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夜の仔  作者: 縦川みさと
5/6

冬至の祭り


 

 五、


  目を覚ました時、私たちは元の洞穴の中に佇んでいた。

  私は闇に落ちた時のまま、奥の壁のくぼみの前に立っており、ヒィカとハジも近くにいた。

 いつの間にか夜は明けようとする兆しを見せ始めており、祭壇跡の向こうには岩壁がそびえるばかりで、三人ともが似たような幻を見たに過ぎなかったのではとさえ思えた。

  宵闇の王の居所たる暗闇も、青い火をともしたカンテラを持つ夜の仔も、冬の訪れにおだやかにまどろむ冬の女神も、そこにはない。

  私の目の前のくぼみに安置されていた木彫りの像は、何かに撃たれたように木切れが散っていて、私は目の前に転がるそれらを拾い上げた。男をかたどったと見られるそれは無残に割れており、なんとか割れ目を合わせてみるるとそこには、だれか人の名前であろう、「ヨキ」とだけ彫られているらしいのが読み取れた。

 私はそれらを服のポケットにそっと滑り込ませてから、ヒィカとハジの方を振り返った。

 二人は未だ呆然としている様子で、なぜだかハジがヒィカの猟銃を握りしめていた。また、ヒィカの足元にはいつの間にか、先ごろにはなかった、子供の大きさに合わせて作られたと見える小さな松葉杖が転がっていた。

「二人とも、」

 私が声をかけても、ヒィカは足元の松葉杖を拾い上げ、じっと凝視していた。ハジも顔を青ざめさせ、ヒィカの表情を伺っていた。

 突然、ぐっとヒィカが強く、強く唇を噛み締めた。柔らかな皮膚をかみ破り、赤い血が一筋たらりと垂れて、みるみるうちに、年に不相応なほど落ち着いていたはずのその顔色が紅潮した。

 ぎっとその蜂蜜色の柔らかな瞳が、数年来の仇敵でも見つけたかのような怒りの色を込めて、ハジを睨みつけた。

「どうして……どうして邪魔なんか!」

  止める間もなく、ヒィカの手が振り上げられ、パシンという音ともに勢いよくハジの頬を打った。

「ヒィカ! 何をしているんだ!」

  思わず我に返り、私は声を上げたが、それでもヒィカはハジを睨んだまま、まるでどうしようもない感情を身の内に抑え込むように、ぶるぶると震えていた。

 ハジは呆然としたように下を向き、打たれた頬を抑えて俯いていたが、やがて非常に小さな蚊の泣くような声で、「だって、」とだけ呟き、黙り込んでしまった。

 いつまでも二人がそのままであったので、仕方なしに私は口を開いた。

「……すこし休んだら、陽が昇りきった頃に戻ろう。ハジの使っていた場所もあるし、一度横になった方がいい」

 彼らもまた、何かと行き遭ったのだろうと私は理解した。

 だからその場で深く問いただすようなことはせず、ただ一度休むように促し、自分も適当な場所を選んで座り込んだ。

 ハジは少しためらっていたようだが、ちらりとヒィカを見やって、自分が使っていた場所を少し広げ、毛布にくるまると壁に背を向け、丸まった。

 ヒィカは長いこと、呆然として手の中の松葉杖を眺めていたが、やがてのろのろと動いて岩陰にしゃがみこみ、腕に顔を埋めるようにして小さくなった。

 誰も彼も、ひどい疲労感と消失感に襲われていて、やるせない心地が漂っていた。私は二人が休んだのを見届けると、すこし項垂れ、目をつむった。


 帰りの道も、誰も黙として語らず静かな道行となった。

 ヒィカははただ項垂れるばかりで、こちらの声にもあまり反応を示さず、道を先導するのはハジの仕事となった。そのハジも、なにか気がかりなものが多いらしく、上の空といった様子で、ときどき何も無い場所でつまづいていたりもした。

 昨晩の吹雪は嘘のように鎮まり、昇りきった陽の光を浴び、木漏れ日を反射して新雪がきらきらとあたりを照らしていた。穏やかな日和で、時折樹上から落ちた雪がどさりと音を立てた。

 誰も、何も語らなかったが、心の中は千々に乱れて、必死に整理をつけようとしていたのだ。私とて未だ、あの闇の中の記憶がふわふわと頭を巡り、白昼夢の中を漂っているような心地にあった。


 帰り際、少しだけユジの家に立ち寄り、無事にハジが見つかったことを報告して、私たちは夜廻の村へと帰還した。

 ユジと会話をするハジはあくまで常と変わらぬ子供らしい様子を崩さず、叱られてもけろりとした顔で、「楽しかった」などと言ってのけ、ユジを呆れさせていた。

 けれどその空元気は、ユジには簡単に見て取れるものであったらしい。帰ろうとする時にはひっそりと、

「何かあったのかしら?」などと尋ねられた。

 ハジ自身が聞かれたくないと考えるものを、私が勝手に言うわけにも行くまい。私は同じようになんでもないような顔をして、

「ヒィカに叱られて、内心落ち込んででもいるのでしょう」

 などと言っておいた。


 尋ねられたくないと考えるものを、わざわざ私の方から掘り返す事もあるまい。そう考えて、私は特に何があったか問うこともなく、そのままヒィカとハジをそれぞれ家に送り届け、宿の自室へと戻った。

 ヒィカは変わらず項垂れて私の目を見ようとはしなかったが、ぼそりと

「付き合っていただいて、ありがとうございました」

 とだけ呟くと戸を閉めた。

 その姿は深く思考の海に沈みこんでいるようで、私は声をかけることも出来ず、その姿が室内に消えるのを見届けるしかできなかった。

 ハジはやはり、ぱっと見には常と変わらぬようであった。

 ヒィカや私に迷惑をかけてしまったことを両親に叱られているようであったが、こっそりと私に

「あとで宿の方に行くから」

 と囁いて見せたのを見るに、一人で飛び出してしまったことに関して、反省の色は見られないようであった。


  ∵

   

 あとからヒィカやハジと話して、考えたことだ。

 語り部の語る話は、あくまである程度物語として整えられた後の逸話なのだろう。ずうと昔、物語としての昔話が成立するより昔、きっとそこには、誰にも知られないままで陰に消えてしまった話が、幾つも存在する。

 偶像に刻まれていた、「ヨキ」という名前。あれは確かに、私たちの出会った「夜の仔」が連れていた、あの大梟の名であったはずだ。そのことに私は、どこか曖昧な違和感を感じていた。

 夜の仔も、宵闇の王も、人の作り上げた信仰対象としての存在であったなら、それに固有名詞があろうはずはないのではないか。

 これは一つの仮説である。

 ずっと昔、人々が冬の闇を生きて乗り越えるための術をまだ、身につけていなかった頃。闇を恐れた人々は、生贄を差し出したのではないだろうか。

 はじめのころは、狩りで得た獣や鳥の類を差し出していたのかもしれない。けれどだんだんと生きることが厳しくなり、集落の者全てを養うことが難しくなってきた頃、人々はその集団の中で最も「必要のない」者を差し出した。そしてその弔いの意味も含めて、祭壇として設けられたあの洞穴に、木彫りの像を納めた。

 ありがちと言えば、ありがちな話である。

 そうして差し出された、村にとって必要とされなかった者、幼く弱く、愛されなかった子の姿こそが、夜の仔という信仰に落とし込まれた人々の後暗い願いであり、感情だったのではないだろうか。

 それでも、その子はどこか闇の奥底に、息づいていたのかもしれない。人の心を反映するという暗がりに、その差し出されてしまった者の心は溶け込んで、一体となっていたのかもしれない。それが、あの梟なのかもしれない。

 例えば、エシの姿をした夜の仔。あれは、私がはじめに出会った時から、エシという少年の姿をしていた。私は彼の存在を知らなかったのに、ヒィカを一目見てその姿が近しい血縁のものでないかと気づくほどに、はっきりと姿を形づくっていた。

 人が信仰をだんだんと忘れていこうとしている中、精霊たちはそう簡単に姿を現すことが出来なくなりつつあるのだと、あの夜の仔は言っていた。

 しかしそれにしては、彼らは随分と我々の前に姿を見せてくれたのだ。

 それは我々の願いに反応したのも、もちろんそうだったのかもしれない。けれど何より、エシという子を得て、その強い願いを反映してのことではなかったのだろうか?

 エシもどこか、あの暗がりに溶けてしまったのかも知らない。人の心を反映し、人の心がなければ存在できない精霊たちは、「姉にとって重荷となるくらいならば、消えてしまいたい」という、エシという少年の願いを汲み取り、闇の中へ引き込んだのかもしれなかった。

 とはいえあくまでこれは、私たちの拙い考えで思いついた、空想の物語に過ぎない。

 真実はどうなのか、私には未だわからない。全てが終わった後も、幾度も私は夜廻の村を訪ねたのだけれど、あの精霊たちは私の前に姿を現すことは無かったのだった。


  ∵


  私は部屋に戻ると、宿の奥方が用意して待ってくれていた遅い朝食を取り、部屋へ戻った。部屋の隅には大きな木切れが幾つも置いてあり、模様の刻み方一つ思い出せずに放り投げた跡が残っている。

 私はポケットに入れて祭壇跡から持ち出したあの木彫りの割れた偶像を取り出し、合わせて机の上にそっと置いて、ベッドの上へ転がった。そうするとちょうど、枕元に置いて、毎日欠かさず灯をともしていたあの拙い作りの絵灯籠が目に入り、また涙が流れた。

  また少し泣いてから、私は疲れきった子供のように、夢も見ない深い眠りについた。

 

  目を覚ますと、陽は傾こうとしていた。部屋の中は半ば薄暗く、半ば橙色に照らされて、燃えるような色をしていた。

  ベッドのそばにはいつの間に入ったのか、ハジがつまらなさそうに腰掛けて、割れた像をジロジロと眺めて、くっ付けたり離したりして弄んでいた。

  そうしてふと私の身動ぎする気配に、目覚めたことに気がついたらしい。こちらの方を振り返って、

「センリ」

 と私を呼んだ。

  それが自分のことだと一瞬気がつくことが出来ず、私はしばらく黙り込んでハジの顔を眺めていたが、やがて自分がつい昨日の夜半までは己をセンリであると思い込み、そう名乗っていたことを思い出して、ゆるりと苦笑した。

「私は、センリじゃないんだ」

「なにそれ、どういうこと?」

「センリというのは、私の大切な人の名前だったんだ。ずっと、わからなくなっていた。私の名前は、カイと言うんだ」

「話し方も、なんだか今までと違うみたい」

「ああ、今まではずっと、その人の真似をしていたんだ。私は自分をその人だと思い込んでいて、その人と同じように生きようとしていた。馬鹿みたような話だ。」

「ふうん」

  わかったような、わからないような顔をして、ハジは興薄げに頷いた。

「じゃあカイは、そのセンリって人にあそこで会ったんだね」

「……そうだな、センリの姿をした、私の望みに出会った」

  すいと表情を消して、私はベッドから身を起こした。ハジはじっと私を見つめていた。


  それから私たちは、ぽつりぽつりと話をした。

 あの暗い坂道で何と出会ったのか。何を見たのか。何を思ったのか。

 ハジは家を出る際、ヒィカのことも誘おうとしたらしかったが、彼女もまた自室で眠っているとだけ言われて、気難しげな彼女の祖父に追い払われ、仕方なしに一人で私の元へ来たということだった。

「あとで行くって言ったのに、あんたまで寝てるんだから」

  そう言って私を詰ったハジに、私は微笑んで謝った。この少年の明るさに、ほんの少し救われるような心地がしていた。

「おれはヒィカねえちゃんに、悪いことをしたと思う」

 ハジは俯いて、顔を顰めて言った。

「ヒィカねえちゃんは、あれについて行こうとしたんだ。きっとずっと、そうしたかったんだ。

 ずっとずっと、苦しそうだった。家のことも、狩りの仕事のことも、村の他の子のことも、ずっと逃げたかったんだと思う。だからエシの姿をして、エシの声で助けてって言われて、きっとヒィカねえちゃんは安心したんだ。一緒に逃げて行けると、きっとそう思ったんだ。

 けどおれは、そのためにヒィカねえちゃんがいなくなるのは、嫌だった。あれはエシの形をしていても、エシではなかったし、そのためにヒィカねえちゃんが連れて行かれるのは、違うと思ったんだ。

 どうしたらよかったんだろう。おれはどうしたら、よかったんだろう。

 エシの格好をしてたのに。おれのせいで傷ついて、おれが助けられなかった友達の外見をしてたのに、おれはエシに銃を向けたんだ。ずっと逃げたくて苦しかったのに、ヒィカねえちゃんのことも、おれが嫌だからってそれだけの理由で、無理やり止めたんだ。

 ぜんぶ、ただのおれのわがままなんだ」

「……私だって、同じだ。私のために死んでしまった、私の取るに足らない感情のために死を選んでしまった大切な人を、私はもう一度拒んだんだ。

 けれど私はそれを、間違いであったとは思わない。いつか右に曲がり損ねてしまった道を思って、いつまでも右に向かう道ばかりを選んでいたら、同じ場所を回り続けるばかりでしかない。それこそ居なくなってしまった人に、申し訳が立たないと思うよ。

 わがままだって、いいんじゃないのか。本当に心から他人のために動くことの出来る者など、そうは居ない。私が死んだ人に会おうとしたのだって、私が会いたいと思ったからだ。私がそれを拒んだのも、私が許せないと考えたからなんだ」

 救いたかった、けれど救えなかった。共に居たいと望んだ、自らのせいでそれを手放すことになった。

 後悔はどこまでも尽きず、決して消えることは無いのだろう。小さな声で絞り出すように、故郷のことやセンリの話をする度、それらへの想いを語る度に、私は強く締め付けられるように胸のあたりがひどく痛むのを感じた。

 それはおそらく、エシやヒィカの事を語るハジも同じなのだろう。けれども目の前にいるこの少年の鳶色の瞳は、至極静かな色をしてじっと私から目を逸らすこともなく、私よりもはるかに強いのだと思った。


 冬至の近づく空はすぐに陽が落ち、気づけばもうとうに辺りは夜闇に沈んで、家々に灯がともっているのが窓からわかった。

「帰らなきゃ。かあさんに怒られる」

 散々痛みを伴う話をしていた事が、まるで嘘のようにあっけらかんと言って、ハジは腰掛けていたベッドからひょいと飛び降りた。

「カイは、どうするの? もう冬至の祭りを見る必要は、ないんじゃないの?」

  問われて、ようやく私は自分がなぜ村にとどまろうと思っていたのかを思い出した。確かにもう私に、これ以上夜廻の村の伝承を追う理由はなくなっていた。

  私は部屋の隅に目をやり、木切れの山を見て微笑んだ。

「ああ、……そうだな、もう少し居ようと思うよ。冬至の祭りに灯籠を作ると、ここの奥方と約束をしたから」

「でも、彫り方わからないんでしょ?」

「なんとかするさ」

「そっか」

 ハジは納得したように頷いた。

「カイの灯籠、楽しみにしてる」

  言って、ハジが部屋を出ていくのを、私はぼんやりと見送った。ヒィカはどうしているだろうと考えた。

  階下からは奥方が夕飯を告げる声が聞こえていた。


 ∵

 

 夜廻の村にも、工芸を行う職人のような仕事をする者はいる。私はそうした職人に教わって、拙いながらも灯籠を彫り進めることにした。

  村の職人を紹介して欲しいと頼んだ時は、宿の奥方に

「あら、灯籠の街の職人の家の出じゃあなかったの?」

 などと、奇妙な顔をされてしまったが、村中の人々に聞かれる度、あの祭壇跡での出来事を吹聴して回る気にもなれなかった私は、

「実は学にかまけて、彫り物の方はさっぱりだったのです」

 などと言って誤魔化した。

 今更名前を訂正するわけにも行かなかったので、ほとんどの人は私をセンリと呼んだままであった。

 呼ばれる度、私は顔から火が出そうな程に恥ずかしくてたまらなくなったが、そうやって呼ばれること自体が私への戒めのようにも思えて、そう嫌なものでもなかった。

 夜の仔の探索を一段落させたということで、いよいよすることのなくなった私は、職人に彫り物を教わる他は、どうせ暇ならと村の人々に駆り出され、広場の雪かきやら夜廻の道の整備やらの雑用も手伝うこととなった。

「それが宿代の代わりってことでいいですよ」

 そう言って奥方などは笑っていた。いわば、これまで私が「センリ」として愛想よく振舞ってきた分のつけが回ってきたわけだが、私は大人しくそれに従った。

 ただ、明白に意識して愛想を振りまくことをやめたせいか、中には私の雰囲気が変わったと感じる者も少なくはないようであった。

 特に子供たちは顕著で、以前ほどに構ってはやらなくなったのを敏感に感じ取り、ほとんどの子は前ほどに私に懐いてきてはくれなくなった。

 元来がそれほど社交的な質ではない私は、それを少しも惜しいとは思わなかったが、ハジは私を避けるようになった子供たちを見て、至極つまらなさそうにしていた。


 私はヒィカを幾度か訪ねてみはしたのだが、彼女は一向私の訪問に応じてはくれなかった。

 大体は彼女の祖父が出てきて、ぶっきらぼうに不在を告げるか、忙しいからあとにしてくれと追い返されるばかりであった。

 ハジも同じく避けられているようで、

「嫌われたのかな」

 と言って悲しそうな顔をしていた。

 しかしその様は、なにか明確に怒りの根拠となるものがあると言うよりは、どこへぶつければ良いか分からない、あてどのない感情の発露としての、一種八つ当たりのようなものにも見えたので、私はただ黙ってそれを眺めるに徹する事を決めた。

 ただ証のない焦燥感に駆られていただけの、夜の仔を探していた日々とは打って変わって、日は飛ぶように過ぎていき、冬至の祭りは思っていたよりもずっと早くに、私たちに近づくようであった。


 祭りの前日になって、私の拙い灯籠飾りはようやく完成した。

 作り方を師事した親方に言わせれば、素人にしては上出来と言った程度でしかない作りではあったが、折角旅の人が作ったものということで、冬の女神を迎える飾りの一つとして、ほかのものと一緒に並べられるくらいの扱いはしてもらえるようであった。

 手探りな上駆け足で仕上げたもので、素人目にもろくな出来ではなかったし、大して観察したこともないとはいえ、故郷でセンリたちが作っていたものと比べては雲泥の差である。それでも、土産物屋で売っていたようなあの絵灯籠と比べればよほど上出来で、私は少し満足した気持ちでそれを眺めた。

 宿の奥方は当たり障りのない言葉でひとくさり私の処女作を褒めたあと、前夜祭とも言える宴会に私も参加してはどうかと誘った。前夜祭といえば大仰であるが、冬の女神の復活を祝うという名目の、要するにただ飲み食いするだけの馬鹿騒ぎである。

 良くない輩とつるんだことはあれど、大勢と騒ぐという行事自体、参加したこともほとんどなく苦手であった私は、曖昧に微笑んでそれを辞退した。根底がよそ者である私が入るのも悪かろうと思ったのもあった。

 しかし、それ以上に私には、まだやるべき事が残されていた。

 私は祭りの前夜に浮かれる村を抜けて、ヒィカの家へ向かった。狩人たちは祭りが近くなると、狩場である森ですら殺生を禁じられる。する事のなくなった狩人は皆、前夜祭の宴に真っ先に招かれるのだ。

 しかし周囲に近い年頃の子も居ないヒィカは、いつも一人家に残り、病床の母と静かに過ごすのだと聞いていた。彼女の家ばかり、祭り前夜の浮ついた空気からは隔離された、寂しい場所にあるようにも思えた。

 戸を叩き、名を告げてもしばらく返事はなかった。私が尋ねてきたということ自体、おそらく彼女にとっては疎ましいことなのだろう。

 しかしそれでも粘り強く叩き続けると、中の方で

「ヒィカ、お客様みたい」

 と細い声が聞こえ、それにためらいがちに答えるヒィカの声が聞こえた。

 渋々といった様子で戸が開き、ヒィカが顔を出した。

「何か御用ですか」

 声は至極冷たいものであったが、その言葉を追いかけるように家の中からは、また先程聞こえた細い声が、

「お客様なら、お招きしないとだめでしょう?」

 と軽い叱責の声が聞こえて、ヒィカが困ったように眉を寄せたのがわかった。

 一つ息を吐くと、ヒィカは身体を少し避けて、私を通す道を作った。

「ここで立ち話もなんですから、中へどうぞ」

 思えば私が彼女の家へ立ち入ったのは、本当にそれが初めてのことであった。

 森への探索はいつも、彼女の方から私を尋ねることの方が多かったし、私から訪ねてもすぐ探索へ立ってしまうので、中まで招かれることは無かったのだ。

 家の中は至極質素にまとめられていて、年頃の少女も居るはずの家にしては、飾り気の少ない内装であった。玄関を開けてすぐ見えるか見えないかくらいの位置に寝台があり、そこに女性が横たわったいて、それがヒィカの母親なのだろうと知れた。

 寝台のすぐ横には、あの洞穴で見つけた小さな松葉杖が、立てかけるように置かれてあった。

「あら、私貴方を知っているわ」

 まるでそれこそ少女のような口調で、ヒィカの母親が私を見るなり言った。

「ヒィカといつも、森へお出かけしていた人でしょう? 時々戸の方から、見えていたのよ」

「その節は、お世話になりました」

「あら、いいのよ。むしろこちらがお礼を言うべきだわ。森を案内するくらいで、あれほどお金なんてくれなくても良かったのよ」

 彼女は申し訳なさそうに眉根を寄せたが、すぐに少し微笑んだ。

「ヒィカ、お客様にはお茶をお出ししなきゃ」

「……わかった」

 ぶっきらぼうに行って、ヒィカは台所の方へ姿を消した。

 私は勧められるままに椅子に腰掛け、ヒィカの母親と相対する形になった。彼女はやせ細り、枕から頭を上げることさえしなかったが、それでもどこか子供のような無邪気さを感じ取れるように、楽しげな表情であった。

「知っているわ。エシの松葉杖を見つけてくださったの、貴方でしょう」

「いえ、そういうわけでは」

「あの子、足が悪いのよ。だからよかったわ。私と違って、杖があればお外へ出られるのだから、杖がなくては可哀想」

 その口調に、私はなんとなく覚えていた違和感の正体に気がついた。

 おそらく彼女には、痴呆の気があったのだろう。記憶の錯乱があるようで、まるでエシという少年がまだ家にいるかのように話を続けていた。

 彼女はまるで、内緒話をする子供のようにひそひそと私に囁いた。

「ヒィカはね、ほんとはもっと、元気で明るい子だったのよ。でも、エシの杖がなくなってから、ずっと悲しそうだったの。お姉さんだから、外に出られない弟のこと心配だったのね。

 でも変なのよ。杖が見つかったのに、まだヒィカは少し悲しそうなの。何故かしら」

 どう答えたら良いものかわからず、私は曖昧に微笑んだ。

「母さん、そんなにお話して、体は大丈夫なの」

「あら、今日はとっても気分がいいのよ」

 茶を運んできたヒィカは、静かな口調で言って私の前に湯のみを置いた。

「ありがとう」

「母の言いつけですから」

 冷たい口調であったが、私は構わず切り出した。

「明日は冬至の祭りだね」

「ええ、貴方は灯籠を彫っていたのではないのですか?」

「ああ、先程ようやく彫り上げたところだよ。拙い飾りで申し訳ない限りだが」

  問うた言葉は言外に早く帰れと告げていて、私は苦笑した。

「君は祭りの日はあまり外へ出ないと聞いた」

「……することもありませんから」

「ああ、それでだ、一つ頼みがある」

  怪訝そうにヒィカが私を見た。私はいささか大仰とも取れるくらいに、にこりと微笑んでみせた。

「もう一度あの、祭壇跡に行こうと思う。道中の案内と、獣避けを依頼したい」


  ∵


  ヒィカにどうしても嫌と言われてしまえば、私にはどうしようもなかったことだろう。けれども私の後押しをしたのは、すぐ近くに寝たきりで私たちの話を聞いていたヒィカの母親であった。

「あら、いいわね。おでかけね。折角のお祭りなんだから、ヒィカもお外へでなくてはだめよ。私なんか、出たくても出られやしないのだから」

  冗談めかしてそんなことを言われては、ヒィカも断ることは出来なかったのだろう。仕方なしと言った態度は表に出ていたが、最終的に頷いてはくれた。


  祭りの日の朝は少し雪がちらつき、怪しい模様の日和であった。私は小さな鞄にいくつか物を詰めて、広場の方へ向かった。

  道中、既に酔いの回っていると見える幾人かが集っていて、男衆が「良き冬の日に!」と声をかけてきた。広場も大勢人が集まり、村人たちが前々から作っていたと見える飾りやら、外から持ち込んだと見える、村の中ではなかなか見かけない馳走やらが並べられて、中央には櫓のようなものが組まれていた。

  見ると、人だかりの中にはハジの姿もあって、私を見かけるなり嬉しそうな顔をして駆け寄ってきた。

 その姿を見て、私は思わずドキリとした。ハジは初め会った時のように、付け角を付けて外套を着込み、カンテラのついた杖を握って小さな梟を連れて、夜の仔の格好をしていたのだ。

「良き冬の日に! カイ、灯籠見たぞ。ひっどい出来だな」

 急に動いたハジに驚いて羽ばたいた梟の紐を引いて、ハジはけらけらと笑いながらそんなことを言ってみせた。

「ええと、良き冬の日に。その格好は?」

 私が問うと、ハジは照れくさそうな顔になって自分の姿を見下ろした。

「そうか、知らないのか。冬至の祭りでは、その年で最後に夜廻の番を務めた子供が夜の仔の格好をして、祭りの真ん中に立つんだよ。それで最後に、あそこの櫓で飾りをまとめて、カンテラの火で燃やすんだよ。

 あんなことあった後で、こんなことしててもなんだか、変な気分だけどな」

 言ってから、ハジは私が荷物を持っていることに気がついたらしい。不安な顔をして、

「どっか行くの?」

 と尋ねた。

「ああ、少しね。やることがあって」

「なんだ、祭り見ないのか」

「夜までには戻ろうと思うよ」

「そう」

 ハジは訳知り顔で頷いた。

「ちゃんと帰ってきてね」

 そうしてそのままふいと向こうを向いて、誰か友達でも見つけたのか、声を上げながら駆けて行ってしまった。


 ヒィカは広場の出口の方で、人だかりから離れてぽつねんと立ち尽くしていた。

 以前であればその姿は寂しげと見えたかもしれなかったが、どちらかと言えば彼女のその時の表情は、ひどく苛立たしげなものに見えた。

 私が声をかけると、やはりヒィカは能面のような無表情で、「遅いです」と文句を言って、銃の紐を握り直した。


 幾度目かも知れない彼女との道行は、静かなものだった。

 ヒィカの中で、あの洞穴での出来事は未だ整理のつかない事象であるに違いなかった。ともすれば、一人でまたあそこへ向かって、エシと同じ道を辿ろうとするやもしれない。

 それをとどまらせる資格が私にあるとは到底思えなかったが、かつての私を想起させる混迷の中にあるヒィカを、ただ放っておくわけには行かなかった。

 森をわけ入り祭りの喧騒から遠ざかると、私はどこか寂しい心地がした。

 それはおそらく初めてのことであったろう。それまで祭りというものは得てして、私に良い感情を抱かせるものではなかったのだ。

 ヒィカは振り返ることもなく足早に歩いて、むしろその祭りの気配から逃げようとしているようにも見えた。人々の浮かれ騒ぐ姿は、たしかにあの洞穴の出来事を経過した私たちにとってはどこか、違和感を禁じ得ないものではあったろう。

 雪はやはり、激しく吹雪くでもなく止むでもなく、ちらちらと舞い踊るように辺りを漂っていた。

 ユジの小屋のある辺りを通り過ぎ、夜廻の道の横を抜け、さくさくと下草を踏み分ける音を聞きながら、私たちは歩いた。

 やがて開けた見覚えのある広場に出ると、ヒィカは

「着きましたよ」

 と幾分投げやりな口調で言った。

「洞穴の中までついてきてくれないか」

 私がそう言うと、諦めたように息をつくと、ヒィカは率先して中へ降りていった。

 中の様子は、以前に来た時と少しも変わりはしなかった。獣もあるだろうに、ハジの残していった毛布や何やらも多少砂埃を被っている程度でしかない。それともそれこそが、奇跡が起きるというこの地の神秘の一つであったのだろうか。

 ヒィカが問うように私を見つめるのを傍目に、私は鞄から小さな像を取り出した。

「それは?」

「ここに、像が置いてあったんだよ。けれどハジが梟を撃ってしまって、砕けてしまった。……そのかわりとして、私が彫ったんだよ。あまり良い出来ではないけれど」

 小さな像を彫るのは実際、灯籠よりも余程苦心した。

 私はその像には人の名は彫らないでおいた。あの闇に溶けて行ってしまったものはもはやエシという少年でも、ヨキという名前のかつていたであろう誰かでもない。名を以てして縛り付けるのは不憫に思えたのだ。

 私はその像を奥のくぼみのほうへ納め、しばらく待ってみた。けれど薄暗がりは少しも揺らがず、沈黙は沈黙のままであり、精霊の姿はどこにもないようであった。

「……それだけ、やりにきたんですか?」

「ああ、それからもう一つ」

 促されて、私はもう一度鞄の中を見た。そこには故郷を出てあの洞穴から帰るまで一夜として欠かさず灯し続けてきた、あの絵灯籠があった。

 私はそれを、ハジが焚き火をしていた跡のほうへ置いて、火をつけた。

 木と紙でできたちゃちな灯籠はよく燃えて、黒い人影と赤い炎の絵が見る見るうちに火に巻かれ、しぼむようにして黒くなっていった。

「それ、貴方が馬鹿みたいに大切にしていたものでしょう」

「……本当は、もっと早くに燃やさなければならなかったんだ」

 じっと、暗く淀んだ執着が形をなくしていくのから目を離さず、私はまるで独り言のように言った。

「私の故郷の街には、墓というものがない。遺灰は海へ流してしまうから、私たちは祈る寄る辺がなく、悲しみを弔う術がない。だから灯籠の街の灯籠は、生者の想いを弔うものなんだ。一度弔った火をいつまでも持ち続けては、その想いに囚われてしまう」

「吹っ切れたとでも言うのですか」

「いいや、少しも吹っ切れてはいないさ。今でも苦しくてたまらない。後悔は尽きない。けれど、燃やさなくてはいけないんだ」

  炎を見つめると、まるであのセンリを亡くした火を思い出すようで、私の背には嫌な汗が流れたが、私は目を逸らさなかった。逸らしてはいけないと、思った。

  見ているうちに炎の勢いはだんだんと小さくなり、やがて後には黒い焦げた、元の判別もつかない残骸が残るばかりであった。

「あの時の話をしたいと思って、ここへ来た」

 のろのろと顔を上げて私がヒィカを見ると、わかっていたと言うような顔で、ヒィカは疲れたように近くの階段へ腰を下ろした。


 ヒィカはずっと、息苦しそうな口調で話をしていた。

 村や大人たちへの感情を口にする時、夜の仔に抱いた想いを説明しようとする時、ヒィカは言葉という物を操ることが初めての幼子のように、自分の中にあるどろどろとした形をなさないものを、どう表現したものか悩んでいるようであった。

 私の話を聞いている時もそれは変わらないようで、あの暗闇から帰ったばかりの時のように、強く唇を噛み締めていた。

「私、貴方とハジのこと、許せないと思います」

 ヒィカは胸につかえたものを一つ一つ数えるように、たどたどしい話し方をした。

「あの時たしかに、私、救われると思ったのです。ようやっと自由になれるのだと、そう思ったのです。

 ハジが私を思って、それで銃を撃ったのはわかります。けれどどうしたって、忘れることなんか出来ない。あの子のせいでエシはいなくなったのだし、あの子のために私は、また村に留まらなくてはならない。

 貴方だってそう。貴方がわざわざあんな場所、作り出したって言うのでしょう? それで私は夢を見てしまったのに。弟にまた会うことを、期待してしまったのに。貴方が自分でそれを拒んだりするから、私エシに会うことは出来なかった。貴方はなくした人に会ったのに。

 今度こそ私、あの子に姉として何か出来ると思ったのです。自己満足だってことはわかっています。けれど今度こそって、そう思ったんです。

 ああ、ああ、お恨み申し上げます」

 恨むという言葉とは裏腹に、ヒィカは自分を責め立てているようにも見えた。

 一つ一つ言葉にして口から吐き出すことで、ヒィカは自分の抱えたものを整理しているようだった。

 両手で顔を覆い、ヒィカはぼろぼろと涙を流した。それを見て私は、そういえばこれまで彼女が一度として、あの日の洞穴での会話でさえ、涙をこぼしたところを見たことがなかったことに気がついた。

「私、どうしたらよかったんでしょうか? どうやって、生きていけばいいんでしょうか?」

 その言葉は、奇しくもハジが私に問うたそれと同じものであった。

 けれども私はやはり、その問いに対する正しい答えを持ち合わせなかった。

「申し訳ないけれど、私は君が欲しいと思う、明白な道しるべを示すことはできない。私にはそれを示せる資格なんて、ありはしない」

 私はゆっくりと、言葉を確かめるように言った。

「けれど、恨みたければ恨んでくれて構わない。まだそれでもあの闇に溶けてしまいたいと、心から思うのならば、私には君を止めることなんて出来はしないよ。

 私も、ハジも、君も、結局のところは自分のためにここまで来てしまったんだ。死者は物を思わない。後悔するのは、生きて残るものばかりだ」

「……貴方は、どうするのですか」

「私は」

 私は少し考える素振りをしたが、実際既に心は決まっていたのだった。

「私は、一度故郷に帰ろうと思うよ。やり残してしまったことは幾つもある。

 けれどすべて終わったら、またこの村へ返ってこようと思うよ。けして忘れないと、あの暗闇にそう約束したのだから」


 ∵


 しばらく待って、ヒィカが少し落ち着いてから、私たちはまたもときた道を帰っていった。来た時と同じく静かな道行ではあったが、しかし今度の沈黙は少なくとも私にとっては心地よいものであった。

 ヒィカがどう思ったのか、何を考えたのか、私にはわからない。彼女の中で出たかも分からない答えを、私はあえて尋ねようとは思わなかった。

 許せなくとも、構わないと思う。いくつもの相反する感情を身の内に抱え込んで、それでも生きていくことさえできれば、それで構わないのだと、私は思う。

 雪は変わらず舞い踊るように辺りを漂い、森は静寂に満ちていた。日は落ちようとしていて、だんだんと暗闇が迫りつつある。

 夜が、来ようとしていた。

 あの洞穴のある広場を抜けようとした時、私はふと何の気なしに上を仰いだ。空の模様を眺めるくらいのつもりであったが、私は自分の目を疑った。

 大きな上背のある、美しい白い女性が、身を屈めるようにして私たちを覗き込み、その外套で覆いかぶさって、微笑みかけているように見えたのだった。

 けれどもその姿は瞬きのうちに消えてしまい、ヒィカに声をかけるまでもなく見えなくなってしまったので、あれは私の見たただの幻影に過ぎないのかもしれなかった。

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