一話 半人前霊能力者とデブ猫のドブ
はじめまして。山中一博でございます。
なろうにて作品を公開するのは本作がはじめてということになります。
本作は一章毎の話数はそれほど多くありません。
お楽しみいただければ幸いです。
生物に憑依して肉体を操る霊術が存在する。とある理由で実用的でない術式の代表格とされているが、織成優太はその霊術を多用する稀有な術者の一人だった。優太が憑依するのは猫。その俊敏性を活かして標的を追跡するのが彼の常套手段であった。
「みゃあ」
疾走する優太の口蓋から気の抜けた鳴き声が発せられた。
『ドブ。あとで遊んであげるから静かにしてて』
そこにいるのは一匹のデブ猫のみ。前方を見据えて疾走するデブ猫――ドブ――に対して、ドブの肉体に憑依している優太が思念を通じて注意を発したのだ。
優太が追っているのはスーツ姿をした男性の浮遊霊。その頭部からは夥しい出血があるのだがそれは彼の死因に関係している。
(まだ完全に悪霊化したわけじゃない)
悪霊化という概念がある。未練や妄執によって理性を失う状態のことを指している。
「みゃあ」
やる気のない濁声が喉から再び。場違い感が凄まじいのだが放置するのが得策だ。憑依中は除霊の成否に直結する動作――例えば四肢や霊力の操作――に集中するべきなのだ。
(それにしたって、除霊中は静かにしてほしいけど)
優太はドブの後ろ足でコンクリートを蹴った。猫の目線は地表に近く、走行中は眼下の光景が凄まじい勢いで後方に流れていくので疾走感が半端ではない。まさに風を切るという感覚に、初めて憑依した際は心が躍ったものだった。
『追ってくるなァッ‼』
前方の男性が一瞬だけ優太を振り返った。そのまま片側二車線の車道を横切るように進路を曲げる。車道を横断することで撒くつもりか。まだ理性が残っていると喜ぶべきか、手間をかけるなと不満を漏らすべきか微妙なところである。
「みゃあ」
『ドブ、少し黙ってて』
霊力を練り上げる。超一流の霊能力者の中には単身で戦車をあしらえるような強者も存在する。残念ながら優太は違う。それどころか生身ではまともな攻撃手段を持っていない。猫に憑依することでようやく半人前程度の攻撃術式を扱えるようになるが、単独なら間違いなく落第点。しかし、戦闘に不向きなことは十二分に自覚している。
男性が乗用車を擦り抜けて向かいの歩道に到着した。霊体は物質を擦り抜けるので、走行車が行き交う環境下の追いかけっこは霊体が圧倒的に有利だ。優太が猫に憑依したとて物質をすり抜けることはない。だからといって、逃がさない。優太は得意霊術の一つ――肉体強化――を発動した。
『破ッ‼』
肉体強化は身体能力を飛躍的に向上させる。猫の肉体なら最高時速は百キロ前後。それだと十秒も持たないが時速六十キロ程度なら維持できる。優太は強化を施した肉体で跳躍した。
跳躍の頂点に達した瞬間に異なる霊術――結界――を発動する。防御用ではなく足場として利用するためである。優太は結界に着陸すると同時に跳躍を重ねて新たな結界を展開して飛び移る。その行程を繰り返して高みへと身を投じていく。
空駆けるデブ猫。
映画のタイトルにありそうなファンシーな光景だが、これは優太が肉体強化と結界を組み合わせて編み出した移動術――『結歩』――であった。結歩は身軽な猫だからこそ可能な移動術であり体重の重い人体だと燃費が悪い。
(……いた‼)
陸橋と同じ目線まで登った優太は件の浮遊霊を目視した。そのまま結歩を、下り階段のごとく形成して重力の後押しを受けながら背中を追う。
「みゃあ」
濁声を無視して距離を詰めたが、浮遊霊が停止したため足を止める。
『止めろッ‼ 来るな。俺は死んでない‼ 子供が生まれたばかりなんだ。なのに、事故に巻き込まれて終わりだなんてありえないだろっ⁉ 信号で待ってただけだぞ⁉ 納得できるかよッ‼』
浮遊霊が叫び散らかす。霊能力者は念話という技術で霊と疑似的に対話することができる。
『あなたが悪くないのはわかりました。でも、どうするつもりですか? このままではいずれあなたがお子さんに危害を加えることになるかもしれません』
『父親が子供を傷つけるわけないだろッ‼ ただ、近くにいたいだけだ‼ 邪魔をするならお前も親父もお袋も嫁も息子も近くにいる連中もまとめて殺すッ‼』
彼の無念に優太は眉を顰めた。被害者側に納得しろという要求は筋違いも甚だしいが、守りたいはずの息子を殺すと宣言するあたり精神の破綻が始まっている。
『息子さんを大切に思っていることも理解しました。だからこそ、見逃せません』
ここだけは、譲歩できない。
彼の愛する家族を、彼の手で傷つけさせるわけにはいかない。
『俺の邪魔をしようってか⁉ だが大した力はないんだろ。あるならさっさと攻撃すればいいもんな? なんで猫に乗り移ってるのかは知らないが』
男が口の端を歪めた。悔しいが正鵠を射た発言だった。優太はまともな攻撃術式を持たない。それを嘆いた時期もあったが、今は違う。優太は男性の四方を囲い込むように結界を発動した。あっという間に逃げ道を断たれた男性が驚愕に顔を歪める。
『こんな見た目ですがあなた相手なら除霊は可能です。ですが、できるだけ安らかに眠ってほしいと考えます。なので、選んでください。痛みのない方法かもしくは痛みを伴うやり方か。脅しじゃありません』
右前足の爪に霊気を集中する。霊気を纏うことで攻撃力を高める霊術――『裂爪』。浮遊霊や低級妖怪には通用するが妖気の密度が濃い相手には通じない。かなしいかな、優太が扱える中で最も火力の高い霊術の一つである。男性にとっては十分な脅威であるため、彼の両目が血走った。
『ふざけるな‼ どっちみち俺に死ねってこと…………いや、すみません。ちょっと待ってください。俺は、本当にどうにもならないんですか? 自分が死んだということはなんとなくわかっています。でも、なにか方法はないんですか? 息子とは一緒にいられないんでしょうか⁉』
男性の態度が豹変した。瀬戸際だった理性が一時的に息を吹き返したのだ。
『残念ですが……』
優太は目を伏せたくなったが、決して背けなかった。
『そう、ですか…………それなら、痛みのない方法をお願いできますか? それと、できることなら妻と子供に『愛している。すまない』と伝えてもらえませんか?』
『わかりました』
泣き出しそうな男性に、静かに頷く。彼の胸中を想像すると胸が痛い。だからこそ、せめて安らかな終わりをもたらしたい。
『あなたが生まれ変わったら幸せになれることを祈っています』
優太は裂爪を解除して浄霊――魂を浄化して成仏させる方法――に切り替えた。
『南無大師遍照金剛』
浄霊の様式は宗派によってさまざまだが経典の一部を唱えるやり方が主流である。男性を淡い黄金色の光が包み込む。それは柔らかい春の日差しのような、温かく優しい光。男性が浄霊を受け入れたのだ。
浄霊は抵抗されると成功せず、強い妖怪や悪霊には通じない。霊能力者として生きていくなら強敵を屠る強い攻撃霊術が必要となる。それを持たない優太は半人前と揶揄されても仕方なかった。だが、それでもいい。優太はそう考えている。半人前でも救える妖怪や霊魂が存在する。ならば、成し遂げるのだ。それが優太の霊能力者としての信念だった。
「……あ……り…がと………ぅ」
感謝を示す最期の言葉。そして、男性の魂が天に昇っていく。優太は五秒ほど黙祷したのちに呟いた。
『………………どうか安らかに』
「みゃあ」
ドブもまた短く鳴いた。もしかしたらドブなりに彼を悼んだのかもしれない。
『……帰ろう』
「みゃあ」
優太は空を見上げた。上方には、春に似つかわしい穏やかな空模様が広がっている。
改めまして、山中一博でございます。
本作は僕なりの『優しい世界観』を目指して手掛けたものになります。
空腹の餓鬼憑きまでの話は、世界観や雰囲気を掴んでいただきたく思います。なお『序章 空腹の餓鬼憑き』及び『一章 醜悪の狐憑き』が公開完了するまでは本話以降は毎日12時に公開予定です。
お楽しみいただければ幸いです。