来客者
武田の軍師 山本勘助は密かに春日山城に向かっていた。
彼は既に50を過ぎた老人であったが40半ば過ぎまで浪人生活をしていたので腰が軽く危険な任務など積極的に自分でひょうひょうと行っていた。
山本勘助は異色の軍師と有名であった。実力もさることながら他国出身でありながら武田晴信の信用を得て彼の重臣になったことである。
晴信が注目していたのは越後であった。
武田にとってようやく信濃の平定にようやく目処が付き次の目標を越後の春日山に決めていた。そのための事前偵察であった。
特に春日山に注目したのは海のない甲斐にとっての海の出口 府内の港であった。
景虎が府内での貿易で得ていると噂される資金も魅力であった。
勘助は商人に変装して少数の護衛と共に堂々と春日山城下に入って来た。
春日山城下や府内は噂通り賑やかな町であった。
景虎の代になって戦から遠ざかり町は平和そのものであった。
勘助は町の地形図を歩きながら頭に叩き込んでいた。
府内に関しても歳入の金額などを知りたかったがこれはやはり政治中枢まで調べないと分からなかったが来客している船や商売人はかなりの数であった。
人や商品が溢れ賑わっていたので金額はかなり大きいようなのは間違いなかった。
聞くところによると 青苧や米 魚類 各種農産品など 越後の特産品を畿内に出荷し
帰りの便で 完成品の衣類 嗜好品 武器 砂鉄を持ち帰り さらに陸奥などの東北方
面と中継貿易も盛んで 明や西日本の毛利家の商品の荷動きまでもあるとのことだった。
春日山城自体は下から見た限りは険しい山城で攻めるのに少々難儀なのが気にかかった。
景虎に関しては甲斐での噂通り女守護とのことだったが、屈強なイメージと違い地元では色白の華奢な綺麗な姫様との評判が以外ではあった。
ただ勘助が気になったのは 景虎は武器の購入や兵士の訓練に熱心とのことで 兵士もわざわざ他国から腕利きを高額の報酬で集めていると噂であった。
府内の港や日本海で越後の商人が大きい顔しているのも景虎の直属の水軍が存在し越後商人の用心棒を担いでいると他国の商人のひそひそ話も耳に入って来た。
また景虎は意外と強権的な面もあり越後国内の港 金山銀山は武力を使って強制的に制圧したとの不平の声も耳に入ってきた。
ただ景虎に気に入られるとお城に晩酌に誘ってもらえるという妙な噂は信じ難かったが・・
(この町であれば晴信様もお気に入り、喜びになられるであろうな・・)
勘助はそう思いながら街中をぶらぶらと歩いていた。
景虎は軒猿という忍を使っていた、為景時代からの長い付き合いの関係であった。
血生臭い話であるが汚れ仕事を進んで請け負っていたのが彼らである、忍びの者の本来の活動以外に他国の忍者狩を得意とし 武田の透破 北条の風魔を幾度となく殺害したと言われている。
山本勘助自ら春日山に乗り込んできたのも実は軒猿に甲斐の透破が襲われ情報収集が円滑に進んでいないとう事情もあった。
甲斐側からしてみればもし軒猿が勘助らに危害を加えれば言い掛かりをつけて越後に出兵する腹積もりもあった。
そんなある日 加藤弾蔵なるもの忍が突然越後にやって来た。聞けば士官を希望していると言う。やってくるなり手土産といわんばかりに武田の山本勘助が春日山城に来ているとの情報を提供してきた。
重臣たちは一同驚いていた。
春日山城下や府内は自由貿易港であったので人の出入りが多く監視はかなり緩やかで警備の者を咎めるつもりは景虎なかった。
むしろそれよりもおそらく武田がここを狙って偵察している方が不気味であった。
しかも勘助自ら乗り込んできていることが余計に驚きであった。
加藤に景虎は報償を支払い早速勘助の身柄確保を命令した。
勘助を捕らえることに関しては武田から言い掛かりを受け、誤認逮捕であれば商人の反発を受けると直江景綱や宇佐美定満らが反対したが丁重に扱うことで問題無しとした。
勘助は右目がつぶれ肢体が不満足であまり良い容姿ではないという。
割と目立つタイプであったのですぐに早速翌日勘助らしき人物が捕らえられたとの情報が景虎の耳に入って来た。
しかし案の定 名前も身分証も別人であるとのことであった。
景虎は城まで丁重に招待するよう命令した。不審者としてではなく客人としてもてなすよう厳命した。
広間に招待し 家臣にも来れる者は来るよう伝達した。
景虎も山本勘助の名前を知っていた。武田の異色の名軍師であると。
勘助や晴信は越後の長尾景虎に興味を持っていた。
若くして一国の主になり、戦では負け知らずの女武将らしいとのことであった。
勘助は当然景虎に会えるなど考えていなかったので単に春日山や府内の町の様子や地形の情報を自分の目で仕入れ 戦の時の予備知識として収穫できれば良いであろう程度の気軽な偵察旅行のはずであった。
それがまさかの形ではあるが適ったのであった。
勘助は一応客人として無理矢理招待された、客人などで縄はないがその場の雰囲気は張り詰め歓迎は明らかにされていなかった。
勘助は 名は三河道安 武田の御用商人で珍しい食料品や産物を甲斐武田家に納めていると名乗った。
通された広間の上座中央には若い小娘 左右に屈強な男が並ぶ余り見かけない構図であった。
小娘の側にいた老人が声をかけた。
「どうぞ前におかけなされ・・」
彼らは自分たちは一切名乗らず勘助に突然話しかけてきた、しかし勘助はすぐに分かった、何かたくらんでいると。自分も疑われている。素直にやり過ごすのが一番良いと。
景虎側は宇佐美定満 直江景綱 本庄実乃 金津新兵衛 千坂景長と新たに配下になった 息子の景親 春日山に所用で来ていた北条高広 色部勝長 斉藤朝信 山吉豊守が勘助見たさにやって来た。
「どのようなご用件でお城に呼ばれたのかな?」
道安 ではなく勘助はぶしつけに聞いた。
「いや そなたが ホレ 武田の有名な軍師 山本勘助に似ていると聞いたので思わず 城の警備の者がそなたを勘違いして捕らえてしまってのう・・すまなかった・・ま お茶でも飲んで行って気でも直してくれればのう・・ほほほ」
宇佐美が対応した。宇佐美も名乗りはわざとあげなかったが。
勘助は甲斐商人に対するこのような無礼 武田晴信公が黙ってはおりませんぞと 言おうと思っていたが意外に素直に謝ってきたのでひとまずは矛を納めてみた。
勘助は経験豊富なだけあって名前通り 勘が良い。
(こやつが重臣の宇佐美か直江であろうな・・)
すぐに察しがついた。
「道安殿 すまなかった・・」
小娘がお茶入れて差し出した。
勘助は御礼をした。
「このような機会もめったにない・・なんかの縁かもしれぬ・・せっかくいらっしゃったので甲斐のことをいろいろ教えてもらいたと思って・・甲斐の商人とは今後も仲良くやりたいのでな・・越後の塩商人が世話になっているのでな・・」
上座の小娘が話し始めた。
年齢は20ぐらいか 色白の華奢な美女であった。
桜色の間着の上に少々派手ではあるが豪勢な牡丹の刺繍が入った赤い打掛を着て涼しい顔をしていた。
(・・これが景虎だろうな・・なるほど・・驚いた・・)
勘助は情報収集にいそしんでいた。絶好の機会であった。
「何も私じゃなくても・・甲斐の商人はここにたくさん来ていますぞ・・」
勘助は不愉快そうに言ってみた。
「そなた 御用商人であろう?御用商人は珍しいと思うぞ。武田晴信殿とは親しいのか?」
景虎はいかにもな言い回しで遠慮なく続けた。
「・・もちろんですとも・・」
勘助は正直に答えた。
「どんな男か?興味がある・・教えてほしい・・」
「・・容姿のことですか?・・性格のことですかな?」
勘助はわざといやらしい答えをした。
「・・両方だ・・」
景虎はにこりと笑うと答えた。
「年は30少し超えています、性格は家臣想いで優しいお方です。しかし逆らうものには容赦はしませぬ。容姿は私より遥かに美男子であります」
少し自嘲気味な冗談を言ってみた。
左右の猛者共はにこりともしなかったが小娘はくすりと笑った。
「優しいのか・・しかし逆らうものには容赦しないか・・」
勘助はうなずいた。しかしこれは本当であった。
晴信は新たに占領した土地を家臣たちに分け与え良く収めた。家臣たちもそれがあるから晴信についていくのである。
しかし晴信へ逆らうものへの仕打ちは戦慄そのものあった。
勘助は志賀城で攻防戦の話をした。
晴信は信濃国守護の小笠原長時の臣下で志賀城に立て篭もる笠原清繁を攻めたとき、志賀城の救援に来た関東管領の上杉憲政軍を小田井原の戦いで打ち負かし 生け捕った敵兵3000の首を全てはねた。そしてはねた首を志賀城の兵士の前にかざし戦意を喪失させた。絶望した志賀城の兵士は全員全滅するまで戦い 生き残った子女は高額で売り払ったという。
勘助がこの話をしたのは脅しも兼ねてでもあるが小娘の反応を見たかったからである。
しかし意外な反応が返ってきた。
「いやな男だな・・守護のくせに人殺しと追い剥ぎをして喜んでいるのか・・最低最悪だな・・」
さっきと違い険しい顔で正直に遠慮なく言ってきた。
「私が成敗して毘沙門天の前にその首をかざしたいくらいだ・・天下の悪人と・・」
勘助は内心少し驚いた。
小娘 景虎だって自分が勘助と薄々分かっているはずであった、武田の将校である自分とわかって物を言っているのかと。度胸があるのか単に遠慮がないのか阿呆かと・・
ただ甲斐の本当の商人であっても自分の国の領主をこのように言われれば気分を害するであろうが。
勘助は逆に聞き返してみた。
「もし 本当に勘助を捕らえたらどうしますかな?」
景虎は即答した、
「気にしない・・ 興味があるのは晴信殿の首だけだ・・放っておく」
勘助は一瞬不愉快になったが続けた。
「名軍師とのことですので捕らえて首をはねれば甲斐にとっては打撃になりますぞ・・」
しかし意外な答えがまた返ってきた
「私には毘沙門天がついている。そのような者 恐れるに足らない・・」
勘助は黙ってしまった。
勘助は人の心を読むのは得意であった。
しかし今回は全く読めない。
本気なのかただの阿呆なのかもわからなかった。
しかし一つ確信した。
これは武田にとって面倒な相手だと・・
「ところで 道安殿・・富士山は府中(甲府)から良く見えるか・・」
景虎が話を切り替えてきた。
「もちろんでございます・・雄大で冬の澄み切った青空の下の雪化粧の富士山は本当に美しいですぞ・・姫様が甲府にお出でになられた際は 甲府の名所と一緒にご案内いたしましょう・・晴信様にお通しもいたしますぞ・・晴信様も姫様ならば歓迎でしょう」
勘助はこの辺で今日は話を打とうと思った。
見た目に反してこの小娘は話しにくいと心底思った。
少し自分の気を害しているのも分かった。
「気に入ってもらうのはありがたいが・・晴信殿は側室も両手ほどもいて さらに衆道もたしなんでおられるのに・・ まだ不足しているのか・・?」
(・・・!)
なんたる無礼な回答と思った。
衆道は(当時は)高貴な武士に許された たしなみ である。守護である晴信がとやかく言われる問題ではない。男色や女色とは違うのに同じ扱いで物を言ってきた。
景虎は女性だからであろうからそのように言ったのかもしれないが 勘助は気分を害し不覚にも少し顔に出してしまった。
景虎は続けた。
「私が晴信殿に逢ったら 癇癪を起こして首をはねてしまうかもしれないからな・・晴信殿が居る間は府中に残念ながら行けそうもないな・・」
景虎は涼しげに言った。
「・・側室で・・ ではなく 甲斐と越後の友好を思って言った次第ですが・・」
勘助も切り返した。
「晴信の側室に行くつもりなど微塵もない・・昔断った・・今日の話を聴いてその判断が正しかったと思った・・」
景虎は平然と答えた。
「・・戦だけでなく政略で平和を保つのも守護のりっぱな仕事・・ 聡明な景虎様がそのようなことを自らおっしゃるとは・・」
勘助も黙ってはいられなかった、言ってしまった。
「私は目の前の一戦を大事にしている・・晴信のような他国を取って降伏した兵士の首をはねて女子供を売って喜んでいる輩とは交渉などしても無駄だ・・どうせ約束すら守らないであろう・・」
さすがの勘助も苛立ち始めた。
今までの無礼な物言いだけでは飽きたらず今度は主君の晴信を呼び捨て扱いである。
小娘の分際で。
「・・ところで道安殿は なぜ私を景虎と判った?」
(・・・・!)
そういえば景虎は名乗りを上げていなかった。
勘助にしては迂闊だった。相手の口車に乗せられてしまった。
「・・越後の領主様はうら若き乙女と聞いておりましたのでな・・」
正直に勘助は答えた。
「さすが 勘 助だな」
景虎はにこりと笑った。
勘助は黙っていた。もう身分を隠すのはやめようかとまで思った。
少し気が治まらなかった。
「今日は良い話を聞かせてもらった・・楽しかった。道安殿に手土産を・・」
景虎からさっさと話を打ち切ってきた。
不快感と同時に少し安堵した。
勘助はお辞儀をして
「では 失礼・・」
勘助は立ち上がって部屋を出ようとしたそのときであった。
最後に景虎は大きな声で言った
「山本勘助!」
勘助はゆっくり 鋭い目付きで振り返った。
「長尾景虎は逃げも隠れもせぬと武田晴信に伝えよ!」
景虎は大きな声で続けた。
「・・では 戦場で心待ちにしておりますぞ・・!」
勘助が静かに言うと会釈をして出て行った。
「あれが山本勘助か・・さすがだな」
北条が良いものを見させてもらったといった感じで言った。
「武田と一戦交える気ですな・・」
色部が言った。
景虎がうなずいた。
一同覚悟はしていたが妙な緊張を感じた。
景虎は再度加藤段蔵に会った。
勘助の件は再度礼を言った。
しかし仕官の件は軒猿との付き合いがあったので断ろうと思っていたが
どのように断れわれば良いか頭を抱えていた。
そこである事を思いついた。
直江の入れ知恵もあった。
越中の城にある名刀 長光をとってくるように命令したのである。
(無理であろう・・)
と思い命令したのであった。
しかし予想に反して段蔵はなんなく名刀を取ってきてしまった。
しかもそこの城の7歳程度の幼女までも連れてきてしまった。
これには景虎一同も驚いた、でも景虎は真剣に思った。
(この男は危険すぎる・・)
景虎は言った。
「・・加藤段蔵・・そなたは素晴しい忍びだと思うが・・怖い・・
実力は認めるが・・私では無理だ・・使いこなせない・・すまない」
段蔵は予想外の返事で驚いた。
「・・左様でございますか・・」
「私のような者よりも 武田や北条の方がよいのではないかと・・」
「・・わかりました・・では ごめん・・」
「・・すまぬ・・」
景虎は謝った。
段蔵には手切れ金も含めて褒美を再度出した。
段蔵は思った、
(怖いか・・やはりただの姫様だったか・・)
段蔵は呆れながら城を去っていった。
「・・良いのですか?あれで?」
宇佐美が聞いた。
「腕は立ちますので使い道があると思いますが・・」
直江も続けた。
「・・武田に行ったら すぐに晴信にしゃべくりますぞ あの男」
北条が言った。
景虎はうなずいた。
「・・それでいい・・晴信が油断してくれれば安いもの・・」
「・・なるほど・・」
一同は感心した。
景虎も最後に一枚仕掛けてみたのだった。
景虎が手をポンポンと叩くと軒猿の者が入って来た。
「加藤段蔵を監視せよ、気をつけてな・・ 越後から出るのを確認すれば良い」
「はっ・・」
忍びの者は出て行った。
「ううう・・・」
加藤段蔵が連れてきた幼女が泣き出した。
「!」
しばらくみんなすっかり忘れていた。
景虎が慌てて駆け寄った。
色部が縄を解いた。
「泣かないでね」
景虎があやすがしくしくと泣き止まない。
「母上・・」
と景虎に寄り添ってきた、
「わ、私 母上ではないが・・」
少しあせっていた、
周りの大男が必死になだめた。
「泣かない 泣かない」
「ばぁ~」
「しかし どうしましょう・・」
結局軒猿に命じて密かにこの幼女は越中の城に戻させたがこの余計な一件のせいかはともかく越中ともこの後もめることになる。




