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その後の私は、クロード様によって天幕を張った自国軍の陣へと戻っていた。
戦勝に沸く陣の中、クロード様に与えられた小さな天幕だけが、緊迫した空気に包まれていた。
端から見ると、クロード様がおかしくなったと思われたかもしれない。
なにせクロード様は、目の前に何の変哲もない石を置いて、じっとそれを見つめているのだから。
「人払いはしてある。そろそろ話してくれないか?」
(…………)
私は石のふりを続けていた。
できればこのまま、石のふりをしたい。クロード様が勘違いしたと思ってくれたなら、一番いいのだ。
けど。
「エゼリン皇女」
(う、ううぅ……)
名前を呼ばれてしまった。……完全にバレている。
こうなったらもう、諦めるしかないと私も腹をくくって、同化を解いた。
ふっと浮き上がる感覚の後、私はクロード様の前に立っていた。
姿をあらわしても、クロード様は怖い顔をして私を黙って見ている。その威圧感に、私は自然とうつむいた。
「それで? どうしてここにいるのか説明を頼みたい」
「う……はい」
観念した私は、クロード様についてきた経緯を話した。
お菓子を置くだけのつもりだったこと。部屋に人が戻って来たから、隠れようとして失敗し、クロード様のマントに同化してしまったこと。
そのまま戦場についてきてしまったので、せめてクロード様の役に立てたらと思ったこと……。
「もし怪我でもしたらどうするつもりだったんだ? 同化している物体が、剣で切り裂かれたら?」
淡々とした口調で問い詰められ、うつむいたまま言い訳する。
「その。同化さえ解けなければ、怪我は怪我のうちに入らないので……」
同化中は私も無生物なのだ。マントは血を流さない。よって私も出血することはない。痛いが、それだけだ。
「だがいつかは魔力が尽きるだろう」
「そうしたら仕方ないかなと。一応私が何に同化してここに来たのかは、侍女が把握してくれています。ですから侍女が、骨は拾いにきてくれるだろうと……」
「骨っ!? 君は馬鹿か!」
「ひゃっ!」
怒鳴られて身をすくめ――た私を、クロード様が抱きしめた。
恐いのと緊張するのと恥ずかしさに、私は頭の中が真っ白になる。
「どうしてこんな無茶な真似をしたんだ! もう周りの人間が、俺だけ置いていくのは嫌だっていうのに」
クロード様の苦しげな声音に、私は心苦しくなった。
前の戦で友達も亡くした彼は、そのことを悔いていた。だからレイリーにも自分のことよりも生き残ることを優先しろと言ったのだとわかっていた。
けれど自分にまで、そう思ってくれるとは思わなかったのだ。ほとんど見ず知らずの私が無茶をしても、こんなに苦しい思いをさせるとは思わなかったのだ。
「ごめんなさい……でも、クロード様が死んだらどうしようって」
ただ守りたかった。
けれど魔法も弾くクロード様にとって、私のしたことは無用なおせっかいだったに違いない。
うなだれたまま顔を上げられずにいた私に、クロード様はため息混じりに言った。
「もうわかっただろう? 俺が半年前の戦いでも生き残ったのは、たった一つの術を使えたからだ。むしろ部下達を下がらせたら、俺一人で奴らを一掃するつもりだった」
結局、クロード様は予定通りツヴァイエの魔法使いを倒した。
最も手強い敵がいなくなったことで、センティルース軍は勝利した。
「ただ、な」
クロード様の声が少し柔らかくなる。
「俺はこれ以外の術には適性がなかったから、剣や槍は弾き返せない。何度かそれを回避させてくれたのは君の術だろう? 助かった」
クロードの言葉に、私は涙がこみ上げる。
きっと自分を哀れんで、少しは褒められるところを探してくれたに違いない。
情けなさに泣き出した私の顔を、クロード様が慌てたようにのぞき込む。
「え? なんで泣くんだ?」
「……ごめんなさい。だって私、結局邪魔してしまって。本当はこっそり守って、うっかり怪我をしても知られないようにすればクロード様の負担にならないだろうって思ってたのに。それにそれに、私なんかにこんな余計な事されて、お嫌だったでしょう? もう迷惑かけませんから……」
「は?」
私の謝罪に、クロード様は首を傾げる。
「見知らぬって訳じゃないだろう。少なくとも俺は君を知ってる、エゼリン皇女」
「それは私が皇女だから、顔を見知っているだけでは?」
「お菓子をくれただろう? 覚えている」
意外な言葉に顔をあげると、クロード様が苦笑いしているのが見えた。
「え? わかっていたんですか?」
「あんな風に真正面からお菓子を渡して、逃げ去ったのは君が初めてだった。たいていの人間は、俺が菓子を食べるなんて思わないからな」
たしかに……と私も思う。
クロード様がお菓子が好きだと知ったのは、最初の遭遇の後、微笑んでクロード様がお菓子を食べていた姿を見たからだ。
男の人だから大っぴらには言わないけれど。密かに甘い物が好きなのではないかとその時思った。
「自分で菓子を買うのは気恥ずかしいが、けっこう俺も甘党でな。あの後もこっそり置いて行っていただろう。実は有り難かった。甘い物が好きだなんて、同僚にばれたら笑いものになるのは間違いないからな。ただ、俺に菓子をくれていたのが皇女だと気づいたのは、その後のパーティーの時だったが」
クロード様は私の顔を見ても全く驚いた様子もなかった。だからお菓子を押し付けて逃げた女と、自分が同一人物だとは考えていないと思ったのに……。
「だから、君も俺にとっては見知らぬ他人じゃないんだ。だから二度とこんな事をしないでほしい。俺に菓子をくれる貴重な人がいなくなるから」
微笑んでそう言ったクロード様に、私はうなずいた。