第七話 人たらし
式が行われている講堂はまるで歌劇場のようだった。
上から見ると馬蹄形になっていて、席は舞台の正面の他に四階までのバルコニー席がある。
天井にはシャンデリアが煌々と輝き、至る所でオレンジ色の照明が灯籠のようにぼんやりと光っていた。思わず眠たくなるような空気感に、何人かの生徒は既に陥落したようである。
哀虎と祀が座っているのは四階のバルコニー席だった。クラス発表はされているが、内部進学組と外部受験組は分かれて席に座る。外部受験組は一階、他はバルコニー席といった風に。
上手い具合に固まってくれて良かった。これなら一気に確認できる。
去年までは内部外部関係なくクラスごとに座っていたらしいので、きっと理事長が適当な理由をつけて手を回してくれたんだろう。そう思いながら哀虎は理事長の方を見た。
二階のロイヤルボックス席に座っていた彼はすぐに気づき、ニコリと人のよさそうな笑みを浮かべてヒラヒラと手を振ってくれる。
鳴狐 天静。この学園の最高権力者であり、御三家が一柱、鳴狐家の現当主。
哀虎が頭を下げると、白髪の優男は椅子に肘を突いたままフッと息を吹く動作をした。すると彼女の顔の目の前に黄色の炎がボッと現れる。
哀虎は寄り目になって「お」という顔をした。ソッと人差し指を近づける。
するとソレはからかうように指を通り抜け、煙のように消えてしまった。
妖狐お得意の幻影である。一瞬の出来事だったので周りの生徒は気が付いていないようだった。
可愛い悪戯だな、と思った。緊張をほぐそうとしてくれているらしい。
綺麗な色。黄色の炎なんて初めて見た。
哀虎は口を閉じたままちょっとだけ笑ってもう一度理事長の方を見た。彼は今度は大人っぽい顔で笑ってステージに視線を戻す。
哀虎もまた顔を戻して首をさすった。なんだか少しだけ肩の力が抜けたような気がした。
もしかしたら自分が思っている以上に気を張っていたのかもしれない。きっとそれに気づいてたんだろうな、と思う。
何から何まで面倒を見てもらっている。気にかけてもらっている。
今度会った時に絶対お礼をしようと思った。
さて。件の娘はいないとはいえ、まだやることが残っている。
天静に貰ったリストを頭の中で広げて、一人ひとり照合していく。この作業を何度も繰り返す。
警戒すべき相手は他にもたくさんいた。河合家、百舌家、猫田家……。
漆烏家を目の敵にする家は数えていたらキリがない。お家柄、他の御三家と比べて恨みを買うことが多いのである。
気が遠くなる作業だが、人間観察というのは気づくことが多くあるので面白かった。
妖と人間の違い、種族による癖、内部進学組と外部受験組の違い……。
例えば。外部受験組は無駄に厳かな造りに落ち着かないのか、ソワソワと辺りを見渡しては教師と目が合って姿勢を正したりしている。そうしてまるで初めて都会に来た田舎者のようにそっと天井を眺めたりを繰り返す。
反対に、つまらなさそうにしていたりコソコソと私語をしているのは内部進学組だ。
中等部の講堂もこんな造りであったし、この学園の雰囲気には慣れてしまっている。なので緊張や初々しさといったものは一切なく、代わり映えもしないのでむしろ退屈だという表情。
本気でそう思っている者もいれば、“そういう風”に見せつけてカッコつけたがる者もいた。三者三様である。
一通り見終えてから、哀虎は鬱陶しそうに左手で髪を掻き上げた。人が密集しているので少し暑い。
ふ、と息を吐いて座り直す。体を少し前屈みにしてもう一度姿勢を戻そうとした時。
左手側の何列か向こう。そこに座っていた男子生徒と目が合った。
短い黒髪に橙色の瞳の、この世の爽やかなものを全て詰め込みました、スポーツ飲料のCMに出てますという感じの好青年。
「?」
誰だっけ。
顔はどこかで見たことがある。でも名前が思い出せない。きっと話したこともない。
覚えてないということは、特に警戒すべき相手でもないということだ。
哀虎は取り敢えず笑っとこと思って首を横に倒した。よそ行きの笑顔である。
それでも綺麗なもんは綺麗なので、男はドキリとして「ギ」と喉仏を潰されたような声を出した。縫い付けられたみたいにギュッと口を引き結ぶ。
やばい、鵺苑さんと目が合った!
心臓がドンッと音を立てて、胸から抉り出されてそのまま耳元に押し付けられているみたいにうるさかった。身体中が心臓になったような気分だった。恋とかなんかそういうのが始まっちゃう気がした。
鵺苑 哀虎は美人である。街を歩けばすれ違った人々が「ア」と振り向くほどの、泣く子も黙る美人だった。
彫り深いくっきりとした二重瞼に、冬の冷気を漂わせる真っ赤な唇、華の宝石を彷彿とさせる瑠璃色の瞳はひとたび見つめられれば息を忘れるほどの力強さがある。
プラチナブロンドの短い髪も太陽の光を浴びればチカチカと輝いて、夜になれば艶めくベールのような神秘的な美しさを放つのだ。
制服だって、彼女が身に纏えば最高級の生地で仕立てたドレスになった。
ボタンが二つ開けられたダークグレーのシャツから覗く小さなネックレス。彼女の腰のラインにぴったりと寄り添う黒のタイトスカート、ネクタイ、真っ白なブレザー……。
彼女は女性らしい気品もあれば、男らしい色気もあった。透明感があって、ガラス細工のような人。
おまけに誰にでも優しく親切であるから、男からも女からも密かに思いを寄せられていた。いつも横にいる漆烏祀が怖いから誰も近づけやしないけど。
そんなわけで彼女は、中等部の頃から高嶺の花のような存在であった。
「っ、ぶは!」
男はバッ!と顔を反対側に向け、一気に息を吐いた。そしてまた息を吸って、吐いてを繰り返す。肩で息をして呼吸を整える。
ずっと呼吸をしていなかったのである。仙姿玉質の女と目が合って、神経が全て視覚に集中してしまったので。
同級生はそんな彼を、街中に突如現れた象でも見るかのような目で見つめた。
「なにやってんの、天沢」
「なんだもない」
「なんだも?」
人間って呼吸の仕方忘れることあるんだ。
天沢は学ランの前を寛げ……ようとして式典の途中だったことを思い出し、襟元を指で引っ張りパタパタと風を送った。なんだか一気に汗をかいてしまった。
ちらりと哀虎を見る。彼女は既にこちらを見ていなかった。物差しでキッチリ図って作られたみたいに完璧な横顔に一瞬見惚れたが、先ほどの笑顔を思い出して項垂れる。残念なような安心したような、そんな気分になる。
どうせならもっと見とけば良かった。カッコよく手でも上げとけば微笑んでくれただろうか。そんなの出来っこないけど。
天沢少年は、冷静になった頭でふとそんなことを思った。