後遺症
景虎は17歳になっていた、
この年 天文15年(1546)は景虎にとっては記憶に残る年になった。
戦続きの生活にもようやく終止符が見え 越後もようやく 表面上は 統一の兆しが見えてきたときに思わぬ報告が入って来た。
あの黒田秀忠が再度謀反との連絡が入ったのである。
黒田は昨年の反乱のとき助命と引き換えに越後から出ること命じられていた。
宇佐美定満 柿崎景家を味方に入れたい景虎たちの必死の工作で
かなり寛大な処分になっていたのだがそれにも関わらず黒田が再度謀反を起こした。
理由は誰にも分からなかったが
黒田が晴景の醜態を見て気が変わったのではないかとか
人形のような守護 泥酔の守護代と男装趣味の娘大将に降伏した己に自責の念が耐えられなかったなど 景虎にとっては あまり気分が良くないが でも現実味のある噂が囁かれていた。
とにかく勝ち目のない戦であるのは誰の目にも明白であった。
しかし守護代の面子にかかわる問題でもあった。
黒田征伐のため晴景の命令で景虎は黒滝城のふもとで再度陣取ることにした。
晴景は今回も来なかった、このような少数の軍相手の戦に出る必要はないと。
大将は景虎が再度指名された。
これに関してはもはや異義は出なかった。
今までの実績が物を言う。
今回は相手の反乱が小規模でもあったので前回の副軍の面々主体で急遽部隊が編成され出陣していった。
黒滝城に篭るのは300以下と極少数の兵士と避難した城下町の住民がとの報告が入っていた。
春日山城側からは
本庄実乃 金津新兵衛 栖吉長尾景房 景信親子 色部勝長 斉藤朝信 北条高広 山吉豊守 宇佐美定満 直江景綱 守護代の上杉定実から編入された千坂景長
3000近くの大軍が派遣された。
そして到着次第 黒滝城を包囲した。
しかし今回も事件が起こった。
景虎が再度体調不調を訴え一時的に本陣を離脱 近くの寺に篭ってしまったのである。
敵陣前に布陣して大将が帰ってしまうという異常事態が発生したのである、
様々な憶測が流れた。
晴景との不仲で帰ってしまった、戦がいやになって逃げてしまった、あげくのはてには
毎月10日頃は定期的ななんらかの病気のせいで動けないだの・・・。
もっとも景虎の帰陣でこの件は解決するが特に説明は無く偶然の体調不良の一言で片付けられた。
何事も無かったように作戦会議が行われ、一言
「これより黒田秀忠に対する作戦を開始する」と
放火 狼藉は厳しく禁止し 立て篭もる住民を安心させ城の後方の門は住民の脱出用にがら空きにした。もちろん黒田もそこから逃げようと思えば簡単に逃げられる。
3日ほどして中から住人と思しき集団が出てきた。
景虎が狼藉を厳しく禁じていたので安心したのか2日ほどで住民の方は大方退避が終了したようだった。
中にこもっていた住民からも次第に情報がもたらされ 中には極めて少数の兵士しかおらず 先ほどの後方の門からも甲冑を脱ぎ捨てて住民に紛れて一般の兵士は殆ど脱出しているとの情報も入ってきた。
長期化の様相が出だしたのでいらだつ国人衆たちにせかされて 軍を城に向けることにした。
栃尾城で自分たちが激しい抵抗をした記憶があったので最悪の事態も覚悟したが城はあっけなく陥落した。
むしろほとんど無血開城であった。
「どうなってるんだ・・?」
みな一同に理解不能であった。
「黒田秀忠はできれば生け捕らえよ」
景虎は命令を出した、
理由を聞きたいだけであってそれ以上のもの 黒田本人の処遇を含めて何も考えていなかった。
ほどなく城を完全に掌握したとの連絡が入り景虎も城内に入っていった。
屍などまったくなく静かなものであった。
現在篭城戦が行われている城とは思えなかった。
しかし悪夢のような景色を景虎は見ることになる。
天守の近くの黒田の居住していた辺りで味方の兵たちが騒いでいた。
「なんの騒ぎでしょうかね・・」
先に色部が覗き込みにいった。しかし 覗いた瞬間
「・・・!」
色部が珍しくのけぞった。
色部は40手前 反発心の強い揚北衆の中では温和な性格で栃尾時代から帰参し また武将としていろんな戦場を渡り歩いた経験豊富な男である、
その色部が珍しく足を止めていた。
「見ますか・・・?」
色部が景虎に聞いてきた。
いやな景色が広まっているという。
「・・・」
景虎は迷ったが何も言わずにうなずいた。
そして中を覗き込んでみた。
中では黒田家の一族の者と思われる者 女中 老人 子供が折り重なるように血だらけで死んでいた。
もちろん戦闘員ではない。
最初は味方の分捕りの仕業かと思ったが全員意識して白装飾を着ており 自決か城内の者の仕業のようだとのことだった。
凄惨な景色に景虎は思わず後ずさりした。
しばらくの不気味な沈黙の後 程なくして修羅場の奥の間の襖が開き、中から誰かがこちらに向かってきた。黒田秀忠本人だった。
ものすごい形相でまさに邪鬼のような顔だった。
両手に血のりのついた太刀を持ち 着ていた白装飾は返り血を浴び真っ赤だった。
目は殺気立ち意味不明な笑みを浮かべていた。
景虎は思わず後ずさりした。
自軍の兵士も驚きで腰が引けてしまっている。
「何がしあっての翻意・・・」
景虎は恐怖とあまりの光景に声が震えていた。
「貴様らに平伏して生き恥をさらすくらいなら・・!!」
秀忠は絶叫すると突然であった、
秀忠は自分の腹に太刀を突き刺しうずくまった。
「介錯を!」
色部が叫んだ。
うずくまった秀忠に 斉藤があわてて駆け寄り彼の首に刀を振り下ろした。
景虎は目をそらす暇がなかった。
景虎は武士の道に関わったことを ひどい吐き気を抑えながら後悔した。
戦が終わってしばらくしてから景虎は自分なりに黒田の気持ちを考えてみた。
男装の件であるがこの事件で景虎はいろんな意味で少し真面目に考えるようになった。
人形のような守護 酔った守護代 男装の守護代の妹・・・しかも男装の妹率いる部隊に大敗など・・
景虎は女に戻るつもりだったので忘れようとしたが しかしなぜか今後は 男装の件はどうしようと 矛盾したことを考えていた。
黒滝城の件は越後で話題になっていた、
景虎に逆らうと恐ろしい目に会うと・・
噂が噂を呼び どこで話が入れ替わったのか 黒田一族は景虎に全員自害させられたと・・
景虎は事実無根の噂が広まり腹立たしかったがこの噂で越後の国人衆がまた静かになりつつあったのも事実であった。
そんなおり 柿崎景家が妻を連れて景虎をわざわざ訪れて来た、
柿崎夫婦は今回の景虎のおかげで命拾いしたことに対するお礼と
自分たちが原因で景虎と晴景が揉めているとの噂を聞きやってきたとのことだった。
しかし景虎は真っ先に自分から 柿崎の妻に頭を下げた。
「このたびは私の無能のせいで・・すみません・・」
涙が思わずこぼれていた。
自分や兄の無能のせいで黒田一族に悲劇的な結末をもたらし
黒田一族を死なせ 柿崎妻一人のみにしてしまったことについてであった。
黒田秀忠は憎き敵でもあったが景虎自信も考えさせられたことは否めなかった。
また城内で起こったことも全て正直に話した。
柿崎妻は助けてもらったのは自分なのに・・
景虎様から逆にそのようなお言葉などもったいないと
感動の涙と しかしやはり一族を失った悲しみの涙で平伏していた。
しかし柿崎夫婦はそんな純粋な景虎に非常に好意を抱き この後も景虎を終生支えていく。
柿崎の戦場での活躍はもちろん 息子の晴家も北条氏への人質になり北条家の情報収集等に活躍した。
景虎も柿崎夫婦のような仲むずまじい、夫婦愛に憧れと尊敬の念を持っていた。
柿崎夫婦は何かあったらすぐに馳せ参じますと言い残し居城の猿毛城に帰っていった、
この言葉どおり 後日 景虎はすぐに柿崎夫婦と奇妙な再会をすることになる。