表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/20

9. 【SS】三つ首竜は氷菓の夢を見るか?

ギース公エミリアン・デデュア。

リューゼを「ねじ伏せられ無理矢理大地に縛り付けられた竜が、なにかに苦しみ、それでも飛ぶべき空を求め、声なき咆哮を繰り返しているかに見える」と評したひとです。

本編ではまだ名前しか登場していません。これがデビューよ。

 目の前に置かれた玻璃の器を観て、リューゼは目を見張った。

 玻璃の器自体も珍しい高級品だが、それ以上に中に盛られていたものが珍しかったのである。

 目の前には自慢気に頷く、ギース公エミリアン・デデュアの顔がある。


「いかがですかな」

氷菓(シャーベット)か」


 リューゼの口元が上がった。


「左様。ジマラ山の万年雪を運ばせました。バラとスミレの蜂蜜、それに香り付けにシトロンの果汁を砂糖で煮詰めたものを掛けてありますが、お口直しにいかがですかな」


 そう言って、スプーンを手に取るとひと匙すくって口に運んでみせた。


「美味。ささ、おふたりとも、溶けぬうちに召し上がれ」


 ギース公は盛んに進める。



 ブイヨンスープに雉のロースト、メルルーサのフライ、白いパンに果実といった贅沢な夕餉の最後に出されたのがこの一品である。


 この時代、甘味は庶民には手の出ない大変な贅沢品であった。長きに渡る気候の変動で農作物の不作が続き、庶民は日々の食事さえ欠くこともあるという時勢だ。比較的豊かなギース公の領地ではあるが、氷菓は珍しいものに違いない。

 食卓の主催であるギース公が自慢気な顔で進めるのも納得がいった。


 万年雪を被るジマラ山は公の領地内とはいえ、公の居城であるメルシェ城からは遠い。彼らの来訪に合わせ運ばせたとしても、内陸の山岳地帯から海沿いの温暖なカルヌース地方のメルシェまで溶けぬように運搬出来るのは、困難を可能にする知恵と技術、それらを担う人力があればこそ、である。

 第一ジマラ山から切り出した時は巨大な塊だったと思われる万年雪も、ここに届けられるころには、手のひらに乗るほどの大きさに溶けていることだろう。それを見越して相当量の万年雪を運ばせたのだろうか。


 冷夏とはいえ、季節は夏。城の地下の氷室で保存していたとしても、強力な冷却装置があるわけでなし、気温の上昇が激しければ気化や液状化は免れない。万年雪の氷菓は大変な貴重品であり、途轍もない贅沢品であった。

 だからリューゼは目を輝かせ、器の中の氷菓に見入っていたのである。



 すると隣席にいたセオリエが軽く頭を下げ、シャーベットを一口含む。彼がうなずくのを確認してから、公子はスプーンに手を延ばした。


「相変わらず、慎重ですなぁ」

「申し訳ございません。ですが、いつ何処に闇公の手の者が潜んでいるとも限りませんので、用心に用心を重ねませんと」


 セオリエが再び頭を下げた。


「ははは。それでこそ、三つ首竜の王の第一の家臣、セオリエ・ル・ムーアでしょうな」


 ギース公がニヤリと笑う。


「公よ。賛辞は嬉しいのだが、私はまだ流浪の身なのでそれ以上は」


 もちろん、セオリエへの言葉が不快なわけではない。むしろ自分への称揚より忠実で献身的な乳兄弟を賛嘆された方が彼は嬉しい。

 問題なのは、ギース公は機嫌が良くなると必要以上にお気に入り――今の場合はリューゼということになるが――をおだて上げるという、困った癖があるという事だ。戯れ言と聞き流せばいいのだが、あいにくとこの問題は彼の心の傷に引っかかった。


「なにをおっしゃるか。あなたは創始の竜の血筋。正統と、大地女神カヤトが認めた『三つ首竜の紋章の王』ではありませんか。グウィデオン神殿の祭司長のご神託が……」

「ギース公。誰がなんと言おうと、闇公を倒さねば、私はロサの王ではない」


 リューゼが静かな激情を滲ませ、そう言い切った。

 公子の倨傲な口調にセオリエが気を揉んでいたが、目の前のギース公は平然として二口目の氷菓を口に運んでいた。



 リューゼの支援者であり、反闇公同盟の盟主。ロングラム、ファンテーヌ、カルヌースと他国が羨む豊かな領地を抱えるギース公は、珍しいものや新しい物が大好きで進歩的な考え方の持ち主と知られる。同時に大地女神に対する信仰心も厚く、カヤトを奉るグウィデオン神殿の祭司長とは(よしみ)を交わしていた。

 ギース公は祭司長と同調して、闇公バックの討伐を目論んでいたのである。


 カヤト女神の威信を掛けて神託の実効を推し進めたい祭司長と、己が領地の安泰と平安、覇権の拡大を求めて対抗勢力の一掃を図りたい彼の計図は一致していたといえよう。


 この世界に混乱をもたらす闇神ゼインの手先の駆逐。その切り札の1枚が、ロサ王家の生き残りであるリューゼ・リ・アビナなのだ。


 一方、王位継承権があるとはいえ領地も兵も持たぬ身であるアビナ家の公子にしてみれば、このふたりの支持と後押しがなければただの浪人でしかない。対等もしくはそれ以上の地位を得るまでは、祭司長とギース公の庇護はどうしても確保しておきたいものでもあるのだが、かといって使い勝手の良い手駒のひとつに成り下がるつもりは毛頭無かった。


 ならばリューゼとギース公の関係が欲得を絡めた打算的なものだけなのかと言えば、これがそうでもない。意外と気が合うのか、年齢の離れた兄弟のようなところもあった。

 その証拠にリューゼ達は旅の途中に何度もメルシェ城へ立ち寄っているし、その都度この気前の良い領主は手放しで彼らを歓迎してくれる。





「それで、氷菓はお口に合いましたかな?」

「ええ。口の中で氷が溶けると同時に蜂蜜の甘さと果実の香りが拡がるのが、癖になりそうな甘味かと」

「おお、公子殿もそうお思いか!」


 我が意を得たり、とばかりにギース公が相好を崩す。


「本日はシトロンのシロップでしたが、これを木イチゴやイチジクのシロップにしても美味でしてな」

「味変ですか」


 リューゼの言葉に、ギース公が目をパチクリとさせた。


「ああ、失礼。俗語です。味を変えるという意味で使われるのですよ」

「それは! 学ばせていただきました。その様に言うのが、今様なのですな」


 新しい知識に、ギース公はうなずく。


「正確には、料理を食している途中で調味料などを加えて風味に変化を付けるという楽しみ方のことを指すようですが、最近は食べ慣れた味に変化を付けて自分好みの味に変えるという意味も含まれるようですよ」

「なるほど。庶民もなかなか考えるものですなぁ」


 ギース公の感心は深まるのだが、そんなことを出来るのも大都市に住む比較的裕福な市民たちであって、下層に行けば行くほど食生活は貧しくなる。調味料を調達することが叶わず、食材をドロドロに煮込んだだけの一椀を胃に流し込み、なんとか腹を満たすだけの人々の方が大多数だ。彼等には余裕など無かった。

 旅の空の下では、リューゼ達とて携帯する簡易食が底をつけば、食料の調達が出来ず空腹に悩まされることもあるのだ。


「それもこれも、やはり闇公の支配が天候不順を増長し農作物の……」


 再び話が元に戻りそうな気配を感じ、リューゼの眉間にしわが刻まれるのを盗み見たセオリエが急ぎ話をすり替えようとする。


「ギース公はどの(シロップ)が一番お口に合われたのでしょうか?」


 わざわざ万年雪を取り寄せて食卓に出すほどである。氷菓を嫌いなはずはないだろうし、凝り性の公がいろいろな味を試してみないはずもないと踏んだセオリエの好判断であった。

 助かったとばかりに、リューゼの瑠璃色の瞳が乳兄弟の方へと動く。


「そうですな。夏は酸味のあるシトロンのシロップでしょうか。たっぷりの蜂蜜は欠かせませんが」

「そうですね」


 だから今宵はシトロン味の氷菓を出したのだろうと、リューゼとセオリエはうなずく。


「ですが、妻はベリー味を好みましてな。いつもは私の意見に反論することなどないグェンフィファルがこれに限っては…………」


 グェンフィファルというのは、ギース公の奥方の名前である。ファルシ公国から嫁いできたひとで、現ファルシ公の娘に当たる。


 愛らしい名前から想像するに可憐な女性のようだが、父親似のがっしりとした体つきや容貌は、残念ながら佳麗という言葉からは遠かった。政務に口を挟む事は慎んでいるが、だからといって大人しいというわけでもない。ここメルシェの宮廷を仕切っているのは、この夫人だ。

 領地内に災いを運んできそうなこの主従に対する視線は辛辣で、食事の主催者の妻だというのに同席していない。挨拶だけして、さっさと退席してしまった。


「娘たちも妻に同調して、私の意見を蹴飛ばすのですよ。更に長男のセリアは林檎の甘煮の方が良いと言いますし次男のスタニスラスは…………――」

「まあ、嗜好というものはそれぞれですから」


 セオリエがなだめに入ったが、父親の愚痴は当分止まりそうもなかった。


 ソル大陸有数の大領主の彼でも、家族間の問題は簡単に解決できそうにないらしい。幼いときに家族を失ったリューゼには、少々理解しがたい問題でもある。

 それにこの後の話の流れは、容易に想像が出来る。


 きっとまた……。


「……で、3番目の娘のグェンフィファルなのですが……」


 きた! シャーベットを口に運ぼうとしていたリューゼの手が止まった。


 ややこしい話であるが、ギース公の3番目の娘は母親と同じグェンフィファルという。


「我が娘ながら、笑顔が愛らしいのです。公子殿、是非顔を見ていきませんかな?」

「しかし、奥方がお許しにはなりませんでしょう」


 笑顔で切り返したが、ギース公から姫を妻にしないかと以前から是非を問われていた。ギース公の娘婿となれば、反闇公同盟内での彼の立場も強固なものになる。

 が――。


「ギース公。確か3番目の姫君は、三ヶ月(みつき)前にご誕生になったばかりでは?」

「いやいや。もう四カ月(よつき)となりましたぞ!」


 要するに、まだ赤子である。24歳の独身男性(リューゼ)からすれば、違いなど全くわからない。14歳のエリオン公女マーミリージュでさえ彼からすれば子供(ガキ)で手を焼いているのに、生まれたばかりの赤子となると許容できる範疇を超えているのだった。


「長女と次女はすでに嫁ぎ先が決まっておりますが、この姫はまだ約束がありません。しかも親のよく目を抜いても、この姫が我が家で一番の器量よし。将来は美人になること、間違いないでしょう!」


 ドンと胸を張られても、答えに窮するばかりである。話に上った3歳の次女姫は最近嫁ぎ先が決まったのだが、話が成立する以前に同じような打診を持ちかけられたことがあった。

 良家の子女の婚期は早い。しかも自分より格上の身分の家にしか嫁げないとなると、親としては()()()()も致し方ないのであろうか。


「なに、あと15年もすれば美姫に成長致しましょうぞ。それまでは婚約ということで、ロサ王の(かたわら)にふさわしい妃教育を施しておきます故。もちろん持参金も、領地の中でも特に豊かなビルジュとダヌマルク、それに金貨10万マールでいかがですか」

「いや、ギース公……」


 即位はおろか、故国に足を踏み入れることが出来るかどうかもわからぬうちのこの申し出は、将来を見越しての先買いにしても走りすぎだ。見込まれたリューゼの方が落ち着かなくなってくる。


 なによりもロサの王座奪還は、ギース公の娘婿ではなく、アビナ家の公子として『三つ首竜の紋章』を高く掲げるのが望みなのだ。


「では、ボージュースの城も付けて」


 加えて、次女の時より気前が良くなっている。

 リューゼは椅子から腰を浮かしかけた。このままでは口約束とはいえ、婚約が成立しかねない勢いだ。


「大変嬉しいお申し出ではございますが、主人(あるじ)はまだこれから大事を成し遂げねばならぬ身なのです。姫君もまだ幼いことですし、そのお話はまた時が来ましたら……」


 尽かさずセオリエが助け舟を出したが、ギース公は不満顔である。

 間に挟まれた公子は、軽く咳払いをしてこう続けた。


「公よ。幼き姫君の未来が明るいものであるよう、我らはなんとしても早急に闇を追い払わねばなりませんね」


 了承とも不承とも取れる返事だったが、ギース公は納得したらしい。


「おお。公子殿、そのとおりです」


 このあと話題は、マルク河畔の都市デリヨンにおける不審な騒ぎに対する疑問に移っていった。





 玻璃の器の中の氷菓は、知らぬ間に形を崩し始めていた。溶け出た水分が氷を溶かし、シロップや蜂蜜の甘味を薄めていく。



 氷菓はリューゼの好物だった。その昔、ロサの王都アスコーの宮廷で馳走にあずかったことがある。

 あれは暑い夏で、飛竜に運ばせたバルテュス山脈の頂の氷河を削ったものに、果実の甘露煮が添えられシロップもたっぷりとかけられていた。


 口の中が凍るような冷たさと、蕩ける甘さは一瞬にして彼の心を虜にした。味もさることながら、透き通った氷が夏の光を受けてキラキラときらめくのも興味深かった。

 貴重なものだからと乳母から教えられ、ひと匙ひと匙大切に味わって口に含んだ記憶が残っている。


 まだ彼が幼く、世界は平穏で、ロサ王国は美しい女王の下で輝いていた。

 王都の空には、優雅に舞い飛ぶ大小の竜達。


 氷菓は、幸せであった頃の思い出に繋がっている。



 リューゼはまだ溶けていない万年雪をスプーンですくい上げると、一口頬張った。たっぷりのシロップと蜂蜜で味付けられているにもかかわらず、どこか苦い味がした。






   挿絵(By みてみん)


この連載のタイトルは意味がありません――でしたが、「シャーベット」で無理矢理お話を作ってみました。なのに、5000文字越え。なぜだろ~。


「氷菓」、シャーベットです。この時代のシャーベットですから、今のそれとはちょっと違います。氷を刃物で削った削り氷にシロップや蜂蜜をかけたものです。『枕草子』の「あてなるもの(上品、高貴なるもの)」と云う段に出てくる古代の甘味「あまづら」を参考にしていますが、千夜一夜物語にもシャーベットが出てきます。っていうか、元々シャーベットって、アラビアのものらしい。

ただし、語源となったアラビア語のシャリバは「飲み物」と云う意味。シャーベットの原型であるシャルバートは、果実から作った酢蜜などに氷や雪を入れて冷やした飲み物……だとか。


作中では男衆3人がスプーンを使ってシャーベットを食していますが、中世の食事のお作法はもっと「ワイルドだぜ!」でして、おそらくデザートスプーンなんてお上品なモノはなかったと思います。異世界ファンタジーとはいえ、一応「中世ヨーロッパ風」なので小道具等もそれらしい設定にしていますが、ここは演出上どうしてもスプーンで一口いってもらいたかったので、あえて登場させました。

確信犯なので。(←三○谷寬治ゼネラル・エグゼクティブ・プレミアムディレクター風に)


余談ですが、作中に出てきたブイヨンスープだとか雉のローストとかメルルーサのフライは、実際に中世の上流階級の食卓には上っていたようです。小麦から作る白いパンは大変高価で、領主や貴族しか食べられなかったとか。パン屋さんに行けばパンを買える今の時代って、とっても幸せなんですね~。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 新しいリューゼ達の物語にワクワクしながら読ませて頂きました! 本編では登場しないギース公の登場も嬉しかった! そして、ギース公の奥方を見てみたい!!笑 中々面白いキャラクターの方の様です…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ