妖精の悪戯
蹴飛ばされた木箱の蓋が外れ、中にあった薬草がばらまかれる。さらにその薬草は小さな足で踏みにじられた。
「チクショウ……チクショウ!」
部屋には少女の甘い声質に似合わない怒鳴り声が響いていた。その声の発信源、十代前半とみられる少女は可憐な顔を怒りに歪ませ部屋を歩き回ってはまわりのものに当たり散らしていた。
「あのー、結局あれはなんの薬なの?」
少女の破壊活動に巻き込まれないよう上空へ退避していた生物が少女に問いかける。生物は体こそ人間のものだが体格は十数センチメートル程しかなく背中からは虫のような羽が生えていた。羽と同色の髪には赤い光の粒がちらちらと瞬いている。
「やかましいこのクソ妖精が!誰のせいでこんな体になったと思っている!」
罵声と共に投げられた薬瓶を妖精はひょいと躱した。
「クソ妖精じゃないよ。ボクにはアトランタって名前が有るんだからそう呼んで欲しいね。で、なんなのさその薬」
少女は瓶を投げたときにはだけたブカブカの服を直しながら答えた。
「服用した生物の性別を入れ換える太古の妙薬だ。私が西部地方へ遠征した時に遺跡から発掘したんだ」
「へぇー、なんでそんな薬を研究してんの?変態?」
アトランタはニヤニヤと笑いながら少女を眺める。少女は額に青筋を浮かべもう一度瓶を投げるが再び躱されてしまった。瓶の割れる音が虚しく響く。
「そんなわけないだろう。私がアレを飲む前どんな状態だったか思い出してみろ」
「うーん……男だった?」
三本目の瓶が投げられる。割れる瓶が勿体なく感じたアトランタは今度は瓶を受け止めた。
「なんで怒るのさ、合ってるでしょ」
アトランタは瓶を机に置きながら抗議する。
「そんな当たり前の話はしていない。もっと薬が関係が有りそうな状態があっただろうが」
「えー、なんだったかなぁ……」
本格的に考えだしたアトランタは腕を組みながら空中を飛び回る。少女はそれを鬱陶しそうにながめながら自分で倒した椅子を立て直しどっかりと座り込んだ。
「あ、そうだ。君、風邪引いて寝込んでたね」
アトランタがパチンと手を叩く。そこに四本目の瓶が投げられ、彼女に直撃した。
「ああ、そうだよ。チッ……、それでお前に風邪薬を取らせたのが間違いだったんだ。チクショウ!」
「あ、それは確かに君の間違いだね。妖精は悪戯が大好きだからね。本気でものを頼んじゃダメだよ」
瓶の直撃によって墜落したアトランタは起き上がり、カラカラと笑った。そこへ少女の手が伸びる。
「いたい、いたいよ、放してってば」
少女の小さい手がアトランタをふん掴みギリギリと締め付ける。そして十秒ほどそうするとアトランタは壁に投げつけられた。
「いてて……羽に皺が入っちゃうじゃないか……。それで、風邪が治ったのがなんなのさ。それなら風邪薬の方が便利でしょ」
アトランタは羽根を延ばすとヨロヨロと安全地帯まで飛行した。
「風邪だけではない。服用した生物がどんな状態であろうとも生物として健康な状態に戻すことが出来る。性転換効果さえ外せれば夢の万能薬が出来るかも知れん。それがお前のせいでパーだ!」
少女は頭をガシガシと掻きむしると不機嫌な顔で頬杖をついた。
「ねぇ……」
「あぁ!?」
アトランタは少女の目の前まで降りてくる。先程までの茶化すような表情は消え、なにか考え事をするように腕を組んでいた。
「その薬、呪いも治せる?」
少女は数秒の間アトランタを見つめた後に答えた。
「生命活動に干渉する呪いであれば解呪可能だ。運や魔術要素についての呪いの解呪は観測されていない。他には?」
少女は散らかった机をあさって紙とペンを取り出した。
「男女が無い生物の場合は?」
「治癒性能に変化は無かった」
アトランタの質問に答える度にペンが動き、紙に文章が刻まれていく。
「じゃあ、君はこの薬を作れる?」
アトランタの最後の質問を聞いた少女は深い溜め息をついた。そして立ち上がると薬が並んだ棚の奥から一枚の石板と薄い紙束を取り出し、机に並べた。
「わからん。秘薬の製法が書かれているらしい石板は見つけたが解読が終わってなくてな。今では手に入らない材料があるかもしれん」
少女は紙束をぱらぱら捲ったあともう一度アトランタに視線を向ける。
「それでも欲しいか?」
「欲しい」
少女が言い終わり、アトランタが答えるまで一秒もなかった。少女は再び溜め息をついて立ち上がり、部屋の隅で潰れていたリュックサックを手に取った。
「いつまでかかるか分からんが……構わんな?」
リュックサックには次々と薬草や薬瓶が詰め込まれていく。アトランタは拍子抜けしたような表情でそれを眺めていた。
「良いの?あんな悪戯したのに……」
「世の中には不埒な目的で薬をねだる輩がいるからな。目をみればどれだけ本気か大体わかるようになったのさ。俺は薬師だ。私情よりも仕事を優先させる」
アトランタに石板と紙束を箱にしまいながら少女は答える。
「あ……ありがとう。あの、ボクも手伝うから……」
「当たり前だ。薬が完成するまでみっちりこき使ってやる」
数分後、棚に置いてあった薬瓶はほとんどか消え、リュックサックは豚のように膨れ上がった。その側には先よりも幾分か小さい服を着て、黒かった髪を薄い緑色に染めた少女が立っていた。
「おい、クソ妖精。さっさと出るぞ」
少女はリュックサックを背負い、長い木の杖を持つと家を出た。
「だからクソ妖精じゃなくてアトランタだってば」
アトランタもそれに続いて飛んでいく。
「そういえば君のことはなんて呼べば良いのさ」
「あ?俺?前の名前は使えんしなぁ」
少女は暫くの間眉間に皺を寄せて考えていたが不意にニヤリと笑った。
「そうだなあ、まぁ俺のことは『カタリア』とでも呼んでくれ」