表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
越後の虎  作者: 立道智之
20/77

出陣

武田の陣営は慌ただしかった。

信濃の最終攻略作戦が発動されていたからである。

兵士たちは沸きかえっていた。分捕りが出来ると。

うるさい村上義清や高梨政頼が逃げ出して武田軍の有利は揺るがないはずであった。

気になっていたのは越後軍が動き出した点であった。


晴景は今回は善光寺周辺の北信濃の征圧による信濃の完全統一を目標にしていたがさしたる障害がなければそのまま越後に侵入することも考えていた。


甲斐では越後の噂は見下したものであった。

長尾景虎は越後を統一してから国外に戦に出たことがない。篭ったままである。

商売にうつつを抜かしている女々しい女大将らしいと。

最近武田の家臣になった加藤段蔵からも同じような報告が入っていた。

そのため晴信もそれほど強い相手ではないのではないかと考えていた。

善光寺から一直線に春日山 府内の港までを落とせば景虎が得ていると噂される莫大な現金収入を得られ海の出口も手に入ると甲斐にとっては良いこと尽くしであった。


そのため重臣で武田四天王の飯富虎昌 山県昌景たちに密かに作戦も立案させていた。


唯一慎重だったのは山本勘助だった。越後で危うく捕らえられそうになった経験もあり景虎を高く買っていた。

確かに景虎は最近戦をしてないとは言え何よりもこの数年間越後に引き篭もり国を立て直し、会った時の自分に対する不敵な態度も勘助は逆に評価していた。

采配と判断の速さは特筆に価し、部下も武勇に優れ優秀な者が多く、兵士を育て発奮させるのもうまいとの噂も越後国内で聞いていた。只者ではないであろうと考えていた。


勘助は晴信に越後軍あなどるべからずと進言していたが、晴信は実戦経験のない軍隊など 恐れるに足らずとあまり気に留めていない感じであった。


武田軍は沸きかえっていた。赤い具足に身を固めた男たちが慌ただしく準備に追われていた。

晴信が彼らの前に姿を現した。


「親方様のお言葉である!」

飯富虎昌が太い声をあげた。

赤備えの武者たちは一瞬で静まり返り彼らの父を見るような親しげな視線が晴信に注がれていた。


晴信は悠然と兵士たちの前に立った。

晴信は痩せ身で下がり眉毛の一見気弱な風貌だが目の奥には力が篭っていた。

しかし彼の目はそのような野心を隠すかのような優しい目であった。

事実彼は部下に対しては豪放で優しかったが敵には熾烈な男であった。


晴信の着ていた当世具足は濃紺で地味ではあったが大兜には黄金の武田菱が刻まれ輝きを放っていた。

晴信の落ち着き払った年齢不相応の独特の貫禄とそれに相反する少し気弱な雰囲気や部下思いな優しげな目は兵士を惹きつけるのに充分であった。


「者ども・・ ワシは欲しいものは何でも手に入れるぞ・・今回は 信濃全土 あわよくば越後の春日山・・!

お前たちも欲しいものは何でも手にいれろ・・ 武田の怖さを知らしめてやれ!出陣!」

「オー!」

雄叫びが城内にこだましていた。


春日山城内も緊張に包まれていた。

景虎は声には出さなかったが今まで膨大な投資をしてきた、最強の部隊を作るためである。

予算の使い過ぎで大熊朝秀などはおかげですっかり景虎と疎遠になりつつあった。


景虎は今回の留守役は山本寺定長と大熊朝秀にお願いした。越中方面からの守りのためである。

大熊とは奉行の件で少し疎遠になっていた点もあり連れて行きにくかった。

黒川清美 上条政繁も自城に入り羽越方面からの侵入に備えさせた。

関東方面の守りには上田の長尾政景を坂戸城に守らせた、

上田の長尾政景は大軍を動員できたので景虎は参加をしてもらおうとも思ったのだが宇佐美定満との兼ね合いもあったので今回は見送った。


久々の戦であった。何年振りであろうか。随分と長い間平和な日々を享受してきた。

平和な自由な日々は景虎は楽しかった。このまま永遠に続いてほしかったが世の流れがそうはさせてくれなかった。景虎にとって今回が本当に自分の力 今までの準備の結果を試すときと分かっていた。


特にこの武田との一戦は負けられなかった。

弥太郎老人の言葉が思い出された、

「最初に戦う相手にはいやな思いを植え付けろ」

である。


景虎は毘沙門堂に篭っていた。今までの平和な日々に感謝して今回の武勲を依願した。


城内に戻ると将兵たちは久々の戦とのことで息巻いていた。

みんな準備に追われていた。

「それにしてもよく化け物ばかり集めたな」

中条藤資が例の言い回しで感心していた。

兵士は越後国内だけでなく屈強な男たちをいたるところから公募していた。

装備も新調して末端の兵まで行き届かせその充実ぶりは目を見張るばかりであった。

弥太郎老人の言葉を実行しただけであった。


「いい槍ですな」

槍の名手と評判の村上義清も感心仕切りだった。

槍部隊は兵力の5割を占める重要部隊である。

槍も上杉軍用の特注品 春日槍 を大量に用意した。

通常の物より長めに作られている。

村上は実は槍の名手としても有名で美濃国の斉藤道三と共に名を馳せていた。

槍による槍衾戦法を得意としていた。

景虎はこの話も事前に聞いていた。彼女の好みも多少あったが武田が彼を苦手としていると聞いていたので武田軍対策に村上は絶対必要であった。

景虎の村上に対する評価は高く 村上の自城の葛尾城が奪回できない場合は代わりに根知城を彼に与え自軍の武将として招待するつもりであった。

村上義清に同伴して来た信濃国人衆も武田への恨みから士気がすこぶる高かった。

高梨政頼や小笠原長時、彼らの残存兵もすべて村上隊に統合し彼らは一種独自の雰囲気を持っていた。


「新しい具足は良いのう・・」

色部勝長は今日に備え当世具足を新調したとのことだった。

各少将への支度金も多めに入れておいた。

景虎は良くも悪くも意外と外見にうるさい。もちろん理由もある。

しっかりした格好の部隊は強そうに見えるからである。


景虎も余念がなかった。

自分専用の統制具足は3着も用意していた。

古風な平安時代風な物 今までの戦で使った既存の物 畿内で流行という洋風な物・・

自分では何を着たらよいか決めかねたので

「どれがよいかと思う?」

と みなに聞いてみた。

(・・お洒落も結構じゃが・・なんでそんなにたくさん具足が必要なんじゃ・・)

と北条や大熊は呆れていたが・・とにかく景虎は外見にうるさいところがあった。

ただ大将の外見は実際大事ではあった。それで兵が奮い立つのである。

戦国武将の当世具足がみな派手なのはそのためである。


金津新兵衛や本庄実乃たちの推薦で初戦忘れるべからずとのことで平安時代風の古風な感じの物を今回は使用することにした。

栃尾城の攻防戦の時のような気持ちでと。かび臭い大きな重いあの甲冑が思いだされた。

宇佐美定満や直江景綱も巴御前のようで格好が良いと言った。

(巴御前 源平合戦時代の有名な女武将)

景虎も源氏物語や平家物語が好きだった影響もあって古風な具足が好きであった。

前線にすぐに出たがるのも もちろん 部隊の吹鼓もあるが実は彼女が好きだった源平合戦時代の武将 源義経公を意識しての行動であった。味方の将兵からすれば少し迷惑な話でもなかったが・・

早速着替えようとしたが人目の中では景虎とはいえ着替えられないので まずは大声をあげてみなを大急ぎで外に追い出した。


越後軍の軍備 資金を支えたのは青苧と交易船からの莫大な税収があったことである。

これは年貢収入、金山銀山の収入とは別である。

一般に景虎 後の上杉謙信は無欲で他の領地に関心がない武将といわれている。

これは関心がなかったのではなく他人の領地を取らなくても充分にやっていける莫大な収入があったからと考えられている。

謙信は一般に質素な印象を持たれている方が多いと思うが残された遺品はなかなか豪華でお洒落な高級品が多いという。謙信が死去した際も春日山城の金庫には約2万両の金貨が残されていたという。


景虎は着替えが終わったついでに城内に集まっていた兵士たちの様子も少し覗いてみた。

今まで越後黒人衆は越後の中で戦うことには慣れていたが他国の者と戦うことは初めてであった。しかもその相手が最強と名高い武田晴信軍であったのだから尚更である。訓練は充分につんでいたがしばらく実戦を経験していないのも心配の種であった。

明らかに緊張の張り詰めた気配が感じられた。


「みな大分緊張していますな・・・」

斉藤朝信が心配そうに眺めた。

景虎もうなずいた。正直景虎も今までになく緊張していた。

武田軍の強さは越後でも響いていた。赤い具足を実にまとい赤備えと呼ばれ無敵の軍と名高かった。

今までの越後内での合戦の経験を踏まえ自分なりに部隊を訓練してきたつもりであったがうまく機能するかどうかは分からなかった。


しばらくして柿崎景家 甘粕景持から兵を少し落ち着かせるため声をかけてもらえないかとの提案があった。

柿崎 甘粕は武勇に優れ人当たりが良いので兵の訓練を主に担当していた。

(自分がこういう状態なのに・・)

景虎は断ろうとおもったが越後軍の立役者の二人からの要望を断ることが出来なかった。

真っ黒い具足や胴丸 濃紺の直垂と統一された装備で身を固めた大男たちがたむろする二の丸に下りることにした。


初陣の栃尾城の頼りなさげな兵士たちに比べるとその違いは一目瞭然だった、

真っ黒の胴丸や具足に身を固め 越後名産の青苧から作られた濃紺の直垂を統一して着せていて色だけでも強そうな感じであった。

ちなみにこの色はこれは武田の赤色の具足 赤備えに対抗するためこのように決定したのであった。

旗も今回初めて毘の旗を使った。毘沙門天の毘である。

自分で作った軍隊であったが自分があまりの迫力に圧されているのが感じわかった。

景虎自身が言うのもなんであったが怖かった。


ものすごい怒号がどこからか突然聞こえた、局所的な喧嘩か何かのようだったが景虎は思わず足がすくんでしまった、それだけ兵も緊張していたのだが・・柿崎か見兼ねたのか小声で

「姫様 落ち着いて・・ 堂々と・・」

景虎はうなずいた。

御披露目壇までゆっくり堂々と歩いた。

景虎は元来見た目が良かったので具足を着るととても良く似合った。

兵士は単純な物で自分たちの大将が格好が良いとそれだけで奮い立つものであった。

先にも述べたが戦国時代の大将たちの当世具足がみな派手なのもそのためである。


景虎に気づいた兵士たちがざわめき出し近寄ってきた。

「オイ!景虎様だ・・!」

「オオ・・麗しい・・」

「かっこいい・・!」

失礼ながら景虎は飼いならされた猛獣が近づいてくるように感じた。

何か言っているようだったが景虎の耳には入っていない。

右足と右手が同じ動きであった。顔では笑っていたが明らかに緊張してこわばっていた。

土下座する者まで現れるが当然視界に入っていない。30メートルにもない距離だが長く感じた。


ようやく壇中央に付くと

「お言葉である!」

柿崎の野太い声が響きあまりの声の大きさに一瞬肩を縮ませてしまった。

騒がしかった場は一瞬で静まり返った。

鋭い強豪な猛者どもの視線が一斉に景虎に向けられる。

(・・怖い・・)

頭の中が真っ白になっていた。

(一杯呑んでおけばよかった・・)

と 思ったものの後の祭りであった。

「・・え・え・・」

ようやく声を振り絞るが声があまり出なかった。

実はこのようなことは今までもやったことがないので何も考えていなかった。

普通に出陣 とだけで済ますことももちろん出来たが生真面目な景虎は自分の理屈を延々とこの場で話始めてしまった。


「・・今まで越後衆は国人同士ばかりで争いお互いに疲れてきた・・ようやく一つにまとまったと思ったら南からは武田 北条に我らは狙われ越後は危機に瀕している・・

武田晴信は実の父を追放し、生け捕った兵士3000人の首をはね 捕らえた子女を売り飛ばし喜んでいる天下の悪人である。このような狼狽行為を行う悪党には我々が鉄槌を下さなければならない。毘沙門天の使いである我らの力を奴等に見せつけよう。奴等を越後に近づけてはならぬ。

さらには神聖な善光寺がある信濃も武田の手に落ちようとしている。 信濃や善光寺の人々は我々に助けを求めている。人々から助けの依頼を受けたら我々は行かなければならない。

信濃のため 善光寺のため 我らの愛する越後を守るため 信濃に向けて出陣する。

義は我々にある・・ 勝利は我々のためにある・・ 越後のために戦おう 美毘沙門の化身であるこの景虎にみなの力を貸したまえ!」


「・・え・・??」

妙な静けさが当たりを覆っていた。

こんな変わった前振り聞いたことが無いからである。

普通は乱暴に言えば 武田晴信の言葉ではないが 分捕りにいくぞ といわんばかりなのだが回りくどく理屈っぽい女々しい・・景虎は女であるが・・前振りだったからだ。

しかも分捕りどころか人助けのために戦うと言う。

「何を・・おっしゃってるんだ・・?」

疑問を問う声で兵たちがざわめきだした。

要は分捕り禁止をここで景虎が公言してしまったこともあったが自分たちに神の軍になれと真面目な顔で言われることに対しての戸惑いでもあった。

分捕りは当時の兵士や戦ではごく当然の行為であった。それを禁止すると。

戦もそんなに現実は生易しく美しい世界ではない。血生臭い世界である。

でも大将はいたって真剣に言ってる・・

兵士たちの本音もどうしたら良いのか分からなかった。


柿崎 北条 中条は唖然としていた。

甘粕 色部 も戸惑っていた。

宇佐美 直江 実乃 新兵衛 千坂たちも手助けの言葉を必死で探しているようだった。

ただ村上 高梨 小笠原たちは感じるものがあったのか縮こまっていた。


しかししばらくして手前のほうから

「そうだ!」

「いいぞ!」

「景虎様万歳!」

大声がこだました。

聞き覚えのある声だった。

親衛隊の弥太郎 秋山源蔵 戸倉与八郎たちであった。

助け船をだしてくれたのだ。


しばらくしていたるところで掛け声が出だした。

そして景虎の手前の強面の兵たちが言った。

「分捕りのためではなく ・・・人様のために戦えですかい・・」

「いやな時代ですが そのようなお考え・・こんな顔ですが嫌いじゃありませんぜ」

「ご立派ですな・・お供いたしますぞ 姫様」

「・・・」

景虎は目頭が熱くなり涙がこぼれるのを抑えるのに必死だった。

甘粕が声をかけた。

「殿 掛け声を」

「出陣」

弱々しい掛け声ではあったが充分であった

「オー!」

太い掛けが春日山城にこだました。


城門が開き柿崎隊 村上隊を先頭に5000人の部隊は春日山城を出発した。

城下では見物人やら見送りやらで人が溢れていた。

越後の衆にとっても初めての他国出征とのことで思い入れも違ったのかもしれない。


今更ながら景虎は人の多さに驚き越後国民の期待の大きさに驚いた。

景虎本人が城外に姿を現すと歓声はさらに大きくなった。


兵たちは皆誇らしげだった。

今までの 越後の兵士と違い皆鍛えあげられ 足軽隊は長い特注の春日槍を持ち 装備も乱れがなく 荷駄の荷物も豊富で溢れていた。


兵士に花を配っている少女がいた。誰かを見送りに来たのかどうかは分からない。

花を配ることは晴れ舞台祝いの意味と別れの意味がある。

花を持った少女は景虎の近くに寄ってきた。表向きは彼女は笑顔であった。

景虎は思わず立ち止まった。

少女は一厘の紅い花を差し出してきた。

景虎は受け取ってよいものか迷い振り返って見たが

「いいんじゃないですかい」

高広が答えた。

「お似合いかと・・」

宇佐美も同意した。

他の家臣もうなずいていた。

「これなんという花?」

景虎は聞いてみた。

「栃姫という椿です」

「栃姫か・・・ありがとう」

景虎はしばし花に見とれていた。

(もし自分が・・姫のままだったら・・)

景虎は受け取った栃姫じっくり眺め 本当の姫だった昔を一瞬思い出していた。

そして花の向こうの景色に現実に帰るのだった。


我が子であろう 若い兵士を抱いて送る老夫婦・・

兵士の幼子と妻であろうか 別れを必死に惜しむ 人々の姿が目に飛び込んできた。


景虎は今更ながら自分の背負っている物の重さに改めて打ちひしがれた。

「・・国を背負うとは重いものだな・・・」

戦が美しい物でもなんでもなく理想や理屈だけではないことも景虎は充分承知していた。

おそらく2度と越後に戻れない兵がたくさん出ることは分かっていた。

それで悲しむ人たちがいっぱいでることも分かっていた。

しかし生真面目な景虎は本気で越後や自分の職務を守ることを考えていた。

そのために行かなければいけないと自分を納得させなければいけなかった。

自分を納得させ奮い立たせるため そのためにありえない美しい理想や理屈を並べて自分を言い聞かせていた。

景虎は子供であった。しかし景虎や越後にとって幸いだったのはその子供じみた理屈を分かってくれる大人が多かったことであった。だから彼らはそんな景虎についていったのであった。

「・・越後は守って見せる 絶対に・・・」

景虎は誓い花を胸元にそっと刺した。


天文22年(1553)春 景虎は武田晴信との因縁の地になる 川中島に初めて向かったのであった。

景虎24歳の時である。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ