表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

青春ロボット

作者: さかなで

充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。


       アーサー・C・クラーク

病室の誕生日



塚田春男は16歳になった。その日が命日になった。


重い心臓疾患を患っていた。医者は10歳まで生きられればいいと、家族に言っていたのを盗み聞きもしていた。自分でも、頑張った方じゃない?だからとくべつ辛くも悲しくもなかったが、16年とは言え、生きてきたすべてのことが無になってしまうのは残念だった。


もっとも、何かをし残した、というわけでも、心残りがあるわけでもないので、そういう意味での残念ではなく、あの時は素直になれなくて、とかありがとうが言えなくて、程度のものだが。


家族のみんなには本当に世話になった。14歳の妹、亜理紗は入院してから毎日来てくれた。手作りのドライフラワーやぬいぐるみなど、病室はほとんどファンシーショップのようになっている。

母は、僕が入院するまでは皆が寝静まるのを待って、キッチンでひとり泣いていた。入院してからはずっと笑顔を絶やさず僕に接していた。


父の落胆は大きかった。発病してからというもの、世界中の権威ある医者を呼び寄せて僕を診せた。しかし僕の特殊な血液のせいで、移植はままならないことがわかり、父をさらに落胆させた。父は世界的にも有名な総合科学企業のCOEなのだ。どんな無理もきいた。だが僕の病気だけはどうにもならなかった。


最後の意識の中で、時計の音と心臓の鼓動が競争をしていたのがわかった。やがて鼓動が時計に置いて行かれる。亜理紗が僕の手をにぎっている。さようなら、たのしかったよ。


家族が見守ってくれている。そんな安心感の中に僕はいた。そしていつもの看護師さんとドクター。その後ろに見慣れない女の人が立っている。白衣を着ているからきっとドクターなんだ。僕はそのときそう思った。


「よろしいですね?」

「お願いする。春男にはまだまだ生きてもらって、やがて私のあとを継いでもらわなければならないのだ。今ここであきらめるわけにはいかない。あらゆる手段をとっても、だ」

「しかしこれは社会的倫理を歪めてしまう結果になります」

「で、あろうとも、個人の幸福に優先するものはない、と私は考える」

「あなた個人の、ですか?」

「春男の、に決まっているだろう」

「では処置を行います」



白黒のモザイクがかったものが見えた。やがて色がつきはじめ、それがデジタル映像のようなものだと気がついた。


「春男君、聞こえる?目をちょっと動かして。ピントが合うはずよ」


声の主は誰?周囲を見回そうとしたが、首が固定されているようだ。目だけで探したが、やがて全体に輪郭があらわれ、周囲の景色も見えるようになった。ただなんとなく全体に靄がかかっているように見えた。


「オーケイ。いいわ。あたしの声が聞こえる?」

「う、きこ、え、ます」


誰の声だろう?僕の声か?まったく他人の声のようだった。


「聴覚や発声もいいみたいね。声は練習すればもっとちゃんとなるわね」


自分に言い聞かせるようにその声の主は言った。ようやくなにか見えてきた。あの人は、あのとき病室に来ていた女の人ではないか?僕はどうなったんだ?死んだんじゃなかったのか?


それから僕はその姿勢のまま、幾日もそこにいた。人々が目まぐるしく動いていた。靄のようなものはどうやら透明なカーテンのようで、入ってくる人たちは皆真っ白な雨具みたいなものを着ていた。なんかで見たことがある。ここはきっと無菌室なのだ。


何度か父が来ていた。感慨深そうに僕を見ていたが、自信あふれるような父の姿を見て、僕は少し安心した。


最初は気がつかなかったが、僕は時間が来ると強制的に眠らされるようだった。眠った瞬間、物凄い量の信号が頭の中を走る気がした。そんな夢を見ながら。


「さあ、歩いてみようか。まずは立ち上がってみて」


軽快そうな医療服をきた男が僕に言った。僕は車椅子から立ち上がった。


「そうだ。感がいいな。歩いてごらん。そうだ。すごいな」


二、三歩はよろけたがすぐに真っ直ぐ歩けるようになった。考えなくてもいいように体が自然と覚えるようだ。


「シンクロの機能は充分なようですね」

「そうね。部分的な事例はあったけど、それをはるかに凌ぐわ。ふふ。オリンピックも夢じゃないわね」

「パラリンピックのほうでは?」

「勝負にならないわよ」


あの女の人が誰かとしゃべっているのが聞こえたが、僕は歩くのに夢中で、気にしていられなかった。自分で歩ける。それがどんなに素晴らしいことか。


ただ、なんとなく感覚が自分のものじゃない気がした。なにか、着ぐるみの中に入っているようなそんな違和感だ。どんな表情を僕はしているんだろう。気になって鏡を探したが、ここには一つもない。それどころか映りそうな金属もなく、すべての物がツヤをなくしている。窓もない。


人間は実際に自分の目で自分のことを半分も見れない。顔も頭も背中も、見れないところが多いのだ。僕は僕なのだろうか?少しずつ恐怖が湧いてきた。そんなころだった。


「おはよう、春男君。気分はどう?」

「あの、あなたは?」


ようやくその質問ができたと思った。今では声もちゃんと出せるし、目もハッキリと見える。


「あら。前にも自己紹介したんだけど、記憶が消えちゃったかな。あとで確認しなきゃ。そうね。それより自己紹介よね。こんにちは。わたしは一宮勢津子。工学博士です。お父さんの会社で働いてるの。今度のこのプロジェクトのリーダーよ。よろしくね」


「いちのみや、せつこ、さん。よろしくお願いします。塚田春男です。16歳、高校生です」

「はい、どうぞ。見たかったでしょ」


勢津子と名乗った工学博士は、鏡を渡してくれた。僕の顔があった。何一つ変わっていない、僕の顔だった。まあ、実際には僕の顔は反転した画像で僕の目に入っているので、実際肉眼で見れればちょっと違うと思うけど、いつも毎朝見飽きるぐらい見た僕の顔があった。よかった。まだ僕だ。


「これからはほとんどの時間を検査とリハビリに費やしてもらうけど、そうね、2か月ばかりかな。それが済めば元通りの生活に戻れるわ。ただし、今後の春男君の検査や体調管理もあるので、高校は悪いけど転校してもらわなけりゃならないんだけど」

「かまいません。とくに馴染んだ学校とまでは思えませんから」

「それを聞いて、おねえさん安心。ナーバスになったらどうしようかと。案外強いのね。それなら大丈夫かな?」

「え、何がですか?」

「あ、いいえ、それはまた今度ね」


気になることを言って、彼女は行ってしまった。何だろう、それならって?


彼女の言葉通り、それから検査とリハビリに毎日忙しくしていた。夜には決まって同じ時間に眠らされて、考える時間を与えられなかった。だが、ようやく体もしっかりと馴染んできた。ただ、物に触った感覚と痛みの感覚が少しおかしい。それを彼女に言ったら、調整すると言った。調整?


父と一宮勢津子がきた。検査もリハビリももう終わったといつも僕のリハビリに付き合ってくれる男の人が言った。その夕方に二人そろって。


「春男、すごく元気そうだな。見違えるよ」

「ありがとう、父さん。もうすっかりいいようだよ」

「そうか。よかった。じつは春男、ここを出る前にお前に言っておきたいことだあるんだ」

「ここを退院する前に?」


父はそのとき、悲しそうな顔を一瞬、した。


「ここは病院じゃない。うちの会社の研究所だ」

「え、何でそんなところで」

「前にうちの会社でやっている火星探査のプロジェクトの話、覚えているか?」

「うん。過酷な有人探査の代わりにロボットを使う、っていうやつ」

「ロボットではなくヒューマノイドだ。体はほとんど人間と変わらないが、材質はすべて新素材だ。脳はそのままだが、サポートに小さなコンピュータをつけている。だから生体に必要なものはほとんどなく、食料、水、生命維持装置がいらない分、機材が多く運べるのだ」


嫌な予感しかしない。思い当たるふしがある。爪が伸びていないのだ。髪も伸びていない。普通なら1か月もするとボサボサになるのに。決定的なのは、何も食べていないということだ。たまにドロドロとしたジュースのような液体を飲ませられるが。それ以外は何も食べていない。


「もしかして」


震えながら僕は聞いた。


「この後は一宮博士が話す」


父は目をそらした。


「よく聞いて、春男君。あなたは死んで、生まれ変わったの。現代の科学のすべてを集めたのが、あなたなの。見た目普通の人間と変わらないあなたの有する能力は、人類のなしえないことをするには十分すぎるほど高い。わかる?なんでも可能なの。300光年先の惑星にだって行けるのよ」


彼女は冷静に、しかし熱を帯びたように言った。


「そんなとこには行きたくないんですけど。ちょっと近所のコンビニ程度で」

「いまはそうかもしれないけれど、何れわかるわ。その力が、ね」


なんてことだ。終わった。人生終わった。とっくに死んでたんだけど。


「明日から、僕はどうすればいいんですか?」

「え?べつにどうする必要もないわ。普通に高校生やって、勉強して遊んで、食って寝て」

「食事ができる?」

「そうよ。生きていくためにはとくに必要ないけれど、楽しみってあるでしょう?食べたものは適当に体内でナノマシーンによって処理されるから大丈夫よ」

「眠るのは」

「いままではこっちがサポートしてたから。これからは自分の意思で眠って。眠っている間に起きていたときのデータを集中的に処理するから。そのときはチアンと相談して」

「チアン?」

「思考情報補助機構、TIAM。あなたの脳のサポートをするAIよ。なかよくね」

「そんなものが僕の頭の中に?」

「膨大な情報を処理するためよ。普段、人間はすべての情報を処理できないの。わざと見なかったり忘れたり。脳の負荷を抑えるためにね。でも今のあなたにはすべての情報が脳に伝わってしまう。その負荷のコントロールを行う必要からチアンを導入したの。あなたの中にもう一つの思考回路が備わったと理解して」

「そんなものいませんよ、僕の中に」

「チアン、聞こえてるんでしょ?ご挨拶して」


「初めまして。チアンです。これから色々サポートさせていただきます。どうぞよろしく」


僕の中から声が聞こえる。気持ち悪い。


変な顔をしている僕を見て、博士は納得したみたいだ。僕とAIがコミュニケーションをとろうとしていることを。


「よろしくったって」

「口に出さなくてもいいです。頭の中でしゃべる感じで」

「ああそう」

「よくできました」


機械にバカにされた気がした。




新生活



高校は3学期からだった。始業式当日に僕は編入した。学校は梅園学園といって私立のわりと大きな高校だった。家は研究室近くのマンションの一室をあてがわれた。家族と離れて生活するのは初めてだったが、少し新鮮だ。驚いたことに隣には一宮博士が住んでいた。


週に何度かは家にも帰れたが、家と学校、そして研究室が離れすぎているため、生活の基盤はここになる。ただし、3LDKの間取りの、僕の部屋以外はすべて何かの機械で埋め尽くされて、友達ができても家に呼ぶことはできない。もっとも、家に呼ぶほどの友達ができるとは思えなかった。


それでもしょっちゅう妹が来て、相変わらずぬいぐるみだのを置いていった。食事はとる必要がなかったが、たまに一宮博士が来て、夕飯を一緒に食べた。味はわかるので、それはそれで楽しい。


一宮博士は、勢津子と呼べとうるさいので、勢津子先生と呼ぶことにした。近頃は勝手に入ってきて洗濯をしたり掃除をしたりする。自分でやると言っても聞いてくれない。そのうちあきらめてしまうと、もとからこういう生活だったという気がしてくる。チアンはそれを同調という言葉で表した。


チアンは優秀だった。欲しい情報をいつも提供してくれた。カンニングのようなものだが、試験のときは黙っていた。だが教科書のほとんどを理解してしまっている自分にはさほど影響はない。ただ、目立たないようにしてるので、一番にはならないようわざと1、2問は間違えるようにすると、エヘンエヘンと変な咳をするのがおかしかった。


学年ではトップクラスにいたが、一番の子は優秀過ぎた。常に全問を正解する。女子だった。隣のクラスの子で、地味な感じの子だ。眼鏡をかけていたが、取ればきっとかわいいと思う。ただ、誰とも話すところを見たことがないので、きっとそういう性格なんだと思った。


勢津子先生と夕飯を食べているとき、火星の探査について話した。僕にその可能性があるのかと。先生は充分にあると言った。もうじき僕は完全な独立型の体になるという。今はデータをとるために様々な機械が必要らしい。


「でも僕一人が火星に行ってもなんか寂しいです」

「そのころには何人も同じヒューマノイドがいるから寂しくないわよ」

「へーでもなかなか他にはいそうにないですよね」

「そんなことないわ。この地球上で理不尽に命を落とす人って、どれくらいいるの?それこそ戦争や事故や病気で」

「そうですね」

「運なのかもね。たまたまあなたはこの会社のCOEの息子さんで、重い病気で死んでしまう」


ちょっと嫌な思い出がよぎる。病院。苦しい。息もできない。あの頃が夢のようではあるが。


「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないのよ」

「いいんです。今はずっと楽なんですから」

「楽、か。楽しいことはないの?」

「うーん、いまはこうやって勢津子先生とご飯を食べているときかな」


勢津子先生はいきなり立ち上がり、僕を後ろから抱きしめた。暖かな先生の体温が僕のセンサーに反応した。36.8度だった。


2週に1度メンテナンスを研究所でする。丸1日かけて皮膚の劣化や内部機構、脳の状態を細かくチェックする。非常に細かい検査項目を僕は次第に理解できるようになった。英語で書かれたチェックシートも理解できる。ただ、ある文字が引っかかった。


「ねえ、そのユニット2って言うのは何のこと?」


研究員に聞いた。


「け、研究室のなまえだよ」

「ふーん。じゃユニット1って言うのは隣にあるの?」

「あ、ああ。そうだね。でもちょっと離れてるかも」


妙に歯切れが悪い。勢津子先生に聞くと、さすがにちゃんと教えてくれた。


「あなたのこの体はなにもゼロから始めたんじゃないのよ。いくつもの研究があって、試作して、ようやく目途がたったの。あなたが運がいいって言ったのはそういうこと。間に合ってよかった。その目途をたたせてくれたのがユニット1というわけ。そのうち博物館にでもなるでしょうね、そこは」

「そうですか」


疑問が残ったが、もうそれ以上は話してくれそうもないと感じた。チアンに聞いても権限がないと教えてくれなかった。


学校は良くも悪くもなかった。友達と呼べるのは何人かできた。みんなごく普通の高校生だった。普通に考え、普通に生活する。ごくありふれた生活パターンをもっていて、僕よりももっとロボットらしいと思った。飛躍した考えや生き方をみんな否定した。脳の処理能力の問題ですと、チアンは言っていたが、僕にはもっとほかの理由があると考えている。


たとえば人が歩いている。それには様々な事象がある。どんな道、どんな気候、どういう目的、心理、そして5分後に起こること。いちいちそんなことすべてを考えながら人は歩かない。だが一つ一つに影響を受け、また影響している。靴の摩擦係数は環境に依存しているので買い替え時期はそれの延長線上だ。荒れた道ほど靴の購買という経済環境が早まるのだ。道を整備する環境要因によって靴は長持ちする。相互に依存、反依存の形で事象が成り立っている。


たとえば学校の廊下を歩くという行為が、どう事象に影響するか、知るものはそれほど多くない。


どすん。


いきなり何ものかがぶつかってきた。ありえないことだった。周囲の動きは把握している。もし野球のボールが飛んできても楽にかわせるのだ。それができない?


「きゃ」「わ」


階段から角を急に曲がってきたのは島津ゆい、という隣のクラスの学年トップの子だ。

彼女は尻もちをつきそうになったが、驚いたことに踏ん張った。動きが俊敏だ。


「ごめん。怪我無い?よね。気をつけてね」


僕はその場から急いで立ち去らねばならなかった。


学園物にありがちの出会いと言うヤツだ。出会ってはいけないのだ。僕はヒューマノイドだから、人とのかかわりはなるべく避けねばならない。勢津子先生は、ガールフレンドとかいいじゃない、身体機能だって普通の人間と変わらないんだし、と言ってくれたが、やはり根本的にそれはまずいと思う。生物学的な意味じゃなくて、倫理的な意味。彼氏が機械と知ったらどうするのか。失望だけでは済まないだろう。そんなことは僕からお断りだ。


急ぎ立ち去ろうとする僕に彼女の声が追いかけてきた。


「待ちなさいよ」


もの凄い悪意に満ちている。なぜに。


「なんでよ。なんであたしにかかわるのよ、このストーカーっ」

「え?どういうこと」

「ストーカーするなって言ってるの。もうやめてくれない」

「ストーカーなんかしてませんが」

「してるじゃない。毎回毎回。テストでいやらしくあたしのうしろばっか」

「いや、そういう成績だから」

「だからストーカーって言ってるのよ。なんでわざとまちがったふりして2番にいるか、あたしがわからないとでも思っているの」


教室からなんだなんだと人が出てくる。痴話げんかにしか見えないな。


「わざとなんかじゃないよ」

「嘘よ。きっちり2番取るのは1番より難しいはず。しかも間違う個所は同じパターンだし」


よまれていた。こいつすごいな。理解力と判断力が半端じゃない。しかも的確に予想できるなんてただものじゃない。こわい。間違う傾向は変えていたんだが、そこにパターンがあると分析されたんだ。瞬時に過去のテストを振り返ると、なるほどパターンが見える。今度から気をつけよう。


「何言ってるかわかんないけど、絶対君と今後かかわらないから」


立ち去ろうとすると制服をつかまれた。


「待ちなさいよ、塚田春男っ」


なまえを呼ばれたからには僕のことをこいつは認識しているんだ。テストだけでストーカー呼ばわりするとは思えない。なにか理由がありそうだが、もうチャイムが鳴る。授業に遅れてしまう。


「なんだかわかんないけど離してくんないかな。僕は逃げないから。それより授業が始まっちゃうよ。早くいかなきゃ」

「逃げないでよ、卑怯者」


チャイムが鳴った。卑怯者と言われた。初めての経験過ぎて動揺した。


午後の授業はあまり手につかなかった。




忍び寄る悪意




校門の横で島津ゆいが待ち構えていた。逃げようかと思ったが、卑怯者と呼ばれたことが引っかかって、そういう行動をとるのがはばかられた。じつに計算されている。そうとしか思えなかった。


「遅かったわね」

「いや、待ち合わせてないし」

「いつものあなたの行動パターンから5分遅れてる」


5分。クラスメートに数学の問題を教えていた時間だ。なんなんだこいつ。


それから二人で歩いた。女の子と二人で歩くのなんてそんなに機会がない。妹とはたまに近所を歩いたが、あの頃はそう長く歩けなかった。


「えと、なんか用なの?」

「そこで」


見ると鳥居がある。神社のようだ。

神社の境内は人けが無く、痴話げんかをするにはもってこいだ。なんで、そんなことになったかはわからないが。


「あなたは何なの?」

「そういわれても。ただの転校生だよ」

「誰が信じるのよ。あなたのことずっと見てた。あなたは普通じゃない。普通の振りをしている、なにかよ」

「なんでそう思うの?」

「それは、どうでもいいでしょ」

「そこが大事だと思うんだけど」

「それが知りたいから、こうして接近する機会を狙っていたのね?」

「接近したのは君の方なんですけど」

「どっちでもいわ、もうどうでも。とにかくあなたの正体をあかしなさいよ」


一方的に言われてる。なんら弁明の機会も与えられない。ただ、薄々は僕の能力について疑問を持ち、それを怪しんでいるようだ。しかし正直に僕はヒューマノイドですと言っても、かえって怒らせる気がする。茶化して、とかなんとかだ。


「じつは僕は子供のころから重い病気で、そのためたくさんの薬を使ったんだ。筋肉を増強させる薬、脳を刺激する薬。どれも新薬以前の臨床もまだ済んでない段階の薬だ。だからそういったものは未知の副作用がある。僕にはそれが影響しているんだと思う」


もっともらしい理由付けはさっきチアンと相談して設定した。

しばらく島津ゆいは考え込んでいた。


「そう。わかった。ストーカーじゃないならいいわ。さようなら」


ぷいっと彼女は行ってしまった。まったく失礼な奴だ。気分直しに神社にお参りし、おみくじを引くと、大凶が出た。



そのころアメリカ大使館と中国大使館からそれぞれバンやトラックが走り出た。怪しげな男たちを乗せて。



アメリカ大使館経済情報部、と書いた金色のパネルの部屋の中に、でっぷりと太った男と痩せて長身の男がいた。太った男は大きな机の椅子に腰かけて、長身の男を見上げている。


リチャード・ファーガソンと、その机の上のネームプレートに書いてある。


「情報部の報告ではまだ完成には至っていないというのが見解でしたが」

「それは3か月も前の話じゃないか。テクノロジーは日進月歩だ。いや秒で進んでいるんだよ、マイケル君」

「ではすでに彼らは完成に至っていると?」

「それどころか、実際に人間社会に溶け込んでいるというのだ」

「それほどまでに」

「やつらもそれは察知している。先を越されて奪われるわけにはいかないのだ」

「荒事になりますが」

「それこそきみが得意とする分野じゃないか。違うかね、ⅭⅠAのマイケル・ヘルゼンバーグ君」

「ここでは経済局主任です」

「失礼。君たちにはいろいろ顔があるからねぇ」

「1個中隊が出ています。シールズです」

「敵さんも出てきたらしい。マオだな」

「マオ・チェンですか。香港とラオスのケリをつけてやらなきゃな」

「同盟国内なんだよ、ここは。ほどほどに、な」


トラックには東洋系の顔をした男たちが10人以上乗っていた。みな武装している。覆面をかぶりだした。


「いいな、手はず通りだ。さらったら即撤収。ほかの人間をやたら撃つな。ただし、海兵が来る。そうしたら思う存分やれ。民間人にかまうな」

「目標はドクター一宮と島津という女のガキですね」

「そうだ。最悪ガキだけでもさらえ」


夜更けの首都高を両方の車列がそれぞれに走る。




非常事態



中国の特殊部隊が先に研究所についた。守衛がまず倒された。生死は不明だ。

玄関と裏口にそれぞれ回る。別動隊が電気を止める。しばらく警報装置が鳴らないのだ。玄関と裏口から侵入が始まった。


春男のプロジェクトの行われている研究室は厳重に守られているが、彼らのようなプロにとっては大した障害にならない。次々とセキュリティが破られていく。


職員も何人か残っていたが、次々と撃たれていく。電気が再び切れる。サプレッサーという銃の音を消す装置の付いたサブマシンガンやライフルから、小さな死がばらまかれる。ときおり閃光が起きるのはフラッシュバンという閃光グレネードだろう。そうしてあぶりだされて何人もが倒れていく。


研究室の奥に一宮勢津子がいた。震えながら携帯電話をかける。


「はい、塚田です」

「春男君?いい、よく聞いて。今すぐそこから逃げて。訳はあと。お願い、言う通りにして」

「勢津子先生?え、でも逃げろって、どこへです?」

「どこでもいいわ。なるべく人ごみの中。お願い、早く」

「わかりました。じゃ、切ります」


はあ、勢津子は大きく息を吐いた。私たちはともかく春男君だけでも逃がさないと。そう思った。


「春男君て、塚田春男君?」

「そうよ。同じ学校でしょう」

「彼ってもしかして?」

「そうよ。あなたと同じなの」


島津ゆいは後悔した。昼間あんなことを言ってしまって。


彼が転校してきたとき、不思議に感じた。何か同じような感じ。彼はごく普通に見えた。だけどときおり普通じゃないことをしていた。校庭で後ろから来たサッカーボールを避けた。みんなには偶然だよと言っていたが、どう見ても避けたとしか思えない。普通じゃないものが普通を装う。何かあるとしか思えない。そう思ったら恐怖しかなくなった。いつもテストでは2番についてくる。暗黙のプレッシャーだ。怖い。怖い。


勢津子先生に相談したら、きっと偶然だから気にしない方がいいって言われた。むしろ友達になったらって言われた。そんなことできない。友だちなんて作れない。だって、あたしは人間じゃないんだもん。事故で死んだあたしは機械になって生まれ変わった。だから人間の人とは接しちゃいけない。怖がられるのは嫌。変な目で見られるのは嫌。嫌われるのは嫌。


それが、塚田君が同じヒューマノイドだったなんて。でも、もう終わりらしい。なんだかわからないものに襲われている。チアンに聞いたら外国の特殊部隊だと言った。それも2国の。あたしと勢津子先生が狙われていると。さらわれて先生からは研究を、あたしは恐らくバラバラにされて調べられると予想している。


「ゆいちゃん、聞いて。あなただけだったら逃げられるわ。ここは5階だけれど、あなただったら飛び降りられる。窓をけ破って出なさい」

「先生は?」

「あなたがうまく逃げられるよう、おとりになるわ。大丈夫。殺されはしないから」

「うそ。そんなこと信じられない。第一無理よ。できっこない」

「いいから聞きなさい。あなたと塚田君は日本の技術の粋を集めたの。もうこれ以上のことはできないくらい。だからお願い、やつらに奪われないで」

「せんせい、そんなこと言わないで。一緒に逃げよう」

「いいから行くのっ。あたしを信じて」


バンっとドアの吹き飛ぶ音がした。やつらが入ってくる。相互に戦闘をしながら。弾が飛び交っている。


「いい?行きなさいっ」


勢津子が叫ぶとゆいは走り出した。窓に向かって。飛び出した勢津子を銃弾が襲う。血のしぶきが見えた。


「バカ、なんでドクターをっ」

「娘を確保しろ」


二人を突き飛ばしたところでもう一人に捕まった。スタンガンで撃たれた。そんなにダメージはなかったが、勢津子が撃たれたのを見てしまった。勢津子は倒れて、ゆっくりと辺りに血が広がっていく。


「いやあああ」


「ガキを連れ出せ、ヤンキーが来る」


中国語が飛び交う。また銃撃戦になった。


「その子を離せっ」


ゆいを捕まえていた男が吹き飛ぶ。いきなり若い男が現れ、蹴ったようだ。蹴られてあれだけ飛ぶのを、みな初めて見た。


「来い」


塚田春男だった。なぜここに?どうでもいい、先生を、先生を助けて。


「先生がっ」

「行こう」


勢津子は虫の息だった。胸の中央に弾が当たっているようだ。心臓だ。もうすぐ死ぬ。チアノーゼを起こしている。あと5分もたない。救急車も間に合わないだろう。助かるすべはもはや、ない。


「どうすればいい、チアン?」

「最悪の方法ですが、ひとつだけ」

「しょうがない。それで助かるのなら」

「ではそこのカプセルに入れてください。あとはこちらでやります」


ゆいも分かったようだ。お互いのチアンはシンクロできるらしい。勢津子を大きなカプセルに入れた。機械が唸ると、白い煙をカプセルに充満させている。


どうなるかはわからないが、とりあえずあいつらをかたずけないと安心できない。そう春男は判断した。


「君はここで先生を守ってて」

「守るって、どうやって?」

「だれか来たら、殴れ」

「殴れって、どうやって?」

「パイプ椅子かなんかでいいんじゃない?」

「わかった」


ゆいは真剣な目をしてうなずいた。


本当にやるだろう、あの子は。春男はちょっと可笑しくなった。さあ、やつらだ。お返しをしてやる。


低い体勢から近づく。真っ暗でもセンサーがある。後ろから殴るとあっさり倒れた。すごい力だ。チアンのセーブがなかったら人が死ぬ。また一人倒した。今度は腕を回して絞めた。ぎゅう、という嫌な息をして倒れた。次々と倒していく。ドアの陰に二人いる。アメリカ人のようだ。こいつらも一緒だ。机を思いきりぶち当てる。ドアごと吹っ飛んだようだ。


「タクスリーダーよりタスクワン、聞こえるか?ホイットマン、どうした?」


英語で呼びかけている。


「みんなくたばったって」


僕を見つけたようで、銃を向けてくる。暗視装置をつけている。


すぐにしゃがみ込むと、倒れている男から筒状のものを取る。ピンを抜くとその男の目の前に投げる。


バンっと音がすると強烈な光が。フラッシュバンだ。男の目が焼ける。しばらくは何も見えないだろう。腹部に思いきり蹴りを入れた。先生の仇だ。それっきり男は動かなくなった。


しばらくして警察や消防が来た。父もやってきた。いろいろな人間がやってきたようだ。多くの死人と、けが人、特殊部隊の連中。いったいどう収集をつけるのだろう。


それより先生だ。勢津子先生はどうなる?死んでしまうのか?


父が来た。勢津子先生の入ったカプセルを見ながら言った。


「最悪の結果と、最悪な選択だ。しかし両方合わさったら、そうではないのかもしれんな」

「父さん、意味わかんないよ」

「今にわかるさ。おい君」


父はそばにいる研究員を呼んだ。


「このカプセルを第2研究所まで運んでくれ。ユニット3がある」




火星へ



ついに火星に人類を送り込むことになった。長い宇宙空間を飛んでいくのだ。そして火星での基地の建設。完全自動化されたロボットが作業するとはいえ、制御はやはり人間が行わなくてはならない。


第一段階として人間の搭乗した宇宙船が火星まで飛ぶ。第二段、第三段と順次資材を乗せたロケットが飛び立つのだ。最初の宇宙船は『さきがけ』と名付けられた。


日本独自のロケットだが、資金や機材はアメリカと中国が負担した。こんなものじゃ死んだ人たちは浮かばれないが。とにかく火星に向けて、三人の日本人が旅立つのだ。


「管制センターよりさきがけへ。すべて順調。これよりカウントダウンをはじめる」

「さきがけより管制センターへ。了解。行ってきます」


種子島宇宙センターの発射台から、大きな炎を上げ、巨大なロケットが打ちあがる。


見学のスタンドには春男の両親と妹の亜理紗が手を振っている。


大気圏を抜けると、漆黒の闇があった。宇宙空間だ。回転しながら宇宙船は地球と宇宙とを交互に見回す。


「これより2次燃焼に入ります」


衛星軌道から抜け出て、一路火星に向かう。


「点火」


ゴン、という振動とともに加速へのGがかかる。


「軌道に入った。計器異常なし。順調です」

「ヘルメットを外してもいいわ」

「先生、化粧が落ちてるわ」

「え、ちょっと、マジで?ね、ポーチどこよ?」

「何考えてんですか、先生」

「春男、あなたねー、これからテレビ中継あんのよ。化粧してない顔、出せないわよ」

「先生、綺麗ですよ」

「ゆいちゃん、これは大人の問題なの」

「あたしだって大人だもん」

「見た目16のままでしょう」

「勢津子先生だって」

「あー、通信みたいだよ。地球からだって。画像送られるよ」

「ぎゃーっなんとかして、ゆいちゃん」

「先生、落ち着いて」

「ポーチあったよ」

「春男、ありがと。通信なんとかごまかして」

「なんていえばいい?」

「緊急事態ですとかなんとか」


地球は一時、大変な騒ぎになった。   







宇宙開発は、宇宙の広い未知の領域を探求するための、単なる手段以上のものをもたらす。

このことを忘れないでほしい。

宇宙開発は、この地球上の生活を豊かにすることのできるものであり、その未来への可能性には、限りがない。


                   ヴェルナー・フォン・ブラウン

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ