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「ああ、連絡事項がいくつか……」
ロシルは出発に際して、遅れる部隊があることをクロードに告げた。
「急な話だったからな。出陣の可能性はあったからと、用意していてもこういうことは起こりうるだろう」
クロードは淡々と受け入れていた。
さすがいつでも冷静沈着な方だと、私は感心しながらそれを見ていた。
これからクロード達が戦う相手は隣国エッセ王国だ。
エッセ王国は麦の病によって人々の生活が困窮していた。そのため、私の住むセンティルース皇国を襲撃。おそらく国境の土地をいくらか占拠した上で、食料と引き換えに返還する……という計画で戦いを仕掛けてきたのだと言われている。
荒れ地の多いエッセ王国は、今までに似たような紛争を起こしていたからだ。
センティルース皇国側は、今回もすぐさま軍を国境へ派遣していた。
しかし、長年領地争いをしている隣国ツヴァイエ王国が絡んできて、事情が複雑化してしまったのだ。
ツヴァイエがエッセに援軍を出したため、派遣した軍の数では、エッセ軍を押し返すことができなかった。
ツヴァイエは、そのままセンティルース皇国の領土をかすめ取っていきたいのだろう。
あわよくば耕作地を手に入れたいエッセも、それに乗ったのだと皇宮内でささやかれていたし、周辺国家の情勢について、一応講義を受けたりしている私も、そうなのだろうと予想していた。
とにかくセンティルース皇国は領土を取られるわけにはいかない。
すぐに軍の増員が決定され、英雄クロードにも出陣命令が出た。
それが二日前のこと。
最初の軍の派遣時に、増援の必要があることも考えて兵を集めて待機させていたため、たった二日で派遣ができるのだ。
クロード出陣の話に、皇宮内の女性達は、彼ならば国を守ってくれるだろうと諸手を挙げて喜んだ。
そんな中、クロードの従軍を悔しく感じたのは私だけだったかもしれない。
「とにかく出発だ」
「先に行ってるよ」
ロシルはそう言って、部屋を出て行く。
クロードも小さくまとめた荷物を背負い、私の方に手を伸ばしてくる。ソファにかかっているマントを持ち上げるのだろう。
と思っていたら、視界が急に上昇する。
(え……!?)
何かがおかしいと思った時には、ばさりと音がして、視界がクロードの背後に回る。
(これってまさか、私、マントに同化しちゃった!?)
でなければおかしい。
クロードがソファーを軽々と背負えるわけがないし、ああ、視界の端に同化しようとしたソファが見える。……確定だ。
(てことは私、今、クロード様におぶさっている状態?)
恥ずかしさに身をよじりたくなる。が、マントは自らうごく代物ではない。
がまんがまん……と思う私の存在に、クロードはもちろん気づくはずもない。なにせ見た目は完全にマントそのものなのだから。
しかしこのままではマズイ。
戦場に連れて行かれてしまう……!
(たぶんブローシアが、すぐに気づいて追いかけてきてくれると思うけれど……。それを期待するしかないわ)
侍女のブローシアは、私が使える魔法を把握している。先ほども、同化して完璧に隠れられるからこそ、私を置いて自分は先に立ち去ったのだから。
戻って来なければ、すぐに問題が発生したことに気づいて、探してくれるはず。
そしてなんとか脱出させてくれるだろう。
ただ、同化してしまったのはマントだ。
行軍中にクロードや誰もいない隙があれば、同化の魔法を解いて逃げ出せるのだけど……。隙がなかったら、数日は行軍に付き合うしかない。
(でも私が数日いなかったとしても、誰も気づかないかブローシアが誤魔化してくれるだろうし、私自身は同化している間は食事も必要ないから、大丈夫かしら?)
なにせ今現在の私は無生物だ。
魔力が続く限りはマントのままでいられる。今まで最長で一週間は同化していられることは、確認済み。
その間にブローシアが助けてくれたら、急いで皇宮に帰ればいい。
冷静に今後のことを考えていたら、クロードがテーブル上の菓子箱に気づいてくれたようだ。
「……菓子か」
つぶやいて、ちょっと口元を微笑ませる。
お菓子を喜んでくれたことに嬉しくなったのだが、箱を開けたクロードはふっと真顔になる。
「エゼリン皇女」
部屋に突然置かれていたお菓子なんて、誰が差出人かわからないと、食べにくいだろうと思ってカードを入れたのだけど、それを見たようだ。
けれど笑みを消してしまったということは……。
(――私がお菓子を渡すのは、すごく迷惑だった?)
今までにも、クロードと顔を合わせることはあった。なにせ彼は英雄だ。皇帝と謁見することも多々ある。
社交辞令を交わすことしかなかったけれど、少なくとも私のことを嫌悪しているとか、そういう感じはなかったはず。
……眼中になかっただけかもしれないけれど。
(だとすると、親しくもない皇女から物をもらったのが嫌だったのかも)
いくら好きなお菓子でも、皇女からとわかって驚かせてしまったのかもしれない。
しかも食べなければ、皇女が哀しんで面倒なことになると警戒したのかもしれない。
自分は決してそんなことはしないと誓えるが、クロードはひどい人だと言って回るかも知れないと考えたのだろう。
しかも上の異母姉が、わりとその気がある人だから、エゼリンも同じ行動をしかねないと思われた可能性はある。
(私、お菓子を渡さなければよかったのかも……)
迷惑な物を押しつけてきた女だと思われたかもしれない。
しかもお菓子を置くために、うっかりマントに同化までして。クロードの独り言からなにから聞き耳を立ててしまうような状況に!
(う、知られたら絶対嫌われる!)
青ざめたものの、もう遅い。
剣を腰に吊るし、荷物を持ったクロードは部屋を出る。
そうして私が同化してしまったマントを着たまま、彼は戦場へと向かったのだった。