序章
永禄4年(1561年)9月9日 信濃国、深夜
甲斐軍別働隊1万2000が高坂弾正 馬場信春に率いられて海津城を密かに出発していた。
彼らが目指すは長尾景虎(後の上杉謙信)率いる越後軍が立て篭もる妻女山である。
啄木鳥がくちばしで虫の潜む木を叩き、音に驚いて出てきた獲物を捕らえるように
別働隊で妻女山から越後軍を八幡平に誘き出し 待ち構える本隊と挟撃する作戦である。
軍師、山本勘助と馬場信春によって提案されたと言われる啄木鳥戦法である。
弾正たちを見送ってから間もなく 武田信玄自らも甲斐軍本隊8000を率いて八幡平に布陣すべく海津城を密かに出発していった。
一方の景虎率いる越後軍は濃霧に紛れて物音を立てないよう千曲川を密かに渡っていた。
江戸時代の学者 頼山陽の「鞭声粛々夜河を渡る」(べんせいしゅくしゅく、よるかわをわたる)で有名な場面である。
景虎は海津城の炊煙がいつになく多いことから信玄の甲斐軍の動きを事前に察知し 妻女山を密かに降りて千曲川を渡り対岸の八幡原を目指していた。
妻女山には布陣を偽装するため火炊きが少数残り 武田の別働隊の足止めに甘粕景持隊1000を渡川地点に配置し 自ら率いる残り1万2000で八幡平に向かった。
翌朝午前8時頃 八幡平の濃霧がゆっくりと流れ出したとき 甲斐軍本隊は度肝を抜かれた。
妻女山にいるはずの越後軍が目の前に突如現れたからである。
越後軍は猛将 柿崎景家を先陣に車懸かりの布陣で甲斐軍に猛然と襲い掛かってきた。
両軍膨大な犠牲を払って戦われた 歴史上まれに見る死闘 第4次川中島合戦の火蓋が切られようとしていた。
越後と甲斐の猛虎のぶつかり合いである。
甲斐軍も鶴翼の陣で必死に応戦するが信玄の弟、信繁 軍師、山本勘助 諸角虎定 など諸将が相次ぎ討たれ戦況は混乱していた。
大乱戦の最中 武田の本陣に一騎の騎馬武者が単騎で猛然と突っ込んできた。
行人包みをまとった強靭な武者であった。
なんと長尾景虎自ら名馬 放生月毛に跨ぎ 名刀小豆長光を光らせ武田信玄目指して突っ込んできたのである。
景虎は総髪獅子噛前立兜をかぶり 悠然と構える信玄に 電光石火の如く近づくと 小豆長光を渾身の力を込めて信玄に振り下ろした。
「信玄!覚悟!」
「むっ!」
信玄の軍配団扇が長尾景虎の小豆長光をがっしりと受け止めた・・
世に名高い 川中島合戦の景虎・信玄の一騎討ちである・・
しかし この長尾景虎 後の上杉謙信公は実は女性であったという説が伝承などで数々語り継がれている。
この作品は彼が実は女性だった・・ という説で彼の史実に合わせて書かれた作品である旨は皆様のご了承願いたい。
慶長6年(1601年)の冬
会津若松の澄み切った青空の下で作業は順調に進んでいた。
「気をつけてな・・・ゆっくりゆっくり・・丁重にな・・・」
使用人たちは慎重に地中から甕を掘り出す作業をしていた。
会津藩士たちが遠巻きに興味深く作業を眺める中
足腰のしっかりした目つきの鋭い老人が作業を黙って見つめている。
甕は地中からゆっくり引き上げられた後、仮置きの台の上に丁寧に下ろされた。
すぐに使用人たちは付着した土を刷毛で落とし始めた。
遠巻きに眺めていた会津藩士たちの会話が老人の耳にも聞こえてきた。
「謙信公も大変じゃのう・・・」
「墓に入ってもゆっくりできんとは・・・」
「2年ほど前に越後からここに改葬されたばかりじゃろ?」
「何でも越後の堀殿が謙信公が傍らにおられては恐れ多いって持ってきたのに・・・」
「それが今度は米沢行きだと・・・」
「米沢?上杉家の新しい転封先か・・」
「まぁ、お取り潰しにならんかっただけでも・・・」
「しっ!」
「・・・・」
老人は黙って聞こえぬ振りをしていた。
目を閉じて黙って昔日の日々を思い出していたようであった。
しばらくして
「千坂様・・・」
千坂景親はゆっくりと目を開いた。
「準備が出来やした・・・」
使用人が遠慮がちに千坂に声をかけた。
甕は2年前改葬したばかりとあって 大して汚れておらず すぐに綺麗になった。
「うむ・・」
甕はゆっくりと丁重に籠に載せられた。
使用人が紅い花を持ってきた。
甕の側には紅い椿の花がそっと景親の手によって置かれた。
景親と使用人たちは甕を中心として籠の周りに膝まずいた。
「お屋形さま・・・」
「景勝様 兼続様 仙桃院様がお待ちしております、お休みのところを至極恐縮ではありますが、この景親が新しい越後までご案内いたします・・・」
一行は会津若松を静かに出発した。
天文13年(1544)は戦国時代も真最中であった、種子島に火縄銃が日本に始めて伝来した頃である。
そんな中 越後の守護代 長尾家の居城の春日山城のふもとにある林泉寺は外界の不穏な空気とは切り離されていた。
決して広くはないが長尾家の菩提寺だけあって手入れが行き届き鮮やかな椿などの花々が咲く小綺麗な寺院であった。長尾虎千代は7歳の時にこの寺で預けられ、以来平凡ではあるが騒がしい外界とは切り離され静かな日々を送っていた。
本堂の境内内で初老の僧侶と40代手前くらいの侍が話をしていた。
僧侶は林泉寺住職 天室光育である、虎千代の教育係である。虎千代には文字や作法などを主に教え虎千代の生き方 考え方に大きな影響を与えた人物である。
侍は金津新兵衛 虎千代の後見人である。虎千代の父 長尾為景の代から仕えた忠臣で、新兵衛は虎千代幼少の頃から様々な身の回りの世話をしてきた人物である。
虎千代にとってもまさに育ての親で心が許せる人物であった。
新兵衛は世間話の後しばらくして言い出しにくそうに話を始めた。
「和尚・・ 実は ついに 虎千代様の嫁入りの話が晴景様より参りまして・・」
新兵衛は少し困った顔のような表情を浮かべながら寂しそうに言った。
「さようでございますか・・・」
和尚も残念そうに言った。
嫁入りの話といっても近世の結婚と違って本人達の意思などは尊重されない、単なる道具としての結婚、政略結婚で、戦などで断交する場合は捨て駒にされ否応なしに辞世の句を読まされることもあった。
「・・坊主が政治に口を挟むのは不愉快かもしれんが・・ 何か決まったのかな?」
天室光育はにこやかに しかし威厳をもって新兵衛に尋ねた
「いや・・めっそうもない・・それどころか相手がはっきりしてないのです・・」
「・・相手が決まっていないのに・・?・・失礼な言い回しじゃろうが・・守護代様らしい・・」
「・・晴景様の御命令ですので仕方がないのですが・・全く・・」
新兵衛も苦々しく答えた。
長尾晴景は越後の守護代で虎千代の兄である。越後の権力者ということに一応はなっていたが越後の政情はお世辞にも安定しているとは言い難い状況であった。それが彼の越後国人衆からの下された評価であった。
新兵衛は虎千代の春日山城行きにかねてから反対していた。
越後の政情は相変わらず不安定で何が起こってもおかしくない状況であった、また新兵衛にも虎千代は自分が守ってここまで育ててきたという自負があった。
「不穏な動きの噂があり、今 嫁に出すのは非常に危険だと思いまして・・で、無理を言って恐縮ですが 私と虎千代様と一緒に和尚にも春日山城の晴景様に事情を話して考え直してもらおうかと思いまして・・」
新兵衛は本音を語った。
「なるほど・・」
天室光育は静かにうなずいた。
このような物言いは守護代の晴景の癇に触る可能性があったが虎千代をなんとかしたい一心と 新兵衛にも自分は晴景 虎千代の実父の長尾為景依頼の長尾家の古参の重臣としての自負があり今回は黙っているつもりはなかった。
「ところで虎千代様にはお話はされたのかな・・?」
「これからです・・出来れば和尚にも一緒に・・・」
「分かりました・・・」
天室光育と 新兵衛は虎千代のいる小さな離れ間に向かった。
障子越しの暖かな日差しを浴びながら虎千代は絵巻物を読んでいた。
虎千代は源氏物語や平家物語など鎌倉平安時代の書物が好みだった。
琵琶が隅にそっと置かれ お香が静かに焚かれ空気を和ませていた、
「失礼いたします・・」
新兵衛と天室光育がゆっくりと入ってきた、
「ご立派になられましたな・・・為景様がご覧になられればさぞかし喜ばれましたでしょうに・・」
新兵衛のいつもの決まり言であった。
虎千代はにこりと笑った。
虎千代は15歳になっていた、少し華奢だがすらりとした越後美人に成長した。
新兵衛は世間話を少しした後 本題に入ることにした。
「実は・・晴景様からのご命令で・・お城に戻ってほしいとのことでございます・・・」
虎千代にとっては いつかは来る話と覚悟はしていたことではあったが いざ実際に言われるとなんとも言えない感じがした。
「御相手は・・?」
「お城にて晴景様自らお答えするとのことでまだ何も聞いていないのですが・・」
新兵衛が困ったような顔で答えた。
「噂では揚北衆やら甲斐の武田やらが出ているようです・・・」
揚北衆は越後の北部に勢力基盤を持ち 元々独立の気運が強く為景時代から揉め事が絶えなかったが 晴景の代になってからはますます勝手に振舞うようになっていた。また越後の南に位置する甲斐の武田は戦上手で近年急激に力を増し、信濃を脅かし続けていた。越後の安全のためにも同盟は重要であった。
「・・・」
虎千代は黙っていた。
新兵衛は続けた。
「揚北衆に嫁ぎに行くとしてもその件で連中は、以前守護の上杉家の跡継ぎ問題のときにももめたように、また互いの縄張り争いを兼ねて戦ごとを始めるかもしれませんし、揚北にいく場合も我々に反抗的な黒田秀忠の領土を通らないといけません、甲斐に行くにしても紛争中の信濃を通る必要がありこれでは命がいくつあっても足りません。そこで春日山城で晴景様に面会したときこの旨お話して晴景様にも考えを改めてもらおうかと・・」
「そこでなんじゃが・・」
天室光育が割り込むように言った。
「3人で晴景様に掛け合ってみようと思うのじゃが・・」
虎千代は黙って聞いていた。
「あの方は気弱なところがあるので3人がかりで言えば考えが変わりますでしょう・・」
新兵衛も続いた。
虎千代はしばらく黙っていた。
本音では嫁に行くのは嫌だった。
本物の武者など父親の葬儀の時ぐらいしか見たことがなかったが あの猛々しい雰囲気自体が苦手だった。
しかし断る理由が難しいのも分かっていた。虎千代の2歳年上の実姉 仙桃院が10歳の時に上田の長尾政景に嫁ぎ その結果上田長尾はそれ以降 晴景に服従するようになったという大きな実績もあった。
虎千代は黙ってお茶を入れて 新兵衛と天室光育差し出した後
「新兵衛 和尚・・」
虎千代は静かに言った。
「越後が静かになるのであれば喜んで行きましょう・・」
普段の表情のまま 少し寂しげな顔で答えた。
新兵衛と天室光育はしばらく押し黙ってしまった。
実は新兵衛も天室光育も虎千代がなんと答えるか予想できてはいなかったが
本人が了承してしまった以上何も言えなくなってしまった。
「これで越後が静かに収まるようになればたやすいことです・・」
「・・・・」
新兵衛と天室光育は押し黙ったままだった。
黙ってお茶を静かにすすった。
少し時間がたってから天室光育が
「わかりました・・人の定めに逆らわず人の為に我が身をふりかえらず己の運命を受け入れる・・ 立派になられましたな・・参りました・・・。
荒れた世の中ではありますがそのような高貴なお考えを持たれることは立派でございますな・・ 今更ながらうれしいですな・・」
天室光育は立ち上がり寺の奥に行くとしばらくして木彫りの仏像らしき物を持ってきた。
「これをお持ちくだされ・・虎千代様を守ってくださるじゃろう・・」
手彫りで荒っぽいつくりの仏像であった、だが素朴で魂が篭もっているようであった。
「私の亡き師匠が彫ったものであります・・ちょっと分り難いですが毘沙門天様だと聞いております、昔 私の師匠も侍をしておりましてな、戦乱の世を無事に生き残り仏門に入ることも出来たのも毘沙門天様のおかげだと・・、あと 戦で死んでいった者への弔いも兼ねてでしょうな、この御仏様が虎千代様を必ずや守ってくださるでしょうぞ・・」
「大事な物ではありませんか・・・」
「おやおや・・人様のご好意を断られるのは良くありませんぞ・・ 」
天室光育が笑いながら言った。
「・・ありがとう・・」
虎千代も笑いながら手彫りの毘沙門天像を受け取った。
3人は縁側に出た、虎千代は急に昔のことを思い出し立ち止まり縁側を眺めていた。虎千代は亡父為景のことをふと思い出していた。
虎千代は越後の守護代 長尾為景の末っ子として生まれた。
名前の由縁は寅年生まれからとも母親の名前が虎御前だったからとも言われている。
為景は終生100回以上戦ったという。まさに戦いに明け暮れた人生であった。
が、ついに戦に敗れ隠居させられ 偶然虎千代と触れ合う時間が出来たに過ぎなかった。
為景が隠居させられた時 景虎は7歳だった。
虎千代の父の記憶はごく僅かである。実際に一緒にいた期間も短かったが。
記憶は曖昧だが 父は隠居後 家の縁側で酒を笑いながらしかし寂しげに飲み その傍らに自分がちょこんと座っていた。虎千代は為景晩年の子であったため為景は虎千代が可愛かったのであろう、為景は横に座った幼い虎千代に自分の戦の話を酒を飲みながら いつまで飽きることなくしゃべり続けていた。
もちろんそのときの会話など虎千代の記憶に残ってなどいない、しかし心の片隅のどこかに残っていたものが虎千代の後の、長尾景虎、上杉謙信の時代の神懸かり的な采配に繋がっていったのかもしれない。
為景は半年ほどして間のなく帰らぬ人になった。
長年の戦の疲れが一気に噴き出たのであろうか、静かに息を引き取った。
しかしその葬儀は物々しいものであった。
為景の死を聞きつけた国人衆が兵を動かしているとの情報が入ったため幼い虎千代たちも鎧を着込み護衛の武者に囲まれながら葬儀を行った。
虎千代は母 虎午前にも挨拶をして、春日山城に向かった。新兵衛にとってはこれが残された最後の奉公になるはずであった。




