訪問者
平和を謳歌していた越後であったが南から相次いで訪問者がやって来た。
関東と信濃は風雲急を告げていた。
まずは関東からは上杉憲政がやってきた。
冬の雪の三国峠を越えて数名の従者だけを従えてやってきた。
体中に雪を積もらせ ぶるぶる震えながらわざわざ春日山城までやって来たのである。
関東管領の威厳はどこにもなかった。
常陸の佐竹義昭を頼っていると聞いていたので突然の訪問に景虎は驚いたが急いで丁寧に招き入れた。
聞けば8歳の幼子の龍若丸は北条に捕らえられそのまま手討ちにされたという。
「なんというひどいことを・・」
景虎はこのような話になると他人事ではいられなかった。
上杉憲政は続けた。
「ワシはもう終わりじゃ・・関東管領の職は貴殿に譲りたい・・」
景虎は一瞬憲政の頭がおかしくなったのかと思った。
そのようなことは迂闊にも言うものでないと思った。
しかし彼は本気であった。
「越後の守護を継ぎうまくやっていると定実殿から聞いておった。 上杉家の宝物はそなたに渡したい、息子が死んだ以上そなたに上杉をついでもらいた・・」
実際に上杉家重代の太刀 朝廷より授かった錦旗 関東管領の綸旨 藤原鎌足以来の上杉家の系図 竹に飛雀の上杉家の家紋の入った陣幕などを持ってきていた。
上杉の継承に関しては景虎にとっては願った条件であった。
父為景の守護代殺し 関東管領殺しの汚名を完全にそそぐことができる。
上杉定実の越後守護を継ぎ 上杉憲政の関東管領をも継ぐ。
長尾家の家の格上げにつながり名誉なことであった。
景虎は了承した。
憲政の屋敷を春日山城に急いで造営させた。
長尾家は実は元は関東に血筋がある家であった。関東の豪族で桓武天皇の血筋 平氏の系統のいずれかと言われているが詳しくは分かっていない。鎌倉時代は三浦一族に仕えていた。3代目の将軍源実朝を暗殺した公暁を討った実行役と言われているが時の執権の北条義時に三浦氏が滅ぼされると流浪の身になりその後上杉氏に仕えるようになったのであった。 上杉氏も元は京都の藤原氏の一族で源氏の血筋を継ぐ将軍家が実朝暗殺事件で断絶すると 京都 朝廷から派遣されてきた九条家の後に入った皇族将軍、宮将軍の付き添いで関東に下向したのが始まりと言われている。上杉氏は源氏系の足利氏と血縁関係を持ち 後の室町時代には足利氏の鎌倉公方の執事としての関東管領として活躍し上杉氏の発展と共に長尾氏も発展していくのである。上杉氏は関東で守護も務めるが分家も同時に行われ越後に行った上杉氏に付き添って来たのが景虎たちの祖先の長尾氏である(揚北衆など地場の土豪から見ればよそ者になる)。そのため関東は本来は自分たちのものであるとの意識も強く関東管領となった以上は大義名分もあり打倒北条を叫ぶことも可能であった。
家臣団も関東出兵はおおむね賛成であった。みな関東に憧れを持っておりどこの馬の骨とも分からぬ北条氏康に大きい顔をされているには快く思っていなかった。
ただ子供を見捨てて逃げてきた憲政に対する評価は芳しくなかったが。
景虎もその点は同じだったが助けを求めに来た者には応じるのが彼女の考えだった。
しかも今回は関東管領からの頼みであり自分がそれを引きつぐ権利も手に入れた。大義名分は充分であった。
ただ上杉憲政が佐竹にも同じ行動をして断られ景虎のもとに二番煎じで来たのはちょっと苦笑いしたが。
もっとも景虎のこの旧権威へのこだわりようは独特であったが関東への憧れの念で家臣はまとまってくれた。一方これによって泥沼の関東戦線に巻き込まれていくとは当時は夢にも思ってもいなかっただろうが。
ほどなく信濃からも来客があった。
高梨政頼 村上義清 信濃守護 小笠原長時たちである。
高梨政頼は景虎に面会する予定だった。
実は高梨たちに会うのにひと悶着あった。
高梨は景虎の甥にあたったので彼を助けることに異義はなかった。
彼の居城中野城や飯山城が信濃の最北端にあり春日山城の防衛上も重要な拠点だからである。
小笠原長時を手助けすることにも異義はなかった。
守護代である彼を助けるという名分は充分であった。
問題は村上義清だった。
実は村上と高梨は今回武田に敗れるまではお互いに敵対していた。
大熊朝秀や北条高広は 高梨と小笠原を助けに信濃に出向くことは納得したが村上の件に関しては終始反対であった。
今まで敵だった人間を助けるなどおかしいと。地理的にも村上の居城の葛尾城は信濃の中央に位置し越後の脅威にはなんら関係なかった。
ただ景虎は彼が武田晴信に激しく抵抗してくれたおかげで越後はその間、国力を復活させられたと認め、村上義清を実は景虎は高く買っていた。
今日の話を聞く以前に既に彼へのお返しをかねて手助けをする気持ちは出来ていた。
また彼の武勇の噂は有名で越後にもその武勇伝はいろいろもたらされていた。
大熊 北条もその武勇の件は認めていた。その確認次第であった。
もちろん大熊 北条の今まで敵だった人間を助けるなどおかしいとの言い分も一理あった。
そのため今日高梨と一緒に村上も来ているというので一度会って最終的な判断をしようと考えていた。
やがて高梨が姿を現した。
高梨は60手前の老武者だった。
憔悴しきった感じでぼそぼそと話し出した。
「わしらも武田に恥ずかしながら打ち負かされこのありさまじゃ・・」
「・・・」
「武田は強い・・小田井原 (天文16年 1546)では信濃の笠原清繁の志賀城の救援に来た関東管領上杉憲政軍を討ち破り 板垣信方 甘利虎泰 を先陣に 関東管領軍の大将14人を討ち取り兵士3000人を生け捕りにした・・・」
「・・・・」
景虎の耳にもこの凄惨な事件の話は武田の軍師の山本勘助から既に聞いていた。
「武田は生け捕りにした兵士3000人の首をすべてはねて立て篭もる志賀城兵の前にさらし戦意を喪失させ、攻め落とした志賀城兵を皆殺しにしたあと 捕まえた女子供を信じられん高額で売り飛ばし喜んでいたそうじゃ・・・笠原清繁の未亡人は小山田有信に格安で与えられたそうじゃ・・」
「・・格安で与えられた・・?ご婦人をそのように扱うなど なんとひどいことを・・・」
景虎はこの話を聞いて晴信を心底侮蔑していた。残虐な下等だと。
もっともこの晴信の作戦は武田の中でも評判が悪かった。
逆に信濃国人衆の激しい抵抗にあい その後の信濃攻略に大いに手間取ることになったためである。後にこれをうまく懐柔したのが晴信の腹心で弟の信繁である。
「で 今日逢わせたい男がいるんじゃ・・」
景虎は一瞬躊躇した。
今日は春日山城内の普段着 女装であったからだ。
景虎は越後国人衆以外に会うときは実は男装を今でも続けていた。
相手によってはやはり女子供と侮ってこられるのがいやだったためである。
しかし高梨よりすべて話しているので大丈夫とのことでそのまま会うことにした。
「村上義清殿じゃ」
「失礼いたしまする・・」
背丈は柿崎ほどではないが大男で体格も屈強な40代半ばくらいの険しい表情の武者が入ってきた。多分昔は美男子であったろう。
村上義清は景虎を見て一瞬驚いていたようだったがすぐに元の表情に戻った。
村上は深々とひれ伏せると悔しさと無念の念をこめて話し出した。
「このたびは武田に苦酸の飲まされてこのような有様。是非奴に一泡吹かせたいと思い景虎様に馳せ参じた次第です。是非お力添えを・・」
村上義清は噂通り、剛勇な武者であったが源氏の血筋を引いているとのことで高貴な雰囲気を出しているように景虎は感じた。
景虎は今回は大熊 北条の意見もあったので慎重に考えていたつもりだったが以前より頼まれたら断れない性格であった。村上の言い方や態度が景虎の琴線になぜか触れたため気持ちはほぼ固まりつつあった。
景虎は以前より好みのものはじっと5秒ほど見つめるクセがあった。
今回もそれを思わず出してしまった。
北条 大熊も下座の方からそれに気が付いたが
(またか・・全く・・)
といった表情のままことの成り行きをみていた。
高梨が続けた。
「晴信は戦上手じゃが村上殿は2回やつを破っておる・・」
上田原の戦い 天文17年(1548年)と砥石城攻防時の 砥石崩れ 天文19年(1550)である。
村上義清は事実 晴信 武田信玄の戦績に唯一の負け戦をつけた人物であった。
「噂は聞いておるかもしれんがこの男は上田原で自軍に多大な犠牲を払って奮戦し先ほどの板垣信方 甘利虎泰をその後討ち取ったんじゃ・・」
「へぇえ・・・!」
めったに声を出さない柿崎景家が驚きの声を上げた。
景虎も驚いた。噂は本当のようだった。
板垣と甘利は晴信の追放した父信虎以来の武田家の重臣で信虎時代の武田四天王の二人である。その重臣二人を激戦の末に葬ったという。
「武田晴信を二度も打ち破ったとは・・」
「それでは飽き足らず武田の重臣を二人も葬るとは・・」
宇佐美定満や直江景綱も感心していた。
景虎ももちろん感心仕切りであった。
高梨は続ける。
「砥石城では2500の兵力で7000の武田軍を破り武田軍1000人近くを討ち取り 晴信にも手傷を負わせたんじゃ・・」
斉藤朝信や山吉豊守も食い入るように聞いていた。
「そういえばもう一人討ち取っておった、 砥石城でも小山田有信も討ち取り笠原殿のご夫人の怨念も払ったとのことじゃ・・」
小山田有信も武田家の重臣で彼の葬儀には一万人が訪れたという程の人物である。
義清は終始黙ったままであったが余計にすごさを感じさせていた。
「・・そりゃ・・すごい・・」
めったに驚かない中条藤資や色部勝長も驚きの表情を隠さなかった。
北条高広や大熊朝秀も態度を改めていた、これは只者ではないと。
義清は再度深々と頭を下げた。
「姫様 勝手なお願いで恐縮ですが是非我々にお力添えを頂けます様よろしくお願いいたします」
景虎は迷わず答えた。
「あなたほどの勇者が我が軍に来ていただけるなどこちらも光栄です。こちらこそよろしくお願いいたします」
景虎が命令した。
「北信濃を取られると越後が危ない。世を乱す武田晴信に毘沙門天の鉄槌を加える!全軍出兵準備を!」
こうしてまず北信濃への出兵が決まった。
しかしその後 景虎は村上の武勇伝を聞いて思っていた。
武田晴信の別の顔をである。これほど村上に痛い目に遭いながら勢力をいつの間にか盛り返し気が付いたら村上たちを信濃から追い出していた晴信のやり方にである。
事実村上はこれほど善戦したにもかかわらずその後 晴信に家臣団の切り崩しに会い 晴信の重臣 真田幸隆らにたった一日で砥石城を奪われ 景虎の元に頼って来たのであった。
晴信の戦の能力だけではなく諜略の能力は驚くべきものであった。