ハーレムという小さな夢、ヒロインという大きな幻
目の前の光景が天井になった。頭の中はぼんやりしている。けれど腹は痛い。激痛はまだ走っている。そして、
「早く起きろ-!!!」
第二発が来る前に右に転がって避けた。すぐにドン!という音が聞こえた。
「えげつねぇ…ていうか、腹を殴るんじゃあないよ」
「お、ようやく起きたか、全く兄ちゃんはお寝坊さんなんだからな!」
妹が腹殴って起きるシーンあってたまるかい!そうツッコミたかったが辞めておいた。
どうやら僕は夢を見ていたらしい。レム睡眠のなか、あの世界にいる夢を見ていたらしかった。思えば最初これは夢だと思っていたのだ。いまさら虚無感に教われても仕方がない。
僕はゆっくり起き上がった。妹は制服に着替えている。スカートは膝下まで下ろしていて清楚感を醸し出している。これはこれで似合っている。
「な~にじろじろ見てるんだよ。早く起きろよ。朝御飯冷めちゃうぞ」
僕は洗面台に向かった。
朝御飯は白ご飯に味噌汁、目玉焼きと一般的和食の朝食である。僕はテレビを見ながら食べた。
いつも見ているニュース番組。そしてたまにCMが入る。そのなかで少し驚きだったのが僕があの世界で飲んだのにほぼ近いブドウジュースが新発売されたというCMが流れたことだった。よく見る女優が優雅に飲むCMだった。今日は帰りに飲もうかな、そう思った。
食べ終わって、学校に行く準備をする。制服を着て、歯磨きして、色々したら、終わりだ。
八時ぴったり、父親と妹と僕が一斉に家を出る。いつもの光景である。僕は愛用の自転車に乗って高校へ向かった。勿論、誰かが僕を待ってることなんてことはない。
季節は十月。秋の季節だが、それを裏切るほどの暑さである。半袖のカッターシャツが丁度いい。涼しい。
大通りを通り、小道を通ると学校に着く。あの世界のように旧校舎はないが四階建ての学校である。
昇降口に入っても知り合いを見かけることはなかった。廊下でもすれ違うことはない。
教室に入ると、人は少ない。始業までしばらくある。僕は窓沿いの一番後ろの席、ではない全然違う場所の、自分の席につく。
横には女子がいる。眼鏡をつけた、髪の長い少女だ。彼女はスマホをいじっている。僕に気にもかけない。
僕はいつも通り一人で過ごそうか迷った。実を言えば隣の席に座る人は、僕の少ない友人の一人である。
だけど昨日の体験した世界を教えたかった。そう、なんといっても、彼女は『青春よ、花開け!』を貸した本人である。
だから珍しく声をかけた。
「おはよう、つばめ」
つばめと呼ばれた少女は耳につけていたイヤホンをはずした。
「おはよ、何の用?」
「一応あのハーレムゲー進めておいたぜ」
「ああ、あのハーレムゲームね」
一瞬の静寂。つばめはクイッと眼鏡を上げた。
「どうだった?」
「僕としては、やっぱり千秋が一番可愛かったかな。けど咲希も文子も読子も可愛いところあったなって」
「へぇ~。やっぱりつばさは幼馴染みキャラが好きなんだ。までも確かに可愛いのはわかる。なんだ、わかってんじゃん」
「僕の幼馴染み好きという偏見についてはあえてなにも言わないでおくとしよう」
つばめの声が少しだけ、本の少しだけ明るくなっていた。やはり、あの四人は可愛いと思うのだろう。
「ちなみに私の推しは読子だ」
「読子か、なんで?」
「読子のツンデレには本当に口角が緩んでしまう。特に合宿シーンの浜辺でのシーンとラスト近くの啓介の小説読んだシーンとかよかった。クライマックスシーンは、読子ルートのは見てなさそうだし、そこは言わないでおこう」
僕は初めて四人のルートが見られることを知った。そりゃそうか。ヒロインは四人いるのだから。
僕は他のルートを見るだろうか?確かに他のルートも見るのも楽しみである。けれどあの夢を見てしまって、あれ以上の感動を得ることはできるのだろうか?
僕はそれ以上考えるのをやめた。
「つばめの口角が緩むのは珍しいなぁ。そのときの顔を見てみたかったなぁ」
「キモッ。それだからモテないのよ」
あの夢見た後のこの言葉はすごく刺さった。毒時に強しである。
「まあ、確かに読子は可愛かったなぁ。までもそれ以上に面白かったな、あいつと話すのは」
「ねえ、つばさ」
「なに?」
「あのゲームのせいで頭逝った?」
僕は素頓狂な声を出してしまった。周りが僕の方を見て、咳払いした。
「そこまであのゲームにとり憑かれた訳じゃねーよ」
「そうだよね。でもつばさならありえる。ハーレムゲームのヒロインにガチ恋は」
「し、してねーよ」
あくまで、あれは、啓介が千秋に告白したのであって、僕ではない。流石に画面の中の人は恋愛の対象外である。
「で、告白シーン見たんでしょ?多分。で、どうだった?」
「僕は、多分千秋ルートだったんだろうけど。まあ、よかったよ。強いて言うなら」
「強いて言うなら?」
「すごく、腹が痛かったです」
「はぁ?」
その後僕が今日見た夢の話をした。まだゲームとしてクリアしていないこと、夢世界での話、告白の話、つばめは僕が話終えるまで「そう」以外言わなかった。
「なんか、ハーレム主人公って疲れるんだなぁ~って」
「でも、それはあくまで夢の話でしょ。つまり、つばさの妄想話のようなものでしょ」
「妄想って」
そう聞くと恥ずかしくなった。今、自分はハーレム主人公になった夢を女子に話していることになる。カアッと顔が赤くなる。つばめは静かに笑った。嘲笑っているようにも見えた。
「それに比べつばさって彼女いないよね」
「妄想の彼女に告白されたとでも言いたいのか?」
「自覚があるならリアルで彼女を作ることね」
「……………」
痛いところをつかれた。僕はもう何も言えなくなる。
「とりあえず、宿題を出しておく」
「はあ?」
つばめが何やら意味の分からないことを言い始めた。つばめにしては珍しく笑顔になっている。
「そのゲームのエンディングをちゃんと見てきなさい」
「……………はい」
朝からとんでもない宿題を押し付けてきたものだ。僕は席に座り、机に付してしまう。
「おっはよー、つばさ、って、なにのびてるんだよ」
頭上から声がするが、返答する力はない。
「おはよう、はやて。今こいつはナメクジの真似でもしてるのよ」
「はあ?ナメクジ?」
僕は何も言えないままただ机に伏していた。
僕は帰宅後、しばらくして、オンラインRPGをプレイした。丁度イベントが発生しており、ギルドメンバーとボス狩りに行き、終わる頃には夜の十一時を越えていた。
僕はつばめの言われた約束を思い出した。しかし、僕は『青春よ、花開け』をプレイする体力はなかった。あの夢世界の出来事で僕はお腹一杯だ。
消灯し、ベッドに潜る。疲れているらしい。僕はすぐに寝落ちした。
ノンレム睡眠の訪れである。
そして、
* * *
「んんっ?」
目が覚めた。シャキッとした朝。目覚めがよろしい。どうやらスマホのアラームよりも前に起きたらしい。
ん?僕は天井を見て疑問に思った。僕の部屋の天井と違う。何百回と自室の天井を見てきたから、すぐにわかった。
この天井は見たことない。いや、正確には一回だけ見たことがある。
「ま、まさか、嘘だろ。嘘だと言ってくれ!」
少し見た見たことある天井。そして姿。姿も僕ではない、けれど少し前に見たことある姿になっていた。
僕は大いに後悔した。僕は、あのゲームを昨日プレイしていない。
そして、声が聞こえた。聞いた途端、身体の力が抜けていった。
「けいちゃん!早く朝ごはん食べないとあきちゃん待たせるわよ!」
ご愛読ありがとうございました!