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*1* 量産される刺繍入りハンカチの正しい使い方。

いつも通り思い付き&脱スランプ用のリハビリです(´ω`;)

ふわっとした世界観なので生暖かい目で読んでね……。


「誰があんな刺繍しか特技のない地味な成り上がり女と婚約したいと思う? 家のために仕方なくに決まってるだろ。まぁ、どれだけこっちが罵っても文句も言えない気弱なとことかは、結婚した後によそで遊べて良いと思うけどな」


 それは夜会の熱気に当てられて、外の空気を吸おうと出た庭園の片隅で耳にした言葉。聞き間違いようもないその声に、婚約して以来ずっと我慢していた何かがプツッときてしまいました。


 声の主はエドモント・ゴーティエ様。背中で結わえたダークブロンドに、女性に人気のある色気溢れるエメラルドの瞳に、均整の整った顔立ちと体躯。やや乱暴な物言いも、騎士団に籍を置く理知的な長男の対になっているようだと、周囲から容認されています。


 酒精が弱い気の抜けた麦酒色の髪と、どこにでもありそうなダークブラウンの瞳の、上にばかり伸びて丸みに欠けたパッとしない私とは大違い。


 そんな彼はゴーティエ子爵家の次男であり、今から十年前の七歳の頃から私とは婚約関係。我が家は商売で成り上がり、お金で男爵位を買った新興貴族。


 彼の実家のゴーティエ家は度重なる事業の失敗で財政が傾き、持参金の多そうな我が家……フェルディア家の長女たる私、テレサ・フェルディアに白羽の矢を立てたのでした。


 ちなみに彼の兄は五歳上のとても武骨でまともな方で、騎士としてお城に勤めていますが何故か婚約者はまだだとか。ちょうど同じ歳だったという理由と、次男という立場で弟であるエドモント様があてがわれましたが、人間的にはお兄様の方がずっと魅力的だと思います。


 そしてご家族が金策にお忙しくする中で、幼い彼に寂しい思いをさせたとの後ろめたさから、エドモント様は甘やかされたお坊っちゃんに成長したのです。まともな親の元でも極稀に現れる本物のモンスター。これぞマジモンですね。


 婚約者である相手のことを欠片も知ろうとしなかった彼は、今夜この時に至るまで気付かなかったようですが、本当のことを言えば私、刺繍は大嫌いです。ええ。幼い頃からチマチマしたことが嫌いで本来は大雑把。


 それでも彼が友人達に大きな顔をしてそんなことを吹聴できるくらいには、婚約してから今日まで頑張って練習して参りました。


 最初のうちは指を刺しているのか布を刺しているのか分からないほど、何度も刺繍針で思いきりよく指先を刺しては、血痕で汚れて渡せなくなってしまったハンカチを作ったものです。まさに血の滲む努力。


 どうせなら男に生まれて『世界を股にかける商売人に俺はなる!!』と、夢見がちなことをのたまって飛び回る兄について、海や山を越えて旅をしてみたかった。我が家の父は気の優しい入婿で、兄は豪胆な母にとても良く似ている。


 家のため? そんなのこっちだって同じです。私も家族は大好きですから。


 十年前、兄にはすでに将来を約束した義姉がいましたので、母が『これからは本格的に貴族相手に商売ってのも悪くないね』と言った時に、折よくゴーティエ家から打診があったのでそれに否はありませんでした。


 今年で十八歳になる彼の学園卒業を機に式を挙げる予定で……私も彼と学園に入学することもできたけれど、母曰く『貴族の行く学園なんて○ソ』で、父曰く『お前が行っても辛い目に遭う』と反対されたことを思い出します。


 実際に彼の話を聞いて笑っているご学友達の会話を盗み聞けば、両親の心配は当たっていたようです。


 私もせめて一応貴族の子女らしくあれるよう刺繍を練習したり、学園を卒業した家庭教師をつけてもらって去年全ての学科の課程を修了したりと、結婚するからには貴族の流儀を学んだのに……どうやら無駄だったみたいだわ。


 結婚に夢がないわけではなかったけれど、貴族なのだから恋愛結婚でないのは仕方がないと割り切って、せめて結婚後に少しずつでも相互理解を深めていければ良いと思っていたのは、どうにも私だけだったのね。


「大体刺繍入りのハンカチなんて何の役に立つんだ? せいぜいトイレで手を洗った後か、汗を拭くくらいにしか使えないじゃないか。ああでも、テレサの刺繍は貴族受けは良いんだよ。おかげで“お針子令嬢”なんて呼ばれてるんだけどな」


 ……お酒で随分と舌が滑らかになっているご様子だわ。いつも私と会う時はつまらなさそうな顔で、口を開けば悪態ばかりなのに。あら、でもこれも陰口という悪態には変わりないのかしら?


「それにあいつ今夜みたいな夜会だと、いつも俺がエスコート終わって離れたら壁際で扇をパチパチさせてジッとしてるだろ? あれも卑屈に見えるっていうか、小心者っぽくて嫌いなんだよな。やっぱり成り上がり一族の者は駄目だな」


 彼の放った心ない最後の言葉で、その場にドッと笑いが起きる。自分のことまでなら平気だけれど、家族にまで侮辱が及ぶのならもう容赦はしない。


 私は物陰から出て大股でエドモント様の背後に近付きながら、長手袋を脱いで片手に持つ。そんな私の姿を見て驚いたご学友達の表情を訝かしんだ彼が、こちらを振り向いたのを見計らってその顔面に長手袋を投げつけ――……。


 手にしていたいつもパチパチと小心者っぽく鳴らしていた特注の鉄扇(・・)で、強かにその綺麗な顔を張り飛ばした。手首に頬肉の重みを感じた瞬間、薄く伸ばした鉄扇の骨が数本折れた気がするけれど、もう買い直さないでも良いわね。 


 しばらく何が起こったのか分からず地面に蹲っていた彼は、痛みに顔を歪めて私を見上げる。あらまぁ、私ったら……少し強く叩き過ぎたみたいだわ。


「お、おま……な、なんっ……!」


「つまらない刺繍の入ったハンカチを差し上げるのも今夜で最後になりますが、良かったですわねエドモント様。これでこの安っぽい手作りハンカチに、新しい使い道を発見できましたわ」


 骨がへし折れた鉄扇をよく手入れされた芝生に投げ捨て、声だけは優しく、けれど容赦なく鼻血を流す彼の鼻にハンカチを捩じ込んでやると、今度は彼のエメラルドの双眸から生理的な涙が滲む。


 白いハンカチがみるみる鼻血で赤く染まっていくことに満足し、まだ汚れていない部分で涙を拭ってやれば、ほんの少しだけ胸の中のドス黒い靄も治まっていく。ふう、スッキリした。もっと早くこうすれば良かったかしらね?


「エドモント様」


「な、なんだよっ……」


「聞き流して下さって構いませんけれど……厚物に刺繍を刺すのは、とっても指に力がいりますの。今夜の貴男が身に纏うようなものには特に。お別れの豆知識としてお持ち帰りになって下さいませ」


 ジャケットの襟と袖に施した刺繍を撫でてそう教えてあげると、彼はグッと怯えるように身を引いた。ああ、この人には言葉の痛みも物理の痛みも実地で教えてあげる必要があったのね。もう私の役目ではないけれど。


「お前……婚約者で子爵家の俺にこんなことをして、ただで済むと思ってるのか」


「ええ、勿論無料(タダ)とは思っておりません。こちらは貴族の顧客も増えましたし、そちらも十年前とは違ってお家も傾いてはおりません。ですので今夜の慰謝料と婚約破棄に必要な書類は明日にでも手配致しますわ。それでは皆様ご機嫌よう」

 

 何も言えずにいる男性陣の前で拾い上げた長手袋をつけ直して、さっさと馬車で屋敷に戻り、両親に夜会での経緯を説明した。その後婚約破棄の書類と慰謝料を都合してもらうことができたので、何年ぶりかに大嫌いな刺繍をしないでぐっすりと休んだのだった。

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[良い点] スッキリ! 強い女大好き
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