水中にて
こんなに月が綺麗な晩は、絶好の上陸日だ。
私たちは最高におめかしをする。長くたゆたう髪を梳き、白粉をはたき、ヒレに真珠と珊瑚を飾る。ふわり、と尾を振ればお魚さんの群れがやってきて、口々に褒めたたえてくれるのだ。
――世界一、別嬪さんだね。
――お嬢さん方がこの湖に住んでいるのは、大変誇らしいね。
うら若い乙女たちはクスクス恥ずかしがりながら、優しい手つきでお魚さんの鱗を撫ぜてやる。私も顔見知りの子を見つけ、おいでと声を掛けた。そのおちびさんは仲間と仲間の間をすり抜けるようにして胸元へ飛び込んでくる。
――ねえねえ、僕が拾ってきた首飾り、気に入ってくれたの?
そう言ってじゃれるように首飾りをつつく。
平べったいような丸い石に、きゃしゃな糸を通しただけのアクセサリー。こんな粗末と言ってもいい装飾を身に着けているのは、この中で私くらいなものだ。きっと、その辺に落ちている真珠なんかの方がよっぽど価値はあるのだろうし、水中はともかく陸に上がった時に映えるのはどちらか、問うまでもない。それでも、私はこれを一番気に入っていた。
「素敵な贈り物、本当にありがとう。この石は、ほの薄い金色をしていて……そう、まるで、お月様みたいね」
おちびさんは、お月様を知らないようだった。きょとんとして目をぱちぱち瞬かせている
「お月様っていうのはね、すべてを包み込んでくれる大きな方なのよ」
お姉さま方やお友達は、砂浜に上がるといつも人間たちを見てばかりいるけれど、私は別。
私は、岩に腰かけてぼんやり空を仰ぐ。すると、ぽっかり浮かんだお月様が笑いかけてくれるのだ。やあ、いいお晩ですね、という風に。もちろんあの方の言葉は判らないけれど、何となくそう言われている気がする。だから私も「今晩は」と微笑みかけて、長い長い夜をお月様とおしゃべりしてすごす。交わすのは言葉ではなく、もっと奥の深いもの。ただ見つめるだけで想いは伝わってくるので、何も心配はいらなかった。
雲がない日でないと湖からは出られない。今日は久しぶりの晴天だったから、皆がうずうずしていた。
「準備はよろしいかしら? そろそろ出立しますわよ」
一番上のお姉さまが号令をかける。と、わっと声が上がった。
「早く行きましょうよ、何だか今日は水辺が賑やかなの!」
「素晴らしい夜になる予感がするわ」
「さあ、お魚さんたちも着いていらっしゃい。出発よ!」
色とりどりの尾ひれが水を打った。とたんに視界が大きく揺れる。
――うわぁぁぁ、僕、飛ばされちゃうよ!
おちびさんが流れに飲み込まれて半分目を回しかけている。仕様がないので、手を伸ばしてそっと胸に抱き寄せてやる。気分はできが悪いけれどかわいい弟の世話を焼くお姉さんだ。
「安心なさい、私が守ってさしあげるわ」
弟も妹もいない私は、少し嬉しくなってそんなことをささやいた。すると、おちびさんが「僕、判ったよ」と言う。何のことやら思いつかず、その先をうながした。
「どんな素敵なことを考えたのかしら。お姉さんに聞かせてくれる?」
おちびさんは手のひらでぱしゃぱしゃ暴れて答えてくれた。
――うん。あのね、お姉さんって、お月様なんでしょう! だって、大きくて僕のことを包み込んでくれているもんね。
わーいわーい、わかっちゃったあ! とはしゃぐおちびさんに、返す言葉が見つからなかった。私が、お月様なんて……不思議な感じだ。
どうとも答えられないうちに、乙女たちは遥か上の方に行ってしまっていた。
いくら湖の中は安全と言っても、単独行動は禁止されている。私はしっかりつかまっているようにおちびさんに言うと、全速力でお姉さま方の影を追った。
そのうち第二話上げます。というか二話構成な気がする。