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*2* 量産した刺繍入りアイテム達の本当の行方。


 長年婚約者相手に抱いていたモヤモヤとした思いを、文字通り叩きつけてぐっすり眠った翌日。お昼まで寝ていた私が欠伸を噛み殺して階下に降りると、何故か玄関ホールが騒然としていた。


 興味津々で階段の踊り場からホールを覗き込もうとしたら、下から慌てて上がってきた侍女のメリンダに「お嬢様、もう少しお休みになってはどうでしょう?」と言われる。その間にもホールからは母の「悪霊退散!!」という雄々しい声と共に、何か砂がぶちまけられたような音がして。


 父の「おやおや、妻が申し訳ない。すぐに着替えを用意させましょう。着替えたらお帰り下さい」という、珍しく手厳しい処置の声。


「うーん……ねぇ、メリンダ。二人があんなに怒っているということは、お相手はもしかして?」


「はい。その“もしかして”ですわお嬢様。朝に婚約破棄の旨をしたためた手紙と書類に加え、慰謝料の額を書き込んだ小切手を届けたのですが……どうもその、あちらのご長男様が乗り込んで来られまして。そういうわけですので、どうかお部屋にお戻り下さい」


 若干私の思い描いていた人物とは違ったものの、昨夜縁を切ったゴーティエ家の人間であることには違いない。だとしたらこの騒ぎは、上手く婚約破棄をできなかった私のせいで起こったことね。


「やっぱり私が行きます。メリンダはお店にある既製品から大至急、オーランド様の身丈に合うお洋服を取ってきて頂戴」


 指示を出した私の腕を掴もうとするメリンダの手をすり抜け、玄関ホールへと降りていくと……。


 そこには頭から雪が積もったように大量の塩をかぶったオーランド様と、小麦畑の色をした髪を振り乱して手にした壷から塩を鷲掴んで投げつける母と、二人をニコニコと見守るひょろりと背の高い父の姿がありました。


 ――渾沌と殺伐。絵の題名としてつけるならそんなところでしょうか。


「ああ、ごめんよテレサ。起こしちゃったね。さっさと帰ってもらって二度とうちの敷居は跨がせないから、あんたは安心して先にお昼を食べておいで」


「おはようテレサ。良く眠れたようだね。彼のことはこちらで面倒を見ておくから、お母さんの言うようにご飯を食べてゆっくりしていなさい」


 両親は私に気付くと微笑みながらそう優しく提案してくれますが、どっさり塩をかぶったオーランド様の方を見れば、彼は目を塩から庇いながらもしっかりとこちらを見ていました。そのダークブルーの双眸が僅かに見開かれます。


 寝起きとはいえどもそうおかしな格好をしてはいないと思うのですが……前回お会いしてから三年くらい経っているからかしら? 騎士団のお仕事で忙しくしていた彼も、また生真面目そうな精悍さが増したようです。


「おはようございます、お父様、お母様。ですがそろそろ食べ物でないものに塩を振るのはお止めになった方がよろしいかと。それと、お二人ともお仕事はどうしたのです? 昨夜の件でオーランド様がいらしたのならそれは私の責任ですので、私が対応させて頂きますわ」


 先程から屋敷と続いている店舗のドアから従業員が数人顔を覗かせている。書類を抱えているところから察するに、二人とも朝から一度も出勤せずにここにいるのに違いない。


 顔を見合わせる二人に「心配してくれるのは嬉しいけど、私は格好良く仕事をしているお父様達の姿を見る方が好きだわ」と付け加えれば、渋々とだけれど頷いてくれた。


 そんな二人の頬に口付けて見送った後は、応接室にお茶と軽食の用意をしてもらい、ドアを全開にしたまま話し合いの場を設けたのですが――。


「昨夜は愚弟が貴女に大変失礼なことを言ったようで、本当に申し訳ない」


 ソファーと紅茶を勧めて腰を落ち着けた直後に彼が深々と頭を下げた。かなり深く下げるものだから、普段は見えない旋毛まで見えている。五歳も上の男性にこんなことをされては困ってしまうわね。


 エドモント様と違って短く切り揃えられたダークブロンドの髪が、窓から射し込む陽光でキラキラと輝いて美しい。日に焼けたうなじも、エドモント様の白くて女性的なものと全然違うわ。


 ――と、いけない。あまりジッと見てははしたないわね。


「あの……別にオーランド様が頭を下げるようなことではありませんし、昨夜は私もついやり過ぎてしまったというか……興が乗ったと言いますか。とにかく一度頭を上げて下さい。久々の再会がこれでは寂しいですわ」


 どうにか頭を上げてもらおうと言葉を選べば、ようやく彼がゆっくりと頭を上げてくれました。


「いや、あの愚弟が恩人たるフェルディア家の方々に無礼なことを言ったのは事実。父と母も甘やかしすぎたことを恥じて、あれの処遇をわたしに委ねてくれた。今日は婚約破棄を了承する件に加え、その采配を傷つけられた貴女に託そうと訪ねて来た次第です」


 そんな風にエドモント様と違ってテーブルに脚を投げ出すでもなく、背筋を伸ばして軍人らしく堅苦しい言葉で重いことを任せてこられても……正直困ります。こちらとしては昨夜の一撃に全てを込めたのでもう充分なわけですし。


 とはいえ、真摯な瞳でこちらを見つめるオーランド様にあまり下手なことは言えません。昔からとても真面目な方だから、罰が緩すぎては深読みして倍の重さに変換されてしまうに違いない。


 一応考えるふりをしながらサンドイッチを口にして、ついでに紅茶も飲む。人との対談中に無礼だとは分かっているけれど、こうでもしないと彼は紅茶にすら手をつけなそうだから……。


 気分は野生動物の前で“この食べ物に毒は入っていないよ”と実演する猛獣使い。こちらの視線がティーカップに注がれていることに気付いた彼は、一つ頷いてそれを手にして一口飲んだ。でもそれだけ。


 私が咀嚼するのを待ってはくれているけれど、根本的な“厳罰促進委員会会長”を納得させる手立ては思い付かない。結局サンドイッチを全部食べ終えたところで「申し訳ありません、少しも思い付かないわ。オーランド様にお任せしても?」と考えることを放棄しました。


 ――が。


「分かりました。それでは愚弟は騎士団の中でも特に新人に厳しい訓練で有名な隊に入団させます。身内相手に温情をかけることをお許し頂けたことに感謝します」


 うん……聞き間違いかしら? それってどの辺りが温情なのでしょうか? 私の知っている温情と彼の言う温情の定義に大きな齟齬がある気がしますけど……変換されてしまいましたね。


 表面上は商売人の娘らしく笑顔で「ありがとうございます」と応じたものの、元婚約者の明日が結構な地獄なことに多少同情を禁じ得ません。玉虫色の答えにここまではっきり黒という答えが出されるなんて……ええ、思ってもみませんでした。


 けれどこれで綺麗さっぱりとエドモント様と縁が切れたかと思うと清々します。その感謝の気持ちを少しでも目の前の彼に伝えようと口を開きかけたその時、いったいどこに隠し持っていたのか、オーランド様は平たい箱を取り出して、無言のままそれをテーブルの上に置きました。


 小首を傾げて「これは何でしょうか?」と訊ねると、彼はグッと眉間に深い皺を刻んで小さく「少し、待って欲しい」と呟いて、深呼吸をすること数度。ようやく意を決したのか、大きな手でソッと箱を開けた――……のだけれど。


 箱の中に収まっていたのは、今まで私が心を無にしてエドモント様宛に量産し続けた刺繍入りアイテムの一部で。わけが分からずポカンとする私を前に、耳の縁を真っ赤にしたオーランド様が、その常なら真っ直ぐな背中を少し丸めました。


「これまで、弟が貴女に贈られた刺繍を放ったままにしていたものを、わたしが宿舎から戻るたびに集めて預かっていた。その……最初は騎士団の稽古で上手くいかないことがある時に眺めていたのだが……段々と拙かった刺繍が上達していくのを見るうちに、貴女の一途さと努力を怠らない人柄に惹かれて……好ましいと、思うようになった」


 さっきまでのハキハキとした物言いが嘘のように辿々しく、それでも視線だけは私を捉えて伝えてくれるその姿に、ほんのりと胸の中が温かいもので満たされていく心地がして、頬が熱くなる。


「貴女が弟の婚約者なのは重々承知していた。弟と結婚したとしても、この気持ちを生涯伝える気もなかった。だが……もう、貴女は弟の婚約者ではない」


「は、はい」


「このタイミングで伝えるのが卑怯であることも分かっているが、その、次にここに足を踏み入れることができないのであれば……今、伝えたかった。兄弟揃って身勝手で申し訳ない」


「え、ええ」


「この想いを聞いて下さったことに感謝を。それでは――……どうか、お元気で」


 そう言うや否や、彼はやや慌てた様子でソファーから立ち上がって部屋を出て行こうと入口に向かい、私も突然の告白にその場を動けずにいたのですが、彼が一瞬直立不動になったかと思うと、深く腰を折りました。


「そこは俺と婚約し直そうって言うところだろうが。股についてんのかい坊や?」


「もしも改めて君がテレサに婚約を申し込むつもりなら、妻の口の悪さについての覚悟もしておいてもらえるかな?」


 いつからそこにいたのか分かりませんが、両親の登場にそう驚きを見せなかった彼は、きっと最初から気付いていたのでしょう。気まずそうな表情を浮かべつつも、両親に押し返されて応接室のソファーに戻ってきて、再び腰をおろしました。


 斯くして波乱の婚約破棄をしたその日のうちに、新しくお互いを尊重し合うことができそうな……そんな婚約者ができました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一瞬お母様が兄に腹パンしたのかと思ってしまいました。お辞儀しただけだったか…! 玄関に撒かれた塩が勿体ない…!
[気になる点] |慰謝料の額を書き込んだ小切手を届けた ……慰謝料を払うので、黙って縁を切れってことでしょうか?(金額を書いた小切手は有価証券です) 慰謝料を払え、と要求するなら、送り付けるのは『…
[気になる点] 第一話を読んだ瞬間、まだ出てないけど兄上さまぜってーいいやつ、マジで神と予測した私は頭がキレるのか、はたまた頭の中ただのお花畑野郎なのか…… [一言] 一話があんなにすっきりするところ…
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