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越後の虎  作者: 立道智之
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世継ぎ

いよいよ世間は騒がしくなっていた。

信濃の守護 小笠原長時は葛尾城の村上義清を頼り武田晴信に徹底抗戦しているとの情報が入って来た。

関東も北条氏康の猛攻で関東管領の上杉憲政の林城が落ち、景虎ではなく常陸の佐竹義昭 を頼っているという情報が入って来た。


一方越後は統一後のしばらくの平穏な時を楽しんでいた。

越後経済はようやく立ち直り領民もしばらくの平和を謳歌していた。

景虎もこの時期が人生で一番ゆっくり出来た時期かもしれない。


基本的には城内で書物を読んだり 施政を行ったりすることが多かったが景虎は守護であると同時に武将でもあったので男並みの腕っ節は無理としても最低限は鍛錬した。


剣術ははっきり言って苦手で上達しなかった、一応訓練したのだが基礎の違いがありすぎて練習にすらならなかったので景虎も周囲の者もこれは諦めていた。

乗馬は好きであった。自由にどこでもいけるからという理由ではあったが、暇があるときは領内見学を兼ねて馬に乗っていた。おかげで乗馬はかなり上達した。


ひょんなことから親衛隊の弥太郎と話す機会があった。

実は弥太郎や景虎直属の千坂親衛隊が普段使っている装備が貧弱だったのでもっと良い物にしようという話をしていたのだが景虎が栃尾の弥太郎のことを急に思い出し、同じ名前の人を知っていると景虎が切り出したためである。


弥太郎の父も同姓同名であるが小島弥太郎といい彼も兵隊をやっていたという。

戦場をいたるところ駆け巡り幼いころに別れたきりであるという。母親がそんな馬鹿な主人の名前を忘れないように子供である自分にも父親と同じ名前を彼につけたという。

景虎は失礼かもしれなかったが思わず笑ってしまった。

弥太郎の母親の機智にである。


景虎は思わずその人に世話になったと言ってしまった、弥太郎は喜んでいた。

偶然にしてすごいと・・何かの縁かもしれませんな・・と。

そして 今はどうなっているか と聞かれたとき景虎は思わず答えに窮してしまった。

嘘が苦手な景虎は栃尾城の弥太郎を思い出し、悲しい顔をしてしまった。

しかしすぐに新兵衛が助け船を出してくれた。

「元気に栃尾にいる・・」

しばらくの沈黙の後

「そうかぁ」

弥太郎は明るく振舞った。


新兵衛は弥太郎の武勇伝を話し息子の弥太郎もうれしそうに聞いていた。

しかし景虎の表情で彼は全てを察したようでそれ以上その話は景虎にはしなかった。


後で新兵衛になぜ嘘をいったのかと聞くと本当のことを知らない方が幸せなこともありますと静かに答えた。


景虎は終生 嘘は苦手であった。政略が何とか一人前に使えるようになったのは人生も晩年の頃であった。

弥太郎も終生親衛隊として活躍し彼もいつの間にか世間から鬼小島と恐れられる猛者に成長していった。


その後なんか落ち込んでいる景虎をみかねてか逆に弥太郎から近所の家にかわいい仔犬が産まれたので今度城内に連れて来るという話があった。

景虎は元気付けられた気がした。



景虎は軍の再建に熱心であった。

貿易や青苧の販売のおかげで越後の財政は順調に増え、余裕も出来るようになってはいたが南の武田や北条への脅威は相変わらずだった、そのため備えとして万全の体制を整えていたのであった。

一般兵の兵装は景虎で全て商人から一括で買い上げて各部隊に振り分け装備の差が部隊によってでないようにしていた。


兵士は優秀な者は景虎直属の千坂隊や希望部署に配備するようにした。そのため春日山城内で景虎自ら閲覧の公開訓練を行った。屈強な男子が訓練に励むのである。

特に車懸けの陣の兵法は重視していた。

部隊を交互に素早く動かし 甲隊が攻撃中は乙隊が休み 乙隊が攻撃中は甲隊が休む。

これを時間差無く素早く入れ替え絶え間なく攻撃しているように見せ相手を疲れさせる戦法である。


実はこの訓練の件が春日山城内や城下町でちょっとした話題になっていた。

訓練は武勇に優れる柿崎景家や甘粕景持が主に担当していたが訓練終了後 景虎が気に入った兵士 景虎は面食いであったので要は美男子であるが を城に招待して晩酌を楽しんでいるとの噂であった。もちろんあの勘助も聞いている噂である。城下町では選ばれた者は名誉なことと悪い評判ではなかったが家臣団は別の心配をしていた。


景虎も23歳になり守護とはいえ女性であり異性に興味があるのは当然なことであった。

優秀な兵士で美男子と晩酌をするのは守護と親睦を深めるという面で悪くはなかったが彼女は独身であった。年頃の女性と男性が食事だけで済んでいるであろうかとの余計なお世話ではあったがそこが心配の種であった。

しかも春日山城の景虎の住む本丸は夜間は男子禁制で千坂や新兵衛ですら入れないとのことだった。

家臣団も景虎が結婚して跡継ぎが生まれるのは全く問題なく大歓迎であった。

しかし誰の子供かわからない状態で生まれるのには反対であった。

必ず跡継ぎを巡って騒動が起こるからである。


景虎の婿の件は以前よりいろいろ検討されていたが守護代の女性に婿入りというだけで渋る者が多くそのまま結局おざなりになっていた。それ以上に景虎自身も結構好みがうるさかったのも事実であるが。


しかしそろそろこの件の話をしないといけないと家臣団では話題になっていた。

家臣団の間でも誰が進言するかでもめていたがこういう問題はぶしつけで最年長者に言ってもらった方が良い、ということ渋る本人を無視して中条藤資が任されることになった。


景虎は毎月、月の頭に家臣たちを集め一週間ほどを評定の期間に定めていた。

この期間に重要な会議をしたり兵士の訓練会や家臣との親睦を深めたりしていた。

この機会に今回の話をすることにしたのである。


ところがこの日は評定の時間になっても景虎は姿を現さなかった。

これに関してはみな心当たりがあったので諦めていた。

またか・・と。

このようなことは初めてではなく今までも何度かあった。


実は前の日 景虎自ら視察、指示もする城内での兵士の訓練披露があった。

もちろんみな鍛え抜かれた屈強の兵士ではあるが景虎はいつもここで お気に入り を見つけた場合夜の晩酌に誘っていたのであった。

景虎の平常時の性格は分かりやすく 気に入った者には5秒ほどじっと見つめるクセがあった。

前日も それ をやっていたのであった。


訓練披露会が終わるとまずは訓練責任者の柿崎景家や甘粕景継が推薦した本当に武勲に優れた者を5名ほど表彰して 続いて景虎が密かに指示して引抜 といっても直接声をかけるだけであるが をしていた。

武勲に優れた5名の表彰が終わると 景虎が引き抜いた者以外は退去したあと景虎が直接晩酌への誘いの声をかけていた。

この引き抜き役は千坂景親がやらされていた。つい最近老齢で引退した上杉定実の重臣だった千坂景長の息子である。彼は景虎よ6つ下でこの頃の家臣団の中では景虎から見ると唯一の年下であったのでこのような損な役をやらされていたのである。彼の肩書きは一応親衛隊兵の隊長で長尾家の重臣ではあるが。


前日も若手の美男子が3人ほど引き抜きにあっていたのはみな目撃していた。

この日は揚北衆の3人 荒川長実(垂水源二郎)と大川忠秀 新発田長敦が声をかけられていたのをみんな見ていた。

荒川長実は色部勝長の部下で腕利きとして有名であった。この3人は景虎に誘ってもらえる自信があったのだろうか、わざわざこの日のために揚北の地から出て来たとのことだった。 このように景虎に晩酌を誘ってもらえるという噂はこの頃には城内だけでなく越後国内に広まっていた。


最初の頃は家臣団が最後まで残って暗にそのような行為に関しての圧力をかけていたのだが最近は家臣団が見ている前でもお構いなしであった。

晩酌をすると決まって呑みすぎて翌日の評定を二日酔いで休むことが多かった。

今日もまさに それ であった。


みな諦めていたが一応広間に集まり景虎を待っていると案の定 お花とお春がやってきて

今日は姫様調子悪いのでお休みしますとだけ伝えにやって来た。


みんなが やれやれ・・と 引き上げようとした矢先であった。

今日はひょっこり顔をしかめながら景虎がやって来た。

「あれ 姫様今日休まれるんじゃありませんか?」

お春が声をかけると

「う・・そうだったけ?頭痛い・・」

完全な二日酔い状態で景虎が答えた。しかも酒臭い。服もだらしなく髪の毛も荒れ放題である。

上座に座るとお花とお春が服の乱れを取り急ぎ直し髪もくしでとかしてくれた。

景虎は化粧はしない。戦場に赴くようになってからやめたのであった。半分男社会に足を入れているので仕方のない一面でもあった。


みんな呆れかえっていたが

「姫・・お酒は ほどほどに・・」

宇佐美定満が言った。

(・・そんなんでは婿はいつまでたっても来ませんぞ・・)

と続けそうになったのを慌てて抑えた。

「う・・ん・・ん・・」

目が覚めてない。

景虎は上座に座ったままあくびをしていた。

「・・今日評定するんですか・・?」

色部勝長が一応聞いてみたが

「え・・?」

目が覚めていないのか酔いが覚めていないのかお手上げの状態であった。


中条藤資が見かねたのか切り出した。

「姫・・今後ですが晩酌するのは構わないが 新兵衛なり千坂なりを傍に置いてもらえないか?」

「・・なんで?」

「安全上の問題です!」

「・・城内は安全ではないか・・」

「念入れです!千坂と新兵衛と一緒に飲んでも良いでありませんか!」

「・・二人とも下戸だから・・」

「・・・え!」

事実であった。そう言われてみれば・・中条も思い当たる節があった。

金津新兵衛と千坂景親が少し赤くなっていた。

千坂はまだ17歳で呑み慣れていない、新兵衛は・・確かに中条が一緒に呑んだときもすぐに赤くなっていた・・

(あなたが異常に強いんじゃ・・!)

と危うく言いそうになったのを何とか抑えた。

中条も下がらなかった

「城下で噂がたっていますぞ!」

「いいじゃないか・・みんな喜んでいるし・・」

(酔い覚めしておらんのに減らず口とは・・まったく・・)

中条は少し呆れながらいろいろ言葉を捜しているようだったがうまく見つけることが出来なかったようであった。

しかしついに決心したのか ずばり を言ってきた。

「晩酌は結構ですが・・身どころの分からない後取りはわしら家臣一同許しませんぞ!」

景虎は相変わらず聞いているのか聞いていないのか ぼーっとしていた。

しばらくして 頭痛のせいであろうが頭を抱えながら言った。

「・・そのようなことはない・・心配・・無用だ・・」


・・危うく私は子供が出来ないようだ・・と言いそうになったがそこは抑えた。


家臣一同顔を見合わせた。

「婿入りの件はどうします・・?」

直江景綱が念のため聞いてみた。


景虎はしばらく黙っていたが真剣な顔になっていた。

「・・来ても来なくても養子が必要かもしれない・・」


みなそれ以上この話しをするにはやめた。

しばらく黙っていたが急に景虎が明るく振舞いお春とお花に声をかけた。

「・・そうだ 弥太郎のとこの仔犬を見に起きてきたんだった・・

お春とお花 一緒に見にいこうか?」

「姫様 行きましょ 行きましょ」

3人は広間を出て行った。


家臣たちはしばらくみな黙ったままであった。


景虎の毎月の10日前後に起こる腹痛は重症だった。

戦の最中でも引き篭もることが多かったと松平記にも残されている。

10日戦後で戦ったのはあの有名な第4次川中島と越中の七尾城攻防戦の時の2度だけである。

謙信 後の景虎が倒れたのも3月9日 死去したのが3月13日と言われている。


景虎は結局終生結婚することはなかった。

戦国大名で結婚していないのは戦国時代を通して管領の細川政元と景虎の二人だけである。

景虎が男子であれ女子であれ結婚しなかった理由は分からない。

もちろん実子もいないことになっている。

景虎の跡継ぎになった上杉景勝も養子で長尾政景と景虎の姉の仙桃院との間の子供である。


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