性の没落
私はコロナウイルスにかかりもうそう長くはないだろう。ここに歩んできた最悪の人生を反省と共に記す。謂わば自伝的なものだ。太宰治先生の「人間失格」が近い作品でしょう。
私が生まれたのは岡山県らしい。というのもすぐに親の転勤で愛知県に引っ越したからだ。これから「性」という凶々しいものに巻き込まれ人生を終わりにするとはこの時思ってもみなかった。
どこに行っても可愛いと言われチヤホヤされ、しかしそんな中でも自分はちょっと変わった一面もあったと記憶している。いわゆる発達障害のようなものだ。周りの人間の気持ちの理解ができない場面が多々あった。幼稚園の運動会の時。徒競走。ただ走ればいいだけだ。観衆は沢山いた。母親の姿も見つけた気がする。ヨーイドン、の合図でスタート。私は気付けば隣で走っている子に攻撃していた。そうすれば少しでも順位が上がると思って。何も悪い事をしたと思っていない。もちろん家に帰って親に褒められるどころか永遠に説教された。こうやって母親はものの善悪を教えようとしたのだろう。思えば私の隣には常に怖い先生がいてマークされてた。でもなんでだろう。またまた転勤で引っ越しの際は担任の先生が私の服がびしょびしょになるほど泣いてた。なんでだろう。私は問題児だったのに。(愛知県編 完)
次に千葉県の幼稚園に転園したのだが、間違いなく問題児なのだが、特に補助要員はついてはいなかった。そのかわり「トイレ」に行きたい事さえ担任に伝えられず毎日おもらしをしていた。親が気づいたのか、担任に相談したところ「いつでも行っていいんだよ」と言われた。私はその言葉をそのまま捉え、どんな時でも、どんな重要な場面でも堂々と手をあげて「トイレ」と言って連れション仲間を引き連れて闊歩したのだった。今思えば大迷惑行為だったが、私は救われた。当時の担任には感謝しかない。
その頃から少しずつ性に目ざめていった。日々のルーティーンはスカートめくり。毎日これである。全く手のかかる年長児であった。