法号をもらった。

その後都の商人から鉄砲を10丁ほど購入していった。本当は堺で購入したかったがあの騒ぎのせいで堺の商人から景虎はすっかり嫌われてしまい遠ざかってしまった。

おかげで以降は景虎は鉄砲の入手は手間取るようになる。

鉄砲は信長をはじめいたるところで引っ張りだこと評判だったので是非購入して試験評価したかった。その他珍しい土産を家臣団に買って帰った。

南蛮船やあの大きな火縄銃(大砲)は入手出来なかった。


行路の逆で雪化粧の伊吹山を眺め朝倉の港から船に乗りこんだ。

12月の日本海はさすがに機嫌が悪く初めて船酔いに苦しめられたが

景虎は3ヶ月の畿内滞在を終えようやく越後に帰ってきた。



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